第12話 仲間には遠慮したくないから
姫希は目を閉じ、小さく何度もメロディを口ずさんでいた。
歌詞を頭の中でなぞり、音程を確かめるように繰り返す。その姿は、練習というより、自分の中へ音楽を染み込ませているようだった。
静かなスタジオには、かすかな鼻歌だけが響く。
やがて姫希はゆっくりと目を開け、二人を見て笑った。
姫希
「よし! 行こう。」
その一言だけで十分だった。
颯太はギターを構え、奏もアンプへ視線を向ける。
『DIVE』のイントロが静かに流れ始めた。
前回と同じはずのイントロ。
だが、その音に姫希の歌声が重なった瞬間、空気が変わる。
完成したと思っていた曲。
まだ行けると思っていた曲。
ヤバい。
体が痺れる。
熱い。
心臓が速くなる。
全身の感覚が研ぎ澄まされ、指先が勝手に動き始める。
颯太はソロをアドリブで弾き始めた。
頭で考えてはいない。
次のフレーズも、その次も、指が勝手に答えを探していく。
奏は何事もないような顔でそれに合わせる。
ほんの少しでも遅れれば演奏は崩れる。
それでも迷わない。
颯太がどこへ飛ぶのか、その一瞬先だけを見続けていた。
姫希と目が合う。
颯太
(あぁ、またこの感覚に会えた。)
自然と歌にハモる。
ギターも歌も境界がなくなっていく。
完全に気持ちよくなっていた。
その姿を見て、奏は思わず笑う。
(久しぶりだ、最強モードの颯太だ)
予想なんて意味がない。
いつだって颯太は、自分の想像を少しだけ超えてくる。
だから面白い。
だから必死で追い掛ける。
外から見れば息の合った演奏。
だが奏は、一音も気を抜いてはいなかった。
『DIVE』の最後の音がスタジオいっぱいに響き渡る。
余韻だけが静かに残った。
姫希は目を丸くしたまま二人を見つめる。
姫希
「さっきと違うじゃん。ビックリした。」
奏は小さく笑う。
奏
「これが俺たちだ。」
颯太は照れくさそうに頭をかく。
颯太
「ゴメン、突っ走った。
頭真っ白だったから同じの弾けるかわからない。」
奏は録音機材を指差した。
奏
「大丈夫、録音してる。
聞いてみよう。」
颯太はまだ興奮が冷めないまま、ギターを抱え直す。
颯太
「もう一度良い?」
奏は笑って首を横に振った。
奏
「一回今の聞いてからな。」
颯太は姫希へ振り向く。
颯太
「姫ちゃんどうだった?」
姫希は苦笑いを浮かべる。
姫希
「わからない。凄すぎた。」
まだ少し興奮が残っているのか、胸に手を当てながら続ける。
姫希
「ビックリして歌詞飛んだ。」
照れ笑いを浮かべ、手を差し出す。
姫希
「歌詞見して。」
三人は録音機材の前へ集まる。
再生ボタンが押され、数秒前まで自分たちが奏でていた『DIVE』が流れ始めた。
誰も言葉を発さない。
自然と耳が演奏へ集中していた。
颯太は苦笑する。
颯太
「ハモリ下手だなぁ」
姫希は首を傾げる。
姫希
「そう? 気持ち良かったよ。」
奏も頷く。
奏
「俺もありだと思う。」
颯太はため息混じりに笑う。
颯太
「弾きながら歌うとかマジ無理だよ。」
奏は即座に返す。
奏
「今やってたじゃん。」
少し笑ってから続ける。
奏
「これ採用だから。」
録音を止めると、奏は椅子から立ち上がり姫希へ向き直った。
奏
「あと姫希、お前も合格な。」
姫希は少し驚いたように目を瞬かせる。
奏
「前のバンドと掛け持ちするのか?」
姫希は思わず笑う。
姫希
「もう呼び捨て?」
奏も笑い返した。
奏
「こっちも呼び捨てで良いぞ。」
少しだけ照れくさそうに続ける。
奏
「仲間には遠慮したくないから。」
その言葉に、姫希の表情が柔らかくなる。
姫希
「あのバンドは解散したよ。」
少しだけ遠くを見る。
姫希
「ギターの子が引越したんだ。」
短く息を吐く。
姫希
「あれが最後のライブって決めてたんだ。」
そう言ってから、まっすぐ二人を見る。
もう迷いはなかった。
姫希
「奏、颯太。私加入したい。」
一歩前へ出て、小さく頭を下げる。
姫希
「よろしくね。」
奏と颯太は顔を見合わせる。
言葉を交わさなくても、お互いが同じことを考えていると分かった。
自然と笑みがこぼれる。
こうして三人で演奏する初めての『DIVE』は、新しいバンドの始まりを告げる一曲になった。
第二章 「flower」 完




