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女神の国 1  作者: 大福駒子


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54/80

均衡


 教会の使節が王宮に到着したのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 先頭を歩くのは、黒々とした長衣を纏った南方管区の枢機卿。

 その背後に、白を基調とした法衣に身を包んだ神官が二名。

 そしてしんがりには、聖印を刻んだ甲冑の騎士が二名、無言で控えている。


 玉座の間に通されるなり、年嵩の枢機卿が一歩前に進み出た。

 遠目には黒に見えた長衣は、差し込む光を受けて、深く濃い赤を帯びているのが分かる。

 装飾は控えめだが、布の重みと佇まいそのものが、彼の立場を雄弁に語っていた。


「国王陛下。

 御子セリウス殿の容態を確認するため、拝謁を願いたい」


 言葉遣いは丁寧だった。

 だがその視線は、すでに“確認”ではなく、“然るべき権利”を主張している。


 アーサーは玉座に腰掛けたまま、ゆっくりと息を吐いた。

 それから、穏やかな笑みを浮かべる。


「悪いが──」


 声は柔らかく、しかし温度がない。


「その物騒なものは下ろしてくれないか?

 我が王宮に、武装したまま踏み込む理由があるとは思えない」


 神官の背後で、騎士の一人がわずかに眉を動かす。

 だが枢機卿は、まったく動じなかった。


「これは御子をお守りするため──」

「守る?」


 アーサーは、そこで初めて首を傾げた。


「セリウスは現在、王宮医の監督下で静養している。命の危険は去った。その状況で“守護”と称して騎士を伴う必要が、どこにある?」


 神官は一瞬、言葉に詰まる。


「……癒しの力の暴発があったと聞いております。

 御子の力は、国のみならず、神に捧げられるべきもの。再び同様の事態が起きれば──」


「起きない」


 低く、短く、しかし断定的な声だった。

 アーサーの視線が、神官を真っ直ぐ射抜く。


「それは、王として保証しよう」


 場の空気が張りつめる。


「それとも」


 アーサーは、ほんの少しだけ微笑みを深くした。


「教会は、我が王宮の医療と監督を信用できないと申すのか?それは、王権への不信と受け取っても?」


 神官の喉が、わずかに鳴った。


 ここで一歩踏み込めば、それは“確認”ではなく“干渉”になる。

 そして、干渉は政治だ。


「……陛下」


 別の神官が、慎重に口を開く。


「我々は争いを望んでいるわけではありません。

 ただ、御子の身を案じて……」


 アーサーは一つため息をつくと、また柔らかく笑った。


「であれば、武装を解いていただけますかな?

