ランチ
あと数日で夏休みが明けるという頃、叔父さんから電話があった。
「やっと仕事が落ち着いてね。今日、3時間ほど空いたんだけど、良かったら昼食を一緒にどうかな?」
受話器の向こうで耳心地の良い声がした。ちょっと低めで大人の色気漂う、というやつなのかもしれない。私の大好きな声音だ。
叔父さんは、電話を掛けてくるたびに、こうやって食事に誘ってくれる。
今までは、毎回、その誘いを断っていた。
断る度に、ちょっとだけ残念そうに「じゃあ、また今度ね」と電話を切る。
けれど、今日の私は、これまでの後ろ向きな自分を卒業して、叔父さんと同じ時間を過ごしてみたいと思った。
「はい、是非」
「そうだよね。また今度にしようか」
「え?」
「え?」
「行きたいです」
「え? 本当に!?」
「はい」
「僕は、てっきり断られるものだと…… じゃあ急いで迎えに行くから待っててくれるかい? 近くに居るから10分で着くよ」
「はい、わかりました」
受話器越しでもわかるくらい嬉しそうに電話を切ると、本当に10分でアパートの前に車を滑り込ませた。
「お待たせ、乗って」
窓を開けて、入り口で待っていた私に声を掛ける。私は、言われるまま、助手席に乗り込んだ。
高そうなスーツに身を包み、髪は綺麗に整えられている。久しぶりの叔父さんは、社長さんの顔をしていた。
「会うのは2か月ぶりかな?」
「そうですね、それくらいです。それより、お仕事は大丈夫なんですか?」
「会議が3時からだから、それまでに戻ればいい。勝手に店を予約してしまったけど、何かリクエストはあったかい?」
「いえ、特に」
「じゃあ、僕の隠れ家に案内してもいいかな?」
「隠れ家ですか?」
「妻しか連れて行ったことがない店だよ」
叔父さんが行く店なんて、とても格式が高そうなイメージしかない。食事のマナーを知らない私でも大丈夫なんだろうか。急に不安になってきた。
5分程車を走らせると、竹林の中に建つ日本家屋の前で停止した。
そこまで大きくない造りだけど、とても上品な雰囲気が、高級旅館を想像させる。
入り口で、着物を着た長身の男性が待機していた。
「松多部様、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
車から降りた叔父さんに、丁寧なお辞儀をして挨拶する。とても優雅で綺麗な所作だった。
片手を上げて彼に挨拶をし、叔父さんが言った。
「急に連絡して悪かったね。どうしても、姪をここに連れて来たくてね」
「今日は姪御様とお越しくださったのですね。ありがとうございます」
私も車から降りて叔父さんの横に立った。
車中から見た彼は、お母さんと同年代くらいに見えた。気品ある立ち振る舞いや、オールバックにした髪型が、そう感じさせたのかもしれない。
けれど、近くで見ると意外に若くて驚いた。私と、そんなに年が離れていないのかもしれない。
「こんにちは」
おどおどと挨拶をすると、一瞬の間を置き、軽く会釈をして笑顔を返してくれた。
その笑顔のまま、叔父さんに向き直り話し掛ける。
「松多部様、お車の鍵をお預かり致します」
「ありがとう」
「では、ご案内致します」
鍵を受け取り、にっこりと笑って少し先を歩く。叔父さんと私は、その後に続いて店内に足を踏み入れた。
「本日は、奥のお部屋をご用意しております」
靴を脱いで磨き上げられた廊下を進む。廊下と同様に、光沢のある柱や通路の両側に並ぶ障子も、とても手入れが行き届いていた。
庶民の私には、場違いな気がして気後れした。
廊下の端まで来ると、彼は膝を突いて左側の障子を開けた。
「こちらでございます」
「ありがとう」
叔父さんが先に中に入って、テーブルの右側に座る。私は対面に腰を下ろした。
「では、ご用意致します」と座礼をして部屋を後にした。
彼の一連の振る舞いや洗練された建物、この場にそぐわない私は、ただ萎縮するばかりだった。
「どうしたんだい? 気分でも悪い?」
「いえ。こういう場所は初めてなので緊張してます」
「ああ、気楽にしてて大丈夫だよ。料理を運んでくれる以外は誰も来ないから」
その言葉にちょっとだけ安心した。
