【Side-story】少年たち
王都に到着して、二日目の朝。
ローワンは眠い目を擦りながら起き上がる。
既に外は明るく、隣のベッドにダンテの姿はなかった。
足元でルナが大きなあくびをしていた。
男爵は「ついて来てしまったものは仕方ないね」と、ルナもそのままこの屋敷に入れることを許可してくれた。
(まさか、あんなにお爺さんだったとは…)
ただの勘違いに過ぎなかったんだな、という安堵と共に、ローワンは顔も知らなかった男爵と母との関係を少しでも疑っていた自分を恥じた。
だが、それよりも昨日の男爵の言葉が心に引っかかっていた。
ほんの一瞬だけ、あの老人の眼差しが“知っている”ように見えたのだ。
その感覚がまだ胸に残っている。
(赤ん坊の頃…か。ここで、生まれたのかな、僕)
腕を袖に通しながら部屋を見渡してみる。
見覚えはない。当たり前か。そんなことを思いながら食堂へ向かった。
「おはよう。昨日は休めたかい」
朝が苦手なセリウスが今日は自分より早く食事を済ませている。本を読みながら食後のティータイムといったところか。
サーブされた朝食を口に運びながらローワンはちらりとセリウスを覗き見るが、彼はいつもと変わらない。
穏やかで、落ち着いていて、どこか安心させてくれる雰囲気のまま。
──けれど。
昨夜、彼を送り届けに現れたあの人物。
馬車の明かりに照らされていた横顔。
どこか高貴な空気をまとったような、あの佇まい。
(あれが……エミリアが言っていた王弟殿下、だよな。たぶん)
そう考えた瞬間、胸がひやりとする。
(じゃあ、セリウス様って……ひょっとして僕が思っていたより、ずっと“上の人”なのでは?)
思い返すほど、昨日までの距離感が急にあやふやに揺らぐ。
でも──そこから先の考えが、自然と奥へ引っ込む。
知ろうとすれば、きっと分かることはいくらでもある。
でも、踏み込んではいけないような気がした。
大切なものほど、知らないふりをして守ってしまう癖が、また顔を出す。
(……そういえば、僕は自分のことだってよく分かっていないのに)
セリウスの背景も、自分の出自も。
どちらも霧の向こうにあるのに、なぜか“触れないほうがいい”と手が止まってしまう。
(僕……そういうところ、あるな)
知りたいのに、踏み込めない。
相手が大事な人であればあるほど、
“それ以上は聞いちゃいけない”って心が勝手にブレーキをかける。
そのくせ、好奇心はとっくに扉の前まで走ってきているのに。
ローワンはパンをひと口齧った。
香ばしさが広がるのに、胸の奥だけは何となく落ち着かない。
目の前で穏やかにカップを置くセリウスの横顔が、いつもよりほんの少しだけ遠く感じられた。
朝の光が中庭に落ちている。
朝食を済ませたローワンは、少し離れた木陰からダンテの稽古を眺めていた。
剣の軌跡が空を切るたび、ローワンの胸の中のざわつきがまた波紋のように広がる。
(知りたい。ちゃんと知りたい……はずなのに)
ランドフォード領を離れてから、胸の奥に小さな棘が刺さったままだ。
「何がどう変わっても、僕は僕だ」と思えたはずなのに、心の奥底ではまだ“触れたら壊れるかもしれない何か”を庇っている気がした。
(結局……僕は何も踏み出してないのかな)
そんなことを考えていた時、稽古を終えたダンテが汗をぬぐいながら近づいてきた。
「お前、また変な顔してるな」
軽口を叩きながら、ローワンの横に腰を下ろす。
「男爵のことなんだけどさ」
ダンテは肩を回しつつ、ぽつりと言った。
「……町の大人たちがいろいろ言ってただろ?実は俺も、ちょっとだけそう思ってた時期があったんだよ」
ローワンが目を丸くすると、ダンテはあっさり続ける。
「でもさ、あの爺さん見たら思ったわ。全然違うなって。それにさ──お前の母さんって、誰にも頼らずにやっていけそうだしな」
笑い混じりの声に、ローワンは肩の力が抜けた。
だがダンテは、急に真面目な顔になって、前を向いた。
「……でもな、ローワン。
お前さ、まだ壁つくってるだろ?」
「え……?」
「仲良くなったって思っても、いつも一歩下がる。
誰より気がつくくせに、誰より考えが早いくせに……踏み出す役はいつも誰かに任せてる」
言葉が、静かに刺さる。
だけど痛くはなかった。むしろ、正しく触れられたような感覚があった。
「俺、嬉しかったんだぜ? 一緒に王都に行きたい、学びたいってお前が言ってくれて。
でも──なんかまだ、心のどっかで引っかかってるだろ?」
ダンテはローワンをまっすぐ見た。
「なあ、ローワン。
本当は……お前、何がしたいんだ?」
その問いは、ローワンの胸をそっと扉を叩いた。
ローワンは小さく息を呑んだ。
胸の奥にひっかかっていたものを、真正面から言い当てられたような気がした。
ごまかしでも責めでもない。ただ、親友としての率直さだけがそこにある。
ローワンは思わず笑った。
負けた、と思った。
——ダンテには敵わない。
その単純さ、まっすぐさ、飾り気のない温度。
それがあるからこそ、自分の曖昧さをごまかせない。
(僕は、どうしたいんだろう)
問いは、胸の内でそっとほどけるように浮かび上がる。
すぐ答えは出ない。
でも、逃げたくはないと思った。
これまで避けてきた“自分の根っこ”に、ようやく指先が触れた気がした。
「なーんて言ったりして!」
ダンテは急に照れたように笑い、後頭部をガシガシかいた。
「試験、もう明日なのにさ。悪ぃな、変なこと言った!忘れてくれよ」
立ち上がろうとするその背を、ローワンは反射的に呼び止めた。
顔だけを上げて、まっすぐに。
「ううん……ダンテが言った通りなんだ。僕、ずっと……自分のこと知るのが怖かった。知られるのは、もっと怖くて……」
一度だけ、胸の奥で言葉を噛んで。
「でも、本当は知りたいんだ。
……僕の父さんのことも。僕が、どうしてここにいるのかも。ちゃんと、自分のことを」
言ってしまった自分に驚くように、視線が揺れる。
けれど、かすかに肩の力が抜けていく。
「……だから、言ってくれてよかった。ダンテがいてくれて、本当に……助かってる」
ダンテはぽかんとローワンを見下ろしたあと──鼻でちょっと笑った。
「……なんだよ。急にそういう顔すんなよ。
試験前に泣きそうになるだろ」
そう言いつつ、どこか嬉しそうで、誇らしげでもあった。
*
翌朝、誰よりも張り切っていたのはシンディだった。
新しい屋敷に来てからの彼女の働きぶりは、どこか誇らしげですらある。
「いよいよですね! 二人とも、忘れ物はないかしら?」
「はい。大丈夫です」
「ありがとう、シンディ」
食事を終えたローワンとダンテが従者たちに礼を言って表へ出ようとした時──
階段を降りてくる軽い足音がして、皆がそちらを振り向いた。
「……済まない。出遅れた」
やや気まずそうに立ちすくむセリウスに、従者たちの顔が一斉に綻んだ。
まだ結い上げる前の長い髪が、春の風にふわりと揺れる。
「二人なら、大丈夫。いつも通りでいけばいい」
いつものように穏やかな声。
けれどどこか、彼自身もこの“旅立ち”を楽しみにしていたような雰囲気があった。
「「はい、行ってきます!」」
声が揃って、ふたりは自然に笑い合った。




