均衡
教会の使節が王宮に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。
先頭を歩くのは、黒々とした長衣を纏った南方管区の枢機卿。
その背後に、白を基調とした法衣に身を包んだ神官が二名。
そしてしんがりには、聖印を刻んだ甲冑の騎士が二名、無言で控えている。
玉座の間に通されるなり、年嵩の枢機卿が一歩前に進み出た。
遠目には黒に見えた長衣は、差し込む光を受けて、深く濃い赤を帯びているのが分かる。
装飾は控えめだが、布の重みと佇まいそのものが、彼の立場を雄弁に語っていた。
「国王陛下。
御子セリウス殿の容態を確認するため、拝謁を願いたい」
言葉遣いは丁寧だった。
だがその視線は、すでに“確認”ではなく、“然るべき権利”を主張している。
アーサーは玉座に腰掛けたまま、ゆっくりと息を吐いた。
それから、穏やかな笑みを浮かべる。
「悪いが──」
声は柔らかく、しかし温度がない。
「その物騒なものは下ろしてくれないか?
我が王宮に、武装したまま踏み込む理由があるとは思えない」
神官の背後で、騎士の一人がわずかに眉を動かす。
だが枢機卿は、まったく動じなかった。
「これは御子をお守りするため──」
「守る?」
アーサーは、そこで初めて首を傾げた。
「セリウスは現在、王宮医の監督下で静養している。命の危険は去った。その状況で“守護”と称して騎士を伴う必要が、どこにある?」
神官は一瞬、言葉に詰まる。
「……癒しの力の暴発があったと聞いております。
御子の力は、国のみならず、神に捧げられるべきもの。再び同様の事態が起きれば──」
「起きない」
低く、短く、しかし断定的な声だった。
アーサーの視線が、神官を真っ直ぐ射抜く。
「それは、王として保証しよう」
場の空気が張りつめる。
「それとも」
アーサーは、ほんの少しだけ微笑みを深くした。
「教会は、我が王宮の医療と監督を信用できないと申すのか?それは、王権への不信と受け取っても?」
神官の喉が、わずかに鳴った。
ここで一歩踏み込めば、それは“確認”ではなく“干渉”になる。
そして、干渉は政治だ。
「……陛下」
別の神官が、慎重に口を開く。
「我々は争いを望んでいるわけではありません。
ただ、御子の身を案じて……」
アーサーは一つため息をつくと、また柔らかく笑った。
「であれば、武装を解いていただけますかな?
こちらは丸腰です。
まずは誠意を見せるのが筋というものでしょう」
*
老いた神官は、ひとまず安堵したように小さく息をついた。
「……眠ってはいるが、生きている。ひとまず、安心でしょう」
寝台に横たわるセリウスは、前日の昼過ぎに事切れ、今はただ規則正しく呼吸を繰り返している。
顔色も悪くない。
まだ覚醒時間は短いが、それでも顔色は随分良くなっていた。
医官エルネストが一歩前に出て、低く告げる。
「深く眠り込んではいますが、生命活動に問題はありません。
衰弱も想定より軽く、傷の治癒も異常なほど早い。──奇跡でも起きぬ限り不可能だった回復です」
その言葉に、枢機卿の眉がわずかに動いた。
老いた神官は何も言わず、背後に控えていた騎士へと視線を送る。
短く、しかし明確な合図。
合図を受けた騎士が、一歩、また一歩と進み出た。
「……待ちなさい」
エルネストが声を上げる。
「触れるなら、許可を──」
騎士は答えない。
寝台の脇に立ち、静かに手を伸ばす。
そして、ためらいもなく──セリウスの胸の上に、掌を置いた。
「っ、何を……!」
思わずエルネストが詰め寄ろうとした、その瞬間。
騎士は微動だにせず、淡々と告げる。
凛とした声だった。
「……力が、戻されていますね」
室内の空気が、ぴんと張りつめた。
「戻した……?」
問い返したのはエルネストだった。
「なぜ、それが分かるのです?」
その問いに答えたのは、後方で静かに見ていた枢機卿だった。
