凱旋
王宮会議室には、すでに諸侯たちが揃っていた。
アルヴェルの従者ノエルドは本日の主賓を案内しながら、耳に入ってくる囁きを静かにやり過ごす。
白い髪、白い肌──「白い悪魔」。
それでもなお“女神の御子”として祭り上げられもする矛盾。
(この方の“人気”は……良くも悪くも、落ちるどころか磨耗もせぬらしい)
ノエルドは視線を正面に保ちながら、ちらりとセリウスの横顔を窺った。
かつては、こういう場を避けるように身を縮めていた人だ。
それでも今、この場に自ら歩いて来ている。
(……変わられたな)
その変化の理由を、ノエルドはすぐに思い当ててしまう。
表には出さないが、ほの白い炎のような意志──
あれは“自分のための意地”ではなく、“守りたいもののための意地”だ。
セリウスはそれらの視線を、凪いだ水面のように受け流して席に着く。
やがて、王アーサーと王弟アルヴェルが入室し、空気が一変した。
アーサーは若き王らしい落ち着いた明朗さで、政策概要を諸侯へと説明する。
二十数年前の大水──
土地の復興はとうに終わっていた。しかし市井の暮らしは、元通りにはいかなかった。
家を失い、財産も奪われた人々は、都市へ身を寄せ、日雇いを求め、身売りの影に怯える。
領地の貧富の差は以前より大きく、富める者は城や館に囲まれ、飢えや寒さに震える者とは明確な境界線が引かれていた。
共助の仕組みも十分ではなく、救いにありつけず彷徨う者たちがいた。
浮浪者、孤児、人買いの影──三十年近く経っても、あの大水の痕は、人々の暮らしと心に深く刻まれている。
(見て見ぬふりは、もうできない)
前王の崩御後、若きアーサーは焦りを隠して政務を進めてきた。
そんな中で、セリウスが申し出た「子どもの保護と再雇用制度の実験運用」は、願ってもない支えだったのだ。
説明を引き継いだセリウスは、ランドフォード領での取り組みを簡潔に述べる。
成果、問題点、改善の方向性。
ひとつひとつが、丁寧で、的確で、無駄がない。
彼の外見でしか判断してこなかった諸侯たちの目の色が、みるみる変わっていく。
その様子を末席から眺めながら、ノエルドは静かに息を吐いた。
──この場に、こんな日が来るとはな。
王アーサーが誇らしげに頷き、アルヴェルは眉間に皺を寄せ、どこか“自分のことのように満足げ”で。
幼い頃から彼らを見守ってきたノエルドには、その違いがよく分かった。
思わず緩みそうになった口元を、咳払いで誤魔化した。
視線をセリウスへと戻す。
凛とした声で説明を続ける白い青年。
その所作ひとつ、言葉の選び方ひとつが、ここにいる誰より丁寧で、静かで、それでいて確かな重みを持っていた。
だが、ノエルドの脳裏にはどうしても“昔の姿”が重なってしまう。
──白い、あまりに白い子どもだった。
王宮の中庭に差す陽光さえ跳ね返すほどの髪。
硝子の瞳は怯えに濡れて、細い手はぎゅっと養父シャルルの袖を握りしめていた。
(あの時……本当に、鳥の雛みたいだった)
あまりに頼りなくて、一歩踏み出せば風にさらわれてしまいそうで。
それでも、初めて顔を上げた瞬間のことは、今でも忘れられない。
「ねえ、君!」
小さなアルヴェルが、真っ先に駆け寄った。
周囲の誰よりも、王族らしからぬ勢いで。
シャルルの背に隠れる白い子の手を掴んだかと思うと、無邪気に笑って言った。
『ぼくが、守ってあげるね。ずっとだよ!』
セリウスはびくりと肩を震わせたまま、俯いて黙っていた。
誰もが“泣き出すかな”“逃げるかな”と息を呑んだ、その次の瞬間──
『……ほんと?』
震えた声。
それに力強く頷いてみせたアルヴェル。
その一瞬を──
ノエルドはずっと忘れられずにいる。
(……あれから、何年経った?)
