第11話 今、歌いたいんだよ
翌週、土曜日。
朝から雨が降り続いていた。
スタジオの外では、屋根を叩く雨音が絶え間なく響いている。
アスファルトは雨に濡れて黒く光り、通りを行き交う人影もまばらだった。
普段なら聞こえてくる車の走行音さえ雨音にかき消され、街全体が静けさに包まれている。
部屋の中では、奏がアンプの音を確認し、颯太がギターのチューニングを終えたところだった。
颯太
「来るかな? 姫希さん」
奏
「来ないだろ」
窓の外へ目を向ける。
奏
「こんな天気じゃな」
颯太はギターを肩に掛ける。
颯太
「今日は『DIVE』からやろうぜ」
ピックを軽く回しながら笑った。
颯太
「なんか弾きたいんだよね」
少し照れくさそうに続ける。
颯太
「前よりパワーアップできそう」
奏はアンプのスイッチを入れながら頷く。
奏
「颯太、上手くなったよな」
颯太は苦笑する。
颯太
「上から目線やめて。凹む」
奏は首を横に振った。
奏
「そういう意味じゃない」
ギターを手に取り、真っ直ぐ颯太を見る。
奏
「前から上手かったけど、安心感が違うってこと」
その言葉に、颯太は少し驚いたような顔をした。
颯太
「初めて褒められたかも」
奏
「そうか?」
その時だった。
ガチャ。
スタジオの扉が開く。
二人が同時に振り返る。
入口には、濡れた帽子を脱ぎながら立つ少女がいた。肩や袖口には細かな雨粒が残り、歩いてきた外の冷たい空気まで一緒に入り込んでくる。
姫希
「姫ちゃん登場」
奏は目を丸くする。
奏
「マジ?」
颯太は笑顔で手を振った。
颯太
「ようこそ」
姫希は部屋を見回し、小さく笑った。
姫希
「中坊の練習、見に来たよ」
奏は苦笑する。
奏
「俺ら、高二」
姫希の動きが止まる。
姫希
「え?」
少し間を置いて目を丸くした。
姫希
「マジ?」
奏と颯太を見比べる。
姫希
「童顔だから、てっきり中学生かと思ってた……」
颯太は苦笑いする。
颯太
「とりあえず聞いていってよ」
姫希は壁にもたれ、腕を組んだ。
姫希
「そのつもり」
少し笑って続ける。
姫希
「まだ参加するか決めてないし」
視線を二人へ向ける。
姫希
「最初は子守のつもりで来たんだけど……」
肩をすくめる。
姫希
「まさか先輩だったとはね」
奏はギターを肩に掛けた。
奏
「年なんてどうでもいい」
アンプの前へ立ち、颯太を見る。
奏
「颯太、行くぞ」
颯太
「了解!」
ピックを構える。
静かなスタジオに、『DIVE』のイントロが鳴り響いた。
二本のギターが重なり合い、雨音に負けないほど力強い音が部屋を満たしていく。息の合った演奏は迷いがなく、何度も繰り返し合わせてきたことが伝わってくる。
姫希は腕を組んだまま聴いていた。
最初は軽い気持ちだった。
練習を少し見て、適当に帰るつもりだった。
だが、一音、また一音と演奏が重なるたび、その表情から余裕が消えていく。
視線は自然と二人へ引き寄せられ、腕を組んだまま微動だにしない。
『DIVE』の最後の音が静かに消える。
スタジオに短い静寂が訪れた。
姫希は呆然と二人を見つめている。
やがて我に返ったように口を開いた。
姫希
「あんたたち、何者?」
颯太は照れくさそうに頭をかいた。
姫希
「めっちゃ上手いじゃん」
少し興奮した様子で颯太を見る。
姫希
「今の曲、歌詞ある?」
颯太は譜面の間から一枚の紙を取り出した。
颯太
「とりあえず作ってきた」
姫希は紙を受け取り、目を通す。
数秒後、小さく吹き出した。
姫希
「だせぇ」
颯太の肩が落ちる。
だが、姫希は笑みを浮かべたまま続けた。
姫希
「でも、それが良い」
歌詞から目を離さずに言う。
姫希
「待って」
姫希は一行ずつ目で追いながら、小さく口を動かし始める。
姫希
「覚えるから」
奏が腕を組む。
奏
「参加したいの?」
姫希は歌詞を目で追ったまま答えない。
奏は続ける。
奏
「俺らは、まだ参加を認めてないよ」
少し間を置く。
奏
「それに、あのバンドはどうした?」
歌詞を見つめていた姫希の手が止まる。
姫希
「参加はどうでもいい」
顔を上げる。
その瞳には、さっきまでの見学気分はもう残っていなかった。
姫希
「今、歌いたいんだよ」
颯太は何も言わず、小さく頷いた。
ギターを構え直す。
指先が弦をなぞり、『DIVE』のイントロがもう一度静かに鳴り始めた。




