少しの嘘と裏表
次の日、登校してきたアイルの手首には重々しい包帯が巻かれていた。いつもと明らかに様子が違っていた彼女をボクは誰も居ない化学実験室へと連れていった。
「おはよう。昨日は途中で体調が悪くなっちゃって、帰っちゃったんだ。ごめんね?そういえばその手首どうしたの?」
「ああ、これ自分で切ったの。とっても……ッ痛かった」
「え、自分で。何で……手首なんて切ったの?」
そう問いただすと、彼女はカッターナイフをポケットから取りだし、私に馬乗りになって手首に刃を当てる。鈍い痛みと共に少量の血が線上に溢れる。
「ッ!痛いんだけど」
「だって……四季が!皆に無視しようって言ったんでしょ?朝来たら荷物も全部捨てられててさ!?ねぇ、こんなことして楽しかった?」
「……ボク、本当にそんなことしてないけど?」
「口先だけなら何とでも言えるでしょ?さあ、早くホントのことを言ってよ」
そう言ってカッターナイフを突きつける。ボクはそれを避ける。だが、避けると顔の辺りを殴られる。一体なぜ彼女はボクに怒っているんだろう。
「いつまでその一人称なの。可愛いとでも思ってんの?」
「それは今関係ないでしょ。ボクにとってはこれが本当の一人称なんだよ。あれだけ友達って言っておいて、勝手に犯人に仕立て上げて被害者面するんだ。……狡いね君は」
「ああ!?図星か?」
「他にもまだあるでしょ?他人からどう思われているか不安で仕方なくて、誰も信じられないからずっとポケットに十徳ナイフを持ち歩いている女の子なんて中々いないよ。だからこそ人間として君を警戒はすべきなんだろうね」
ものすごい眼光で睨みつけるアイル。ああ、今から殺されるのか。酷く安心したのを今でも覚えている。
「ふふ……かわいいね。ボクはアイルになら本当に殺されてもいいや」
やっとだ。やっとボクだけのために振り向いてくれた。何をしても振り向いてくれなかったのに。これは他人のおこぼれにあやかるチャンスだ。嬉しくて仕方がなかった。
「違っこれは……違うの!だって……私はそんなこと」
怒りと感情にぶつけてしていた行動に我に返ったのか慌てふためくアイル。次第に目元に涙を浮かべ始めた。
「へぇ、どう違うの?ボクには君しか信じられる人が居ないって知っているはずだろ?」
「じゃあ、何で昨日は帰っちゃったの。何か知ってて逃げたんだ」
「うん、そうだね。ボクには君を助けるだけの力と勇気が無かった。正義のへったくれも持ち合わせて無い卑怯な人間なんだ。逃げるのも一つの手段だから。ね、ボクも狡いでしょう?」
「そんなにハッキリと言わなくてもいいでしょ?」
こうして煽るとさらに欲しい言葉をくれるはずだ。
「もう、誰からも好かれないなら私は……あなたのせいにして死ぬことにする」
そうだ、それでいい。ボクのために感情剥き出しでぶつかってきてくれるアイルを……××てでもボクだけのものにしたい。
そう思った時にはアイルの首元に手を添えていた。
「あっそ。ボクに助けて欲しいならじゃあ何で……!?そうやって他人にも死にたいアピールを見せつけてるんだよ!ボクへの当てつけなの?」
両手に入れる力が強くなる。
「違っ……ぅ……!」
ボクの心の根底にある淀んだ感情がアイルをどんな手を使ってでも困らせようとしていた。この感情をどうしたらいいんだろう。アイルがボクだけに縋るように、独占したい欲がどうしたって止められない。
このままでは本当にまずい。
「ハッ……ボクが困ってようとあんただって何も出来ないのに。自分の身が可愛くて仕方が無いからボクを理由にして死ぬなんて言えるんだ」
本当に死ぬしか方法がないほど生きづらいと困ったこともないくせに。ボクだって、本気でアイルを困らせたい訳じゃなかったんだ。
「……ッ何で、怖いよ四季。そんなこといつもは言わないじゃん」
彼女の怯えるような声、表情がボクの中の加虐心を煽った。
「は?何だよ、アイルが先に切りつけて殴ってきたんだろ?ボクの髪の毛切れちゃったじゃん」
「ご、ごめんね、冷静じゃなかったの」
「はぁ。二度と、誰からも好かれたいなんてこと言うなよ?だったらさっさとボクだけにその感情を向けるんだ。……いい加減、隣にいる人の気持ちにも気づけ」
「……えっと、四季?」
アイルは目を見開き、顔を真っ赤にして見たことのない表情をしていた。あーあ……これじゃあ、彼女への告白だ。ボクがアイルのことを好きみたいじゃないか。
