Gift
王都に手紙が届いた数日後のこと。
セリウスの提案に、領民たちは少なからず戸惑いを隠せなかった。
何処の馬の骨とも分からない子どもたちを受け入れる——誰だって不安になる。
「本当に大丈夫なのか」と、心の奥で囁く者もいた。
まずリディアが概要を説明した。
彼女の声は落ち着きがあり、領民たちのざわめきも徐々に凪いでゆく。
頃合いを見て、リディアがセリウスに合図する。
小さく息を吐く。
(よし、行こう)
セリウスはゆっくりと前に進み、静かに話し始めた。
「今回受け入れる子どもたちは、まず私の屋敷と、領主であるリディアの屋敷で体調を整えます。
日中は皆さんのもとで仕事を学び、領地の暮らしに慣れてもらいます。
農閑期には学舎を開き、子どもには読み書きを、必要であれば大人たちにも取引についての講義を行います。
計画が軌道に乗れば、受け入れた子どもたちと領地の子どもたちが交代で学ぶことができ、農耕への影響もほとんどないと考えています」
ざわつきが残る中、エドの父親が手を挙げて口を開く。
「でも、セリウス先生。取引って先生も専門外ですよね?」
「ええ、確かにそうです」
セリウスは柔らかくうなずき、彼の不安を受け止める。そして視線を聴衆に戻し、口元にかすかな微笑を浮かべた。
「ですが、私よりも皆さんの期待に応えられる講師を迎えられることになりました。
私の役目は、ただその橋渡しです」
頷く者がほとんどだが、それでも困惑の色は消えない。「ほんとうに大丈夫なのだろうか」と心配する者、王都から届く噂と本人とのギャップに訝しむ者、様々な思いが静かな空気の中で交錯する。
聴衆の後ろで見守るローワンは、固唾を飲んで彼の言葉を待った。
セリウスは一瞬視線を止め、深く息をつく。
その目は真っ直ぐで、穏やかだが揺るがない光を宿していた。
「皆さんが不安に思う気持ちは、私にもよく分かります。ですが、皆さんは私を受け入れてくださいました。王都でどのように呼ばれ、どのように見られていたか——その評判も、この地に届いていたはずです。
領主様の配慮があったとはいえ、私を認め、受け入れようとしてくださったのは、あなた方一人一人の意志です。
そして、この子どもたちは、あの頃の私自身でもあります。どうか、そのことも心に留めてください」
言葉は柔らかく、しかし確かな威厳を伴って、聴衆に届く。
頬を赤らめる者、目を伏せて唇をかみ締める者、自然に背筋を正す者もいた。
心の奥底で不安を抱えていた者たちも、少しずつ静かに頷き、目の前の真摯な眼差しを受け止めていく。
(本当に、心からそう思っているのだわ…)
リディアの目には、感動とともに、少しの畏敬の色が宿った。
彼女が息をのむその瞳に、揶揄の影は微塵もない。
確かに、彼は御子なのだ——偽りのない、その存在そのものが、ここにあった。
*
彼らの身体への負担を配慮したアーサー王の計らいにて、王宮のキャリッジに乗せられた子どもたちは、翌日の午後にランドフォード男爵領に到着した。
領民たちが見守る中、近衛の介添で地上に降り立つ子どもたちは事前に身綺麗にされているとはいえ、か細く、痛々しい。
「可哀想に……」
ユイリーは孫と繋いでいた手を握り直す。込められた力にダンテも応えるように握り返した。
沿道に立つ町の人々の顔は、皆この二人とほとんど同じ様な表情だ。
子ども達の護送には近衛師団が任じられた。それは、今回の件が王国の意思であることを周囲に知らせるためでもあった。
新たにその長を任じられたヘリオスは、屋敷へ続く緩やかなアプローチを子ども達の前に立って進む。子どもらが怖がらぬよう、肩章も付けない略式の衣装を身に纏っている。
「皆、君らと同じで、仲良くやれるか不安なだけさ。心配はいらない。きっとここなら君らも安心して過ごせるはずだよ」
人好きのする笑顔は子ども達を安心させたが、彼の胸の内はその言葉ほど確信はない。
王都を出る前から、胸のどこかでざらつくような感覚があった。
(セリウス・モルフォンド……本当に、あの“月の精”がこの流れを作ったって?)