けれど今、かつて柔らかく折れそうだった少年は、いまや注がれる視線を正面から受け止め、議場の空気を変えている。
(強くなられましたね、セリウス……)
ほんの僅か、ノエルドの唇が綻んだ。
守るべき御子。
そして誰よりも傷つきやすい青年。
その成長を見届けられる事実に、ノエルドはひっそりと胸を熱くしていた。
*
アーサーは卓上の文書に軽く目を落とし、静かに告げた。
「……以上だ。
セリウスの報告にあった通り、とくに北方辺境では十分な人手が確保でき、施策の試験運用には最適だろう。国としてもこれを後押しする。再雇用の枠は子どもに限らず、寡婦など支援を必要とする者にも広げる」
そこで、一拍。
王の声にわずかに硬さが混じった。
「加えて──
昨年の“奴隷輸出”に関わった者についてはすでに周知の通りだが、土地と従者に関しては捨て置かぬ。
こちらも復興のための労働と再雇用の場として活用する方向で進めたい。
──皆、この方針で異論は?」
重い沈黙ののち、諸侯たちは次々と肯定の声を上げた。
それを区切りに、会議は解散となった。
椅子が引かれ、衣擦れの音が広がる。
その中心でセリウスは、そっと息を吐いた。
(……やっと、終わった)
安堵というより、胸の奥の緊張が静かにほどけていく感覚に近い。
成功した、と断じるにはまだ早い。
それでも──今日の議論が、子どもたちの未来を広げる一歩になったのなら。
出口の方から視線を感じて顔を上げると、ノエルドが控えめに会釈していた。
その表情は、普段の無骨な従者のものではない。
どこか、誇らしさを滲ませているようにも見える。
次いで、アルヴェル。
幼い頃、“守ってあげるね”と手を握ってきた少年は、今や堂々と一国の王弟の顔つきをしている。
胸の奥が、ゆっくり温かくなる。
場の熱気が引いてゆく中で、セリウスだけがひっそりと呼吸を整える。
その燃える茜色に見つめられても、堂々としていられる自分でありたい。
そんな小さな願いを抱えたまま、セリウスは会議室を後にした。
胸の奥にまだ残っていた張りつめた糸をほぐすように、彼はそのまま王宮の坪庭へ足を向けた。
石畳の向こう、春の陽に照らされた若芽が、まるで「ほら、深呼吸して」と勧めるように揺れている。
欄干に手を添えて、やっと肩の力を抜く。
気晴らしに植物の下葉を間引いて風の通り道を作っていると、呼吸も深くなってくるのが分かった。
(あんなの植えたかな……)
窮屈そうに葉を押しのけ合うリナリアの株を一つ避けてやる。
溢れ種で増えるのでこのぐらいは空けておいたほうがよさそうだ、などと集中していると心が楽になっていく。
土と香草の香りがいつもの自分を思い出させてくれるようだった。
イシュマエルの言葉がふと甦る。
(……そうだ、ついでに医局に行ってみるのもいいかもしれない)
問題は従者だった。
今日はあの夜の反省もあり、きちんと従者を伴って登城したが──自由にして良いとは伝えたものの、会議も長引いた。
その上、土いじりをして更に放置を続けている。
そろそろ入口あたりで待っている頃だろうか、と考えると、好き勝手に歩き回っている自分に急に気まずさが込み上げる。
医局へ向かって伸びた渡り廊下の途中で、セリウスは足を止め、来た道へ戻ろうと身体の向きを変えた。
その瞬間、前方から見知った影がすっと現れる。
「おや、セリウス殿ではありませんか。……ダンスの練習中、というわけではない?」
不意打ちの一言に、セリウスは肩を跳ねさせた。
「ち、違います! いえ、その……違いますけれど……」
狼狽える様子に、ヘリオスはどこか満足げに目を細める。
「お一人で?」
「ええ……従者を待たせていたことを思い出して、戻ろうかと……」
「ああ、それで」と、ヘリオスは顎を軽く撫でた。
すぐに事情を理解したらしい。
「私はこれを置いたらすぐ戻るところですし、あなたの従者に“もうしばしお待ちを”と伝えておきましょうか」
手にしていた書類束をぱさりと掲げて見せる。
「い、いえ!そこまでしていただくわけには──」
「いえいえ、どうぞお気になさらず」
押しが強いというより、押し勝ちにくる笑顔だ、とセリウスは内心で苦笑した。
一方、ヘリオスはというと、表に出さないまま、胸の底で静かに息をつく。
ようやく王弟殿下の忠告を受け入れてくれたか──そんな安堵が彼の声音に自然と滲んでいた。
歩き出したヘリオスはふと何か思い出したようにくるりとターンし、後ろ歩きしながら話し掛ける。
