Dilige et fac quod vis(2)
「噂は——事実です。そして既にこれは、教会の知るところでもあります」
あまりにも落ち着いた声音だった。
ざわめきが起こる前に、ローワンは続ける。
「僕は、王家の血を引いています。
母はリディア・ヴァルグレン——。十三年前に亡くなったとされた王妃です」
確認でも、弁明でもない。
ただ事実を述べただけの態度が、かえって場を支配した。
「ここに、我が父——フェルナード・オブ・バルセニウスが、母に宛てた手紙があります」
ローワンは一拍置き、視線をまっすぐ玉座へ向ける。
「僕を迎えてくだされば——少なくとも、王統問題は幾分か猶予が生まれるでしょう」
一拍置いて、挑むように口にした“王統”という呼称に、視線が一斉にアルヴェルへ集まる。
そのざわめきに少年は怯む事なく、淡々と続けた。
「王族である以上、必要なのは覚悟だと……そう理解しています」
今や、会場のすべての大人達の視線が一人の少年に注がれていた。それを確認するように一度会場を見渡したあと、ローワンはその視線を一人に固定した。
「……ですが王弟殿下は、これまでも肝心な場面で感情が先に立つ。国王への中傷を気にするあまりに決断を先延ばしにし、事態を重くした」
一瞬の沈黙。
十三歳の口から放たれた言葉は、正論の形をした刃だった。
「血筋の話だけではなく、僕をお迎えくださる事で御子セリウスの謀反などという馬鹿げた噂はなくなるはずです」
御子は王宮に反旗を翻したのではなく、むしろ正しき場所へ導いた——。少年の言う通り、彼が王宮に組み込まれれば、世の中の認知は変わるかも知れない。
国の大盤石といえど、今や落ち目のモルフォンド一族が王弟妃召上げによっていつまでも目の上のたんこぶでいられるよりはいい。
おまけに後ろ盾のない若造だ。王弟より扱いやすく、自分たちがリスクを背負う可能性は低い。
雄弁に語るローワンに圧倒される者がいる一方で、静かに算段を巡らす者もまた存在した。
「——この国で、成し遂げたいことがあります。それが、たとえ僕個人の望みから始まったものだとしても。
その為に、必ずや国王陛下の力となります」
そう締めくくる自分と同じ茜色の瞳を持つ少年を、王弟アルヴェルは他の重臣達と同じようにただ黙って見ていた。
自分の顔などほとんど見ない。
だから今更になって、面差しに懐かしさを感じたのはそのせいだったかと納得した。
(……酷い言われようだったな)
だが不思議と、胸は痛まなかった。
怒りも、羞恥も、湧いてこない。
そして、気づいてしまう。
これほど露骨に否定されてなお、心が軽い。
それが何を意味するのか——もう、分からないふりはできなかった。
血反吐を吐くほど努力しても、功績を上げても、埋まらない何かがある。そんな事は、ずっと前から知っていた。
それでも目を逸らしていられたのは、誰もそれを口にしなかったからだ。
「忠誠」「実直」——聞こえのいい言葉に守られていただけで、本当は。
切り捨てるべきものを切り捨て、国のために、個人を殺しきることができない。
冷静でいなければならないのに、いつも心が言うことを聞かない。
守りたいと思ってしまう。
手を伸ばしてしまう。
繋いでいた手を先に離したのは自分なのに——
その甘さを、今まさに十三歳の少年に見透かされている。本来、自分が負うべきだったものまで、この少年は引き受けようとしていた。
それに安堵してしまうだなんて。
(ああ……)
ようやく、逃げ場がなくなる。
こんな醜い感情をこれ以上誤魔化すのはもう、やめよう。
自分はきっと、父のようにも、兄のようにもなれないのだから。
「……王弟殿下」
控えめながらも、刺のある声が上がった。
「このような場で、あそこまで言われて、その……よろしいのですか」
問われたアルヴェルは、すぐには答えなかった。
視線は、床の一点を見つめたまま動かない。
本来なら、不敬だと切り捨てればそれで済む。
——だが。
「……構わない」
それは許しでも、寛容でもない。
ただ——受け入れてしまった者の声だった。
*
「……十三歳の子どもが、これほど整理された主張をするとはな」
重臣の一人、ソレイヴァン侯爵が低く唸った。
父王に似ている。
たしかに、王族の血筋なのだろう。一人で乗り込んで啖呵を切るその胆力も、末恐ろしい。
だが、それだけで、腑に落ちる話ではない。
市井の少年にしては、あまりに都合よく誂えられた場だった。
「妙じゃないか?教会が“知っている”ということは、わざわざ確認する必要があったということだろう?」
その声は小さかったが、たった一つの疑念は、形を変えながら反芻されていった。
——誰が、ここまで整えた?