現実感が、まだ指の先ほどにも及ばない。
人を救うというのは理屈よりもずっと扱いづらく、教会の理想論とは異なり、泥にまみれた現実がついて回る。
この子どもたちの行く先もまた、同じだ。
ヘリオスは子どもたちに見せる柔らかな笑顔の裏で、冷静に領民たちの表情を観察していた。
(不安と戸惑いが半々……まあ、順当だ。これを飲み込ませるのは容易じゃない)
そう結論づけ、ゆっくり息を吐く。
子どもたちが屋敷の門をくぐる頃、その先に立つひとつの影がヘリオスの視界をとらえた。
薄い秋光を受けて佇む青年。
眼差しは静かで、どこか柔らかい。
「ようこそ、ランドフォード領へ」
月の精と称されるだけの麗しい見た目は変わらないが、王都で見た“人形のように感情を消した貴族の青年”とはまるで別人だった。
穏やかで、芯のある声。
子どもたちを見る目には、恐怖を与える光はひと欠片もない。
(……誰だお前。本当にあのセリウスか?)
ヘリオスは思わず足を止める。
遠目に何度も見てきた。あの儚い瞳の青年を。
けれど、今目の前にいる彼は、その記憶を塗り替えるほど、色づいた存在だった。
セリウスはひとりひとりの顔を覗き込み、跪いて目線を合わせる。
「疲れたでしょう。まずは温かい食事と、お風呂があります。怖い思いをしたのですから、今日は無理をしなくていい。ゆっくり休もう」
子どもたちの肩の力が、するりと抜けていく。
“御子”としての才能でも、“聖性”でもない。
もっと素朴で、もっと強い、人としての優しさが、子ども達の心を潤していく。
子どもたちがナディアに連れられ屋敷へ入って行く背中を見送った後、セリウスは軽く頭を下げ、近衛の護送に礼を述べた。
「はじめまして。この度は子どもたちをお連れくださり、ありがとうございます。
セリウス・モルフォンドと申します」
声音は落ち着き、肩に無理な力はない。
ヘリオスは思わず言葉の温度を探ったが、そこに媚びも虚勢も見つからない。
——完璧な“外面”ではある。
だが、奇妙なことに嘘の匂いがしない。
「ええ、存じておりますよ。
近衛師団長のヘリオス・ターナーと申します。以後、お見知りおきを——」
ヘリオスのそれは、丁寧すぎず、かといって粗野でもない。
傍目には不思議と“隙”が見当たらない笑顔。
表向きは柔らかく、だが奥では計算が静かに回っている。
そんな男の気配。
「師団長自らこちらまでお越しいただいて、申し訳ないことです、ターナー殿。道中さぞ大変だったでしょう」
「いえいえ、大変などと。——王弟殿下から直々に依頼された仕事ですから。
おかげで王都では殿下の株が急上昇ですよ。縁談の申し込みなんて、ここ最近は雪崩のようでして」
軽く探るような言い方だった。
——が。
セリウスの表情は微動だにしない。
「そうですか。殿下に良いご縁があれば……王国としても心強いですね」
(……は?どの口が言ってる?)
