3
夏の宵祭りのあとは、まだまだ暑さの厳しい季節である。
そんな暑い夏のさなか、最初に異変に気付いたのは欣怡様と私の定期お茶会の時だった。
今回は氷菓子と、くちどけの軽いふんわり食感が新鮮な洋菓子のシフォンケーキなるもの。
紅茶や柑橘の皮を使い薫り高く、そしてふわふわの生地のケーキは大変美味しい。
「今回も大変美味しいです!このふわふわのケーキが!」
会ってすぐは元気そうだったのに、どうしたのだろう?
私は心配になり立ち上がり欣怡様の側へ。
「欣怡様、なにかご気分すぐれぬものがありましたか?」
私の問いかけに、欣怡様はちょっと苦い笑みを浮かべて言う。
「そうね、少し前から今まで平気だったものでも気分が悪くなることがあって……。侍医に診てもらったら懐妊したと言っていたわ。まだ、陛下と浩然、女官長しか知らないの」
顔色は悪くとも、その笑みはこぼれんばかりの喜びに溢れている。
陛下と欣怡様の待望のお子様が、出来たということ!喜んだものの、私が聞いても良かったのだろうか?そんな疑問はありつつも、祝いと体調について聞くことにした。
「それは、おめでとうございます。大変喜ばしいですが、では現在の不調は悪阻でございますね?」
薬師としての知識もある私は一応薬の関係上で医学も少しかじっている。
薬の中には妊婦に禁忌なものもあるので、其れこそお薬知識だけなら妊婦に関する知識もしっかりあると言ってもいい。
「えぇ、これもいつまで続くか分からないと侍医には言われたわ。しばらく公務はお休みする予定よ。でも気晴らしになるから、お茶会はここで開催しましょうね」
よそへの移動も負担になるのだろう。なにせ、どんな状況で悪阻の症状が出るかもいまいちわからないのだから。
悪阻は妊婦の数だけいろんな組み合わせで症状が出ると言っても過言ではないと、露露も言っていた。
「かしこまりました。護衛の手も増やしましょう。若手の中にも、数名欣怡様の護衛に付けても問題ないものも出てきましたので」
私の言葉に欣怡様は驚いた表情を浮かべて、そして言った。
「梓涵のスパルタについて来られる猛者が居たのね?それは皇宮としては大変喜ばしいことだわ」
そう、武器訓練開始から一か月。
元々のセンスの高さとポテンシャルの高かった武官数名がすでに後宮の護衛デビューを果たした。
基本はまだ碧玉宮のみであるが、それはいざという時のフォロー体制が整っているからである。
しかし、ここ二週間でしっかり曲者の捕縛は出来るし、私が気付くより早くに対処する猛者も出て来た。
実に満足な仕上がりっぷりなので、そろそろ碧玉宮以外でも実地させたいと思っていた。
それにはなにがなんでも守らなければならない現在の皇妃様の護衛はうってつけである。
もちろん、なにかあっては大変困るので私も金華宮の護衛に就くことが条件になるが。
本日も部屋に来ているのは雪や黒蒼の兄弟も一緒である。
黒と蒼は一回り大きくなり、現在は中型犬サイズになっている。
二匹一緒に飛び掛かられると、持ちこたえることは難しい状況になって来た。
それでもまだまだ甘えん坊の二匹は私に撫でられたくて、結構ハッスルして飛び込んでくることもある。
そんな雪家族は、もちろん今回の護衛にも参加してもらう予定だ。
犯人を捕まえるために、においを覚えてもらう必要があるからだ。
「そんなに優秀な武官も居たのですね。素晴らしいことです」
私は育成の進捗情報を、しっかりと浩然様に伝えた。
「それはいいことですね。 梓涵の頑張りも大きいでしょう。ここで悪さをしようものなら武官のお世話になってしまうということですか。雪親子もここに来るならば、欣怡様のいい警護になるでしょう」
雪は元より、黒と蒼も索敵が鋭く警護には大変向いている。逃げた相手も匂いで覚えて追えるので、取り逃しもない。
武官と別方面で大変優秀な警護隊員となっている。
特に黒と蒼は、取って来たよと誇らしげに報告に来るので犯人は私の目の前に差し出されるのである。
武闘姫の前に差し出される、皇妃様への暗殺未遂犯はその後きっちり刑罰を与えられて次々と鉱山送りとなっている。
殷龍国の鉱山は皇都よりさらに北にあり、環境は猛烈に過酷で苛烈。
生きて刑期を終える者は、ほぼ居ないと言われる場所に現在結構な囚人が送られていて鉱山は絶賛フル稼働とのこと。
次の冬を越しやすく過ごせるように、燃料たる石炭の採掘を主として鉱石の採掘も進めているのだとか。
「北の鉱山も大変にぎわっているので、そちらの警備にも人員が回せるくらい武官が成長してくれると良いのですが」
新人武官は最初の配属で地方に行き経験を積むこともある。
その経験が生かせるくらいの身のこなしが可能になると、皇都に戻ってこられるのだとか。
武官の配置も、良い感じに過酷なのが殷龍国だなと思う。
この仕組みを作ったのも、皇国師団の長たる父なので、武官の界隈ではとてつもない有名人である
「雪も黒も蒼も、やる気は十分なのできっといい働きをしましょう。楽しみにお待ちください」
「えぇ、楽しみにしていますよ」
そんな私と浩然様との会話は、欣怡様には頼もしく、今回一緒に来ていた若手武官には背筋に汗の流れる緊張感をもたらしたという。
だって、護衛対象は未来の皇帝にまで及ぶのだから責任重大でしょう?
さぁ、きりきり働くのよ。
もちろん、私もその筆頭である。
夏の暑さの勢いが元気になるとともに、欣怡様の悪阻が悪化し始めた。
なにが食べられて、なにがダメなのかがその日によって変わるという悪阻であった。
昨日食べられた柑橘が今日はダメになったり、今日飲んだお茶が明日にはダメになったりと本当に大変な状況で日々探っては食べられるものを食べるという日々を過ごしている。
「ごめんなさいね。これなら大丈夫っていうものが定まらなくて。皆にも迷惑をかけているわね」
いつもはしゃきっとした欣怡様も日々変わる食の嗜好に振り回されており、疲れ気味だ。
そんな欣怡様を現在お支えするのが女官長で、女官長は出産経験者。
「大丈夫でございますよ。これだけ嗜好が変わられるのであれば御子はきっとなんでも大好きになるお方に違いありませんわ」
微笑んで、なんでもござれと言わんばかりに様々なフルーツの盛られた籠を部屋に用意し、今日の大丈夫を探すのが定番となってきている。
「確かに、露露から聞いた話だと星宇兄さまの時に母様が食べられたのは蜜柑だったそうですし、私の時は桃饅だったそうですよ。どちらも兄妹の好物になっています。母様は悪阻の期間本当にそれしか食べられなかったらしいですが」
私がそんな話を披露すると、欣怡様の表情が少し綻んだ。
「それでは女官長の言う通り、なんでも食べる子になりそうね。私のこれもそのためと思えば耐えられる気がするわ。今日はなにが良いのかしらね?」
まだ目立たぬお腹をさすりながら、欣怡様は今日食べられそうなものの選定に入り始めた。
何かしらは日々食べられているため暑さに倒れることもなく、なんとか過ごせているが油断はできない。
悪阻は重症化すると、妊婦が弱って衰弱してしまうのだ。
そうならないために、なにが食べられるか模索しつつ過ごせるこの後宮のありがたみ。
食べ物に困らない環境のすばらしさを実感する。
私も、その日の気分に合わせた組み合わせのお茶を作って水分補給の手助けをしている。
基本のお茶は麦茶かほうじ茶なのだが、そこに妊婦が飲んでも平気な薬草や香草を入れて気分がすぐれるようにと提供しているのだ。
「今日は梨なら大丈夫そうだわ」
そんな欣怡様の言葉に合わせてお茶もアッサリした感じにしてみる。
「梨が平気なら、今日はお茶にも梨の香りを入れましょうね」
剥いた梨の皮を入れてお茶を入れると麦茶にさわやかな香りが加わる。
