第1話 海の向こうには、何がある 改訂版
【四人の少年の名前について】
本作に登場する
伊東マンショ、
千々石ミゲル、
中浦ジュリアン、
原マルチノ。
この四人の名前は、天正遣欧使節に関する同時代の記録に残されています。
しかし、これらはキリスト教の洗礼に由来する名前です。
洗礼名とは、キリスト教の洗礼を受けた際に与えられる名前です。
英語では *Christian name* とも呼ばれます。
けれども、四人は、洗礼名を与えられる前から、それぞれの人生を歩んできた少年たちでした。
家族に何と呼ばれていたのか。
幼いころ、友人たちとどのように呼び合っていたのか。そうした日常の呼び名は、四人全員について確実に確認できるわけではありません。
伊東マンショについては、「虎千代磨」を幼名とする説があります。
しかし、これも確定した事実として扱うことはできません。
記録に残る名前が、その人の人生のすべてを表しているわけではないのです。
本作では、史料に記された名前を尊重しながら、史料からはわからないことを、確定した史実であるかのようには描きません。
四人は、歴史の教科書に記された使節である前に、知らない世界を見てみたいと願った少年たちだったのかもしれません。
彼らは何を見て、何に驚き、何を考えたのでしょうか。
その旅を、史料からわかることと、創作として描くことを区別しながら、たどっていきます。
第1話 海の向こうには、何がある
一五八二年、春。
長崎の港には、潮の香りが満ちていた。
帆を張った船が、波に揺れている。
船の大きさに、伊東マンショは思わず見上げた。
「これに乗って、海の向こうまで行くんだな」
隣に立つ千々石ミゲルが、船体を眺めながら答えた。
「そう聞いている。ずいぶん大きい船だね」
「大きいどころじゃないよ。あれだけの船が、本当に海を渡れるんだろうか」
原マルチノが口を挟む。
「渡れるから、ここにあるんじゃないの?」
中浦ジュリアンは、三人のやり取りを聞きながら笑った。
「みんな、船の心配ばかりだね。僕は、海の向こうのほうが気になるよ」
「海の向こう?」
マンショが振り向いた。
「そう。日本とは違う国があるんだろう? どんな町があるのかな。どんな人が暮らしているんだろう」
「食べ物も違うのかな?」
マルチノが、急に真剣な顔になった。
三人が彼を見る。
「……何だよ?」
「いや、だってさ。遠い国まで行くんだよ。食べたことのないものが、たくさんあるかもしれないじゃないか」
ミゲルが吹き出した。
「マルチノは、どこへ行っても食べ物のことを考えているね」
「だって、大事だろう? 日本では見たこともない果物があるかもしれない。パンだって、今まで食べたものとは違うかもしれない」
「パンは、もう知っているじゃないか」
「知っているものと、知らないものがあるんだよ。日本で食べるパンと、向こうで食べるパンが同じとは限らないだろう?」
マルチノは胸を張った。
「それに、海の向こうには、どんな料理があるのか、誰も教えてくれなかったんだ」
「なるほど。それは確かに気になるね」
ジュリアンも、うなずいた。
マンショは、そんな仲間たちを見て笑った。
遠いヨーロッパ。
そこには、ローマという町がある。
そして、ローマには、キリスト教の教皇がいる。
四人は、九州のキリシタン大名たちの意向を受け、イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが計画した使節派遣に参加することになった。
日本を代表する使節として、遠い異国を訪ねる。
それは、名誉ある役目だった。
しかし、マンショの胸にあるのは、名誉という言葉だけではなかった。
日本を出たことのない少年にとって、海の向こうは、まだ見ぬ世界そのものだった。
地図の上では、遠い国の名前を知っている。
話に聞いた町の名前も知っている。
けれど、そこに暮らす人々の顔も、町のにおいも、道に響く声も知らない。
知らないことばかりだった。
「ねえ、ミゲル」
マンショは尋ねた。
「向こうの人たちは、僕たちのことを知っているのかな?」
「どうだろう。日本という国の名前くらいは、知っている人もいるかもしれないね」
「じゃあ、僕たちが日本から来たと言ったら、驚くかな?」
「驚くかもしれないし、そうでもないかもしれない」
ミゲルは肩をすくめた。
「行ってみなければ、わからないよ」
その答えに、マンショはうなずいた。
そうだ。
行ってみなければ、わからない。
どんな国なのか。
どんな人がいるのか。
何を食べ、何を学び、何を大切にしているのか。
本で読んだことや、人から聞いた話だけでは、わからないことがある。
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、初めてわかることもあるはずだ。
「よし」
マンショは、船に向き直った。
「たくさん見てこよう」
「何を?」
マルチノが尋ねる。
「全部だよ」
マンショは、まっすぐに答えた。
「町も、人も、食べ物も。日本と違うところも、同じところも。せっかく遠くまで行くんだから、いろいろなことを知りたい」
ジュリアンが笑った。
「それなら、忘れないように、よく見ておかないとね」
「そうだね。帰ってきたら、話すことがたくさんありそうだ」
ミゲルも、楽しそうに言った。
四人は、もう一度、船を見上げた。
これから始まる旅が、どれほど長いものになるのか。
どんな困難が待っているのか。
彼らは、まだ知らなかった。
一五八二年。
四人の少年たちは、日本を離れ、ヨーロッパを目指す。
それは、外交使節としての旅であると同時に、彼らが知らない世界を、自分たちの目で確かめる旅でもあった。
海の向こうには、何があるのだろう。
答えは、まだ誰にもわからない。
だからこそ、彼らは行くのだった。
【セミナリオとは何か】
天正遣欧使節の四人を知るうえで、欠かせない場所があります。それが「セミナリオ」です。
セミナリオ(seminario)は、イエズス会が日本で設けた教育施設です。キリスト教の教理を学ぶだけでなく、ラテン語などの語学、読み書き、音楽をはじめとする幅広い教育が行われました。
当時の日本では、宣教師たちがキリスト教の布教を進める一方、日本人の少年たちを教育するための施設も設けていました。セミナリオは、そうした教育活動を支える重要な場所でした。
天正遣欧使節の四人も、こうしたキリスト教教育と関わりを持ち、ヨーロッパへの旅に送り出されました。
ただし、四人がどの時期に何を学び、どの程度の語学力を身につけていたのかについては、個々の記録を確認しながら考える必要があります。
本作では、セミナリオを単なる旅立ち前の準備場所としてではなく、少年たちが異文化と出会うための基礎を学んだ場所として捉えています。
彼らは、どのような授業を受け、何を覚え、何に戸惑ったのでしょうか。
残された史料を手がかりにしながら、当時の教育と少年たちの学びを描いていきたいと思います。