面白くない。
拍子抜けだ。
自らを守る盾を無くして、もっと弱っているかと思ったのに、なんなのだ、その清々しい顔は。
自由を手にしてそんなに嬉しいか。
ヘリオスはとんと興味をなくして、軽い調子を装って話題を切り替えた。
「それと——今回のご提案。あれには王弟殿下も、さすがに舌を巻いていらっしゃいましたよ。
『セリウスがここまでやるとは思っていなかった』と」
その一言に、セリウスの肩が——ほんの、わずかに揺れた。
「それは……身に余るお言葉ですね」
表情は抑えている。
声色も変わらない。
けれど。
セリウスは一瞬だけ、胸の奥から溢れ出てしまったような、どうしようもない光を瞳に宿した。
抑えきれず、しかし必死に押しとどめて、ほんのわずかに目元を緩める。
控えめなのに、真っ直ぐに嬉しさが滲むその表情に、ヘリオスは咄嗟に視線を逸らした。
(……ちょっと待て。こいつ、こんな顔するのか)
淡々とした聖職者かと思っていたが、こんな風に喜ぶのか。
無邪気とも違う、素直とも違う、ひたむきさ。
真っ直ぐに向けられると、こちらまで心臓を掴まれるような危うさがある。
「……ともかく。あなたの“理想”が、実際に何を生むのか、私も見届けさせてもらいますよ」
「ええ。どうか、よろしくお願いします」
その返答は、すっかり元の静かなものに戻っていて、ヘリオスは心の中でひとつ、舌打ちした。
(……そりゃ、あいつが執着して手離せなくなるわけだ)
*
翌日。
労いを兼ねた昨夜の宴の余韻がまだ残る町は、どこか華やいだ空気に満ちていた。
近衛兵たちは剣を振るうでもなく、子どもたち相手に木剣の構えを教えたり、畑仕事の手伝いをしたりして、早くもこの地に馴染みはじめている。
(まあ、王都に帰ればこんなに気を抜いていられまい。少しくらいは目を瞑ろう)
ヘリオスは町というには長閑すぎる景色を見渡しながら歩いていた。
ふと視線の先で、民家の玄関口に立つ人物が目につく。
セリウスだった。
具合の悪い老人の診察を終えたばかりらしく、玄関先で家人と話をしているところだった。
(……随分と、板についているじゃないか)
妙に胸に落ちる感想だった。
セリウスが家を後にし、歩き出す。
その向こうから、少年が勢いよく駆けてくる。
「セリウス様! おじいさん、もう大丈夫そう?」
よく通る声と、快活な笑顔。
いつも怖い顔をしている王弟には似ても似つかないが、酷く似通った瞳の色をしている。
そしてあの、年齢に不釣り合いな気品——。
(……片田舎の領民にしては“匂い”が違うな)
セリウスの数歩先で足を止め、見上げる横顔はやはり何処となく王弟の少年時代に似ていた。
セリウスは柔らかく笑い、二人揃ってこちらに近づいて来る。
その目がふっとこちらに向けられる。
ごく、自然に。
ヘリオスが近づくのを認めた瞬間、セリウスはわずかにつま先の軌道を変え、無意識のうちにローワンを自分の後ろに入れるようにした。
ローワンは不思議そうに瞬きをする。
「……?」
この土地で見せるセリウスらしくない、小さな揺らぎに気づいたのだろう。
ローワンはすぐに察し、軽く会釈した。
「先に、帰ってますね」
セリウスは薄い笑みを浮かべ、頷くだけで応えた。ローワンは気を利かせるように駆けていく。
ヘリオスは軽く肩をすくめ、少年の背中が角を曲がって消えるまで目で追った。
「……なんというか、溌剌として、小さな王弟殿下のようですね、あの子」
わざとらしく呟き、横目でセリウスの反応を探る。だが、深い意味はない。あの瞳が、王弟を思い起こさせる——根拠のない、ほんのからかい。
しかし、それよりも。
彼の注意を最も引いたのは——その一瞬の仕草。
(間違いなく、セリウスは彼を自分の影に入れた。なぜだ)
さりげなく。しかし確かに「守る側」の動きだった。
昨日、軽く揺さぶってみたときでさえ、セリウスは涼しい顔で受け流していた。それが今日は、ほんのわずかに動揺もしている。
ヘリオスの鋭い観察眼は、その変化を逃さない。
「……で、セリウス殿。“先ほどの”は、どういうお気持ちから?」
問いかけは軽やかだ。追及ではなく、世間話の延長のような声色。だからこそ、逃げ道はない。
「それは……」
セリウスはわずかに目をそらす。
だが——すぐに柔らかな笑顔を取り戻した。
「……少し、昨日の酔いが残っていまして。お恥ずかしい」
指摘はしない——だが本当の理由を“隠した”ことは、ヘリオスには分かる。
王都で見ていた、あの弱々しくて、触れれば折れそうな、“庇護されるしかない御子”というイメージ。
だが目の前のセリウスは違う。
子どもの背を自然に庇い、さりげなく周囲と距離を取り、必要なら前に立つ。
——それは「守られる側」の動きではなく、「誰かを守りたい人間の動き」。
(……守る側、か。お前、本当はずっと、そっち側だったんじゃないか?)
