↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神の国 1  作者: 大福駒子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/80

春休み(2)


 エミリアの乗ってきた馬車に、ローワンも同乗することになった。

 揺れる馬車の中、エミリアは足をぶらぶらと揺らしながら、なんでもないことのように言う。


「私も今日からまたお世話になるのよ。今日は到着予定より少し早くて。だからお兄さまの新居に寄った、ってわけ」


「あ、そうだったんだ……」


 事情を聞いてようやく納得しつつも、ローワンの眉間にはまだ小さな皺が残る。


「でも、じゃあその……僕まで急に伺ったら、侯爵様も困るんじゃないかな?

 ほら、失礼に当たったら……」


 申し訳なさ、というより“礼を欠くのでは”という心配の方が濃い。

 モルフォンド侯爵家と聞くだけで、ローワンにとっては胃の痛むほど遠い世界の話だ。


 そんな心配をよそに、エミリアはぱっと笑顔になり、手首をひらひらと振った。


「大丈夫よ。おじさまは怖い人じゃないわ。気にしなくていいの」


 その明るさは、まるで雲間からさっと日が差し込むみたいで、強い。

 けれど──ローワンにとってはその“気にしなくていい”が一番気休めに聞こえるのだった。


「ほ、ほんとに……?」


「ほんとほんと。ね?」


 エミリアの自信満々の笑みに、ローワンは“覚悟を決めるしかない”と小さく息を吸う。


 馬車はそのまま、モルフォンド侯爵家へと向かっていった。


 王都の中心部でもひときわ静かな通りへと馬車が入ると、景色がぐっと落ち着いたものへ変わった。高い塀に囲まれた壮麗な屋敷が見えてくる。門扉にはモルフォンド家の紋章──二輪の白百合が絡む意匠が金細工で埋め込まれ、陽光を反射して淡く輝いていた。


「着いたわ」

エミリアは軽い調子で言ったが、邸宅そのものが放つ重厚さに、ローワンは自然と背筋が伸びた。


 門番の兵が馬車の窓からエミリアを確認すると、すぐに丁寧な礼をして門を開く。道は白い石畳で広く取られ、両脇には常緑樹が規律正しく植えられている。奥の方へ目をやると、中庭を囲むように翼廊が伸び、中央には噴水が白く水を跳ね上げていた。


「本当に……こんな所へ来てしまって大丈夫なんだろうか……」

ローワンの胸が小さくざわつく。


 やがて馬車は玄関前の半円形の石畳に停まり、従僕たちが静かに並んで出迎えた。年季を感じさせる黒の燕尾服に、きっちりと磨かれた靴。どの動きも淀みなく洗練されている。


 ローワンが緊張で動けずにいると、エミリアがくすりと笑い、手招きした。

「大丈夫よ。行きましょう」


 玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 高い天井に吊られたクリスタルのシャンデリアが、午後の日差しを受けて虹色の光を床に散らしている。壁面には古い戦場画や地方の地図、そして歴代当主の肖像が整然と飾られていた。


