第6話 スリランカの飯
船の食事は、決して豪華なものではなかった。
長い航海では、食料をいつまでも新鮮なまま保つことは難しい。積み込まれた保存食を大切に食べながら、次の寄港地を目指す。
伊東マンショは、手にした硬いパンを見つめた。
「……今日も、これか」
隣にいた千々石ミゲルが、パンをかじりながら笑った。
「文句を言うなよ、マンショ。海の上では、食べられるだけでもありがたいんだ」
「それは、わかっている。わかっているが……」
マンショは、もう一度パンをかじった。
硬い。
ひたすら、硬い。
「歯が丈夫になりそうだな」
原マルチノが冗談を言う。
「歯を鍛えるために、海を渡っているわけではないぞ」
マンショが真顔で返すと、ミゲルが吹き出した。
中浦ジュリアンも、口元を緩めた。
四人は、まだ若い。
遠い異国を見てみたい。知らない人々の暮らしを知りたい。見たことのないものを自分の目で確かめたい。
そんな好奇心を胸に、長い旅を続けていた。
だが、どれほど大きな夢を抱いていても、腹は減る。
そして、毎日の食事が似たようなものになれば、別の味が恋しくなるのだった。
*
寄港地に着くと、四人は、見慣れない町の様子に目を輝かせた。
行き交う人々の服装。聞き慣れない言葉。市場に並ぶ果物や香辛料。
日本では見たことのない品々が、あちこちに並んでいる。
「この町には、知らないものが多すぎるな」
マンショが感心したようにつぶやいた。
「知らないものが多いから、旅は面白いんだろう?」
ミゲルは、すでに市場の向こうをのぞき込んでいた。
そのとき、どこからか香ばしい匂いが漂ってきた。
四人は、ほとんど同時に足を止めた。
「……何の匂いだ?」
ジュリアンが尋ねる。
匂いをたどっていくと、そこには、熱した鉄板のような調理台の前で、薄い生地を焼いている人がいた。
生地は、手際よく広げられていく。
じゅう、と音がした。
表面が乾き、少しずつ色づいていく。焼けるにつれて、香ばしい匂いが強くなった。
マルチノが、思わず身を乗り出す。
「パン……なのか?」
「パンにしては、ずいぶん薄いな」
マンショも興味津々だった。
店の人が、焼き上がった一枚を皿に載せる。
それは、薄く、広がった生地だった。縁はぱりっと焼け、中央はまだ柔らかそうに見える。
ミゲルが尋ねた。
「これは、何という食べ物ですか?」
店の人は、現地の言葉で答えた。
四人には、すぐには意味がわからない。
それでも、店の人は笑顔で、焼きたての一枚を差し出してくれた。
「食べてみろ、ということかな」
ジュリアンが言った。
マンショは、少しだけためらった。
初めて見る食べ物だ。
どんな味がするのだろう。
けれど、香りは悪くない。むしろ、食欲をそそる。
マンショは、そっと手を伸ばした。
一口。
噛んだ瞬間、表情が変わった。
「……うまい!」
ミゲルが、すかさず尋ねる。
「そんなにか?」
「食べてみればわかる!」
ミゲルは一片を受け取り、口に運んだ。
ぱりっ。
続いて、やわらかな生地の食感が広がる。
「本当だ! 香ばしいぞ!」
マルチノも、ジュリアンも、次々に口に運んだ。
船の上で食べていた硬いパンとは、まるで違う。
温かい。
焼きたてだ。
香ばしくて、噛むたびに味わいが広がる。
それだけで、なんだか幸せな気分になった。
「この食べ物の名前を、覚えたいな」
マンショが言った。
店の人が、もう一度その名を口にする。
「ドーサ……?」
マンショは、聞こえた音を繰り返した。
ミゲルも真似をする。
「ドーサ!」
マルチノは、焼き方をじっと観察していた。
「生地を薄く広げて、こうやって焼くのか。日本でも、似たものを作れるだろうか」
