発露
——同じ頃。
アスロンド公国に委ねられていた“あの件”は、ようやく決着を見た。
教会本部の裁定は、教皇みずからが下した厳格かつ迅速な審断で幕を閉じ、一方でエレファールへ送られてしまった子どもたちについては、国として買い戻しを行う方針が正式に示される。
返還は容易ではなかったが、エレファールに対し牽制の姿勢を示した、という形にはなった。
夜会での話題はこの件一色だった。
「王国の誇りを守った王弟アルヴェル」と持ち上げる声が増えた一方、教会との関係悪化を懸念する者や、“哀れな子ども”に金を出す必要はあったのかと冷笑めいた声を上げる者もいる。
(国の誇り……くだらない。結局は己の保身だろうに。)
王弟は愛想の良い微笑をそのままに、心の底で淡々と毒を吐いた。
事件に関与した貴族たちは、「国の威信を損ねた罪」のもと、軒並み重い処罰を受けた。
情状酌量は一切なく、誰ひとり減刑される者はいない。
「……ルーカス前男爵も気の毒な話だな」
「娘婿が関わってたんだろ」
「奥方の実家が絡んでたなら、ソレイヴァン侯爵家も立つ瀬がないな」
城内をかすめていく噂話を、アルヴェルはひとつ息を吐いて受け流す。
表向き、罪を被ったのは娘婿——。
だが、あの出来の悪い男が諸侯の謀略より遥かに精緻な仕組みを構築できるとは思えない。
ヘリオスによって全容はすでに割れている。
だが、どう考えても“彼の器”ではなかった。
“嵌められた”という訴えをただの言い逃れとするには、手際が良すぎる。
もっと上手く、もっと深く仕掛けた黒幕がいるはずだ。
そして最も怪しい人物は、何一つ疚しさがないと言わんばかりの清廉さで立っていた。
あまりにも、不自然なほどに。
まだ終わりではない。
「……やれやれ」
もう少し、泳がせてみるか。
アルヴェルは思考を切り替えるように小さく咳払いし、顔を上げた。
「殿下、国王陛下がお呼びです」
背後から聞き慣れた声。
肩口にすっとノエルドが現れ、控えめな声で告げる。
アルヴェルはうなずき、歩調を少しだけ速めて、喧騒に満ちた宴の場を後にした。
*
王宮奥の執務室。
扉をノックすると、予想より早く「入れ」という声が返ってきた。
「失礼します、兄上」
机に積まれた書簡の高低が、そのままアーサーの疲労度を示していた。
だが顔には妙な光が宿っている。良い知らせ、というよりは“興味深い話”を見つけた人間のそれだ。
「……いい夜会だったか?」
「退屈以外の何物でもありませんでしたよ」
アルヴェルが肩をすくめると、アーサーはくつりと喉を鳴らし、一通の手紙を差し出した。
「セリウスからだ。例の子どもたちの件で、向こうの考えがまとまったらしい」
アルヴェルは受け取り、ざっと目を走らせた。
読み進めるにつれ、眉がわずかに上がる。
──東方ランドフォード領で、子どもたちを働き手として受け入れたい。
まずは二十名ほど、試験的に。
可能なら彼らを教育し、ゆくゆくは国に貢献できる人材として育てたい。
そのために、講師役や世話係となれる大人も数名。
「……ずいぶんと前向きですね」
「だろう? ここのところ、あれとは何度もやり取りをしていたが──この提案は正直、私も驚いた」
アーサーは椅子にもたれつつ、指先で机を軽く叩いた。
「断罪された貴族の従者たちだ。腕は立つし、縛りも緩い。再雇用という形で送り込むことは可能だろう」
アルヴェルは、すぐに先を読んだ。
「……なるほど。彼らなら、現地の治安を乱すこともない。むしろ、統制を取りやすい」
「それだけじゃない」
アーサーは薄く微笑んだ。
「もしこの仕組みがうまく回れば──北方の領地にも同じ制度を広げられる。働き手不足の地域は多いからな。国としても助かる」
アルヴェルの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
「兄上、これは……悪くありませんね。あのセリウスが……。だとしたら想像以上に“使える”」
「言い方はもう少し柔らかくしろ。……だが、同意だ」
アルヴェルは手紙をもう一度取り上げ、文面をじっと睨む。
そこには、セリウスが書いたとは到底思えないほど、筋道が立ち、展望があり、責任を負う覚悟があった。
「……本当に、セリウスが?」
アーサーが、ふっと喉の奥で笑った。
「何度目だ、その質問は。ああ、そうだよ。お前が知らない間に、ずいぶん逞しくなった」
「……ふむ。そう、ですか」
アルヴェルは納得したようなしないような、いつもの渋い顔で口を結ぶ。
アーサーは思わず吹き出しかけ、口元を手で隠した。
「……アルヴェル。お前、セリウスのことを何だと思っているんだ」
「いや、別に。ただ……随分と成長したものだと」
視線をそらす弟に、アーサーは肩を揺らして笑った。
からかい半分、でもどこか兄らしい優しさが交じる含み笑い。
「成長くらいさせてやれ。
お前が気づかないだけで、あいつはずっと前から変わってきていたんだよ」
「……そう、なのですか?」
アーサーは肘をついたまま、じっと弟を眺めた。
その目元には、完全に兄としての“悟り”の色が浮かんでいる。
「アルヴェル」
「なんです?」
「お前の“セリウスだけへの過剰な気にかけ方”、そろそろ自覚しろ。その執着は、どう見ても恋愛のそれだぞ」
「……は?」
本気で理解していない目だ。
アルヴェルは兄の言葉を頭の中で反芻してはみたが、答えは出ないらしい。
「…いや、いや、恋愛とは違うでしょう。私はただ、セリウスが変な方向に進まないよう兄として見守ってやらねばと——」
「それだよ」
本気で分かっていない弟に、アーサーはついに頭を抱えた。
「……こんなに拗らせるとは思わなかった。これではセリウスが気の毒だ。」
アーサーは俯いたまま、手紙を指先でトントンと叩いた。
「それに、この提案……わかるだろ?お前に認められたくて必死で考えた形跡がある」
アルヴェルは固まった。
まるで予想外の角度から剣を差し込まれたかのように。
「セリウスの成長を聞いて落ち着かないところも、手紙ひとつで表情が変わるのも。
今回の提案を見て“使える”なんてもっともらしく言いながら、内心は誇らしげなところも」
“もう認めてやれ。お前がどう思ってるか、いいかげん自覚しろ”と。
「……誇らしげ、ではなく、実務的評価です」
「はいはい。そういうことにしておく」
ふっとアーサーが微笑んだ。
弟の不器用さを長年眺めてきた者だけができる、温度のある笑みだった。
「いっそ公式発表でもしたらどうだ?“王弟アルヴェル、婚約者はセリウス”とな」
「兄上!!!」
珍しく声が裏返る。
扉の外にいたノエルドが一瞬振り返るほどの音量だった。
「冗談だ。」
アーサーは肩を揺らして笑い、扉の方を顎で指す。
「……だが、周りはとっくに気付いているぞ。もし本当にその気がないのなら、あいつを苦しめてやるなよ」
アルヴェルは視線を落とし、手紙の文字をじっと見つめた。
わずかに耳が赤い。本人は気づいていない。
アーサーはその横顔を見て、堪えきれず小さく笑った。
——本当に公式発表でもしてやりたいくらいだ、と本気で思いながら。