 ローワンは緊張して背筋を伸ばす。

 エミリアが「大丈夫よ」と笑ったが、さすがに心臓は落ち着かない。


「叔父様は?」


「応接室にてお待ちでございます」


 そう言われて案内された先、重厚な両開きの扉が静かに開く。


 部屋の奥、陽の差す窓辺に──その人は立っていた。


 黒に近い濃い茶の髪を後ろへ撫でつけ、眼差しは鋭く、それでいて落ち着いた深さを帯びている。

 シャルルの柔らかな微笑みとは対照的な、年輪を刻んだ威厳。

 しかし、頬と口元にどこか似た影がある。


「お帰り、エミリア」


 低く、よく通る声だった。

 エミリアの顔が一瞬ほころぶ。


「叔父様、ただいま戻りました。それとさっきまでお兄さまのところに寄っていましたのよ。こちら──ローワン・ランドフォード君です」


 紹介されてローワンが慌てて礼をとると、ベルトラン侯爵はゆるやかに視線を向けた。


 ベルトラン・モルフォンド侯爵。


「よく来たね。甥が世話になっているようだ」


 声は低く、重みがある。

 ローワンは慌てて頭を下げた。


「ローワン・ランドフォード、と言ったか」

「は、はい。突然伺ってしまい……大変失礼いたします」


「いや。構わんよ」


 ベルトランはわずかに口元を緩めた。

「エミリアが客を連れて帰るのは珍しい。──歓迎しよう」


 その柔らぎ方すら、渋くて絵になる。


 ローワンは、シャルルのあの陽だまりのような柔らかさとは違う、もう一つの“モルフォンド家の顔”を前に、どう返礼すべきか一瞬迷ったが──


 エミリアがちらりとこちらを振り向き、小さく頷いて、それからにこりと笑って本題を切り出した。


「叔父様、実は彼に見せたいものがあって、お部屋に連れて行っても構わない?」


 ベルトランは少し目を細めて、ローワンを観察するように見た。


「……セルの部屋か」


 “セル”──前王妃セリーヌの愛称だろうか。

 その響きにローワンは無意識に背を伸ばした。


「よかろう。案内してやりなさい」


 エミリアが嬉しそうに頷き、ローワンの手を軽く取って廊下へと導く。


 廊下は静まり返り、絨毯は足音を吸い込むように柔らかい。

 壁には季節の花を描いた細密画が並び、陽光の入り方までも計算されているかのようだった。


「この部屋なの」


 エミリアが開けた扉の向こうに広がったのは、淡い水色と白で統一された明るい部屋だった。

 天蓋付きのベッド、窓際には小さな書き物机。

 少女らしい可憐さがありながら、どこか気品のある空気が残っている。


「ええと…見つけたのは、…こっち」


 エミリアはクローゼットを開く。

 中はほとんど何もない。子ども時代の家具や玩具は処分されたのだろう。

 ただ、その奥──小さな木箱がひとつだけ残されている。


「これよ」


 箱を開けると、古ぼけた手帳、縫いかけたままの刺繍、それから柔らかい白布の包。

 その中に、小さなチャームが入っていた。


 ──ペリドットの石。

 ルナの首輪に付いていたものと、まったく同じ。

 ブルーのリボンまでそっくりだった。


 ローワンは息を呑んだ。


「本当に……同じだ」


「でしょ?最初見たときは、ただの小物だと思っていたの。でも……」


 エミリアはルナのチャームと見比べるようにして囁く。


「どうして、ここにあるのかしらね」


 その声は、好奇心だけではない。

 言葉の奥に、何か──言葉にできない不穏なものが潜む。


 母リディアと、前王妃セリーヌ。


 自分の知らないところで、何かが繋がっていたのだろうか。


  「ランドフォード男爵様はセリーヌ様の母君の遠縁よね?」

うーんと唸ってからエミリアが言った。

「元々はランドフォード家のものなのかしら。……例えば花嫁に持たせるとかね」


「なるほど……」


ローワンも思わず頷く。

 そう考えれば、母リディアが男爵から授かったのだとしても不思議ではない。

 “同じ物がふたつある”という事実には説明がつく。

 エミリアはそっと、二つのチャームをローワンの手のひらへ乗せた。


「見てみて。細工はほとんど同じでしょう?」


 ローワンはあらためて目を凝らす。

 こんなにまじまじとルナの首飾りを眺めたことはなかった。金具の重みが意外にしっかりしていて、思わずリボンを握り直す。


 ──そのとき、ふと指先に違和感が走った。


(……あれ?)


二重に折り返されている布の内側に、わずかな膨らみ。


 リボンをそっとほどいて広げると――


「ローワン? どうしたの?」


 エミリアの声も耳に届かない。

 視線は、布地の奥から現れた小さな金属片に釘付けになっていた。


「……これ」


 かすれた声で呟く。


 エミリアが覗き込み、目を丸くした。


「うちの……家紋ね」


 二輪の百合が細やかに彫り込まれた小さなメタルタグ。

 それは、この部屋のクローゼットで見つかったチャームにも、まったく同じように縫い付けられていた。


 ローワンは息を呑む。


「ランドフォードのものじゃ……ない?」


エミリアは眉根を寄せ、タグをそっと指でなぞった。


「少なくとも、“これはモルフォンドの印よ”。

──じゃあどうして、あなたの家の猫の首輪に?」


 ふたりのあいだに、静かな緊張が落ちた。

 偶然では済まない“線”が、音もなくつながり始めた気がして──ローワンの心臓がゆっくりと脈打った。



 どれほど夢中になっていたのだろう。

 気づけば、静かな部屋に「こんこん」と控えめなノックが響いた。


 二人は同時に顔を上げ、まるで見つかった子猫のようにびくりと肩を跳ねさせる。

 エミリアは瞬時に状況を理解し、そっと後ろ手でローワンへチャームを押し戻した。


「いいわよー」

 平然とした声で扉の向こうへ返すその余裕が、逆にローワンには眩しい。


 ゆっくり扉が開いて、姿を見せたのは屋敷付きの女中だった。

 まず室内を一瞥し、二人の間にしっかり“健全な空間”があるのを確認すると──

 あきらかに安堵の息が漏れた。


「……あの、旦那さまがお茶でもいかがかと……」


 その“ほっ”の表情を真正面から見てしまい、ローワンは一瞬で察する。


(あ、そうか……僕ら、そういう年頃の男女って扱いになるのか……)


 途端に顔の温度が上がり、なんとも言えない気まずさが背中を走った。


 一方のエミリアはというと、悪びれる様子もなくにこり。


「ありがとう。すぐ行くわ」


 ふんわり笑う彼女に、女中は深く礼をして去っていく。


 扉が閉まった瞬間、ローワンはひそかに胸を押さえた。

 緊張とは違う、別種のどきどきが遅れてやって来たのだった。



 二人が応接室へ戻ると、そこには妙にきちんと座って待つベルトラン侯爵の姿があった。


 先ほどと同じ、落ち着き払った雰囲気──の、はずなのだが。


 なぜか片手のカップがわずかに揺れ、湯気がふわりとさざめいている。

 表情は完全に平静そのもの。

 だというのに、膝の上で指がそっと組み替わった。


「おかえり。随分ゆっくりしていたようだね」


 声だけはやけに涼しい。

 しかし、椅子の背にもたれた肩はごく僅かに硬かった。


「ええ、叔父様。ちょっと探し物をしていたのよ」


 エミリアが何でもない風に答えると、ベルトラン侯爵は「そうか」と頷きつつ、ローワンの方へちらりと視線を向けた。


 その一瞬だけ、

──“本当に、何もなかったのだな?”

