↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神の国 1  作者: 大福駒子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/80

不知の自覚


 白亜の大聖堂は、昼なお薄暗かった。

 高窓から差し込む光は祈りの文様を床に落とし、空気は香の残り香で重く満ちている。

 その中央を、アルヴェルはただ一人、音もなく進んでいた。

 教皇ラドクリフは玉座に腰掛け、長い白髪をきちんと撫でつけ、杖の先を床に預けている。老いてなお、その視線は鋭く、相手の内を抉るようだった。


「王弟殿下。ご足労、感謝いたします」


 穏やかな声。

 だが歓迎の色はない。


「教皇聖下のお招きとあらばお断りする理由はございません」


 アルヴェルは一礼し、王族として過不足のない距離で立ち止まった。

 ラドクリフは、わずかに口角を上げる。


「相変わらず、隙のないお方だ」


 大聖堂に響くのは、遠くで鳴る鐘の余韻だけだ。


「さて——本題に入りましょう」


ラドクリフは杖を軽く床に鳴らした。


「御子セリウスの件です」


アルヴェルは、瞬き一つせずに応じる。


「王弟殿下が重傷を負われた折、御子の力が暴発し、一命を取り留めた。その代償として、彼は力の大半を失った——ここまでは、よろしいですね」


「ええ」


「問題は、その後です」


教皇は視線を細めた。


「枯渇したはずの器が、回復している。

 しかも、ただ癒えているのではない。“力が戻っている”」


その言葉に、あえて重みを置いた。


「癒しの器は、枯れれば終わり。それが神の定めた理。それを覆すなど……王弟殿下は、ずいぶんと御子に“情をかけておられる”」


 空気が、ひやりと冷えた。

 だがアルヴェルは、眉一つ動かさない。


「——情、ですか」


 淡々とした声で単語を繰り返したあと、ひとつ間を空けて答えた。


「御子は王国の民です。命を守ることに、理由が要りますか」


「ほぉ、守る、とな」


教皇の口元が、わずかに歪む。


「利用されている、の間違いでは?