噂が本当だと言うのなら。
槍を構えたまま、ヘリオスは誰にも聞こえない音量で舌打ちした。
(まあ、そうなる。……だが、ここからどうするつもりだ、セリウス殿)
評価でも、警戒でもない。
向けられているのは、この少年そのものではなく——その背後。
(おかしい……)
ローワンは、はっきりそう感じた。
出自を信じて貰えない覚悟はしていた。怒号が飛ぶことも、無礼だと叱責されることも。
けれど、今この場を満たしているのは、それとは違う。
「君……もしや、御子を庇っているのか?」
「いや、それとも利用されている……?」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「……違ッ」
狼狽えるローワンに、それまで訝しむようだった彼等の視線は、たちまちに憐憫の色に変化する。
「待って下さい。御子は関係ない——」
ローワンがその続きを言葉にする前に、人々の視線が一斉に彼の背後へ流れた。
さざめきが、潮が引くように静まっていく。
その静寂を縫うように、コツ、コツ、と一定のリズムで足音が響いた。
「……随分と、面白い解釈ですね」
いつの間にか、開け放たれた扉の前に白い影が立っていた。
セリウス——王宮ただ一人の御子。聖なる贄。
陽が登り、高窓から落ちる光に白銀の髪が煌めき、その輪郭を曖昧にしている。けれど与える印象はひどく冷たく、誰の目にも、白い悪魔と形容する方が相応しく思わせた。
「ローワン」
名を呼ぶ声は、ただそこに“いるかどうか”を確かめるだけの平坦さだった。
「演説は、それだけ?」
セリウスは、微笑んでいた。いつもの笑みの筈なのに、ローワンの背筋にゾクリとしたものが這う。
「ローワン。勝手に出て来てはいけないと、言ったはずだよ」
一瞬混じる困った子を咎めるような執拗な声色に、数人が眉を顰めた。
「……え、なんで、セリウス様」
何を言っている?これではまるで……。
ローワンの動揺は、すぐに重臣たちのざわめきに飲み込まれた。
「ほら見ろ」
「やはり、あの御子のところの子だ」
囁き合う声の中で、セリウスは一歩前に出ると玉座に向けて静かに一礼した。
「大変失礼を致しました。姿が見えないと思ったら、こんな所にいたんですね」
そのまま自然な動作でローワンへ視線を向ける。
国王の許可も得ぬままに。
「ローワン。勝手に出て来てはいけないと、言ったはずだよ」
普段の彼であれば、こんな不敬な振る舞いはまず見せない筈だった。
「セリウス……様?」
「理想を語るのは結構だが、君はまだその場所に立つ準備ができていない」
優しい声だった。
"その先で起きることは、私が引き受けるから"
——その言葉が、今更ローワンの心を掻き乱す。
「なんで……」
玉座の上で、アーサーはしばし沈黙したまま、白い影と少年を見比べていた。
「……セリウス・モルフォンド」
やがて、その名を呼ぶ。声は低く、感情を削ぎ落としたものだった。
「そなたが、連れて来たのではないのか?この子どもを王宮へ戻すために」
ざわめきが、ぴたりと止まる。
アルヴェルは兄の言葉に堪らず唇を噛んだ。
自分なら、こんな問いを投げられただろうか?何を言っても“そう扱われる”類の問いを。
セリウスは、ぼんやりと遠くを見つめたまま思案げに小首を傾げると、視線を伏せるともなく、玉座を仰ぐともなく——
「私が?まさか」
否定する声は、あまりに軽やかだった。
「この子は、私が大切にお預かりしております。……王宮よりも、ずっと安全な場所で」
笑いを含んだその台詞は、ただの否定よりも軽率で、恐ろしい想像を容易く掻き立てる。
「違う——!そうではありません!」
ローワンは、思わず一歩前に出ていた。
「セリウス様やめて!なぜ、そんなことをおっしゃるのですか!」
言葉が、焦りに追い越される。
だが、その必死さこそが——広間の空気を、決定的に変えた。
「……ほらな」
誰かが、低く呟く。
「完全に籠絡されている」
「少年は、自分で気づいておらぬだけだ」
「危険だ。これ以上、御子の影響下に置くべきではない」
言葉は、剣のように並べられる。
ローワンは、息を呑んだ。
(しまった……!)
違うはずなのに、もはや弁解の余地もない。この状況が、あまりにも“整いすぎている”から。
僕の言葉は、僕のものだ。
けれど——。
(じゃあ、この舞台は?)
