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「あああああああああああああっ!!」
何を叫びたいのかは分からない。そもそも叫びたくて叫んでいるわけではない。
それでも喉から迸る絶叫が止まらない。
「うぁっ、ぁぁああっ!! あああああっ!!」
結を殺す。
そう考え、実行した疾太に訪れたのは、歓喜ではなく恐慌だった。
己で手を降すことなく結を殺せるかもしれないのに、喜びなんてどこにもない。あるのは口から腹の底まで手を突っ込まれて、素手で内臓を掻き回されてグチャグチャにされるような痛みと恐怖だけだ。
右手に握り込んだままになっているカッターナイフから手を離してしまいたい。だというのに固まってしまった手は、結の体を抱えて真っ赤に染まってもなお、握りしめた刃を離そうとしない。
「うわぁぁぁぁぁああああああああああっ!!」
疾太は、叫び続けた。どうして叫んでいるのか、何を叫んでいるのか、もはや何も分からない。
それでも、疾太は叫んだ。叫ばなければ狂ってしまうような気がしたから。
「結っ!! 結っ!!」
バグを挟んで反対側へ退避していた姫が、バグを蹴散らして駆け付けてくる。常に優雅であろうとしていた姫がここまで荒っぽい動きを見せたのは初めてかもしれない。
「ひとまず撤退するっ!! 皇っ!!」
疾太の絶叫に耳も貸さず、自身も悲鳴を上げるかのように宣言した姫は、駆け寄った勢いのまま疾太を突き飛ばした。
疾太を結から引き剥がした姫は、結の腕を己の肩に回して担ぎ上げる。高そうなドレススーツがべっとりと血で濡れるが、今の姫はそんなことを気にする素振りも見せない。
「見てんでしょっ!? 手ぇ貸しなさいっ!!」
姫が誰を呼んでいるのかは分からなかった。それどころか疾太には、まだ自分が悲鳴を上げているのか、すでに黙ったのか、それとも喉が潰れて声が出なくなったのか、それさえも分からない。
だが姫の叫びに対する返答は、そんな疾太の意識など関係ないと言わんばかりに、脳に直接突き刺さるような大音声で轟く。
【るっせぇな、クソ姉貴! 聞こえてんだよっ!!】
鼓膜を突き破り、脳を差し貫き、音圧で疾太の体を押し潰そうとするかのような音の暴力に、疾太の意識は無理やり叩き起こされる。
──どっ、どこから……!?
疾太は思わず周囲を見回す。
その瞬間、今度は周囲の空気が一気に温度を下げた。ヒヤリとした空気を感じた次の瞬間には目の前の景色が白く煙り、ピシッという氷結の音が響いた時には視界は白で埋め尽くされている。
その白の正体が霜を纏った氷の茨だと分かった時には、疾太達を中心に氷の防壁が展開されていた。槍のように鋭い切っ先を外へ向けるように生み出された氷柱の防壁は、こちらへ追撃をかけようとするバグを弾き返し、この隙に結の首を落とそうと群がるプレイヤー達を容赦なく刺し貫いていく。
──これは……姫さんの能力? でも、姫さんはさっきまで、こんな能力使ってなんか……
「飛ぶわよっ!! フォローなさいっ!!」
【だから命令すんなってのっ!!】
姫の尖った声が、再び誰かを呼び付ける。
その瞬間、氷の茨の中を風が吹き荒れ、姫が纏うショールが羽衣のように翻った。それを目に留めた時には、疾太の足はコンクリートから離れている。その暴力的な力の本流に、疾太は抗うどころか体勢を保つことさえできない。
「っ!?」
四肢がもげるかと思うほどの暴風にとっさに目を閉じる。その風がフワリと和らいだタイミングで恐る恐る目を開けば、疾太はすでに空の中にいた。さっきまで自分の足で立っていたはずの場所が、はる眼下に小さく見える。
『生屍もプレイヤーも重力に縛られていることに変わりはない』と言っていた、結の言葉はなんだったのか。
今の疾太は、重力の軛から解放されている。
だがそんなのは一瞬しか抱かせてもらえない幻想にすぎなかった。
内臓がせり上がるような独特の浮遊感が疾太を捕える。次の瞬間には放物線を描くかのように、疾太の体は落下を始めていた。
「う、わ、あああああっ!?」
「こっちは結を運ぶのに精一杯なんだからっ!! 仮にも生屍なら、自分の身ぐらい自分で何とかなさいっ!!」
姫はそう叫びながら、何かを探すかのように必死にキョロキョロと足元へ視線を配っている。
その時、キラリと、はるか眼下の景色の中で何かが光った。
「見つけたっ!! あそこよっ!!」
チカチカと、何かに光が反射している。その場所を確かめた姫は、風に命じるかのように腕に絡んだショールを翻した。
「着地するから、歯ぁ食い縛りなさいっ!!」
吹き荒れる風に揉まれているせいで、相変わらず疾太の体勢は安定しない。だが疾太達を包み込んでいる風の繭が、重力に任せて落下しながらも光が明滅する地点を目標に移動をしていることは分かる。
──あれは、鏡?