 御子は殿下の庇護を当然のように受け入れている。それが彼自身の意思なのか……あるいは、殿下の“情”を巧みに使っているのか。

 ——教会は、後者を疑っております」


 一瞬、アルヴェルの瞳が細くなる。

 だが、その声は静かだった。


「なるほど」


 一歩も引かない。


「御子を裁く前に、まず私をお呼びになった理由が、それですか」


教皇は答えない。沈黙が、肯定の代わりだった。


「使節訪問の理由は、御子の保護でしたね」


アルヴェルは背筋を正したまま続ける。


「それが、いつの間にか“裁き”に変わっている。国王も私も、その点を不可解に思っております」


視線が、まっすぐに教皇を射抜いた。


「聖下、なぜですか?」


教皇はもう一度、繰り返した。


「……枯渇したはずの器が、回復している。ただ癒えたのではない。“力が戻っている”のだぞ」


「……それが、問題ですか」


「問題に決まっている。

 癒しの御子は、力を使い果たせば終わりだ。その摂理を覆してはならぬ」


「摂理、ですか」


「王弟殿下——あなたが、『御子に触れたこと』。それが問題なのです」


ラドクリフの眼光が一層強められた。だが、王弟は躊躇なく答える。


「ええ、触れました。隠す理由がありません」


「ならば理解しているはずだ。力の還元は、無作為には起こらぬ。加護を与えた相手にしか、戻せない」


「つまり?」


 じわりと、主導権が王弟に移っていた。

 控えていた神官が固唾を飲む。


「王弟殿下。あなたは御子から加護を受け、その力を返した。それは“情”なくしては成り立たぬ行為だ」


「ベアラーに対しては、情と祈りは別物でなければならないのですか」


「当然だ。

 御子は神具だ。そこに個人的な情を差し挟むこと自体が、神への冒涜だ」


「……なぜです?」


「なぜ、だと?」


 前提を、真っ直ぐな眼差しが覆そうとしていた。


「なぜ、情を持ってはならないのです?なぜ、触れてはならない。なぜ、それが“罪”になる」


「王弟殿下」


「わかりません。答えてください、聖下」


 愚かしいほどに、真っ直ぐ。

 丸め込むことの出来ない問いに、教皇の背筋が粟立った。


「御子に情を向ければ、王族はそれに縋る。縋れば、依存する。

 依存すれば、政は歪むであろう」


「“政”——でしたら、それは聖下が気にするところではない。今は神の話をしているのだから」


「……」


 「聖下」と王弟は真っ直ぐに教皇を見据えた。

 もう彼は気付いている。

 教会が、教皇が、隠し続けていたことを。


「御子が枯れれば終わる、という前提が崩れた。それを恐れているのですよね?」


「違う。王弟殿下、あなたは気づいていないのだ」


「何に?教えて下さい、聖下」


「御子は使い捨てである。それが、世界の均衡だ」


「……なるほど?」


「王族が危機に瀕し、御子が命を削って癒し、やがて朽ち、それで終わり。

 だがあの子は、父王とその妃、今回は殿下と、繰り返し利用されておる。いつまでも囲い続け、挙句にあれだけの力を放ったにも関わらず、復活したなど……。そなたたち王族は、あれをますます手放せなくなる。それが危険だとなぜ分からぬ。