そっと、セリウスの横顔を見た。
知っている顔なのに、遠い。背中を預けたはずの人の距離ではない。
自分の意志でここに立ったはずだった。
言葉も、覚悟も、自分で選んだはずなのに。それすらも、“そう見えるように置かれていた”のだとしたら。
(……この人、わざと僕を)
理解した瞬間、胸の奥が冷えた。
ローワンの描いた陳腐なシナリオは、容易く書き替えられていく。
しかも、他の誰でもない自分が冷静さを欠いたせいで。
セリウスは、悪者になる覚悟を決めている。誰かが憎まなければ、この場が収まらないと、最初から計算して。
「……悪魔だ」
どこかで、そんな声がした。
当の本人の表情に、怒りも驚きもない。むしろ満足そうに微笑んでいた。
「邪魔をして悪かったね」
セリウスは、エミリアに向かって言った。
謝罪の形をしていながら、その声は何一つ弁解を含んでいない。もとより他人だと切り離すような氷のような声色だった。
「……セリウス」
アーサーが名を呼ぶ。
セリウスはゆるりと向き直った。
「何が、望みだ」
「望み……?」
まるでその言葉の意味を測りかねるように、セリウスはわずかに首を傾げる。
するとすぐに重臣の一人が、信じられないという調子で言った。
「よろしいのですか、陛下。
御子にそのような……情けを下さるおつもりで?」
その言葉が、広間に不穏な余韻を残す。
「それこそ教会が黙っていませんぞ」
続く声は、より現実的だった。
「この少年が“御子の庇護下にあった”と知れれば、王宮がそれを許した、という前例になります」
「いや、すでに耳に入っているのなら、御子を教会に引き渡すべきでしょう」
「そもそも自由にさせた所為です。御子としての立場も弁えず、陛下を脅すなど……」
「陛下も……甘やかしすぎたのです」
家臣の思わず出た本音に、アーサーは冷ややかな視線を送ると、ゆっくりと息を吐いた。
「では問おう、セリウス。
そなたは、自分が“情けを乞う立場”だと思っているのか」
それは、裁く側が相手の立ち位置を確かめる声だった。身の程を理解しているのか、と。
空気が、張り詰めた。
セリウスは、わずかに口角を上げる。
「まさか」
即答だった。
「ただ——畏れながら、迷い込んだ飼い猫を探しに来たついでに、市井の状況をお伝えしておかねばと思ったまでです」
セリウスは淡々と続けた。
「先ほどこの少年が述べたことに、虚偽はありません。教会は、すでにローワン殿の存在を把握しています。それがどこから、どのように伝わったのか——その経路については、いずれ王宮にも正式な照会が届くでしょう」
広間に、重い沈黙が落ちる。
「噂は、すでに市井を巡っています。
私に籠絡された王家の落胤。あるいは——王宮が隠してきた血筋とも。
民は、真実よりも“納得できる物語”を選びます。そして一度選ばれた物語は、正しさよりも長く生き残るでしょう。
王宮がこの少年を迎えれば、『王家は血を拒まなかった』という物語が残り、迎えなければ、『王家は都合の悪い血を切り捨てた』と語られる、ただそれだけです」
セリウスは、玉座を見上げる。
「どちらが正しいかではなく、どちらが統治に耐えるか。
——まあ私が申し上げずとも陛下にとっては既知の事実でしょうが」
そう告げながら一度胸に手を当てて略式の礼を取った。
「ですが……残念ながら、ローワン殿が私から離れたがっている様です。彼を王族として迎えられるのでしたら、それはしかたありません。
そうなれば害悪である私は、以後一切干渉できぬ様王宮からも追放なさるのが宜しいかと」
それは条件ではなく、事後処理の宣言だった。まるで他人事のように無機質な言葉は続く。
「そうでなければ——私は、この少年と共に在り続けるだけです」
そこで漸く柔らかに口角を上げ、あの清らかな顔をするのだ。
「その時、皆さんは私を……何と呼んでくださるのでしょう」
*
広間は、息を潜めたように静まり返っていた。
アルヴェルは、ようやく顔を上げた。
視線の先で"御子"と呼ばれていた男が微笑んでいる。
(こんなやり方……違うだろ)
胸の奥で、何かが音を立てて外れた。
この結末を、何もかも一人で描いたというのか。
あの少年を皆に認めさせるために。
国王を脅すような真似をして、自らこそが王族を操らんとしていたとでも言うように。
——そんな風にしてしまったのは、俺のせいか?
アルヴェルは、ゆっくりと首を振る。
玉座の上で、アーサーはアルヴェルのその動きを見逃さなかった。
誰もが、次の言葉を待っている。
だが、その「誰も」に、答えを出せる者は含まれていない。
(……頃合いだな)
王は、少年を見る。
次に、白い影を。
最後に、広間全体を見渡す。
玉座の前に、静寂が落ちた。
そしてアーサーはもう一度だけ、弟——アルヴェルを見た。だが、そこにはもう確認はない。
「——宣言する」
国王の声が、広間を満たす。
「少年、ローワン・ランドフォードを王家の血を引く者として、王宮に迎える。
相応の庇護と教育を与え、将来については改めて協議する」
ざわめきが起こる前に、言葉は続いた。
「そして、セリウス・モルフォンドを、御子の任より解く。
以後、セリウス・モルフォンドは、王宮および教会の管理、ならびに庇護の外に置くこととし、その行く末について、王宮は守らず、裁かず、責を負わぬ」
断罪ではない。
しかし、恩赦でもなかった。
「好きにせよ」
ただの——切り離し。
宣言は、あまりにも簡潔だった。