「えぇ、いい香りで大丈夫そうだわ。ありがとう。梓涵」
悪阻が始まってから、私は寝るとき以外は基本金華宮に詰めることとなった。
もしもの体調不良に備えて薬師の調合箱と共に、金華宮で過ごしている。
今のところ、調合箱の出番が来ていないのはいいことだ。
そうして今日の食べられるものが定まる頃には、日々陛下も金華宮へ様子伺いにやって来る。
「欣怡、今日の具合はどうだ? あまり無理するでないそ」
欣怡様と陛下は陛下の朝儀の前に顔を合わせて体調確認をする日々。
陛下自身も皇宮を開ける用事は入れないように調整しているらしい。
この夏は避暑にも行かなかったことで、逆に欣怡様の懐妊がささやかに皇宮にも広まり始めている。
確信は持てないまでも、そんな話が広がれば面白くないのは各貴妃である。
そのせいで、絶賛金華宮に様々なお客様が来ており暑いさなかでも雪や黒、蒼が頑張って犯人検挙に勤しんでくれている。
先ほども二人ほどの怪しい男を黒と蒼が誇らしげに持ってきたので速やかに武官へと引き渡した。
しっかりと怪しさの証拠となる暗器を見つけて取り上げて渡したので、今回の二人も速やかに鉱山行となるだろう。
「えぇ、陛下ありがとうございます。今日もなんとか梨なら大丈夫そうで、お茶もその香りにして梓涵が入れてくれました」
そんな会話をしているのを見ながら、私は次のお茶も作っておく。
暑いので水分補給はこまめにしてほしいからだ。
「梓涵も日々こちらに詰めてくれて感謝する。雪に黒に蒼もいい仕事そしているらしいな」
そう、豹の親子は昼間にしっかり護衛として入ってくれるので、武官は現在夜勤が主となっている。
外の木陰に控えていた雪は会話が聞こえていたらしく、ガウと返事をした。
「えぇ、今度良いお肉をあげないといけませんね。かなりいい仕事していますので」
私の言葉に、龍安様も一つ頷いて良いお肉とこちらによこすと約束してくれた。
「雪も黒も蒼もとても頼もしい護衛です。しかも優秀で取り逃しは無いのですもの。とっても安心できます」
雪は穏やかなので、欣怡様にも懐いた。
自分も二人の子を産んだ母豹だからか、同じようにこれから子を産む欣怡様にも頑張れというように接している。
欣怡様もそんな雪の様子に気づいており、たまに雪が支えになって横になったりしているのですっかり仲良しだ。
「雪は思いやりもあって、いい豹だな。梓涵に懐くだけあって従順で、良き仲間となった」
そんな和やかな空気をブチっとするように異質な気配が舞い込んだ。
まったく、飽きもせずよく来ること。
今回は天井裏に居るので、雪たちの管轄外であるが私が中から引きずり出しさえすればあとは雪か黒がやってくれるだろう。
私はニコッと微笑むとスッと音を立てずに天井裏へ移動し気配の主に暗器のかんざしを突きつけて差し上げた。
「まったく、両陛下の朝のお時間を邪魔するなんて。馬に蹴られておしましなさい」
天井裏から、一気に移動して厩舎に前に来ると私は曲者を欣怡様の馬である、光花の前に差し出した。
「光花、こいつ欣怡様と龍安様の朝の時間を邪魔しに来たから文字通り馬に蹴られると良いと思って連れて来たよ」
私の言葉に光花は、フンと鼻息荒くするとクルっと器用に馬房の中で回り、後ろ足を向けてくれる。
やる気満々の姿に、私は楽しくなって言った。
「そうよね、主人の貴重な夫婦の時間を邪魔するやつは光花が蹴っ飛ばすよね! さぁ、やっておしまい」
にこにこと私が言い切った時の暗殺者の顔は、終わったって感じだった。
そこに浩然様がやって来た。
「うん、うん。相変わらず梓涵様は過激ですねぇ。これでは証拠が隠滅できないでしょう? 手はずは私が居たしましょうか?」
にこにことこの行動をこのままやってもいいよって言う浩然様がいれば万事問題ないのではと思いつつ、でも、たしか今送っているのとは別の鉱山も働き手欲しがっていたなと思って私は聞いてみた。
「確か東の鉱山も人を欲しがっていましたよね? これ送りましょうか?早々に送るためには無傷のほうが良いですよね?」
なんて私が言うと、暗殺者には一縷の望みが見えたのか表情が明るくなった。
目に見えて、変わるので本当に面白いがそんな風に万事は進みません。
「なに、腕やあばらの一~二本、折れても働けるので何の問題もありませんよ」
なんて言ってしまう宰相補佐官さま。
その単語で、暗殺者はとうとうフッと意識を手放してしまいましたとさ。
弱いなぁ、もっと骨のあるやつはいないのかね?
なんて思っていると浩然様が私を見て言う。
「梓涵様、なかなかの策士ですね? もとから、馬に蹴らせる気もないのにお仕置きに私と光花を使いましたね」
光花はふうと鼻息で仕方ないみたいにしている。
ここ何回かはこんな感じで、暗殺者を鉱山送り前にお仕置きしているのでとうとう浩然様が出て来た様子。
「お仕置きがいけないとは言いませんが、光花もちょっとお疲れのようですから、あとで乗ってあげると良いのではないですか?欣怡様はしばらく乗馬は出来ませんし」
そんな浩然様の言葉に、フンスと同意の鼻息を出した光花に私は撫でながら謝った。
「そうね。欣怡様はしばらく光花には乗れないから。定期的に私で我慢してもらおうかな?どう?」
光花は欣怡様が大好きな子で、他の人を乗せるのは嫌がる子だった。
お世話位はさせてくれるけれど、騎乗は欣怡様にしか許さない。そんな気位の高い子なのだ。
しかし、動かなさすぎるのも馬には悪い。
私で我慢してくれるだろうかと伺えば、光花は仕方ないって顔で私の頬に鼻先を寄せてくれた。
この子も欣怡様に大事な子が出来たことを察しているのだろう。賢い子だから。
そうでなければ二日と開けずに日々ブラシ掛けに来てくれた欣怡様の不在を不安に思うはずだから。
「御子が産まれて少し経つまでは、欣怡様は光花に乗れないからね。私で我慢するんだよ」
そう言うと、光花はフンと強めに鼻息を吐くともう一度鼻先を私の頬にこつんと付けたのだった。
光花を走らせた後に、欣怡様の元に戻ると今日は落ち着いた様子で顔色も良い。
「今日は良い感じみたいですね」
私が声をかけると欣怡様は微笑んで答えてくれる。
「そうね、今日はいつもより調子も良いし匂いへの反応が少ないの。今日なら選ばなくてもなんでも食べられそうよ」
そんな会話をしつつ、今日も欣怡様と共に昼餉を頂くために金華宮のダイニングである部屋への移動中。
明らかな殺意を感じ、すぐさま欣怡様を庇える位置取りをする。
私の動きに欣怡様もすぐに私の側に寄ってくれると、欣怡様を狙ったように飛んでくる短剣を叩き落とし、次に飛んでくる矢も叩き折る。
その二回をやり過ごしてもなお、殺気は消えることなく人数を増やしているので私は雪を呼ぶ。
「雪、黒、蒼!おいで!」
私の声が聞こえたのか、欣怡様の私室の近くだったこともあり声と共に三匹が颯爽と現れて唸る。
「ガルルルル」
雪は唸るとともに、低い姿勢になると一気に飛び出して金華宮の壁に近いところに潜んでいた暗殺者を一人戦闘不能にする。
黒と蒼も近くの暗殺者を二匹で一人戦闘不能にする。
最後、一番近くに潜んでいた暗殺者が飛び出してきて私はその相手と対峙する。
その頃には雪と黒と蒼も戻ってきており、私の側に三匹も控える。
「まさか、ここまで豹も懐いて指示に従うとは驚きを隠せぬ。それに武闘姫の名は伊達ではないのだな」
暗殺者は少々苦い気持ちを混ぜつつも感心したような声音で話す。
短剣は叩き落とし、矢は叩き折っている。
どれもしっかり狙っていたからこそ筋も読めて叩けただけだが、目の前の暗殺者は距離を取って狙ってきたすでに戦闘不能になった者とは少し違う。
親玉とも言えるような老獪さと、隙の無さ。
