宮廷議会
その後、議会を通して犯人は断罪された。
男は最期にこう叫んだ。
「乞食なんざ生かすだけ無駄だろ。
国のために、要らないものを減らしてやっただけだ。
お飾りの隊長じゃ何も変わらねぇ。」
かくして、セリウスの無罪は認められた。
セリウスの養父であるシャルル・モルフォンド卿はほっと胸を撫で下ろしたが、一族の安堵感は、また少し異なっているようにも見えた。
どちらかといえば大地の女神エルメリアの子とされる「ティアベアラー」が断罪されるなど、この国においてはあってはならないことだからだ。
現在では医術や創薬といった分野で名を馳せるモルフォンド家も、もとを正せば多くの神事を担って来た聖職者の家系である。
だが──それに意を唱える者がいた。
ソレイヴァン侯爵その人である。
「神に仕える器が、穢れに触れた。しばし療養が必要でしょうな。」
今では国の一大勢力となっている一族である。
およそ三十年ほど前、エルメリアの信仰心が大きく揺らぐ出来事が起こった。
──大水である。
「神に祈るのをやめ、今こそ我々人間の力を発揮するのです」
人心掌握に長け、貿易の盛んな港を領土に所有するソレイヴァン家はその時代の新たなリーダーであった。
*
「しかし、彼はむしろこの国の大災から取りこぼされた民を救わんと奉仕していただけではないですか。それでは彼がまるで──」
議会に参じていた神官が擁護したが、直接的な言葉を避けるあまりにやや尻すぼみになったのを、ソレイヴァン侯爵は見逃さない。
「まるで……ですか。お身を慎むべき場所へお一人で足を運べば、何とはなく邪推される向きもありましょうな。彼ほど献身的なお方であれば、どこへ向かわれても不思議ではありませんが……。
ただ、いまこそご立派な家名の庇護下にございますが──本来どなたの御縁によるものか、公には定かでないとか。由緒ある身となられた今、ご自身の立場が曖昧に誤解される余地は──避けられるのが賢明かと」
議場に、誰かが息を呑む音が小さく転がった。
最初に椅子を引いたのは、シャルルだった。
彼は静かに立ち上がり、議場中央へ出ると、深く一礼する。
「……ならば、私が申し上げよう。」
声は震えていない。だが、どこか痛ましいほど静かだ。隣に座した侯爵は制する素振りも見せない。
モルフォンド一族の総意、と言うことか。
「セリウスは、私の息子です。
拾われた子ではなく、家の名を背負う者です。
彼が“どこの者か知れぬ”なら、我がモルフォンドも同じことになるでしょう。」
その言葉が落ちた瞬間、議場の空気がわずかに震えた。
証言台の列の端、近衛の礼装に身を包んだアルヴェルは、拳を膝上で固く握っていた。
本来なら、最も怒りを叫ぶべき人間が声を上げられない──。
王弟としてではなく、たった一人の乳兄弟を思う兄であるが故に。歯が砕けそうなほど、唇を噛んだ。
ソレイヴァン侯爵が鼻で笑った。
「そこまで言うのか、シャルル。君は情に流される」
「……情を失ったら、それは政治ではなく支配です」
ようやくセリウスの身の潔白が証明されたというのに、議場の空気はむしろ沈んでいく。
ソレイヴァン侯爵の声は、抜かれぬ刃のように静かで残酷だった。
「無罪であることは結構。
しかし、精神の均衡が乱れているならば、静養こそ最良の策でしょう。
神の御子を、再び不当な噂に晒すわけにはいかぬ。彼のためにもそれが良いかと。
——如何でしょう?国王陛下」
表向きは“保護”
実質は“王宮追放”
誰の耳にも、それは明白だった。
争いの火種になるものは避けるのが得策。
それまでどちらにつくべきか迷っていた貴族たちは、次々と賛同の拍手を打ち鳴らし、決定は粛々と書面に記された。
——セリウス・モルフォンド、王都外縁への長期療養措置
シャルルは肩を震わせ、アルヴェルは拳に爪を食い込ませた。
*
廊下は白く長い。
人々のざわめきが遠ざかるにつれ、その場所だけが時間から切り離されたように静かだった。
そこへ、老貴族がわざとらしいため息まじりに近づいてくる。
「まったく、神の子とやらも、所詮は汚泥にまみれた野良犬よの。
お気の毒なことだ、王弟殿。情が深いと、身を滅ぼす」
アルヴェルは、振り返らなかった。
──振り返れば、殺してしまう。
喉が焼けつくように熱い。
息を吸っても声にならない。
心臓の音だけが耳の内側を叩いていた。
握りしめた拳は、骨がきしむほど強く。爪は掌に食い込み、血が滲んだ。
老貴族は、楽しげに続ける。
「しかしまあ、弟のために剣を振るうなど、美談ではあるな。
まるで──恋人のために、だ」
その瞬間、アルヴェルの呼吸が止まった。
怒りは沸点を超え、なのにアルヴェルの心の熱はどこまでも冷えてゆき、静かに凍りつく。
ゆっくりと、ただゆっくりと振り向いて──
何の色もない、ただ、殺意だけが研ぎ澄まされた瞳で老いた顔相を射抜いた。
老貴族の背筋が、初めて震えた。
静寂を破ったのは、軽い靴音だった。
「はい、そこまで」
ヘリオスは、まるで散歩の途中かのように歩いてきて、老貴族に丁寧な挨拶をした後、
「残念ながら、今の発言は全部、証人席の近衛二名と書記官が聞いていました。記録としても残ります。
名誉棄損および王弟殿下への侮辱。
おまけに“神聖侮辱罪”もつくかな?」
老貴族の顔色が変わる。
「な、何を……!」
「あなた、面白いですね。
人を痛めつけることには慣れているのに、自分が刈られる側になった時の覚悟はないと?」
声色は柔らかい。
けれど、言葉はひどく滑らかに相手の喉元をなぞる刃だった。
「“寛大な王”の治世ですからね。今は良しとしましょう。ただ──」
ヘリオスは細い目を更に細めて微笑んだ。
「二度目はないとだけ、ご理解ください」
老貴族は口を開きかけて、閉じた。
逃げるように去っていく靴音が、廊下に歪んで響いた。
ヘリオスは、隣に立ったアルヴェルの横顔を覗き見る。
「……その顔、物騒だよ」
「知ってる」
それ以上、どちらも何も言わなかった。
ただ、あの老貴族の足音は──アルヴェルにだけ、いつまでも聞こえていた。