と言いたげな空気がふわりと漂い、ローワンは思わず姿勢を正す。


(そうだよね、普通は気にするよね……)


 彼の心のつぶやきなど当然知るはずもなく、侯爵はさも気にしていませんよと言わんばかりの穏やかな微笑みに戻る。

 けれど、湯気の揺れはさきほどよりもう少し強くなっていた。


「──お茶を淹れ直させている。すぐに来るよ。

 どうぞ、座ってくれたまえ」


 その声音の丁寧さが、逆にどこか落ち着かなさを際立たせる。


 エミリアは隣で、くすっと上品に笑った。

 ローワンはそれを聞きながら、自分までなぜか胸のあたりがそわそわするのを抑えきれなかった。


 ローワンとエミリアが紅茶を受け取ると、取侯爵はさりげなく話題を切り替えるように問いかけた。


「そういえば、セリウスの様子はどうだ?」


「元気にしております。」 

 ローワンはすぐに答えた。

 返事をする時、自然と背筋が伸びるのは、セリウスを思う気持ちが言葉より先に表に出るせいか。


「王都に戻って以降とても忙しくされてますが、それでも変わらず僕を気にかけてくれます。……僕にとって、本当に尊敬できる方なんです」


 語りながら、自分の声が柔らかくなるのをローワンは自覚していた。

 だが止まらない。セリウスの名を出されると、どうしても胸の奥が熱くなる。


 ベルトラン侯爵はそんなローワンの話を、静かに、しみじみと聞いていた。

 そして、ローワンが言い終える頃──ふ、と表情を緩める。


「……そうか。元気で、そうして慕われているのなら、それで良い」


 その言葉は、想像以上に親しみのある響きで、ローワンはようやく心底ほっとした。

 許されている──そんな安心がじんわりと灯る。

 ちらと横を見れば、隣でエミリアも侯爵と同じ顔をしていた。


 その空気の温かさに後押しされ、思い切って口を開く。


「あの……よろしければ、伺ってもいいでしょうか」

「うん?」


「セリウス様は、子どもの頃……どんな方だったのですか?」


 侯爵は一度眉を上げ、少しだけ考え込むように沈黙した。

 けれど、「まあ、いずれ君の耳にも入る話だろうしな」と苦笑し、肩をすくめる。


「変に脚色された話を聞かされるより、私が話したほうがいいかもしれん」


 そう言って、テーブルの紅茶を一口。

 その仕草にも僅かな“覚悟”がにじむ。


「──あれは、幼い頃のセリウスの話だが……」


 語り始める侯爵の声は、先ほどまでのぎこちないそれとは違う。


 ローワンも、エミリアも息を呑む。

 胸の奥で、ゆっくりと物語が動き出す気がした。



 あれは、一人娘セリーヌが先代王に嫁いで六、七年ほど経った頃のことだった。


 その日の朝はまだ薄暗く、屋敷の厩舎には馬たちの息づかいだけが静かに漂っていた。

 そこで──厩番が見つけたのだ。

 生まれて間もない、雪のように白い赤ん坊を。


 当時、国は大水に襲われて間もない。

 西方諸侯の領地も、王都も、そしてモルフォンド領の北部も、軒並み被害を受けていた。

 家々や穀倉は流され、人々は飢え、神にすがるように祈っていた。


 そんな最中に拾われたその赤子は、青白い光をうっすらとまとい、玉のように愛らしかった。

 見ればわかる──“癒しの力”を持つ御子だ、と。


 しかし、同時に誰もが思った。

 もし噂が立てば、災厄の責任までこの子に押しつける者が出るのではないか、と。


 ベルトラン自身もまた、その頃、長男を亡くしたばかりだった。

 領民思いの優しい息子だった。最後まで、領民をこの地を救おうとしていた。

 胸の傷がまだ塞がらず、拾われた御子の存在は奇跡のようで、同時にあまりにも脆かった。


 兄妹たちとも話し合った末、彼はその子を教会へ預けることにした。

 神に仕える一族であるモルフォンド家は、代々教会との結びつきが強い。

 “教会ならば必ず守ってくれる”──誰もがそう信じた。


気づけば、大水の年から四年が過ぎていた。


 弟のシャルルは、幼馴染の妻と結婚して五年になろうとしていたが、まだ子には恵まれていなかった。

 シャルルとヘレーネ、仲睦まじい二人は教会に祈りに通うのが、いつしか日課となっていた。


 そして──その祈りの場で、二人は再び出会うことになる。

 かつて厩のそばに捨てられていた、あの白い赤ん坊と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。