手練れと言える暗殺者だろう。ここまで対峙して気の抜けない相手は久しぶりである。
隙の無さと殺気の強さは、本気でやり合う時の星宇兄さまと同じレベルである。
気を引き締めねば、私でも危うい相手だということ……。
緊張が走る中で、仕掛けて来たのは暗殺者の方だった。
私は自身の武器を取り、飛んできた暗器の針を弾く。
「キーン」
良い音とともに弾いた針は近くにいたネズミに刺さり、ネズミはすぐさま倒れて動かなくなる。
毒付きの針なのは、暗殺者の武器としては十八番であるが即効性の高い毒であることがコレで判明した。
「どうしても皇妃様を亡き者にしたいのは、胡貴妃?それとも黄貴妃? でも、この即効性のある毒の感じからだと張貴妃かしら?誰でも構わないわ。あなたの雇い主もしっかり追い込んであげる」
私はそう宣言すると一気に距離を縮めて、仕込み針を五本飛ばす。
四本は弾かれたものの、五本目がしっかり手に刺さった。
「く、これも即効性の高いしびれ毒か」
そんな暗殺者の言葉に、私はにこやかに答える。
「そんな簡単なしびれ薬ではないわ。薬師特性のしびれと共に眠ってしまう二つの効果を持ち合わせたものよ」
私の言葉に、しびれと共に倒れた刺客はしっかりと眠ったのを確認して縛り上げた。
「さすがは梓涵ね。倒し方も万全じゃない」
欣怡様の声掛けに私はニコッと微笑むと、ぐっと踏ん張っていた力が抜けて倒れかける。
それを支えてくれたのは雪と、現場に駆け付けた浩然様だった。
「欣怡様の最初の短剣二本は叩き落としたけれど、三本目が掠っていました。毒が回ったのでしょうが、梓涵様は毒に慣らしているし、こういったものの解毒薬は常にお持ちでしょう?早く飲んでください」
支えつつも、そこまで見られていたなら避け損ねた自身のふがいなさを感じる。
自分も無傷で、無効化せねばその後の護衛対象を守れなくなるのだから今回は私の失策である。
ここ最近は手練れが来ていなかったからと、油断がこの事態を招いた。
私は少し力の入らぬ指先で、自身の胸元から解毒薬を取り出すと一気に飲み干す。
これで、効きの早い致死毒も解毒できる。
もともと毒に慣らして耐性があるからこの程度で済んでいるのだけれど。
「梓涵様、今回は少々反省も必要でしょう。そして休養も。碧玉宮へ送ります」
ひょいっと抱きかかえられて、私は息をのむ。
文官で鍛えているわけではないはずの浩然様に抱えられるのは想定外だった。
「解毒剤も効いているので歩けます!」と言う私に浩然様は深いため息を吐いて言った。
「普段なら私に抱えられる前に歩き出すでしょうに、そうじゃないのだから抱えられていなさい」
ぴしゃりと言い放った一言に、まさにぐうの音も出ない私は従うほかなかった。
しびれは改善されたが、まだ力が入りきらないのだ。
「梓涵、ありがとう。でも、そういうことならゆっくり休まなきゃダメよ。浩然、ここには星宇を寄こして頂戴。そうでないと梓涵がゆっくり休めないものね」
「えぇ、そう思ってすでに呼んであります。じきに龍安様もお越しになるでしょうから、それまでは雪と共においでください。雪、欣怡様を頼む」
そんな浩然様の言葉に雪は「ガウ」と了承の返事をして、私を抱えた浩然様には黒と蒼が付いてきて碧玉宮へと戻ることになった。
碧玉宮と金華宮は近いので、移動距離はそこまで長くは無いものの成人女性であり、そこそこ背丈もある私は決して軽くはない。
そんな私を抱えても揺らぐことなく歩き続ける浩然様に疑問がわく。
いつ、体を鍛えているのだろう。
抱えられて落ち着いてみると、ほんのりと身体に筋肉をまとっているのが分かるのだ。
武官ほどではないが、定期的に運動している人の身体つきに私はつい聞いてしまった。
「いつ、鍛えているのです?前は運動などしていませんでしたよね?」
私の疑問に、浩然様はすこし気まずそうにしながらも答えてくれた。
「皆が皇妃である欣怡様をお守りしているのに、私まで無力では大変だと気づいて最近星宇に棍棒術を習うようになりました。それなりに筋は良いらしいです」
まさかの、師事は星宇兄さまで棍棒を習うとは。
確かに、剣とかより細身で背丈のある浩然様には向いているかも。
リーチも長くなるから、相手と対峙するときの安全圏の確保にもつながるし。
などと納得していると、浩然様は言った。
「ずっと戦っている梓涵は強くてかっこいいでしょう? 負けられないじゃないですか、年上の幼馴染としては……」
もはや、頭脳では右に出るものなしの神童から今や次期宰相と目される補佐官の浩然様が。
私に負けないがために、体まで鍛えだしたというの!?
なに、この尊いが過ぎるでしょ!な幼馴染は!!
抱えられたままで、悶えておかしくなる顔を必死に隠すしかない私はぎゅっとその首筋に顔をうずめるしかない。
爽やかな香りの漂う、大人になった幼馴染のはずなのに、尊くて悶えさせてくるなんて卑怯すぎません?!
やっぱり好きだなってなるのだもの。 ずるいよね。
「さ、着きましたよ」
碧玉宮の自分お部屋に着くと、すぐに舜娘が出迎えてくれる。
「お嬢様、油断しましたね?普段であれば、こうはならないでしょうに。星宇様が、稽古するぞって言っておりました」
うへぇ……、兄さまの稽古はもはや耐久レースだよ……。
「分かった。とりあえず解毒薬は飲んだから少し休めば大丈夫よ。むしろ今この毒が欣怡様に被害とならなかったのは良かったわ」
そんな私の言葉に、浩然様が頭を垂れた。
「確かに、其れに関しては御子まで守られました。両陛下に変わり、良き働きをしてくれた劉貴妃に御礼申し上げます」
そんなかしこまった様子なのは舜娘以外の侍女が到着したから。
「ごゆるりと、お休みなさいませ」
こうして、欣怡様の暗殺未遂危機数度目を乗り越えたのだった。
浩然様がかっこいいのに可愛くて困る、ほんと困る。
今回は肝を冷やしました。
梓涵を碧玉宮の舜娘のところに送り届けたのち、浩然様は皇宮の執務棟に戻るところだった。
その先から歩いてくるのは龍安様である。
きっと執務をいったん止めて刺客に襲われた欣怡様の元へ行くのだろう。
頭を下げて、龍安様にお声をかける。
「龍安様、欣怡様は梓涵様が無事にお守りしたので問題ありません。梓涵様も少し毒にやられましたがすでにご自身で持ち歩いている解毒薬を飲んでいるので問題ないそうですが、まだ影響があるため一時碧玉宮へ戻り休養しております。欣怡様は現在雪と星宇が警護についております」
報告すると、龍安様はすこしの安堵のあとに心配そうに聞く。
「欣怡が無事なのは大変喜ばしいが、梓涵が手負うとは厄介な相手だったのだな?」
との問いには是と答えるしかない。
私では近寄ることも出来ず、解決した後に駆け寄ることしかできなかった。
それでも、不詳には気づいていたので倒れる前に支えることは出来たが……。
一緒に戦い守ることも出来ない自分がふがいない。
皇帝の側近であるならば自分の身も守りつつ、最低限でも主が逃げるだけの時間の確保くらいは出来なくてはいけないと気づき星宇に師事することになった。
基礎体力作りから、棍棒術を習いすでに半年。
それでも、まだまだ今のメンバーの中では太刀打ちすら出来ない自分。
ようやく少しだけ身辺警護くらいにはなったが、実践経験も足りず年下の幼馴染の足元にも及ばない。
もっと精進しなければ、凛とした梓涵の相手にもならず見向きもされないのではと危惧している。
可愛かった幼い梓涵もすでに貴妃として後宮に入れる年齢になっているのだ。
今回の任務が終われば、どこかに嫁ぐことは間違いない。
武闘姫の異名は、文官家系では異質に映るらしいが武家の家門ではかなり重宝される逸材である。