彼女に向けるこの気持ちがただの友情では無いことに薄々気づいていたのに。墓場まで持って行こうと決めていたのに。好きな子に向けられた剥き出しの感情、殺意を向けられてつい、本音を言ってしまった。
「っぐ……考えとけよ!」
冬の身に染みるような冷たさの昼下がり、雪混じりの雨が降っていた。
「──私は……私のせいで本当に好きだった子を殺してしまいました」
次の日、学校でアイルの元を訪れると机も、椅子も彼女に関する記録は一つも残っていなかった。まるで最初から居なかったかのようにぽっかりと空白が出来ていたのだ。彼女の答えを知ることなく、別れてしまったことを酷く後悔した。だからと言ってアイルが戻ってくる訳では無いのだが。
「アイルは既に一度亡くなっているのでしょう。ちょうど今日みたいな雨の日でした。そう、雨の日になると、アイルは私の元に戻ってきてくれるんです。私の為だけに従順に……ずっとそばに居てくれる。だからその度に何度も何度も何度も何度も首を絞めて殺してきた。でも時々思うんです、私がこの目で彼女の死を見た訳じゃない。誰も彼女のことを覚えていなかったから。本当に私が殺してしまった世界線から私が離れてしまったのか、私の記憶が抜け落ちているのか。この違和感を覚えているのは私だけだった。これが私の罪です──」
『汝の罪を許しましょう──星のたどり着く先にあなた方の未来がどうか……』
カザリさんの目が対の色を映したかと思うと主人格が戻ってくるので実質はずっと一人で話し続けている。
「監視者アイルのコアを見つけた、ミニュイ!」
「ああ、エネルギー充填まであと三パーセントだ」
『対象の座標位置を特定、不確定存在を固定。演算結果を反映します。実行しますか?』
カザリさんとはまた別の機械的な音声が響き、二人の眩い魔法が発動した。
「「行っけぇぇぇぇえええええ!!」」
そうしてアイルを取り戻す儀式は執り行われたのだった。
「あの時、オブジェになっていたけれど。もう一度アイルに出会えて本当に嬉しかった。眠っていても尚、もがき苦しんでいる姿を見てお互い様だと。ざまあみろと思ったんです。私はいつまで経ってもアイルが生きていたらという幻覚と幻聴に囚われているというのに。……未練がましいですよね」
「どんな姿形だとしても大切な人なんでしょ、じゃないとそんな顔しないよ」
「うう……そうですね」
「四季先生はこれからどうしたいの?」
私がしたいことは今も昔も変わらない。
「そうですね、まずは私の想いを伝えます。……まあこの気持ちはすぐには受け入れて貰えないでしょうけどね」
懺悔が終わると、ボクの中にあった後悔はスっと消えてしまったようだ。人間の根底にあるこの欲を、感情を。持ち続けたまま生きるのに、この世界はどうにも不自由すぎるのだ。
”ねぇ、四季。どうして私のことを助けたいの?”
目の前に現れたアイルは傷だらけで今にも消えてしまいそうだった。
「そんなの……自分が好きでしてることだよ」
”ふふ。四季が素直に話してくれるなんて。明日は槍でも降りそうだね”
「アイルのことが本当に好きなのに。こんなにも愛しているのに!……ッでも心のどこかで苦しめばいいと思っている自分が居る。こんなボクにアイルを助ける資格なんてもう。あるはずないんだ」
”そうかな、人間は誰にでも表裏があるんだよ。そこに資格なんて関係ないんじゃない?”
「……そういう事を誰にだってアイルが言ってたの知ってるんだから」
──ボクの性別が違っていれば、この気持ちを抑えておく必要なんてなかったのに。
”ねえ、こういう時の自己肯定感の低さは相変わらずだよね”
「君が居てくれないと……本当にボクはダメなんだよ」
そうして伸ばした手をしっかりと繋ぐ。次は決して離してしまわないように。監視者のオブジェが崩れると周り一体は白い光に包まれていく。そこには私の腕の中で眠るアイルの姿があった。
「……おかえり、アイル」
「フッ……今晩は赤飯を炊こう、ミニュイ」
「シッ!シオン、今めちゃくちゃ大事な時でしょどう考えても!?」
「い、今だけは茶化したら怒りますよ!」
そうだった、今は心の中で考えていること全てみんなに見えていることを完全に思い出して顔が熱くなるのを何とか抑えようとする。
こうして、アイルは監視者の役割を果たし現世に帰ってきたのであった。




