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『天正遣欧使節/De Missione Legatorum Iaponensium ad Romanam curiam』  作者: 東曌


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第9話 海の記録と、激動のヨーロッパ


天正遣欧使節の四人は、長い航海のなかで、さまざまな土地を訪れた。


港に着けば、見たことのない船が並んでいる。

市場に行けば、聞いたことのない言葉が飛び交い、初めて見る食べ物が売られている。


彼らにとって、この旅は驚きの連続だったに違いない。


では、その驚きや発見は、どのように後世へ伝わったのだろうか。


## 四人の旅の記録


天正遣欧使節について知るための重要な史料の一つに、『天正年間遣欧使節見聞対話録』がある。


この書物は、四人の少年たちが見聞したことをもとに、対話形式でまとめられた記録である。


日本に残った人々が質問し、ヨーロッパを訪れた少年たちが答える。


そんな形で、異国の風習や宗教、政治、町の様子などが紹介されている。


ただし、ここで注意したいことがある。


この書物は、四人それぞれの日誌を、そのまま四冊並べたものではない。


また、四人が実際に書いた日誌の原本が、現在も完全な形で残っていると確認されているわけでもない。


つまり、彼らが見聞したことと、それを後世に伝えるために編纂された記録とは、区別して考える必要があるのだ。


## 航海日誌は残っているのか?


船の航海日誌と聞くと、毎日の天候や風向き、進んだ距離、船の位置、寄港地などが記された帳面を想像するだろう。


航海日誌は、船がどこを通り、どのような状況で航海したのかを知るための重要な資料である。


しかし、天正遣欧使節の四人が乗った船について、当時の航海日誌が現在も残っているとは、確認できる資料からは断定できない。


そのため、彼らの航路や旅の様子を調べるには、使節の見聞録や同時代の旅行記など、現存する史料を組み合わせて考えることになる。


記録が残っているからといって、すべてがそのまま伝わっているわけではない。


反対に、記録が見つからないからといって、その出来事がなかったとも限らない。


歴史を調べるとは、残された資料を読み、何がわかり、何がまだわからないのかを確かめることでもある。


## 華やかな宮廷の時代


四人がヨーロッパを旅していた十六世紀後半は、各国の王や女王が、宗教や領土、王位継承をめぐって難しい決断を迫られていた時代だった。


イングランドでは、エリザベス一世が王位についていた。


その父ヘンリー八世は六度の結婚で知られる。二番目の妃アン・ブーリンは処刑されており、彼女の娘が、後に女王となるエリザベスだった。


エリザベス自身も、王位が安泰だったわけではない。


スコットランド女王メアリー・スチュアートは、王位継承をめぐる問題と宗教対立のなかで、長くイングランドに幽閉されていた。


そして一五八七年、メアリーは処刑された。


その翌年、一五八八年には、スペインの無敵艦隊がイングランド遠征に向かった。


エリザベスが兵士たちを鼓舞したという、ティルベリーでの演説も、この危機に結びついて語り継がれている。ただし、現在広く知られる演説の文章が、当日の発言を一字一句そのまま伝えているかについては、議論がある。


華やかな宮廷衣装や豪華な船の背後には、王位を守るための決断と、国の存亡をかけた緊張があったのだ。


## 海賊は、捕まればどうなったのか?


当時の海では、商船が商品を運ぶ一方、船を襲って荷物を奪う者たちも活動していた。


海賊として捕らえられ、有罪となれば、絞首刑などの厳しい刑罰を受けることがあった。


実際、エリザベス一世の治世には、一五八三年に海賊とされた人物がロンドンで絞首刑に処された記録もある。


しかし、当時の海上での争いは、単純ではなかった。


海賊とは別に、国王や女王から許可を受け、敵国の船を襲う私掠船という存在があったからだ。


私掠船は、敵国から見れば略奪者であっても、許可を出した国にとっては、敵国の交易を妨害する戦力になり得た。


もちろん、許可があれば何をしてもよいわけではない。活動の実態や当時の法、政治的な事情によって、扱いは異なった。


同じように海上で船を襲う行為でも、誰が、どの国のために、どのような権限で行ったのかによって、評価や処罰が変わることがあったのである。


海の上では、商人も、船乗りも、兵士も、海賊も、同じ海を行き交っていた。


そして、その境界は、いつも明確だったわけではない。


## 四人が見た世界


天正遣欧使節の四人にとって、ヨーロッパは未知の世界だった。


大きな宮殿。

華やかな衣装。

見たことのない食べ物。

遠い国から集まる船。

そして、王位や宗教をめぐる争い。


彼らが目にしたもののすべてが、記録に残ったわけではないだろう。


旅の途中で何を感じ、何に驚き、何を不思議に思ったのか。


残された史料を読むことで、その一端を知ることはできる。しかし、記録にない感情や会話まで、事実として断定することはできない。


だからこそ、歴史小説には、史料に書かれたことと、そこから想像したことを区別しながら、当時の人々の姿を描く面白さがある。


四人が旅をした時代、ヨーロッパは華やかさと危険が隣り合わせの世界だった。


彼らが訪れた港にも、宮廷にも、それぞれの事情と歴史があった。


そして、彼らが帰国した後も、ヨーロッパの歴史は動き続ける。


一五八八年、無敵艦隊がイングランドへ向かう。


それは、四人が旅をしていた世界の、その後に訪れる大きな出来事だった。

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