劉家とは反対の辺境を守る部門の一族の琳家は梓涵を嫁に欲しいと既に梓涵が十二歳のころから打診しているらしい。
幸いにも、采庵様が梓涵はまだ子供だからと断ってくれていたので許嫁にもなっていないが。
今回の事件が終わる頃には下賜されるにしても、嫁ぐには良い年齢の適齢期の令嬢だ。
琳家だけでなく、金家も打診を出したいという話も聞いているので梓涵はひくてあまたのご令嬢だ。
このままでは、自分の想いを告げること出来ぬままになってしまうのは嫌だと思い鍛えることにした。
身を守る術を梓涵に頼りきりにならない男になるために。
彼女の隣に立つにはやはり戦える必要もあると、そう感じたが故だった。
実際、龍安様の参謀であることが知れると、私を狙う者も少なからずいるのだ。
その時に主である龍安様に守られるのも違うだろうというのもある。
龍安様は幼き皇太子時代から劉家で星宇や梓涵と共に武芸をたしなんできた。
半年前に始めた自分では到底三人に追いつけないことは分かっているけれど、せめて同じ場所に居て危機に直面した時。
足手まといにはなりたくないから、必死に日々鍛錬を続けている。
星宇は割とスパルタなので、食らいつくのも一苦労だが先日武官と手合わせして勝てたので少しは成長していると思う。
「浩然、梓涵は今後も何かしらあるだろう。もしかしたら下賜するにしても良くない傷を負う可能性はある。そんな梓涵がもし、浩然の嫁になりたいと言ったら?」
そんな龍安様の問いには、即答することになる。
「傷のありなしなど関係なく、梓涵のことが好きなので」
俺の答えに龍安様は満足そうに微笑むと言った。
「それなら安心だな。浩然も鍛え始めていることだし。俺の治世は臣下に恵まれているな」
そう言って肩を叩くと、龍安様は金華宮へと向かって行ったのだった。
そして今の会話を、推測するに……。
俺は一人、その先を読んで自分の恋の先を想像し赤くなった頬を自分ではたき、気合を入れなおして執務に向かうのだった。
「そうだ。俺は梓涵のことが好きで大切に思っている……」
だからこそ、自分が足手まといにならないように。
梓涵傷の原因になどならないように、鍛え続けようと思う。
その前に、今回捕らえた暗殺者にその依頼先をしっかり話させねばならない。
「早く、火種を摘んで。堂々と迎えたいですからね」
浩然は、決意を胸に歩みを止めずに進む。
今回はしくじったなぁ。
短剣が掠った時に、あっとは思ったけれど。
案の定毒が塗られていて、途中からは毒が回る前に確保すべく少し無茶をしたせいで解毒薬を飲んでも少ししびれが残っている。
自室に戻ってから、もう一つの解毒薬を飲んでようやく落ち着いた。
二種類の解毒薬が必要だったところから、複合毒の組み合わせだったことが確定されたようなものだ。
「毒に詳しい人物がいる暗殺者集団……。面倒ね。今後も毒関連には注意しないと」
私の呟きに、舜娘が言う。
「今回はお嬢様が避けきれないほどの手練れだったのでしょう? しかも護衛対象の欣怡様を守りながらであれば、今回は成功でしょう?」
私の掠った腕の処置を終えた舜娘が、さらに付け加えるように言う。
「それに、次に同じような強さの相手に会ったなら。お嬢様は今日と同じことにはなりませんでしょう? それが私の知る、劉梓涵ですもの」
そんな言葉に私も、きっと顔をあげて答える。
「もちろんよ。今日と同じような相手に負けるわけがないわ。 次回は全力で叩き潰す」
「その意気ですわ。今後もどんどん潰して差し上げればいいのです」
碧玉宮の主従は今日も今日とて好戦的で物騒でしょうが、これが標準仕様なのであしからず……。
「ガウ」
心配になったのか、蒼が私によって来て足元から離れない。
そんな蒼に添うように黒も近くに居てくれる。
「蒼も黒もいい仕事だったわ。さすが、碧玉宮の護衛豹ね!この先も頼りにしているわ」
私の声に、二人は答えるように足元にすり寄って来るのでしっかりと撫でてあげる。
二匹は、ちゃんと私のケガに配慮しているようで利き手の右腕側にだけ来て撫でられている。
怪我した左側には守るように座るとき以外では寄ってきていない。
本当に賢い子たちである。
「とにかく欣怡様がご無事だったことが第一よ。 御子を宿しているのだから、御身を最大限守らなければ。それに、近々ご懐妊を発表することが吉と出るか凶と出るかは未知数だものね」
私の言葉に舜娘は頷きつつも言う。
「懐妊中なら陛下を色香で篭絡できると考える輩も出そうですが、一部は元々皇妃様一筋の方だったので諦める方も出るやもしれません。ふたを開けるまで未知数ですね」
本当にその通り。
素直に諦めてくれるのがいちばんだけれど、そう簡単にはいかないでしょうね……。
「本当に出産から生まれて少し経つまでは、安心できないわね。早く武官を育てなくては」
だいぶいい感じに育ってきているとはいえ、護衛で一番欲しい弓部隊はまだ育成初期で現場配置にはまだまだ力不足。
現在護衛に参加しているのは槍と剣を選んだ武官たちだ。
身のこなしが良かった武官が多いことと、生真面目な人物も多く私の鍛錬メニューに着いて来られる者が多かったことが配置についた理由となる。
弓部隊だって真面目な武官たちばかりなのだが弓に関しては狙いや飛距離の長さなども伸びてこないとお話にならないので、鍛錬期間が剣や槍より長くなってしまうのは致し方ないと言える。
その分、しっかり基礎からみっちりと弓に重きを置いて指導しているので、少しずつ成長しているのだ。
「その武官たちも若さゆえの柔軟さか、真面目な者が多かったのもあってかなりの成長速度で実践現場への配置も始まっていますし。これは育成面においてはかなりの速さだと思いますよ」
それはそう。だって星宇兄さまが基礎は徹底的に叩き込んでいた武官たちなのだから、あとはおのずと得意な武器の練習をすればあら不思議?
使える武官の誕生!ってなるのは基礎ありきだもの。
星宇兄さまは私が劉家の私兵団を特訓し始めたときに、なににおいても基礎体力と体幹だけは徹底的に鍛えるべし!と説いてそれを実践して皇宮師団顔前の私兵団にするのにも一役買っていたので皇宮師団でもそれを実践したのだろうことは間違いない。
そのおかげで基礎から叩かなくて済んだことが、育成スピードのカギとなっているのだ。
ただ、なにが悪かったって?
「基礎の叩き込みは星宇兄さま得意だけれど、各々の得意武器の見極めが決定的に下手なのよね」
それこそが皇宮師団の育成遅延の原因だったのだ。
もっと早く私を呼んでいれば、今の武官たちならば確実に半年は早く現場デビュー出来ていたかもしれないと思うと歯がゆいが、しっかり成長しているので良しとするしかない。
「そうでしたね。あの方は基本が徒手格闘の専門家だから……」
どの武器も使えるけれど、素手が一番強い星宇兄さまは拳で語りがちである……。
ゆえに、部下の得意武器の見極めが下手なのだ。
でも、身ごなしがバラエティーに富んでいる星宇兄さまの動きを見ていた部下の武官さんたちはそれぞれにその動きを自分に合うように取り入れる柔軟性があった。
実に、良き部下たちに恵まれているお兄様は幸せ者である。
「今回の若手武官たちは結構な逸材揃いだと思うのよ。成長スピードも速いし、応用力もあるし。良い武官になるわ」
私の掛け値なしの本音であるから、今後の龍安様と欣怡様の治世安定のために、強い武官となってほしいと思う。
「さぁ、今日も指導には行きましょうか? 武官はもちろん諜報部の若手も今とっても成長しているものね」
こうして襲撃を受けてもなお、まだまだ動く気の私に呆れつつ舜娘は付き合って訓練場へ行ってくれるのだった。
うん、舜娘大好きよ!