 こちらは丸腰です。

 まずは誠意を見せるのが筋というものでしょう」



 老いた神官は、ひとまず安堵したように小さく息をついた。


「……眠ってはいるが、生きている。ひとまず、安心でしょう」


 寝台に横たわるセリウスは、前日の昼過ぎに事切れ、今はただ規則正しく呼吸を繰り返している。

 顔色も悪くない。

 まだ覚醒時間は短いが、それでも顔色は随分良くなっていた。


 医官エルネストが一歩前に出て、低く告げる。


「深く眠り込んではいますが、生命活動に問題はありません。

 衰弱も想定より軽く、傷の治癒も異常なほど早い。──奇跡でも起きぬ限り不可能だった回復です」


 その言葉に、枢機卿の眉がわずかに動いた。

 老いた神官は何も言わず、背後に控えていた騎士へと視線を送る。

 短く、しかし明確な合図。


 合図を受けた騎士が、一歩、また一歩と進み出た。


「……待ちなさい」


 エルネストが声を上げる。


「触れるなら、許可を──」


 騎士は答えない。

 寝台の脇に立ち、静かに手を伸ばす。

 そして、ためらいもなく──セリウスの胸の上に、掌を置いた。


「っ、何を……!」


 思わずエルネストが詰め寄ろうとした、その瞬間。


 騎士は微動だにせず、淡々と告げる。

 凛とした声だった。


「……力が、戻されていますね」


 室内の空気が、ぴんと張りつめた。


「戻した……?」


 問い返したのはエルネストだった。


「なぜ、それが分かるのです?」


 その問いに答えたのは、後方で静かに見ていた枢機卿だった。


「彼女もまた、ティアベアラーでして。……癒しの力を“視る”ことができるのです」


 騎士はゆっくりと視線を上げ、言葉を続けた。


「暴発した割に、微量ですが、身体に力が残存しています。もともと、かなりの容量を持つ器だったのでしょう。しかし──」


 一拍、置く。


「これは、彼自身の力とは質が異なる。一度放ったものが、還元されています」


 切れ長の瞳が、静かにアルヴェルを捉えた。


 アルヴェルは何も言わない。

 わずかに顎を引き、その視線を正面から受け止める。


 そこにあったのは、焦りでも動揺でもない。

 すでに覚悟を終えた者の、静けさだけだった。


「……なるほど」


 枢機卿が、ゆっくりと息を吐く。


「御子の力が暴発し、衰弱した。その後、王宮の中で“何者か”が、それを補った……そういうことですね」


(加護を受けた王弟が、臣下に力を戻した──。これは、どうしたものか……)


 神官たちは、深く眉を寄せる。


 その沈黙の中で、セリウスが小さく身じろぎをした。眉が寄り、喉の奥で、かすかな音が漏れる。


 ──ただ、生きてほしいと願い、触れただけだ。


 それ以上でも、それ以下でもない。

 否定されるつもりはなかった。


 アルヴェルは、一歩前に出る。


「……刺激は、そこまでにしてもらえますか」


 低く、だが揺るがぬ声。


「彼は生きている。今は、それで十分でしょう」


 枢機卿は騎士に目配せをして下がらせる。

 騎士は静かに手を引き、何事もなかったかのように、その掌を腿で拭った。

 それから枢機卿は、しばし王弟を見つめた後、にっこりと笑ってみせる。


「この件は……教皇に、ご報告申し上げます」



  高い天井。

 色褪せた聖人画の視線を一身に浴びるように、老いた神官が膝をついていた。


「……以上が、王宮で確認された事実にございます」


 報告を終えた枢機卿は、頭を垂れたまま動かない。

 しばしの沈黙ののち、玉座に腰掛けた教皇ラドクリフが、ゆっくりと息を吐いた。


「……なるほど」


 その声は穏やかで、感情の起伏を感じさせない。


「癒しの力の暴発。瀕死の王弟。

 そして――力を“戻された”御子、か」


 細い指が、玉座の肘掛けをなぞる。


「王弟アルヴェルは、否定しなかったのだな」


「……はい。弁明はなされず、ただ“刺激は控えよ”と」


「ふふ……」


 ラドクリフの口元に、薄い笑みが浮かぶ。


「実に、彼らしい」


 聖職者の誰もが知っている。

 王弟アルヴェルが、かねてよりセリウスに向けてきた異様な庇護。

 度を越えた介入。


「王弟は、情に弱い。いや──情を、美徳と履き違えている」


 声音に、かすかな苛立ちが滲む。


「だが問題は、そこではない」


 ラドクリフは視線を上げ、聖人画を仰いだ。


「御子セリウスだ」


 ぴたり、と空気が固まる。


 あの祭典のとき、“守るべき家族”と口にした少年をそばに置き、教会にも、王宮にも、完全には身を委ねなかった御子。


 ──それでも、結局は王弟を選んだ。


(やはり、何を考えているか分からん)


「力の器として生き、己の役割を理解していながら……王弟の情を拒まず、受け入れ、ついには命を握るところまで至った」


 低く、断じるように。


「利用している」


 その一言に、神官たちの喉が、かすかに鳴った。


「セリウス・モルフォンドは、裁かれねばならない」


 誰も、もはや言葉を発さない。


 ラドクリフは一度、ふっと表情を緩ませて続けた。


「そうだな……弁明があるなら、一応は聞こう。神は、沈黙する者よりも、語る者を好まれる」


 そして、何気ない調子で告げる。


「王弟アルヴェルを参らせよ。さもなくば──穢れし御子に、裁きを下す」


 あの愚かなほど真面目で、情熱家な男が、何を言うのか。

 少しだけ、興味がある。


 どうせ──

 “神の名のもとに行われる裁き”は、常に正しいのだから。

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