「──ああ、そういえば。あなたが推薦していた子、…ダンテ・イリサールでしたっけ?なかなか面白いじゃありませんか。」
朗らかに笑い、軽く手を振る。その声音は軽いのに、興味を隠しきれていない。
セリウスはわずかに目を見張った。
「もう……ご覧になったのですか?」
「ええ。細かな結果が出るのはまだ数日先ですがね。試験官の間でちょっとした話題になっていましたよ。」
楽しそうに言い残し、ヘリオスは柔らかく肩をすくめると、また歩き出した。
*
医局の戸をそっと押すと、薬草の乾いた香りと湯気の立つ茶の匂いが混ざり合う。
一番奥、窓辺の定位置に腰掛けた老人が湯飲みを傾けていた。白髪はふわりと広がり、眼鏡の奥の瞳は鋭く、それでいてどこか子どものように好奇心に満ちている。
その老人──エルネストが、セリウスの姿を認めた瞬間、湯飲みを危うく落としそうな勢いで立ち上がった。
「おおおおお……!セリィー!生きて戻ってきたか…!ああ、見んうちにまた細くなって……!」
慌ただしくこちらへ駆け寄る老人に、周囲の若い助手たちが目を丸くし、手を止める。
医局の大権威・エルネストがこれほど動揺するなど、まず見られないのだ。
「エ、エルネスト先生、落ち着いてください。ほら、心臓に負担がかかりますから……ね」
セリウスは少し慌てながらも微笑み、早足で近づいて彼の肘をそっと支え、席へと戻す。
エルネストは座らされながらも、孫を久々に見た祖父そのものの顔でセリウスの肩をぽんぽんと叩き続けている。
セリウスはエルネストに席へ戻るよう促したあと、医局全体へ向き直った。
「昨年の件では、私の身勝手な行動によって医局にも多大なご迷惑をおかけしました。本当に……申し訳ありません」
深々と頭を下げるその姿に、若手も古株も同じように顔を綻ばせる。
「セリウスさんが無事ならそれでいいんですよ」
「あれはとんだ災難でしたね」
「もともと大して忙しくない、気にするな」
口々に労いが返ってくる。思っていたよりも温かな反応に、彼はそっと息を吐いた。
ひょいと手を挙げたのは、同僚のラシードだった。
「イシュマエルにはもう会いましたか?」
「ええ、先日すぐそこで」
すると医局に「あぁ〜」と何とも言えないため息と苦笑が広がる。
「だってあのときのイシュマエルと言ったら、まるで鬼火にでも取り憑かれたみたいで」
「セリウスさんの名前を聞くだけで目つきが変わるんだもの」
「正気じゃなかったよなぁ」
皆の苦笑混じりの回想に、セリウスも苦笑する。
懐かれていた後輩だから、あの混乱は当然かもしれない──彼はそう解釈した。
しかし。
エルネストだけは、ゆっくりと視線を伏せた。
イシュマエルの眼に宿っていたもの──あれは“慕情”では片付かない、別の色に思えた。
だが、その表情はわずかな間ののち、いつもの柔らかい笑みに戻っていた。
「まあいいさ。戻って来てくれただけで、十分だよ、セリィ」
セリウスは穏やかに微笑み、ふと医局を一望するように視線を巡らせる。
「そういえば……イシュマエルは今日は見えませんね」
「ああ、今日は非番だよ」
「実家に帰ってたんじゃなかったっけ?」
「どこだっけな、あの子の家……」
「ルーカス領だよ。王都の北側の」
助手たちの声が軽く弾んだ。
なんてことのない、昔と変わらない医局の雑談。
そのざわめきが、こわばっていたセリウスの胸をゆっくりとほぐしていく。
と──エルネストがふいに、何か思い出したように手を打った。
「そうだ、セリィよ。弟子をとったんだって?」
「そんな、滅相もない」
セリウスは少し慌てたように首を振る。
「お世話になったランドフォード領主様の若君ですよ。王立大学校に進まれるので、私はその保護者代理をしているようなものです」
「ほほう、そっちの方がよほど大ごとだなあ」
エルネストが愉快そうに笑う。
「ええ!意外……子ども苦手そうなのに」
「ていうか人間全般無理だと思ってたんですけど……」
「なんか、思っていたより気さくなんですね、先生って」
若手のひそひそ声が漏れる。
すると斜め向かいで書類をめくっていたラシードが、ため息まじりに肩を竦めた。
「お前らが知らないだけだろ。セリウス先生はずっとこうだよ」
笑いが小さな波のように広がる。
その何気ない空気に、セリウスはそっとまぶたを伏せた。
(……ああ、やっぱりここは変わっていない)
小さく息をつき顔を上げたその横で、
エルネストだけが笑みの奥に別の思いを深く隠していた。