武官さんたちの訓練に、口だけで参加を余儀なくされた私。
それこそ、今日動かないことで武官さんたちには衝撃が走った様子。
いつも武官さんたちと同等かそれ以上の運動量で訓練をこなし、相手をして稽古をつける私が見て指示を出すだけなのだから。
「劉貴妃様、なにかあったのですか?」
そんな問いかけをしてきたのは、最初に吹っ飛ばした坊ちゃん武官の羅乎だった。
「ちょっと金華宮の警護中にヘマしてね。利き腕ではないけれど、ちょっとかすり傷が出来たから舜娘から安静命令が出ちゃったのよ」
私が肩をすくめながら言えば、控えていた舜娘当然ですって顔で頷いているのだ。
「うちのお嬢様は、利き腕ではないほうのケガだからと普通に皆様の鍛錬に参加する気でした。麻痺と中速殿死ぬような毒を塗り込めた短剣が掠ったんですから今日くらい休むべきです」
きりっと異論は認めないの勢いで、舜娘は言い放つと羅乎は同意とばかりに頷いているのだ。
「この中では一番強い劉貴妃様が、傷を負ったのですから。それは相当な腕の者が相手だったということでしょう? 解毒はされたみたいですが、今日は無理なさらないほうが良いでしょう」
至極まっとうな意見なので、反論することも出来ず。
大人しく鍛錬場で見守りながら、各々の動きの改善点を伝えて鍛錬の指示を出し、メニューを伝えていく。
みんな私の指示で自身の成長が実感できるようになってから、私の指示には素直に従い鍛錬を重ねていく。
ぐんぐん伸びるのは若さゆえか素直さか。
多分両方だろうな。
今年の若手武官たちはきっと十年後ぐらいには、最強の年代と言われるのではないかと思えるほどに成長しているから。
このまま若手武官たちが育ち、このメンバーが全員現場に就くようになれば私のお役目も解放されるのではないかと言うこと。
少し道筋が見えてきた気がした、私が無事に浩然様に嫁げるようになる道筋が。
でも、そのためだけではなくて。
この先の龍安様と欣怡様、そのお子様達が健やかに暮らせるようになるためには武官たちが強くたくましく、皇帝一家を守ってくれなけばならないから。
その一助を担えるなら、婚期の二年くらいどうということも無い。
だって、龍安様も欣怡様も私にとっては星宇兄さまと同じくらい大切な兄であり姉であるから。
そんな二人の治世が、安泰に末永く続くための一歩を作るならば。
喜んで、捧げようではないか。乙女の二年。
高く高く、つくんですからね! きちんと浩然様に嫁げるようにしてください。
そんなたくさんの想いを抱えつつ、今日も武官と諜報部の若手育成に取り組みます。
猫鈴ちゃんもだいぶ諜報のための動きが身につき、後宮内での諜報活動を一手に引き受けている。
最近は各宮での情報を集めては清に挙げてはその情報がしっかり浩然様に届いており、捕まった刺客や暗殺者も私が提供しているお喋りのお薬で証拠も稼げている様子。
それでも、決め手に欠けているからかまだまだ貴妃は後宮から去る様子はない。
ただ、そろそろ誰かは後宮から去るのではないかとは思っている。
これまでにかかわりが無いのは周貴妃くらいなので、それ以外の貴妃の誰かが今後の動き次第で後宮から去ることになるのではと。
まぁ態度も悪いし、いろいろやっているのは張貴妃と黄貴妃だけれど。
胡貴妃に関しても怪しいが、彼女が一番尻尾を掴ませないタイプなので厄介かなと思う。
さてさて、どうしたものか。
決め手の一手が欲しいところだなと、思いながら猫鈴の鍛錬メニューを伝えていると猫鈴が言った。
「梓涵様、最近黄貴妃が怪しいのです。お気をつけください。皇妃様はもちろん、皇妃様を守る梓涵様のことも邪魔だと露骨に話しているのを聞いていますので」
さすが諜報部で最近後宮の各宮を回っているだけある。
「怪しい動きがあり次第、長に話してすぐに梓涵様の方へもお知らせするよう進言しておりますので」
ここ最近で、一気に話し方も成長したね。
妹分の成長が嬉しいような、寂しいような。
そんな、急いで大人にならなくても良いのよと言いたくなる。
こんなにいろいろ張り込みもして、諜報活動も立派にこなしているけれど猫鈴はまだ十三歳!十三歳の女のなのだから。
「ねぇ、舜娘。私は猫鈴の女この幸せについても考えたいのだけれど」
私の言葉に舜娘は一言。
「引き抜けるなら、この護衛の終わりに陛下にご褒美に猫鈴頂戴して梓涵様の侍女になさればよろしいかと」
なるほど、その手があったか! ポンと左手に右手の拳を載せて納得していると鍛錬場にきた浩然様に言われた。
「それくらいのことだったら、警護の後と言うことを鑑みても叶うと思いますよ。今諜報部で仕事してくれていますが、彼女の忠誠はやや両陛下を通り越して梓涵様の方を向いている感が否めませんので」
くッとモノクルを治しつつ言った浩然様に、当の本人の猫鈴が同意している。
「うん。私の師匠で使えたい相手は梓涵様だから。両陛下と梓涵様が並んで仕事してほしいって言ったら私は梓涵様の方優先するって決めてるくらいには梓涵様一筋です」
きりっとした表情で言っているけれど、其れではダメです。
あなたは今陛下に仕える諜報部のメンバーなのだから。
そして怖いもの知らずの猫鈴は一言言った。
「陛下にも陛下より私は梓涵様優先ですよ?って言ったら陛下笑って良いよって言いました!」
そんな報告に脱力しつつも陛下の返事を訊ねる。
「だって、梓涵を優先するならおのずと欣怡を優先する梓涵をみて行動するだろう?それは欣怡のためになるから。それで欣怡と梓涵が守られるなら問題ないって言っていました」
あっけらかんと言い切った猫鈴は大変な強者である。主に精神面で。
そんな猫鈴は下賜されるときは一緒に連れて行こうと決心した日になったのだった。
夏が過ぎ、秋の気配が入り始めるころには地方に行っていた貴族たちも帰って来るので皇宮にて秋の祭りが開かれる。
皇都やその近くの農家が収穫の時期を迎え、無事に実りを得たことへの感謝祭である。
豊穣を祝う祭りは、夏に花火が上がるだけの夏の宵祭りとは異なり城下に様々な商人が訪れ盛大に市を開いての祭りになる。
その時期の民は着飾って街に繰り出し祭りを楽しむのが定番だ。
私も去年までは舜娘と一緒に皇都の街に繰り出して、祭りを存分に楽しんでした。
「感謝祭の季節が来たのね。暑さもマシになったし、お父様も戻って来たし。後宮も少しは落ち着けばいいのだけれど」
金華宮の警備体制は昼間は武官に、夜は諜報部にと振り分けられて現在は私の出番は週三日ほどである。
国境付近が落ち着いたのをめどに劉家の私兵団と共に国境を守っていた皇宮師団のベテラン勢が皇都に帰還したのも大きかった。
黄国には、黄貴妃が盛大にやらかしていて返品ずるぞ、こら!と言ってやると国境付近が大人しくなったそう。
ベテラン勢の半分はまだ国境付近に残っているが、半数が戻ってくれば後宮の警備も手厚くなるというもの。
おかげで、私はお休みが増えました。
その間に若手武官と諜報部の若手を一気に育て上げる算段で、ビシビシと扱いています。
鍛錬は裏切らない、日々の鍛錬こそいざという時の動きに繋がる大切なものとして日々鍛錬強化を図っている。
「梓涵様、猫鈴はコレを覚えました!」
そんなセリフと共に、練習台の藁人形の首にあたる部分を鉈でスパーンと切り飛ばして見せた。
「うん、とってもいい太刀筋だわ。上手になったわね、猫鈴。ただし、実物の人間はこんなに簡単にスパーンと飛ばないからね?それだけは忘れちゃダメよ?」
私の言葉に素直に猫鈴は頷いた。
「はい、実物の時は確実に仕留めるために切り飛ばすのではなく、差し込めばいいのですよね?」
その通りである。
諜報部の若手に関しては、実戦での役立つ人体の弱点などをしっかり図解付きで教えた。
そのおかげで彼らは関節や大事な血管の位置なども把握し、どこに仕掛ければ相手が不能になるかを理解しているのだ。
