顔
サンルームの中は、外よりも少し涼しい。外壁に這い渡るアイビーのお陰か、風が通る造りになっているからか。
硝子越しの陽光が、床の敷石を柔らかく照している。
「ちょうど、手伝ってもらいたいことがあるんだ」
セリウスは、淡々と、けれどどこか楽しげな口調で言った。
彼の足元にはジャガイモが入った籐籠、その横に浅い木箱がいくつも積み重なって置かれている。
「ジャガイモ……?」
「そう。でもこれは食べるのではなく、次の収穫の種になる芋なんだ」
セリウスは芋をひとつ取り出すとローワンの手にそっと置く。
ころりと小ぶりのそれから、可愛らしいツノが二つ生えている。
「このまま土に植えるの?」
「まだ早い。もう少し、陽に慣らさなければ。どうだろう、手伝ってくれるかい」
ローワンにとっても、ただの好奇心だけで付きまとうにはちょうどいい理由になる。
それを知ってか知らずか、願ってもない提案に、もちろん少年は肯首した。
「種芋は、一度ああして光に当てて芽を育てておくんだ。そうすると土に入れたときに強くなる」
そう言って、すでに木箱に並べられ日向に出されたジャガイモを指差した。
「すまないがローワン、君はこの箱を日向に持って行ってくれないか?」
先ほどまでセリウスが作業していたものだろう木箱を、ローワンは両手で箱を抱えてみる。
思ったより重い。
ひとつひとつは小さいが、まだ採れたばかりで瑞々しいのだから当然だ。
落とさぬようにもう一度持ち直そうとするローワンを見るや「すまない」と男は苦笑し、「重たいだろう、引きずってくれて構わない」と扉を開放しに行った。
音を立てて扉が開くと、青白い空間に強い光が伸びてくる。
彼はわずかに眉を寄せたが、すぐになんでもないように作業に戻った。
(……やっぱり、日差しに弱いんだ)
それなら、と少年は意気込んだ。
昼下がりの庭は少し蒸し暑い。太陽はあの日から幾らか強さを増したようだった。
箱を並べ終えると、再び部屋には静けさが落ちた。
土の中から出てきて、ゆっくりと伸びをする小さな命。少年は手の中のそれをまじまじと見ている。
「……なんだか、人みたいだな」
ピンク色の小さな芽に触れながらおもむろにそう言った少年の台詞に、セリウスは声に出さず笑った。
「ずっと土の中で眠っていたいだろうが……実を結ぶためには力を蓄えねばならない」
ローワンの手の中のそれに、つつ…と指を這わせて彼は話しかける。言葉は芋に向けられていたけれど、ローワンの胸にもすっと溶けていく。
「うん」と小さく返した。
庭には、虫の声さえまだ早い。
聞こえるのは、風が草を撫でる音だけ。
セリウスはカーテンを引くとローワンの隣に腰をおろした。
開け放たれた窓から、初夏の風がカーテンをふくらませる。
「ここは、夏になると風がよく通るんだ」
セリウスが目を細める。
「気持ちいい、なんだか眠くなりそう…」
ローワンがあくびをすると、セリウスもひとつあくびを返した。
それが妙に可笑しくて、けれど言葉にはしなかった。
「さあ、少し休憩だ」
肩に触れられた手は、母の手とは違う。なのに不思議なほどローワンは安らいだ心地になっていた。
程なく、廊下から軽やかな足音が近づいてきた。
淡い色のポットと涼しげなガラスの杯を載せた盆を、シンディが両手で抱えている。
「失礼致します。冷たいお茶を淹れました。さあ、休憩して下さいね」
テーブルの上に置かれた杯には、薄く曇る水滴。
ミントと柑橘をほんの少しだけ移したような、涼しい香りがふわりと立つ。
「ありがとう、シンディ」
「いただきます」
ローワンが杯を口に運ぶと、喉を通っていく冷たさが、体の内側までゆっくりと落ちていく。
鼻を抜けるミントの香りが眠気を攫った。
シンディは、すぐに空いたローワンのカップに2杯目を注ぎながら言った。
「セリウス様がこんなに気にかけるなんて、珍しいのよ」
嬉しそうに弾むシンディの言葉にローワンの心が和んだ。
「実はね、これまでもときどき、麓の子たちがこっそり覗きに来ることがあったのよ。みんな林の中にあるこの庭が気になるのね」
たしかに、とローワンも頷く。
あの日ルナを追いかけて来なければ、今頃まだ知らぬまま、部屋で変わらぬ午後を過ごしていただろう。
「初めは怪我を気にしていらっしゃるのかと思っていたけれど、とても気が合うのですね」
そう言ってポットを片手に彼女は伺うように主人に微笑み掛けた。
セリウスはカップに口をつけたまま穏やかに肯首する。
麗しい主人のその仕草に嬉々とした様子のシンディは、きらきらとした目のままローワンとアイコンタクトをする。
と、次の瞬間には「あっ!」と目を瞬いた。
「あの方に似ているんだわ!」
誰に?とローワンが口を開きかけたとき、
「シンディ!」
控えめではあるが、よく通る声だった。
茶菓子を載せた盆を抱えた年配の女中がサンルームへとゆっくり入ってくる。
「お客様の前ですよ。あなた、分かってらして?」
柔らかい声色だが、ピシリとシンディの背筋が伸びる。
どうやらこのシンディは、いつもこんな調子なのだろう。
コロコロと変わるシンディの表情は見ていて飽きないが、従者としてはまだ覚束ない。
「申し訳ございません」
深々と頭を下げる二人に、ローワンの向かい側に腰掛けていたセリウスが口を開く。
「ナディア、良いんだよ。シンディも…ほら、頭を上げなさい」
少し困った様に眉を下げ、彼女らを気遣った。
(……あれ?)
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ、透き通る空色の瞳に影が差した気がした。
けれど、僅かな違和感を手繰るようにセリウスを見つめても、既にいつもの彼である。
「どうした…?さあ、遠慮せずにお食べ」
彼に勧められるまま、青白色の皿に並べられた焼き菓子を手に取る。
小ぶりの花形をしたそれは一口噛むとサクッと小気味のいい音を立てた。
さっぱりとした素朴な甘さが、今の季節にちょうど良い。
ちら、と視線を上げると、セリウスは窓の外を見つめていた。
「僕…誰かに似ているのですか?」
聞くべきか迷ったが、ローワンは尋ねた。
年相応のあどけなさを顔面に貼り付けて。
セリウスが小さく息を詰めた、気がした。
「確かに…昔馴染みに似ているかも知れないな」
可笑しい、とでもいうようにセリウスはふっと笑った。
少し眉根を下げて。
その瞳が——泣いているみたいに青かった。




