第10話 私の名前は姫希
照明が落ちる。
ざわめいていた客席が少し静まり、ステージに一本のスポットライトが落ちた。
深く帽子を被ったボーカルが、ゆっくりとマイクの前へ立つ。
顔はほとんど見えない。
すらりとした立ち姿だけが照明に浮かび上がる。
颯太
「大学くらいかな」
奏
「かもな。大人びてる」
ドラムがカウントを刻む。
ギターが静かに入り、一曲目が始まった。
颯太は目を閉じ、歌だけに耳を傾ける。
サビに入る。
低音から高音まで綺麗に伸びる歌声。
音程もリズムも安定している。
颯太は小さく息を吐いた。
颯太
「声は良いね。でも物足りない」
奏
「パワー?」
颯太
「うん」
ステージから目を離さずに続ける。
颯太
「『DIVE』には、もっと腹から震えるような声が欲しい」
奏も腕を組み、歌声を聴き続ける。
奏
「そうだな」
少し考えて言葉を続けた。
奏
「上手いけど、それだけじゃダメだからな」
奏
「ちょっと、おとなしすぎるかも」
一曲目が終わる。
短い拍手が響き、ボーカルは軽く頭を下げる。
間を空けずに二曲目が始まった。
今度はテンポの速いロックナンバー。
ギターが勢いよく鳴り、ドラムも激しく刻まれる。
それでもボーカルの歌い方は一曲目と大きく変わらない。
颯太は少し身を乗り出した。
颯太
「二曲目に期待」
奏は答えない。
腕を組んだまま、ステージ全体を観察している。
二曲目が終わる。
客席から拍手が上がり、そのまま三曲目へ。
今度はミディアムテンポ。
雰囲気だけは変わるが、演奏も歌もどこか似た印象が続く。
颯太
「三曲目に期待」
奏はしばらく黙っていた。
サビまで聴き終え、小さく息を吐く。
奏
「……同じような曲ばっかだな」
ギター、ベース、ドラムへと順番に目を向ける。
奏
「演奏スキルが低すぎる」
一拍置いて続けた。
奏
「ボーカルの他の声を引き出せてない」
颯太も静かに頷く。
颯太
「そうだね」
少し考えてから口を開く。
颯太
「一応、候補には入れておこう」
三曲目が終わる。
客席から拍手が響き、出演者たちは一礼してステージを降りた。
照明が明るくなり、次の転換が始まる。
機材を運ぶスタッフが慌ただしく動き回り、客席ではドリンクを取りに行く人が目立ち始めた。
奏
「残りは見なくていいな」
颯太
「うん?」
奏
「残り二組はノリだけのバンドだ。見る価値はあんまりない」
颯太は少し考えて頷く。
颯太
「帰ってギター弾く?」
奏
「そうだな」
二人はライブハウスを後にした。
地下から地上へ続く階段を上る。
ちょうど出演を終えたバンドも帰り支度を始めていた。
機材を片付ける者、談笑する者、それぞれがライブの余韻に浸っている。
その中で、一人の男が帽子を深く被った女性ボーカルにしつこく話しかけていた。
さっきまでステージに立っていたボーカルだった。
聞くつもりはなかった。
それでも声は耳に入ってくる。
女性ボーカルは俯いたまま何も答えない。
男は構わず話し続ける。
数秒後。
女性ボーカルがゆっくり顔を上げた。
女性ボーカル
「さっきから、ホント嫌がってるの分からないかな」
男の笑顔が引きつる。
女性ボーカル
「あんた大学生だろ」
女性ボーカル
「モテると思ってんの?」
一歩踏み出す。
女性ボーカル
「私、高一だよ」
低く、腹の底から響く声だった。
女性ボーカル
「あんた、捕まる覚悟あんの?」
周囲の空気が凍る。
女性ボーカル
「このロリコンが」
颯太の肩が震えた。
目が大きく見開かれる。
颯太
「これだ!」
颯太
「この声だ!」
颯太
「『DIVE』に必要な声!」
颯太の目が輝いていた。
奏
「性格きつそうだぞ。他探そう」
言い終わる前に、颯太は女性ボーカルの前まで歩いていた。
颯太
「良い声してるね」
女性ボーカルが怪訝そうな顔を向ける。
颯太
「うちのバンドで歌わない?」
女性ボーカル
「は?」
一瞬だけ沈黙が流れる。
女性ボーカル
「私は今日、友達とライブしに来てるの」
冷たい視線を向ける。
女性ボーカル
「引き抜きとかやめてくれる?」
颯太はすぐ頭を下げた。
颯太
「そっか」
颯太
「仲間は大事だよね」
颯太
「ホント、ごめん」
あっさり玉砕した。
奏はため息をつきながら前へ出る。
奏
「俺らは毎週土曜日、スタジオで練習してる」
奏
「気になったら見に来て」
奏
「強引に声かけて悪かった」
颯太の肩を軽く叩く。
奏
「帰るぞ」
歩き出しながら笑う。
奏
「今夜は弾きまくるから覚悟しとけよ」
その背中に声が飛んだ。
女性ボーカル
「私の名前は姫希」
二人が振り返る。
姫希
「ひめき。覚えといて」
姫希
「じゃね」
二人は顔を見合わせ、そのまま奏の家へ向かった。