本当に賢い子である。
そしてその賢さで、この間は黄貴妃のところの刺客をしっかり不能にしてとらえて尋問にかけたそう。
そのおかげで黄貴妃の次なる狙いは欣怡様のお子が育たぬうちに、母体を危険にさらせというものだったそうだが、それもあまり意味をなさないまま終わった。
何しろ、絶賛悪阻と戦っていた欣怡様はほぼ金華宮に引きこもり状態だったのだから接触のしようがないのである。
そして、ベテラン武官の辺境からの召還によって手厚い警護体制が構築されてしまった。
そして、現在少々悪阻が落ち着いた欣怡様はご公務の真っただ中にいた。
感謝祭の始まりを告げる、皇都感謝祭を行うことを告げる声を上げた陛下。
その隣に微笑んで佇む欣怡様。
大変絵になる、ツーショットだった。
そしてそこで陛下は言った。
「このたび、皇妃が御子を授かったこともここに報告する。次代が産まれるのを楽しみにしてくれ」
そんな宣言に国民が狂喜乱舞で感謝祭をスタートしたのは間違いなかった。
皇妃様とまだ見ぬ御子の誕生を寿ぐように、皇妃様と赤ちゃんのクッキーやら飴やら、いろんなコラボ商品がたくましく商人の市に並ぶ。
お祝いムードにたくさんの人が買う。
開会宣言のされたお寺の境内もこの高回転な現状がまだまだ理解できない様子だった。
「商人って抜け目なく売れる物を確実にそろえて売りに来るわよねぇ」
後宮も感謝祭の広範囲は広い庭園の一角に市が立つのでこの日は基本侍女も侍従もみな休みだ。
後宮にも市をという発想は陛下には無く、発案者は欣怡様だと聞く。
欣怡様も実際の皇都の街中の位置関係を覚えなくてはならないと実感している。
ここには基本王族に嫁ぎ程の家柄があり、今の皇妃なら勝てると思って残った強メンタルの持ち主たちである。
それでも、それは御子が出来るまでの話。
そもそも陛下の渡りが全くない貴妃達では御子が出来ようはずもない。
だって、後宮に入ってから皇妃様以外は誰一人陛下のお渡りが無いのだから。
私のところには、火種の一つとして一日来たがその後は昼間のみであり夜間に碧玉宮へ来ることはまずないのだから条件はほかの貴妃と同じだ。
それでも皇妃様の次に陛下と会うことが多いのは私である。
幼馴染で、皇妃の護衛役でもある私だから良い感じに後宮の市にも顔を出せそうだ。
欣怡様からも、開会の儀式の後に立つ後宮の市に一緒に行くようにと言われているので。
皇都の市に比べたら小さいだろうけれども、ここは後宮なのだ。
良いお品がいっぱい並ぶこと間違いなし。
楽しみだなと、うきうきとした心持で市を楽しみに待つのだった。
秋の感謝祭。
開会の儀と共に発表された皇妃様の御子ご懐妊の報告には後宮はお祝いとは真逆のムードが漂っている。
ここは陛下の寵を欲しくて集まった後宮なのだ、そこで寵を得たのは正妃である皇妃欣怡様のみだと知らしめる結果が出てしまったのだから……。
皇都に漂うお祝いの祭りムードはここにはない。
しかし、今日の主役ともいえる後宮の一番の主欣怡様が現れたらさすがにこの雰囲気でいられるわけがない。
悔しくとも、納得いかずともこれが出た結果であり、殷龍国の後宮の事実。
皇帝陛下の愛は皇妃様にのみ注がれているという事実。
この後宮の中では争うことのない貴妃である周貴妃が、一番に皇妃様の前に来てにこやかに祝いの言葉を述べた。
「皇妃様、このたびは御子様のご懐妊おめでとうございます。元気な御子様の誕生を心待ちにしております」
それは紛れもない周貴妃の気持ちであると分かるほどの穏やかな笑みに気持ちの入ったお言葉だった。
「ありがとう、周貴妃。後宮にも承認が来てくれて市が立つので是非、侍女と共に楽しんで」
周貴妃に丁寧に礼を述べて後宮での感謝祭を楽しむようにと声をかける。
「はい、楽しませていただきます。して、少し後ろの劉貴妃様にお伺いしたいのですが」
どうやら私指名で、聞きたいことがあるらしい。
「なんでしょうか?」
それはきっと素朴な疑問だった。
「劉貴妃様は皇宮師団の師団長様の娘様ですよね?」
「えぇ、皇宮師団張であるのはわが父、劉采庵でありますが。それが?」
一体何を聞きたいのか分からないので、疑問形で投げかける。
「それでは師団長補佐で、師団長代理である劉星宇様は劉貴妃さまの兄上でお間違いないでしょうか?」
ちょっと恥ずかし気に、でも聞かねばという使命感に燃えているのが見えるかのようだったので私は少し引きながらも答えた。
「はい、私の兄で間違いございません」
私の返事にお目目をキラキラさせて、周貴妃様はおっしゃった。
「では、ぜひ私に星宇様と市巡りさせてくださいませ」
それは貴妃としてはあるまじき、武官とデートしたいという自己申告である。
しかも本人すっ飛ばしてなぜか、妹の私に。
「それは星宇兄さまのお仕事いかんかと思いますが、周貴妃様からのお誘いであれば嫌がることも無いだろうとお伝えしておきます」
ニコッと微笑みつつ返した言葉の裏には『いい年した大人なのだから、大人の恋も経験値詰みにだけはならないようにと恋愛に関することは自力で頑張れ』というお返しである。
私の返事にガクッと肩を落としつつも周貴妃様はしっかりとご自身を立て直した。
「そうですわね。恋は始まりこそ不完全だったが、少しずついい形を目指すならば自分で頑張らないと駄目ですね」
そう言うと周貴妃は最後にもういちどお祝いを述べて去っていった。
やはり、彼女はこの後宮では陛下には一切興味が無いのが改めて良く分かった。
うちのお兄様が良いなんてちょっと変わっているとは思うけれど。
絶賛お嫁さん募集中だから、良い感じに頑張ればいいと思う。
こうして波乱の感謝祭が開幕されるのであった。
ちなみにほかの貴妃達は、祝いの言葉を不服そうに述べる。
だったら黙りなさいと欣怡様の後ろでひんやり微笑むと尻尾蒔いて逃げ出すので、とっとと追い払うことが推奨されたのだった。
女官長もほかの貴妃の態度には大変ご立腹だったので、私の微笑み撃退は大変良い評価を頂きました。
祝い事も祝えない人たちは、正直言葉だけとか意味がないので速やかに退散させるのが吉。
妊婦さんである欣怡様にストレスになってはいけないのだから。
私はその後も欣怡様の後方に控えて、本当の祝いの言葉にはにこにこと相槌を打ち、おべっかや祝う気持ちの無いものは速やかなる撤退を促す笑みで撃退した。
「梓涵、彼女たちにもそれなりに立場もあるから祝えない気持ちも分かるのよ。でも、この子を考えると少し複雑に感じていたから助かったわ」
そんな欣怡様の言葉に私はにこやかに答える。
「もったいないお言葉です。私は健やかなる御子様の誕生と欣怡様の安産を切に願っておりますので」
紛れもない願いを口にしつつ、私の後方では猫鈴たちや、若手武官たちがしっかりと刺客捕獲をしてくれるのだった。
やはりというか、公表が引き金となって後宮に市が立つのを見こして刺客をバンバン送り込んでいるのだから。
殷龍国の皇妃の立場がどうしても欲しい人物がいる様子。
容疑者的には胡貴妃、張貴妃あたりだとは思うが二人とも尻尾を掴ませない感じなのでこの感謝祭で良い感じに掴めないものかと思案するも、ご懐妊の情報公開の開始と共に欣怡様のスケジュールと居場所は非公開に切り替わった。
つまり護衛くらいしか日々のスケジュールも居場所もつかめない。
それを精鋭である皇宮師団が引き受けるのだ。
守りのガードは私が守って来た時の比ではない。
それでも私が後宮に居るのは、幼馴染でお姉さんである欣怡様だけにしたくない思いがあるから。
感謝祭の期間は秋のうちの一月ほどだ。
この一か月で少しでも進展しますようにと祈らずにはいられない私を、雪はすこし心配そうに、黒と蒼はどんどん甘えてくるので夜は黒と蒼と一緒に寝台で寝るようになった。
