第7話 コーチンの揚げドーナツ
マラッカを出発した船は、インド洋を西へ進んでいた。
長い航海の末、四人の少年たちがたどり着いたのは、インド南西部の港町、コーチンだった。
伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン。
まだ若い四人にとって、目に映るものは、どれも新鮮だった。
港には、さまざまな船が停泊している。
荷を運ぶ人々の声。見慣れない衣装。市場から漂ってくる香辛料の匂い。
そして、どこからともなく、食欲を刺激する香ばしい匂いが流れてきた。
「ねえ、あの匂いは何だろう?」
ミゲルが鼻を動かした。
「何かを揚げているようだね」
マルチノが答える。
四人は、案内してくれる人に連れられて、港近くの店へ向かった。
そこでは、大きな鍋に油が熱せられ、料理人が手際よく食べ物を揚げていた。
ジュリアンが、鍋の中をのぞき込む。
「魚でしょうか?」
料理人は、魚の切り身に香辛料をまぶし、粉をつけて油に入れていく。
じゅわっ。
油の中で、魚の表面が泡立った。
やがて、きつね色になった魚が取り出される。
「おお!」
ミゲルの目が輝いた。
「これは、おいしそうだ!」
四人の前に、揚げた魚が並べられた。
マンショが、まず一口食べる。
「……おいしい!」
外側はカリッとしている。
中の魚は柔らかく、香辛料の香りが口いっぱいに広がった。
日本で食べる魚とは、ずいぶん違う。
マルチノも、ゆっくり味わった。
「胡椒でしょうか。それに、ほかにも香りがありますね」
「カルダモンかな?」
案内役が、使われている香辛料を教えてくれた。
ミゲルは、すでに二つ目に手を伸ばしていた。
「これ、船に持って帰れないかな」
「揚げたてだからおいしいんじゃないかな」
マンショが笑った。
そのとき、店の人が、別の揚げ物を持ってきた。
今度は魚ではない。
丸い形をした、黄金色の食べ物だった。
「これは何ですか?」
ジュリアンが尋ねる。
豆をすりつぶしたものに、香辛料を混ぜて揚げた料理だという。
ミゲルは、すぐに手を伸ばした。
一口かじる。
外側はカリカリ。
中は、ほくほくしている。
「これもおいしい!」
「魚ではなく、豆なのですね」
マルチノが驚いた。
「豆をつぶして、丸めて、油で揚げる。日本では、あまり見ない料理だね」
マンショも感心していた。
ミゲルは、魚の揚げ物と豆の揚げ物を交互に食べている。
「どちらも好きだな。魚もいいけど、豆もいい!」
「ずいぶん気に入ったようですね」
ジュリアンが笑った。
さらに店の人は、甘いものも出してくれた。
豆の粉を使った揚げ菓子に、甘い糖蜜をかけたものだった。
ミゲルは、目を丸くした。
「えっ、これも豆なの?」
「そうらしいよ」
マンショが答える。
ミゲルは、ひと口食べた。
「甘い!」
今度はマルチノも、興味深そうに口に運んだ。
「同じ豆でも、こんなに違う味になるんですね」
ジュリアンは、甘い菓子を大切そうに味わっていた。
「日本にも甘いものはありますけれど、これは初めてです」
四人は、いつの間にか店の人とも打ち解けていた。
言葉が十分に通じなくても、食べ物を囲めば笑顔が生まれる。
ミゲルは、最後の一つを手に取った。
「これも、船に持って帰りたいな」
「また食べに来ればいいじゃないか」
マンショが言った。
「そうだね。コーチンには、まだ食べていないものがたくさんありそうだ!」
マルチノは、港の向こうに広がる町を眺めた。
米もある。魚もある。豆もある。
知っている食材なのに、料理の仕方が違うだけで、まったく新しい味になる。
「世界は広いですね」
ジュリアンが、ぽつりと言った。
マンショもうなずいた。
「海の向こうには、知らないものがまだまだあるんだろうね」
その言葉に、ミゲルがすぐに反応した。
「だったら、次の港でも、おいしいものを探そう!」
四人は笑った。
船に戻る時間が近づいていた。
けれど、ミゲルはまだ名残惜しそうに店を振り返っている。
「ねえ、帰る前に、もう一つだけ食べてもいい?」
「さっきも、そう言っていましたよ」
ジュリアンが笑う。
「今度こそ最後!」
その言葉を聞いて、マンショとマルチノも笑い出した。
コーチンの港で出会った、魚の揚げ物と豆のドーナツ。
それは、四人の少年たちにとって、インドの味を知る最初の一歩だった。
そして、彼らの旅は、まだまだ続いていく。
次の港には、どんな匂いが待っているのだろう。
【史実との関係】
魚を粉で包んで揚げる料理や、豆を使った揚げ菓子は、当時より前のインドの料理文化に見られます。
ただし、四人がコーチンでこの料理を食べたという記録は確認されていないため、料理文化をもとにした創作場面です。