 現にあなたは今、あれをを手放せないでいる」


「私は、祈っただけです」


「情の間違いだろう」


 王弟は一つ息を吐いた。それからもう一度、顔を上げる。茜色の瞳に威圧感はない。


「では、問います。御子が生きていては、いけないのですか」


「……王弟殿下」


 愚かな王弟、と。

 侮っていた。


「回復する可能性があると、困るのは誰です?」


だが今、その喉に刃を向けられているのは——


「御子が再生可能だと知られれば、王族は御子を“使い続けられる”。だから、教会は困る」


「……」


「論点を“情”にすり替えましたね。

 聖具に触れたこと、神の持ち物に情を向けたこと、神への冒涜だと、そう言い張れば」


「黙りなさい」


「御子を裁けば、真実は閉じ込められる」


「王弟アルヴェル」


「違いますか?」


「……」


「聖下。あなた──が裁こうとしているのは、罪ではない。

 “知られてはならない事実”でしょう」


 こんな事、あって良いはずがなかった。

 静かに息を吐く教皇に、王弟は静かに続けた。


「御子が、これまでどう扱われてきたか。

 力を搾り、枯れれば切り捨てる。それを“当然”としてきたのが、王族であり、そして教会であったこと。私は、それを知った上でここに立っています」


 それは、共犯者としての葛藤と覚悟の滲む言葉だった。

 教皇の視線が、わずかに揺れた。

 アルヴェルは、その沈黙を否定も肯定もしない。ただわずかに口元を緩めて言う。


「御子を使い捨てる時代を、そしてそれを神の名で正当化することを——そろそろ、終わらせる必要があるのではありませんか」


 やがて——教皇は小さく、息を吐く。

 力の抜けた笑みが、深い皺に沈んだ。


「……それは、理想論というものだな。

 この国は、女神神話によって形作られてきた。民は拠り所を得、御子は管理されることで生き延びて来られた。……それが、教会の歴史であり責務でもある」


 杖に手を添え、ゆっくりと言葉を続ける。


「殿下は教会が真実を隠匿していると仰いましたがね。ではなぜ隠すのかには、興味がないようだ」


教皇は肘掛けに預けていた杖を持つのとは反対の手で、頬杖をつく。

 鋭かった眼光をほんのりと和らげて王弟を見下ろした。


「聖具の正しい扱い方を知らぬそなた等が、瀕死の御子を蘇らせてまで、己の繁栄のために尚も使役させる。その残酷さも知らずに理想を語るでない。

 命拾いはしてもセリウスの器の軋みは戻らぬ。……一思いに死なせてやればよかったものを」


 その言葉に、王弟は少なからず動揺した。

 あのまま死なす事はしたくなかった。自分のために命を投げ出すなどさせるものかと。

 別角度から殴られた、そんな気分だった。

 教皇は王弟の瞳の揺らぎに気付いたが、彼が思考をまとめるのを待たずに更に続ける。


「だが教会は違う。

 枯れる前に手を引く。壊れるまで酷使はせん。——だから“保ててきた”のだ、この均衡を。

 王族は己の為に、あるだけ欲するが、我らは信仰の為に必要分だけを利用し、器が軋めばこれを保護する。

 その違いが分からぬなら、口を挟む資格はない」


 老獪な視線が、再びアルヴェルを射抜く。


「殿下。そなたは優しい。だからこそ厄介だ。

 善意で壊す者ほど、止めようがない」


 それは、静かな断定だった。

 王弟はわずかに息を吐く。


「ですが、それを理由に手放すことは出来ない」


 ゆっくりと顔を上げると、済ましていた王弟の仮面は剥がれ、彼の茜の瞳が一層燃えるように揺らめいた。


「王族は、自らの命で責を負うべきだと私は考えています。——あれの軋みも、その先も、私は引き受ける覚悟です」


 揺らがない声だった。


「利用するつもりも、委ねるつもりもありません。

 教会にも、王族にも……あれを、どこにも渡さない」


 沈黙が落ちた。

 やがて、教皇がくくっと笑った。


「……やはり、情ではないか」


 呟きは、確信を帯びていた。


「アルヴェル殿下。そなたは御子を手放せぬ。——だが、王族でありながら、欲さぬか。……面白い」


その目が、わずかに細められ、低く、独り言のように漏らしてから、ゆっくりと椅子に背を預けた。


「——その執着が、王族の在り方を壊すならば……、王弟殿下の言が虚言でないのなら。

 御子が、情に縋って王政を歪めているのでなければ……今回だけは様子を見ましょう」


 杖の先が、床を軽く打った。


「だがもし、王政が揺らぎ、この国そのものが危うくなる兆しがあれば——その時は、容赦せん」


 アルヴェルは、静かに一礼した。


「無論です、聖下」


 顔を上げる。

 その眼差しには、勝ち誇りも安堵もない。


「王政を危うくするつもりなど、ありません。

 ……ただ、生き延びる道を、増やしたいだけです」


 教皇はその言葉を測るように、しばし黙考したのち


「いずれ、答えは出るだろう。御子が壊れるか、あるいは——」


そこまで言って、かぶりを振る。

 結局、教皇は口角を上げ


「……やはり、厄介なお方だ」


とだけ濁した。



挿絵(By みてみん)