食事中も彼が室内にいたら、落ち着かなくて食べ物が喉を通らないかもしれない。
用意されていたおしぼりで手を拭きながら、叔父さんが私をしげしげと見つめる。
「しばらく会わないうちに雰囲気が変わったね。表情が明るくなったし、少し社交的な面も見えるようになった」
確かに、最近、考え方や人との関わり方が変わってきたという自覚はある。
以前のままの私なら、この先もずっと、こうやって叔父さんと食事の席を共にする事などなかったと思う。
「そう、ですね」
「何か心境の変化でもあったのかな?」
「心境というより…… 環境かもしれません」
「ほう、何がさくらを変えたんだい?」
おしぼりを置いてテーブルに肘をつき、興味津々という様相で身を乗り出す。
まるで大好きなお菓子を目の前にする子供のように、高揚した表情で私が話し出すのを待っていた。
「えーっと」
今の生活をどう話すべきか、話して叔父さんが不愉快に感じないか、言葉を選ぶ準備で思考回路がフル回転していた。
「あの」口を開きかけた時に、障子の向こうで女性の声がした。
「松多部様、お料理をお持ちしました。失礼致します」
お母さんと同年代くらいの女性の後に続き、先程の男性が、料理を乗せたお盆を持って入って来た。
女性が、説明をしながら、次々と色鮮やかなお皿を並べていく。美術品と錯覚してしまいそうなほど美しい料理の数々に、溜息が出そうになった。
叔父さんが配膳している女性に言った。
「女将、姪のさくらだよ」
手を止めて、叔父さんと私を交互に見る。
「えっ、姪御さんてことは……」
「そう、若奈の娘だ」
「若ちゃんの?」
私を見る女将さんが、一瞬で泣きそうな表情になった。
「確かに、若ちゃんの若い頃にそっくりですね。過去から来たと言われても納得してしまうかもしれません」
女将さんの言葉に、叔父さんは「うん」と返事をした。
「そうですか、若ちゃんの……」と言って小さめに「ふーっ」と息を吐き、叔父さんから私に視線を向けた。
「私、あなたのお母様と、小学校から大学まで一緒だったんです」
配膳を男性に任せ、指先を揃えた両手を腿の上に乗せて話し始めた。
「出来の悪い私は、よく勉強を教わっていました。学校の外で会うことが出来なかったので、少しでも近付きたくて同じ塾に通ったりもしました。とても聡明で周りからの信頼も厚い方でね。常に凛としていて、ご自分から積極的に人と関わることはないのに、いつも周りに人の輪ができていて。私の憧れでした」
頬に流れた涙を慌てて人差し指で拭うと、微笑んで言った。
そして、昔を懐かしむような、切なげな表情をした。
「お母様は、本当に素敵な方だったんですよ」
『だった』と過去形で話すのは、お母さんの死を知っているからなのかもしれない。
彼女の様子に、胸が締め付けられる思いだった。
話している最中に、配膳を終えた彼が静かに部屋を出る。
背後で障子が閉まる音を聞き「長居しては失礼ですね」と女将さんが立とうとした。
そこに声を掛けた。
「あの、私は母の過去を知らなかったので、お話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございました」
驚いたような顔をして「また機会があったら、お互いの思い出話をしましょうね」と微笑んで部屋を離れた。
それを正面で見ていた叔父さんは、もっと驚いたような表情をしていた。
「彼女は、妹の親友でね。一度、会わせてあげたくて、今日、ここへ連れてきたんだ。それより、僕は、女将の話でさくらが泣き出すんじゃないかと心配だったんだけど。君は本当に変わったね。さて、その理由をじっくりと聞かせてもらおうかな」
そう言ってニコリとし「食べながら話そうか」と食事に手を付け始めた。
食事を進めながら、今までの百合さんと海李君との毎日の話をした。
あまり話すことに慣れていないから、できるだけ簡潔で誤解を招かないような言葉を選ぶ。
叔父さんは、私の話を真剣な面持ちで聞いてくれていた。
「以前の私は、生きることに苦痛を感じていました。でも、初めて友達と呼べる人ができて、その人達が色々な体験をさせてくれて、生きることの楽しさや、人の優しさを教えてくれました。だから、私が変わりつつあるのは2人のおかげなんです」