地上との距離は瞬きをするよりも速い速度で詰まっていく。落下目標地点で光を反射させているのが氷でできた巨大な鏡であると認識できるようになるまで、あっという間のことだった。
「っ!!」
姫が無音の気合いとともにショールを一閃させると、風は疾太達と落下地点の間に風の壁を作るように吹き荒れた。その風を使って落下の勢いを殺した一行は、鏡が置かれている建物の屋上へ着地する。
「いっ……!!」
風で勢いを殺したとはいえ、はるか頭上から放り出されたことに変わりはない。何とか足から着地した疾太だったが、痺れるような衝撃が頭の先まで突き抜けていく。
「祥来!」
一方、同じ衝撃を高くて細いヒールでしのいだ姫は、疾太に構うことなく結を支えながら鏡の方へ足を進めた。そこに祥来がいるのを見て初めて、疾太はここが蒼月の入っている雑居ビルの屋上なのだと気付く。
「祥来、何とかしてっ!! 結がっ、結が……っ!!」
「姫! っ、結っ!? これは……っ!?」
悲鳴のような声で叫ぶ姫と、血にまみれたままグッタリと姫に体を預ける結の姿に、祥来が血相を変えてこちらへ駆け寄ってくる。そんな祥来の姿を見た姫が泣き出しそうに表情を歪めた。
「バグの攻撃からこいつを庇って……っ!! 背中、右肩から左脇腹に向かってザックリいってるっ!!」
「分かった。こっちへ」
姫から結の体を引き受けた祥来は、そのまま身を翻すと急ぎ足で建物の中へ消えていく。その後を姫が追った。二人が歩いた後には、点々と赤い飛沫がこぼれ落ちている。
「あっ……」
「待てよ」
そんな二人に続こうと、疾太も手を伸ばしながら足を踏み出す。
だがその歩みは、喉元に突き付けられた錫杖によって阻まれた。
ジャラリと揺れた遊環が、疾太を威嚇するかのように不協和音を奏でる。
「これ以上、結に何しようってんだよ? ア?」
その声に、疾太は弾かれたように錫杖の先へ目を向ける。
そこでようやく疾太は、この場にもう一人、人がいたのだということに気付いた。
「俺は人間が嫌いだ。NPCだろうが、プレイヤーだろうが、生屍だろうが、例外なくな。だが『-B/M』のメンバーには、情がある」
錫杖を手にしていたのは、疾太と同年代の青年だった。
険のある美貌は、どこか姫に似ている。ボサボサに伸びた髪の下に半ば隠された瞳は、疾太を睨めつけながらうっすらと緑の燐光を放っていた。
その青年が言葉を重ねるたびに、周囲の空気が凍て付いていくのが分かる。ピシッ、パシッと音を立てながら温度を下げていく冷気は、疾太の視界に氷の結晶を舞わせていた。
「戦盤に落されたバグの元。戦盤から生まれたゴミクズごときに仲間をやられれば、腹も立つ」
だがそんな些末なことは、青年の口から出てきた言葉に消し飛ばされて、意識の端にも引っかからなかった。
「これ以上結に何かするってんなら、今すぐこの場で消し飛ばすぞ、ア? このゴミクズが」
「……え」
──バグの元? 戦盤から生まれたゴミクズ?
人間のクズ、という意味で言われているのではない。ゴミ虫と揶揄されているわけでもない。
それらの言葉は比喩表現ではなく、本当にそのままの意味で疾太に向かって投げつけられている。
だが疾太には、自分がそう言われる意味が分からなかった。
結果、疾太は目の前の見知らぬ青年に向けて、馬鹿みたいな問いを向けることしかできない。
「僕が、……なんだって?」
「あんたは、バグだ。誰かの手によって意図的に生み出された、戦盤の歪み、その具現」
そんな疾太に向かって、青年は懇切丁寧とまで言えるほどきっちりと、疾太に向けた言葉の意味を説明してみせた。
あの肉塊に向けられるべき言葉を、青年は真っ直ぐに疾太に向けた。
「あんたは、生屍……人間ですらない」
──僕が、バグ。
何かがストンと、胸に落ちる。
「あんたはこの戦盤に立つ誰かによって組まれた、歪なプログラムなんだよ」
その『何か』は青年の言葉に反発するものではなく、『納得』という肯定的なものだった。
今の疾太に理解できたのは、そんな残酷な事実だけだった。




