第26話 完全勝利だな
最後の一音が静かに消えた。
照明に照らされたステージには、まだ熱気が残っている。
五人は誰一人言葉を交わさないまま、ゆっくりとステージを降りた。
息は荒く、全身から汗が滴る。
腕も足も鉛のように重い。
それでも、その表情にはやり切った充実感が浮かんでいた。
控え室の扉が閉まる。
その瞬間、張り詰めていた緊張の糸が一気に切れた。
姫希は数歩歩いたところで膝から崩れ落ち、そのまま床へ寝転がる。
「最高に楽しかったけど……今日はもう無理。」
大の字になり、天井を見つめたまま動かない。
乱れた呼吸だけが、さっきまでの激しいライブを物語っていた。
誰も笑わない。
笑う気力すら残っていない。
全員が、自分たちの持てるすべてをステージへ置いてきたのだから。
本来なら、このあとファッハプの出番だった。
控え室で耳を澄ませば、すぐに次の演奏が始まるはず。
しかし──。
いつまで経ってもギターの音は鳴らない。
ドラムも聞こえない。
会場は不思議な静けさに包まれていた。
やがて、その理由が伝わる。
ファッハプは逃げた。
その一言だけで十分だった。
誰も何も言わない。
言葉にする必要もない。
その代わり、ライブハウス全体を揺らすような歓声が控え室まで響いてきた。
「アンコール!」
「JJ!」
「アンコール!」
「もう一曲!」
壁を震わせるほどの大きな声。
その歓声は一向に途切れる気配がない。
姫希は薄く目を開け、力なく片手を持ち上げる。
「寝かせてくれー。」
その気の抜けた一言に、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
奏は苦笑しながら仲間たちを見渡した。
誰も立ち上がる気力は残っていない。
「俺らも逃げるか。」
ニヤッと笑う。
その笑顔につられるように、達磨も大地も颯太も小さく笑った。
大地はすぐに携帯を取り出す。
短く電話をかけると、迷いなく言った。
「車っ! 姫を休ませたいからデカいやつ回して。」
『了解です。』
返事は一瞬だった。
電話を切ると同時に外では男たちが動き始める。
数分もしないうちに、大きな車がライブハウス裏口へ滑り込んできた。
五人はスタッフへ軽く頭を下げ、そのまま車へ乗り込む。
扉が閉まり、車が静かに走り出す。
窓の外からは、まだアンコールの声が聞こえていた。
その歓声を背中に受けながら、JJは静かにライブハウスを後にした。
翌日。
達磨は自宅のソファに深く腰を下ろし、携帯電話を手に取る。
昨夜のライブを語るスレッドを開くと、画面には見慣れた誹謗中傷が並んでいた。
「JJってバンドに演奏時間奪われた。」
「客を買収している疑惑。」
思わず鼻で笑う。
昨日までなら、こうした書き込みだけが目立っていた。
だが今日は違う。
一つひとつの書き込みに、数え切れないほどのリプライが付いている。
「ファッハプが逃げただけ。」
「最高のライブだった。」
「貶める奴は何者?」
「また行きたい。」
「ライブ中、呼吸するの忘れた。」
「あれは伝説になる。」
実際にライブを見た人たちの言葉が、次々と誹謗中傷を飲み込んでいく。
達磨は画面を閉じ、満足そうに息を吐いた。
「完全勝利だな。」
その声に、大地が肩や腕をさすりながら苦笑する。
「体、筋肉痛だよ。」
腕を上げるだけで顔をしかめる。
昨日どれだけ全力で叩いたのか、自分でも笑えてくる。
「あの三人は暴走させたらダメだって分かった。」
達磨は思わず吹き出した。
「颯太のやつ。やるなって言った事、全部やったな。」
目を合わせるな。
煽るな。
余計なことはするな。
注意したことを、颯太は一つ残らず破った。
その結果が、昨日のライブだった。
二人は顔を見合わせる。
思い出すだけで笑いが込み上げてくる。
静かな部屋に、二人の笑い声がいつまでも響いていた。
第四章 「努努-ゆめゆめ-」 完