食べる手を止めて、私の話に耳を傾けていた。
けれど、話し終えても無言のままだった。
腕を組み、料理を見つめて、難しそうな顔をした状態で動かない。
「ごめんなさい。何か気に障りましたか?」
恐る恐る尋ねた。
私の問いかけに「いや」と困ったような笑顔を作って話し始める。
「あの日、さくらの面倒を見ると偉そうに言ったけれど、君が閉じこもっていた殻は、想像していたよりも随分と硬かった。正直、子供のいない僕は何をしてあげたらいいのかわからなかったんだ。僕がしてきたことと言えば、生活費を出すことと電話で声を聞くくらいで、それ以外の方法を見つけ出すことができなかった。でも、今のさくらの話を聞いたら、何が足りなかったのか気付いた。だからね、自分の不甲斐なさに、ちょっと落ち込んでるんだよ」
腕を組んだ状態で左腕だけを動かし、こめかみを人差し指で掻いた。
「私は、叔父さんに感謝しているんです。いくら妹の娘だと言っても、叔父さんは私を拒否することもできたし放っておくこともできた。でも見捨てずに、いつも気にかけてくれていたのを知ってます。失礼な態度ばかりだったのに、怒りもせずに今の生活を与えてくれました。だから、本当に感謝しかないです」
最近になって、叔父さんの存在の有難さを実感した。
大袈装かもしれないけど、今、こうやって生きていられるのは、叔父さんのおかげだと思っている。
本人を前に感謝の気持ちを伝えるのは気恥ずかしくて、私は、熱くなった顔を冷まそうと手で顔を扇いだ。
「まさか、さくらに慰められる日がくるとは思わなかったよ」
本当に可笑しそうに大きな声で笑った。こんな叔父さんの姿は初めてだった。
「僕は、君を大切にしてくれている友達を有難く思うけど、その反面、少しだけ嫉妬しているのも事実なんだ。僕には、さくらの殻を破ることができなかったからね」
「叔父さん……」
「ところで、1つ気になったんだが…… その、何と言うか、海李君というのは彼氏なのかい?」
眉尻を下げて、気まずそうに聞いてきた。
思いがけない質問に、鼓動が少し早くなるのを感じる。でも、この異変は、予想もしていなかった言葉を叔父さんが発したからだと思う。
それ以外に理由が見つからない。
「いえ、海李君は友達です。そもそも、今まで誰かを異性として好きになったことなんてないし、友達と彼氏の違いが何なのかもわかりません」
私の返答を聞くと、曇り顔が一気ににこやかになり「そうか、そうか」と嬉しそうに何度も首を縦に振った。
何がそんなに嬉しいのかわからないけど、叔父さんが幸せそうならいいか、と結論付けた。
「もうしばらく、そのままのさくらでいてくれ」
「……はい」
上機嫌と思われる笑顔のまま「1本電話を掛けるから、ちょっと失礼するよ」と部屋を出て行った。
叔父さんの言葉の意味はわからなかったけれど、深く考えることでもないと思い、まだ手をつけていなかった料理と向き合うことにした。
話し終えるまで若干緊張気味で、目の前の芸術を堪能する余裕なんてなかった。
どれも美味しかったけど、その中でも一番好きだったのは、海老をミンチ状にしたものを薄い皮で包んでいた料理だった。海老以外にも何か入っていたけど、料理に関して無知な私には、それが何か断定できる術がない。
「失礼します」
障子の向こうで先程の男性の声がした。手にしていた箸を置き返事をする。
「はい」
その声を待って、彼が部屋に入って来た。
手にしているお盆に1つだけピンク色の器が乗っていた。
「料理は、お口に合いましたか?」
そう言いながらテーブルの横まで来て正座をすると、空になったお皿をよけて卓上にスペースを作り、持ってきた器を私の前に置く。
相変わらずの優雅な動きで、まるでお芝居を見ているようだった。その様子に魅入ってしまい、話しかけられていることにも気付かなかった。
「あの、如何されました?」
「あっ、いえ、あの、大丈夫です。何か仰いましたか?」
ふふっと笑って「お食事は如何でしたか?」と問い直された。