「彼女もまた、ティアベアラーでして。……癒しの力を“視る”ことができるのです」
騎士はゆっくりと視線を上げ、言葉を続けた。
「暴発した割に、微量ですが、身体に力が残存しています。もともと、かなりの容量を持つ器だったのでしょう。しかし──」
一拍、置く。
「これは、彼自身の力とは質が異なる。一度放ったものが、還元されています」
切れ長の瞳が、静かにアルヴェルを捉えた。
アルヴェルは何も言わない。
わずかに顎を引き、その視線を正面から受け止める。
そこにあったのは、焦りでも動揺でもない。
すでに覚悟を終えた者の、静けさだけだった。
「……なるほど」
枢機卿が、ゆっくりと息を吐く。
「御子の力が暴発し、衰弱した。その後、王宮の中で“何者か”が、それを補った……そういうことですね」
(加護を受けた王弟が、臣下に力を戻した──。これは、どうしたものか……)
神官たちは、深く眉を寄せる。
その沈黙の中で、セリウスが小さく身じろぎをした。眉が寄り、喉の奥で、かすかな音が漏れる。
──ただ、生きてほしいと願い、触れただけだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
否定されるつもりはなかった。
アルヴェルは、一歩前に出る。
「……刺激は、そこまでにしてもらえますか」
低く、だが揺るがぬ声。
「彼は生きている。今は、それで十分でしょう」
枢機卿は騎士に目配せをして下がらせる。
騎士は静かに手を引き、何事もなかったかのように、その掌を腿で拭った。
それから枢機卿は、しばし王弟を見つめた後、にっこりと笑ってみせる。
「この件は……教皇に、ご報告申し上げます」
*
高い天井。
色褪せた聖人画の視線を一身に浴びるように、老いた神官が膝をついていた。
「……以上が、王宮で確認された事実にございます」
報告を終えた枢機卿は、頭を垂れたまま動かない。
しばしの沈黙ののち、玉座に腰掛けた教皇ラドクリフが、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
その声は穏やかで、感情の起伏を感じさせない。
「癒しの力の暴発。瀕死の王弟。
そして――力を“戻された”御子、か」
細い指が、玉座の肘掛けをなぞる。
「王弟アルヴェルは、否定しなかったのだな」
「……はい。弁明はなされず、ただ“刺激は控えよ”と」
「ふふ……」
ラドクリフの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
「実に、彼らしい」
聖職者の誰もが知っている。
王弟アルヴェルが、かねてよりセリウスに向けてきた異様な庇護。
度を越えた介入。
「王弟は、情に弱い。いや──情を、美徳と履き違えている」
声音に、かすかな苛立ちが滲む。
「だが問題は、そこではない」
ラドクリフは視線を上げ、聖人画を仰いだ。
「御子セリウスだ」
ぴたり、と空気が固まる。
あの祭典のとき、“守るべき家族”と口にした少年をそばに置き、教会にも、王宮にも、完全には身を委ねなかった御子。
──それでも、結局は王弟を選んだ。
(やはり、何を考えているか分からん)
「力の器として生き、己の役割を理解していながら……王弟の情を拒まず、受け入れ、ついには命を握るところまで至った」
低く、断じるように。
「利用している」
その一言に、神官たちの喉が、かすかに鳴った。
「セリウス・モルフォンドは、裁かれねばならない」
誰も、もはや言葉を発さない。
ラドクリフは一度、ふっと表情を緩ませて続けた。
「そうだな……弁明があるなら、一応は聞こう。神は、沈黙する者よりも、語る者を好まれる」
そして、何気ない調子で告げる。
「王弟アルヴェルを参らせよ。さもなくば──穢れし御子に、裁きを下す」
あの愚かなほど真面目で、情熱家な男が、何を言うのか。
少しだけ、興味がある。
どうせ──
“神の名のもとに行われる裁き”は、常に正しいのだから。