「まずは、作り方をよく覚えないとな」
ジュリアンは、そう言いながら、残った一片を口に入れた。
*
やがて、店の人が、ドーサに添える料理を持ってきた。
魚を香辛料とともに煮込んだ料理だった。
立ちのぼる湯気から、これまで嗅いだことのない香りが漂う。
ミゲルは、鼻を近づけた。
「この香りは、何だろう?」
「香辛料だろうな」
マンショが答えた。
「日本で使うものとは、ずいぶん違う」
四人は、まず魚をひと口食べてみた。
辛みが広がる。
そのあとに、さまざまな香りが追いかけてくる。
マンショは目を丸くした。
「魚なのに、こんな味になるのか!」
ミゲルは、ドーサをちぎり、魚の料理を少し載せてみた。
「こうすると、もっと食べやすいぞ」
一口食べる。
ミゲルは、満足そうにうなずいた。
「これは、いい!」
マルチノも真似をした。
「なるほど。ドーサだけで食べるのとは、また違う味になるんだな」
ジュリアンは、四人の皿を見回した。
「さっきまで、船の硬いパンを食べていたとは思えないな」
「本当にそうだ」
マンショは、焼きたてのドーサをもう一口食べた。
「同じ旅でも、寄港地が変われば、食べるものも変わる。食べ物ひとつで、その土地の暮らしが見えてくるんだな」
ミゲルは、すぐに答えた。
「難しい話は、食べ終わってからにしよう」
「お前は、いつもそれだな」
「だって、冷めたらもったいないだろう?」
四人は笑った。
*
食事を終えるころには、皿の上のドーサは、ほとんどなくなっていた。
マンショは、店の人に礼を伝えた。
言葉は十分に通じなくても、感謝の気持ちは伝えられる。
店の人も笑顔で応じてくれた。
店を離れたあと、マルチノが尋ねた。
「マンショ。今日の食事で、何がいちばん印象に残った?」
マンショは、少し考えた。
「ドーサの味も、魚の料理も、もちろん忘れられない。だが……」
彼は、振り返って、さきほどの店を見た。
「自分たちが知らない食べ物を、当たり前のように食べている人たちがいる。そのことが、面白いと思った」
ジュリアンがうなずいた。
「私たちにとって珍しいものでも、ここでは日常の食事なんだな」
「そうだ」
マンショは答えた。
「世界は広い。まだ知らないことが、いくらでもある」
ミゲルが、にやりと笑った。
「それなら、次の町でも、うまいものを探そう」
「結局、それか!」
マルチノが笑い、ジュリアンもつられて笑った。
四人の旅は、まだ続く。
海を越え、知らない町を訪れ、見たことのないものに出会う。
その旅の記憶には、壮大な景色や珍しい品々だけでなく、焼きたてのドーサの香ばしさも、きっと残るだろう。
長い航海の途中で出会った、温かい一枚。
それは、四人にとって、忘れられない異国の味になった。
【ドーサについて】
今回、四人が出会った「ドーサ」は、南インドを代表する料理のひとつです。
米と豆を主な材料とする生地を発酵させ、薄く広げて焼き上げます。外側は香ばしく、焼き方によってはパリッとした食感になり、カレーや魚料理などと一緒に食べられています。
その歴史は古く、ドーサにつながる料理は、16世紀よりはるか以前から南インドで知られていました。
長い船旅では、保存のきく食料が食事の中心になりがちです。そんな旅の途中で、寄港地の焼きたての料理に出会ったら、どれほどおいしく感じられたことでしょう。
もちろん、天正遣欧使節の四人が実際にドーサを食べたという記録が確認されているわけではありません。今回は、当時の南インドの食文化をもとに、彼らが異国の味に出会う場面を想像して描きました。
歴史の旅は、王侯や政治、宗教、外交だけではありません。
食べ物の香りや味もまた、その土地の暮らしを知る入口なのです。