 白い石の回廊を足音が反響する。

 アルヴェルは、ふと歩みを止めた。

 壁際に立つ一人の騎士が、視線を逸らそうともしなかったからだ。

 切れ長の瞳。教会仕込みの、感情を削いだはずの眼差し——それでも、奥に澱が溜まっている。


「……なぜ、あの白いのを庇うのです」


 吐き捨てるような声だった。

 アルヴェルは振り返らない。


「御子は、教会の庇護下にあるべき存在でしょう。

 ティアベアラーであるなら、なおさらだ。例外など、あってはならない」


 続く言葉は、どこか焦げついたように硬い。


「役目を終えたのなら……あのまま死ねばよかった。 

 それが、御子の務めだ」


 そこで初めて、ゆっくりと彼女の方を見た。


「……残酷だな」


 低く、淡々と。


「生き延びたことを、罪だと言うか」


 騎士は、わずかに唇を噛んだ。


「ティアベアラーは、死ぬまでその力を捧げる存在です。生きながらえたということは……その使命を、これからも背負い続けるということだ。

 それを——王弟殿下は、勝手に……!」


 声が、震えた。


「あなたは、選べたでしょう。王族として生きる道も、力を持つ道も。

 私は……最初から、これしかなかった」


 女であること。剣を取る理由。

 居場所を得るために引き換えにしたもの。

 すべてを飲み込んで、なお残った鬱屈が、白い影に向かって滲み出る。


「白い悪魔などと呼ばれても……あれは、庇われている。教会にも、王宮にも。

 それなのに、まだ——」


 言葉が、途切れた。

 アルヴェルの視線が、正面から彼女を捉えたからだ。

 微笑ですらない。

 ただ、逃げ場を断つほどに静かな目。


「……そうか」


 一歩、近づく。


「弱い立場にある者が、さらに弱い者を踏みにじれば、少しは楽になる。実に、人間らしい」


 彼女の肩が、びくりと揺れた。


「だがな」


 声は柔らかい。

 その分、刃のようだった。


「そなたが剣を持てたのは、力があったからだ。生きづらさを、役割に変えられた。それを、誇りではなく呪いとして抱え続けているのは——」


 アルヴェルは、わずかに首を傾げる。


「そなた自身の選択だ」


 息を呑む音。


「セリウスは、何一つ奪っていない。そなたの居場所も、役目も、尊厳も」


 視線が、深く射抜く。


「それでも憎いのなら、それは、“白い悪魔”ではなく——生き残ってしまった自分自身だろう」


 騎士は、言葉を失ったまま俯いた。

 話はそれまで。彼女は王弟が立ち去るのを、俯いたまま待っていた。


 だが。


「気を悪くしたのなら、謝ろう。わたしもあの爺とやり合って、気が立っていたのだ」


 王弟はクスッと笑った。


「それと一つ、疑問なのだが……ああ、答えにくければ答えなくてもよい」


 先ほどまでの緊張した空気がふっと和らぎ、騎士は少し面食らった。

 王弟は回廊の先、白昼の庭園を眺めている。


「そなた方は御子の力を見れると言ったが、御子同士で力を分け与えることはできるのか?」


 単純な、ただの疑問なのだろう。

 王弟の顔をじっと見ても、それ以上の意図は感じられない。騎士は少し躊躇いながら答えた。


「見えるだけです……。あれの放った力は、それを受けた者にしか戻せません。だから私は、分かったのです」


「なるほど……」


王弟は顎に手をやり、天を仰ぐ。自身の立てた仮説を答え合わせしている様だった。


「ちなみに、戻された形跡……とは、何か違いがあるのか?」


(なんだ、この人……?)

 彼女は思わず心の中で呟く。


「うまくは……言えませんが、色のようなものが違うのです。本来は澄んだ色をしているのが……混ざり合って——勝手なイメージですが」


 騎士の返答に、アルヴェルは微かに頷いただけで、表情には何の変化もない。


 それでも、彼女には分かった。

 ——目の前の御仁は、今、確かに安堵している。


 胸をよぎったのは、ほんの僅かな羨望だった。

 それでも、何も感じていないふりをして。彼女もまた、何度もそうしてきたように、白昼の庭園へと視線を逃がした。



 セリウスの部屋の扉を開けると、すぐに規則正しい寝息が耳に届く。

 ただそれだけのことが、アルヴェルの心臓を優しく撫でる。


 張り詰めていた糸が——ぷつりと切れた。


 寝台の上。

 長い睫毛を伏せ、穏やかな呼吸を繰り返すその顔を、しばし見下ろす。


「……まったく」


 誰に聞かせるでもなく、息が零れた。


 これのために。

 この寝顔ひとつのために。

 国も、教会も、神の理さえも相手取って立ったのだと思うと——


(……ああ、胃が痛い)


 苦笑を含んだまま、静かに腰を下ろす。

 起こさぬよう気をつけて、掛布を肩口まで引き上げてやった。


 すると、その手に、そっと頬が寄せられる。


「……お前は、本当に……」


 言葉は、そこで途切れた。

 代わりに落ちる、深い溜息と、かすかな笑み。


 ただ、生きて、眠っている。

 それだけで、すべてが報われるような気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。