夜はもふもふたちに癒されながら、どうにか過ごすのだった。
感謝祭がスタートして数日。
本日は欣怡様と共に後宮の市を見て回る予定だったが、基本その日にならないと体調加減の分からない欣怡様。
本日は起きられないレベルに具合が悪かったと聞いた。
あとで何をお見舞いに持っていくのか見極めなければと私は舜娘を連れて市を見に来た。
いくつか見ているうちに花屋の花が目に入った。
そこには綺麗に咲き誇る何色かのガーベラがあり、見入る。
たしかガーベラには色ごとに花言葉がある。
それを思い出しながら、黄色とピンク白で小さなブーケを作ってもらう。
「お似合いですね。どなたかに渡すのですか?」
店主の可愛いお姉さんがそう尋ねてくれるので私はニコッと微笑んで答えた。
「お姉様がね、ちょっと体調を崩していて今日来られなかったからこのお花をお土産にしようと思うの」
「そうだったんですね。一緒に来られなくて、残念でしたね。感謝祭の間は一日おきにここで出店しているので、お姉様が元気になったらまたお越しくださいね」
そんな会話をして私は花屋を後にする。
「確かに、欣怡様はお嬢様のお姉様で間違いありませんね。星宇様よりよほど、姉妹らしく過ごされていましたからね」
その昔、お兄様と龍安様が家で訓練している間は欣怡様もいらして、その時私は訓練免除になり女子として必要な裁縫や刺繍、歌を習ったりしたのである。
その時欣怡様を教えていた先生が一緒に指導してくれた。
そんな過去の時間があったからこそ、後宮で貴妃の擬態が出来たとも言える。
素地って大事なんだなと、その時過去に頑張った自分を褒めたくなりました。
先生も欣怡様も、結構スパルタ指導だったからね……。
そりゃあ、剣とか槍とか持って動く方が得意だった子に女性としての所作を叩き込んだのだから、先生も欣怡様もかなりの先生力だったと思います。
「そうね、兄さまはどちらかというと武芸の兄弟子と弟弟子みたいな関係で妹の扱いされてなかったわよね」
それには速攻で舜娘から肯定の頷きが返された。
周囲から見てもやはり兄と妹ではなかったようだ。
まぁ、我が家ではそれが通常運転だったんだよと納得する。
「さ、他にも面白いものや美味しそうなものを買って帰りましょう。猫鈴も来られたらよかったけれどお仕事だから仕方ないわね」
こうして感謝祭初めの方の市は短時間にさっと回って食べ歩きと共に、欣怡様や猫鈴へお土産を渡すという楽しみ方で終わったのだった。
欣怡様のお部屋に向かい、お花を渡すと喜んでくれた。
「ふふ、この花の色選んだのは梓涵でしょう? 花言葉も一緒に習ったものね」
そう言って、喜んでくれた。
猫鈴には皇都で流行っている焼き菓子を買ってきて渡すと、やはり喜んでくれた。
「これ、なかなか買えないんですよ!すぐに売り切れちゃって。食べてみたかったので、すごく嬉しいです。ありがとうございます、梓涵様」
そう言うと、跳ねるように箱を抱えて諜報部のお部屋に帰っていった。
やはり、女子たるものは甘いものがとことん好きなようだ。
喜んでもらえてなによりである。
その後、ちゃんと独り占めせず栄や清にもしっかり渡した猫鈴だったので栄や清にもお礼を言われたのだった。
ほんと、過激なことも言うけれど猫鈴はいい子である。
感謝祭が始まってすでに一か月の期間のうち半分が過ぎた。
つまり、欣怡様の懐妊が発表されてからもそれだけの時間が経っているということ。
その間に、刺客はやはりやって来たけれど春先よりは数も大人しい感じで、この間対峙した強い暗殺者はまだ来ていない。
「こんなに大人しいなんて、なにか企んでいる?」
私がつぶやけば、現在夜の宴のために私を着飾っている舜娘からため息と共に一言。
「そんなこれから行われる宴にフラグ立てないで下さいよ。お嬢様のそういう感、ものすごく当たるんですから」
野性的な勘というものなのか、私はそのあたりの嗅覚があるらしく過去にも辺境での奇襲作戦を察知して先回りして相手方を半壊させてみたりしている。
それが一度では済まなかったので、辺境の領地にいるときは何か感じたら即知らせなさいと言われた。
皇都のお邸でも、私が何か感じると大体奇襲されるがすでに察知しているものなので確実に撃退されていたりする。
そういったこともあり、私の勘はだいたい当たる。嫌な予感程外れることが少ないのが玉に瑕……。
「この服、しっかり仕込めるわよね?」
私の問いかけに舜娘は心得ているというように、頷き返す。
「頭の先から服の中まで、しっかり仕込めますし頭は先に仕込んでおきました」
さすが、出来る侍女舜娘である。
今日の装いはしっかりと高貴な貴妃スタイルなのだけれど、頭のかんざし三本は暗器に早変わりするし太ももには短剣を、手首のブレスレットには針を仕込んである。
そして、背中には愛用の式棍棒。
怖いものなしの完全武闘派スタイルが隠されているのである。
「こんだけ仕込んでも使わないのが一番なのよ。でも、使いそうな気がするわ」
私は会場に向かいながらすでに、なにかを察知しておりあきらめのムードを宣言する。
それに同調するかのように、宴の会場外に待機する予定の雪や黒に蒼も毛が逆立っているので良からぬ輩が周辺に居るのは明らかなのだ。
「あぁ、流石にここまでくれば私にも分かります。いますね、確実に良くない輩がすでに複数ご到着されています」
舜娘にも感知されるくらいなので、めちゃくちゃな手練れではないけれどもそれでも隠さないで察知させるくらいには実力のあるタイプであると見込まれる。
会場にはすでにベテラン若手の混合で護衛が警備に配置されているし、欣怡様の元には龍安様はもちろんのこと、星宇兄さまも今回はついているので欣怡様の方は万全の警護体制を敷いている。
御子を宿した皇妃になにかあっては殷龍国が傾いてしまうので、それは絶対避けねばならぬ重要案件。
ならば、双璧にすら届かせぬように私が止めるしかないわね。
私はきりっとやる気に満ち溢れて、宴の会場に足を踏み入れた。
そんな私の元にこそっと陰から一言。
「梓涵様、ネズミの大半はこちらで引き受けますので。ネズミのボスは頼みます」
会場で給仕に扮していた清がしっかり報告してくれるので、私もボスの気配を察知してそちらに向かって行く。
基本はシンプル。
やられる前にヤル。先制攻撃こそ、最大の防御。
これ、劉家の基本スタイルである。
「こんばんは、良き日ですわね。でも、あなたもここで御仕舞いとしましょうか?」
微笑んで向けるはかんざしの先。
とがった先は鋭利なもので、これで喉を一突きすればたちまち相手は戦闘不能である。
「なぜ、私にこれを向けるのかな、劉貴妃?」
そう、私がかんざしを向けた先は過去お世話になった淑女教育の先生である。
先生は貴族家の中でもある程度高位の貴族の奥様で、現在の財務長官の奥様である。
そんな欣怡様の関係者でもある彼女だが、今回の宴に良くない客を仕込んだ本人であると清と共に給仕に扮していた栄から報告を受けた。
先生にも年頃の娘さんがいる。
その娘さんと一緒に三人で学んだこともあった。
そんな彼女もすぐ側に居て、私の行動に驚いている。
「劉貴妃様、何事なのです?」
彼女の当たり前とも言えるその質問には、こう答えるしかなかった。
「江先生はね、あなたを皇妃にしたかったみたいでほかの貴妃にまぎれてずっと刺客を繰り続けていたのよ」
そんな私の言葉に、私たちの幼馴染でもある沈花は驚いている。
「どうしてそんなことを? 私は陛下の嫁ぐなんて恐れ多いし、皇妃なんて望んでいないのに」
そうね、あなたはどちらかといえば慎ましくとても落ち着いた雰囲気の女性だった。
それは幼いころからであり、彼女が仲の良かった欣怡様の代わりに皇妃になると思うような性格の人物ではないのは明らかだった。