「はい、とても美味しかったです。こういうお料理は初めてなのですが、見た目も味も素晴らしくて感動しました。私は、海老を使ったお料理が一番好きでした」
私の返答に、一瞬目を見開き、また元の穏やかな表情に戻った。
「嬉しいお言葉をありがとうございます。宜しければ、こちらもお召し上がりください。メニューにはございませんが、特別にご用意致しました」
目の前に置かれた透明の器に入っていたのは、淡いピンク色のゼリーだった。そのゼリーの中に、それよりも少し濃いピンクの2輪の桜が咲いていて、食べ物というより芸術品と呼ぶのが相応しいと思えるほど綺麗な物だった。
「お名前のイメージでお作りしております。お口に合えば幸いですが」
「もしかして私の為に作ってくださったんですか? ありがとうございます」
「どうぞ、お召し上がりください。もし、お気に召していただけるようでしたら、次回もお作り致しますので」
「これ、あなたが作ってくださったんですか?」
「はい。母のご学友だった娘さんへの、ささやかなプレゼントです」
「女将さんの、息子さん?」
「左様でございます」
にっこりと笑う。座っている時の姿勢も笑顔も本当に美しい。この人も、このお店の芸術品の一部だと言える。
「それでは私は失礼致します」
「あの、ありがとうございます」
私の言葉に再び笑顔を見せて、音もなく部屋から出て行った。
デザートに目を向け、この形を崩すのを勿体なく思いながらもスプーンを入れる。ほんのりした甘さの中にちょっとだけ酸味があって、花の白あんがバランスを取っている。食べたことが無い味だった。とても美味しくて、目も舌も楽しいとは、こういうことを言うんだと思った。
お店を出る時に息子さんが見送りに来てくれた。
「ご来店、ありがとうございました」
「今日は、突然で悪かったね」
「いえ、減相もないことでございます。またのお越しをお待ちしております」
「ご馳走様。じゃあ行こうか」
叔父さんが、横に立っていた私に声を掛けて、お店の前に止められていた車に乗り込んだ。
私は、彼の前まで歩き、先程のおもてなしのお礼を伝えた。
「ありがとうございました。味も美しさも、今までで一番感動したデザートでした。ご馳走様でした」
「お喜びいただけて何よりです。また、お越しの際にはご用意致しますね」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼します」
嬉しそうに微笑む彼に別れを告げて、私は叔父さんが待つ車に乗り込んだ。
車の窓を開けて「じゃあ。また来るよ」と手をあげて発進させる。彼は「ありがとうございました」と姿が見えなくなるまでお辞儀をしていた。
車の中で、叔父さんに紙袋を手渡された。
「これは?」
「さっき電話をして秘書に持ってきてもらったんだ。さくらのお友達に渡してくれ。話を聞いた限りでは金品を受け取ってくれそうにないから、うちの商品で悪いが、ご馳走になっているお礼に」
「ありがとうございます」
「本当は食事でも誘いたいところだが、それだと、さくらの交友に水を差してしまうからね。宜しく伝えてくれたまえ」
「はい、わかりました」
「それと、もう一つ。これからは、こうやって僕とも時々食事してもらえると嬉しいんだが……」
「はい、ご連絡お待ちしています」
「いいのかい?」
「勿論です」
「まったく、君の変わり様と言ったら…… できるだけ時間を作れるように、仕事を頑張らなくてはいけないね。僕の楽しみが増えたよ」
嬉しそうに微笑んだ。
その日の夕方、叔父さんから預かった紙袋を手に、有富家に向かった。
「叔父からです」と渡すと、中の物を見て百合さんが大喜びした。
「うそ、メイのお菓子! これ予約で3か月待ちなのよ。ずっと意べてみたかったの」
「そうなんですか? 叔父が宜しく伝えてくれと言ってました」
「叔父さん、わさわざ予約してくれたの?」
「いえ、叔父の会社の物だと言ってました」
「えっ? 勤めていらっしゃるの?」
「あの、社長です」
「まあ!」
「叔父が、何の会社を経営してるのか知らなかったんですが、百合さんのおかげで謎が解明されました」
驚いた顔のままの百合さんに、にっこりと笑ってみせた。