ティアベアラーでありながら、王都で“白い悪魔”と言われた存在。
アルヴェルにしつこく庇われていたせいで封じられていた本質——それが、この領地でようやく息を吹き返したのだと、ヘリオスは直感的に理解する。
そしてその事実が、彼の胸にわずかな疼きをもたらす。
あのアルヴェルが守りたかったものが、今はもう守られる必要のない存在に変わりつつある——その現実に、少し切なく、そして不思議な感慨を覚えた。
「……ひとつ言っておきますがね、セリウス殿」
声は冗談めかしているのに、不思議と温かい。
「自分で言うのも何ですが、私はアルヴェル殿下とは気の置けない仲でして。
警戒する必要はありませんし、困ることがあれば、遠慮なく頼ってください。
あなたが誰かを守ろうとするのなら、力になりましょう」
唐突でも押しつけでもない。
ただ、自然に差し出された“仲間としての手”。
セリウスは瞬きをひとつし、胸の奥を静かに満たしてくる温かさに気づいた。
そして、丁寧に微笑み返す。
「……ありがとうございます。ターナー殿。そのお言葉があれば、心強い」
ヘリオスはふっと肩をすくめる。
(警戒心を解いたらもうこの顔か……)
「どうぞ、ヘリオスと。あなたに認めてもらえるのは、悪い気分ではありません。」
(困ったなぁ……)
この地での御子の様子をアルヴェルにどう伝えるべきか。
胃がひっくり返りそうな心地に、ヘリオスは一人苦笑いをした。
*
数日後。
近衛師団の列を、セリウスは子ども達と共に静かに見送っていた。
「……もう行ったかしら?」
背後から聞こえたのは、どこか楽しげに弾むリディアの声だった。
若手で編成された近衛師団の中に、彼女を知る者はもういないはず。
けれど、用心に越したことはないと——彼女は最後まで姿を隠していた。
「いま一番大事なのは、この取り組みよ。余計な波風は立てたくないわ」
そう言う声色は、かつての“王妃”ではなく、今ここで人々を守る“ランドフォード領主”そのものだ。
「……領主不在でも、どうにかなりましたね」
セリウスが小さく吐き出すと、リディアはふっと微笑んだ。
ヘリオスあたりに気づかれるかと内心ひやひやしていたが、どうやら無事にやり過ごせたらしい。
——だが、遠くない未来。
ローワンは、真実を知ったとき、何を思うのだろう。
胸の奥をかすめる痛みを振り払うように、セリウスもリディアも、その先を語ることはしなかった。
夕風が二人の沈黙を柔らかく浚い、門前の道だけが静かに伸びていた。
——どのくらい時が経っただろうか。
秋の夕日は瞬く間に西の谷間に消え去り、もう沿道には人もまばらで、仄暗い。
「リディア様」
セリウスはゆっくりとリディアに向き直り、肩に下げた鞄から古びた児童書を取り出した。
幼い頃、アルヴェルと何度も読んだそれは、ところどころ破け、色褪せている。
「……あなたにもう一度会えたら、渡すようにと頼まれていたものがあるのです」
古い児童書を静かに開くと、そこに挟まれていた封筒を取り出した。
「遅くなってしまいました。
どうぞ。……国王陛下からです」
セリウスの言葉にリディアは瞬きをひとつ。
差し出された封筒に署名はない。
「アーサーから?」と問うべきか迷い、セリウスの表情を見てリディアは黙って受け取った。
そっと指をすべらせる。
封を開け、たった一行目を見た瞬間、彼女は息をひとつ漏らした。
「あ……フェルナード……」
その後はもう、耐えきれなかった。
肩が震え、長い年月の重さが一気にほどけるように涙がこぼれた。
セリウスは言葉を挟まず、そっと肩に手を置く。
あの日、廊下の影で震えていた背中と同じだ。
どれだけ長い時を経ても、人は同じように泣くことが出来るものなのだとセリウスは思った。