つまり、今回それを狙っているのは先生かその夫のどちらか、またはその二人による行動と思われた。
しかし、正解は前陛下の寵愛にも恵まれず後宮にも入れなかった先生が娘は皇妃にという勝手な願望からの行動だったのだ。
自分は建てなかった国一番の女性に我が娘をという野望は膨らみ、そして自身が自ら最高の女性たれと教育を施してきた。
その自負と自信からの行動は次第にエスカレートし、どうして娘が選ばれないのかという負の感情に支配されて欣怡様さえいなくなればと考えた。
しかも、そこにもう一人の教え子までが貴妃になったことで更なる拍車をかけた。
私の方にも刺客を送るが、私の方は撃退されることは想定していたようで二回くらいで終えたそうだ。
その後は執拗に皇妃である欣怡様を狙い続けた。
張貴妃や黄貴妃の資格にまぎれて江家の刺客もたくさん送り込まれていた。
それでも、いつかは辞める時が来るかと思っていたが、それが止むことはついぞなかったので今回の宴にも仕込んで来たら捕縛することが決まっていた。
そして、それは現実となったのである。
「先生。沈花は望んでいません。後宮に入ることも皇妃や貴妃になることも。彼女はずっとあなたに近く後輩にあたる貴族子女の先生をしたいって言っていましたから」
あんなに本人に自身を認められるだけの行動が出来ていた人なのに、己の叶わなかった願望のためにここまでできてしまうのか……。
我が子に最高の幸せをという親心は、あるのだろうし分かる。
でも、本人の望まぬ道を突き進めるために他を犠牲にしようという行いは理解できない。
何より、本当に本人が望んでいないのだし。
「私が間違っていたというの? だって沈花は殷龍国随一の淑女よ! どこに出しても恥ずかしくない娘に育て上げたわ。でも、陛下は沈花を選ばなかった。欣怡様も確かに立派な方よ?でも、うちの沈花と何が違うの?大して変わらないならうちの子でもいいじゃない!!」
そんな本音、でも、沈花は沈花であって欣怡様ではない。
龍安様が好きになった相手は欣怡様だったのだから、それは想い合えるか合えないかの違いとしか言えないし、そもそが沈花は龍安様をそこまで想っていないと思う。
沈花は母親の暴走に深いため息と共に言った。
「お母様、私は龍安様をお慕いしておりません。私がお慕いしているお方は采庵様です」
そう、それもそれで問題だったと今更ながらに思う。
沈花は昔からわが父を熱く見つめていた。
沈花のお父様とは違うからかな?なんて思っていたがその視線は大きくなっても変わらなかった。
恋する乙女のままだった。
まぁ、うちの父は亡くなった母一筋で再婚など微塵も考えていないから叶わぬ恋ではあるのだけれど。
想うことは自由だし、それで幸せならそういった結ばれなくとも思う恋もあるのだと思う。
沈花の告白に、まさか自分と同世代の男を慕っていると言われるとは想像もしていなかった江先生は一気にしぼんだ様に静かになった。
「それでも、この場に刺客を入れたことは罪になります。先生、反省してください」
そう言うと縄をかけて、清に引き渡す。
江家はこれから大変だろう、先生はなにしろ皇妃の命を狙っていたのだから。
「ごめんね、沈花。こうなる前に止められなくて」
私は久しぶりに会う幼馴染に謝ることしかできなかった。
でも、そんな私に沈花は首を振った。
「うすうす、なにかあると思っていたのに何もできなかった私のせいでもあるのよ。私の結婚をなかなか進めないのも、婚約者も作らないのもおかしいなと。でも、こんな大それた希望のせいだとは思っていなくて」
本人はそんな風に考えていなかったし、考えたことも無いのだから仕方ない。
「もし、大変なことになったら私のところに来て?侍女として入ってもらえるようにするから」
私の言葉に沈花は微笑んで言う。
「本当に、男の子にも勝てるほど強いのに梓涵は昔からずっと優しいよね。今も貴妃というより欣怡様の護衛でしょう?」
幼馴染は私の現状すらある程度察していたらしい。
沈花は私より一つ年上で欣怡様の二つ下。
私と沈花と欣怡様で姉妹のように過ごした楽しい時間は、お勉強のさなかであってもつらさより楽しさで彩られているものだ。
「大丈夫よ。実は領地の方で先生をしてほしいって話があるの。恋は叶わないけれど、子どもを育てる大切なお仕事よ。だから心配ないわ」
そう言って、騒がせたうちの娘がいては宴が楽しめないでしょうからと沈花は早々に会場を後にした。
その背中は凛として美しいままで、私のもう一人の姉は変わらず淑女であった。
宴での刺客は黒幕の確保により、未遂に終わり実行犯たる刺客は軒並み武官と諜報部で捕縛、尋問をし今回も張貴妃と黄貴妃、胡貴妃の三貴妃からの刺客に江家の刺客が混じっていた形となっていた。
いい加減、そろそろ張貴妃と黄貴妃は送り返し案件だと思うのよね。
陛下も深いため息と共に、今回の刺客が致死量の毒物を仕込むために動いていたことを掴み、その雇い主が黄貴妃だったのでとうとう、黄貴妃は黄巾国へと返されることとなった。
皇妃の懐妊を知ってなお皇妃を害そうとしたという皇族への殺害未遂は本来なら死刑でもおかしくない。
だが、貴妃だったことで差し引きされて国外追放、国元に帰れ!ですんだのである。
ようやく、貴妃が一人減り、刺客祭りも落ち着いたところで私は浩然様に皇都の市に誘われた。
二人で出かけないかという、お誘い。
これ、約七年ぶりの感謝祭へのお出かけである。
最後に行ったとき、その翌年からは官吏の試験に受かった浩然様とは一緒にお出かけできなくなっていたから。
「はい、楽しみです!」とお返事し、当日を楽しみにしていた私はその日を迎えて緊張のピークの中にいた。
「これ、おかしくない?大丈夫? 皇都の中でも浮かなよね?」
皇都の町民のちょっとイイ感じの服装で、髪を横に三つ編みでたらして結び、その結んだところに綺麗な髪紐を結ぶ。
髪紐は浩然様の好きな鶯色にしている。
そうしたら、迎えに来てくれた浩然様の衣も鶯色で、お揃いカラーになってちょっと満足してしまった。
そんな私を見て、浩然様は楽しそうに笑うと手をつないで市へと向かう。
「今日の髪紐は素敵ですね。髪型も普通の三つ編みとは違っていて可愛いですね。さぁ、どこに行きましょうか?」
そんな質問に、私は昔を思い出して一言。
「市の甘いもの制覇したいな」
昔もそんなことを言ったが五件目でギブアップしたのは記憶にはっきり残っている。
「昔もやりましたね。今ならもう少し回れるでしょう。では甘いもの巡りですね」
そう言って市の屋台で甘いものをあれこれ購入。
飴細工に綿菓子、チョコレートに氷菓子、クッキーにケーキにフルーツ串など、たくさん買って分け合うようにして食べると子どものころとおんなじで楽しくて美味しくて良かった。
「前よりたくさん食べられたね。昔より種類も増えているし、人形饅頭も美味しかったなぁ。チョコ餡も美味しかったし」
なんて話ながら、私たちは武器の並ぶ市へと足を進める。
「わぁ、この短剣軽いのに切れ味最高じゃない!」
なんて短剣の試し切りに興奮してみたり、棍棒の短いものに先に鎌の付いたものがあったりと変わり種武器を見てみたりして楽しんだ。
武器の並びにはアクセサリーなんかもあって、それも面白かったし可愛いものよりはごつごつした男性向けが多く浩然様に試しに付けさせたら似合わなくって大笑いしたりした。
久しぶりに幼い頃みたいにたっぷり楽しんで私たちは後宮へと戻る。
「来年は、忍ばずに行けるようにしましょう?」
その言葉に期待しても良いのだろうか? 私は浩然様の顔を伺い、そしてその瞳に熱く色がこもっていることを察して嬉しさが胸を締め付ける。
「はい、あなたが望んでくれるのならば……」
この日、後宮の片隅で私たちは初めてのキスを交わしたのだった。




