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お祭り

 次の日、言われた通りに5時にお邪離した。

 今日はリビングではなく、玄関を入って左側にある客間に通された。以前、私が高熱で寝かせてもらっていた部屋だ。

 既に浴衣の一式を用意してくれてあった。

 それを順に、私は着せ替え人形のごとく手際よく装備されていく。

 百合さんが口にする「おはしょり」だとか「衣を抜く」とか意味がわからなかったけれど、とりあえず「はい」と返事をしておいた。


「そういえばね。これは内緒の話なんだけど、海李が初めてさくらちゃんを見た時の印象って『天使』なのよ」

「えっ?」

「公園に天使みたいな女の子がいるって言ってたの」

着付ける手を休めずに、膝をついた姿勢で私を見上げる。

「私ね、それを聞いて心配になったの。本当に天使が見えるようになっちゃったのかしら、それとも病んでしまったのかしらって。でも、実際にさくらちゃんに会って、本当に天使みたいだと思ったわ。色白で華奢で、どこか儚げで。あっ、この話をしたって海李が知ったら怒るだろうから、さくらちゃんと私の秘密ね」

人差し指を立てて口まで持っていき『内緒』のポーズをする。

 何と言ったらいいのかわからなくて「はい」とだけ返した。

 顔が一気に熱を帯びる感覚があった。きっと、今、私は真っ赤になっているに違いない。


「そのままで十分可愛いけど、どうせならメイクと髪も結ってお洒落しましょうか」

 着付けを終えて「こっち来て」と、部屋の角にある机まで誘導され、そこにある椅子に座らされた。

 着付けもそうだけど、メイクも手際よく済ませ、肩甲骨の下まである髪は、大きなお団子にしてくれた。

 あっという間に支度が終わった。

「うん。思った通り、とても可愛いわ。あそこの姿見で出来上がりを見て」

 入り口付近に姿見が置いてあった。

 以前は、この大きな鏡を見た記憶がないから、わざわざ用意してくれたのかもしれない。

 言われた通りに自分の姿を鏡に映す。

 淡い水色に大きく描かれたピンクと青い花。トルコブルーの帯。溜息が出るほど綺麗だった。

 初めて着せてもらう浴衣、初めてのメイク、それらを施された私は、本当に自分だとは思えなかった。

 とても可愛くしてもらって、百合さんの腕の凄さに驚いた。

「百合さんて凄いですね。別人みたいです」

「元がいいからよ。メイクなんて、ほとんど手を入れてないわ」

着付けで使った物を片付けている手を止めずに言った。

「さて、まだ少し早いけど、私はお店に戻るわね。海李は部屋にいるから、声かけてくれるかしら?」

壁に掛かっている時計を見ると、5時30分だった。

「はい、ありがとうございました」

「楽しんで来てね。さくらちゃん、可愛いから男の人に声を掛けられるだろうけど、着いて行っちゃダメよ」

笑いながら言って、早々に家を後にした。



 私は、2階の一番奥にある海李君の部屋を目指して階段を上り始める。

 段差を上がるときに、浴衣の前を少しつまんで裾を上げると教わり、その通りに実践してみた。

 着慣れない浴衣に手こずったけれど、何とか目的地に辿り着いた。

 ノックすると「どうぞ」と声がしたので、ゆっくりとドアを開ける。

 百合さんが別人に仕上げてくれたから、似合わないと否定されはしないだろうけど……

 一緒に出掛ける海李君が、どんなふうに思うか心配だった。


 私に背を向ける形で椅子に座っていた海李君が、こちらを振り向く。

 対面していたパソコンの画面に楽譜のようなものがちらりと見えた。もしかして、昨日、話していた曲作りの最中だったのだろうか。

「あっ、ごめんね。お仕事してた?」

問いかけた声が聞こえなかった訳ではないだろうけど、彼は、電池が切れたロボットのように、私を見たまま動かなくなった。

 その様子に、制作中に邪魔したと怒っているのかもしれないと不安が襲う。

「ごめんね。下で待って待ってたほうがいい?」

「いや、大丈夫。ちょっと待って」

真剣な顔でパソコンに向き直り、何やら操作していた。

 海李君の表情が、不安な気持ちに拍車をかける。


「お待たせ」

椅子から立ち上がり、海李君は私を見ずに横を通り抜けて先に部屋を出た。

 やはり作業を中断させたことを怒っているのだろうか?

 慌てて後を追った。

「ごめんね、邪魔しちゃったよね」

後ろ姿に声を掛ける。

「ちがっ! そうじゃない…… ごめん、誤解させた、かも」

廊下の途中で振り向き、真っ赤な顔で下を向きながら言った。

「さくちちゃんが可愛すぎて、顔見られないくらい緊張してる」

 一気に顔が熱くなるのを感じた。

 未だかつて可愛いなんて言われたことがない。

 その言葉に免疫のない私は、ただ狼狽えることしかできなかった。

 何と答えればいいのか悩んで、

「あっ、あれ、あの、馬子にも衣装ってやつだよね。私が可愛いんじゃなくて、浴衣マジック? って言うの?」

そう返すのが精一杯だった。

 私の言葉でゆっくりと顔を上げた海李君は、目が合った途端に「さくらちゃんらしい」と笑い出した。何が面白かったのか、次第にお腹を抱えるほどの大笑いになった。

 私は、そんな彼を前にどうしていいか分からず、呆然と様子を見ていることしかできなかった。

 

 涙を流す程ひとしきり笑い「ごめんごめん、行こう」と私に手を差し出す。

 突然の彼の行動に、心臓が大きく脈を打つ。

 それは、手を繋ぐという意味に取れるけれど、私の解釈は合っているのだろうか?

「慣れないから階段下りにくいでしょ?」

差し出された手の意味を理解した。

 けれど、今まで繋いだことなどないから、恥ずかしさで、また顔が熱くなった。

 伸ばしたまま待っていてくれている手に、そっと触れる。とても冷たかった。

 

 階段を下りながらが海李君が言った。

「昨日から、さくらちゃんに驚かされてばかりだ」

「そうなの?」

「うん。知れば知るほど色んな顔があって、一緒にいて楽しい」

「……ありがとう」



 今日は近所の神社のお祭りに行くと言っていたけど、土地勘のない私は、どこを歩いているのかさっぱりわからなかった。

 海李君は、不慣れな浴衣を配慮してくれているのか、後ろで手を組んで「たまには景色を眺めて歩くのもいいね」と言いながら、いつも以上にゆっくり歩いていた。

「足、大丈夫? 痛くない?」

不意に覗き込んで聞いてきた。

 浴衣と同様に慣れない履物に苦戦していたけれど、心配をかけたくなくて、私は平然を装う。

「少しだけ。でも大丈夫」

「神社、すぐそこだから、着いたら休憩しようか」

「うん」

 すぐと言うだけあって、微かに聞こえていただけの賑わう声が段々と大きくなってくる。

 太鼓の音も混じっていて、その活気のある響きに誘われるように、気持ちが高揚していくのがわかった。

「私、お祭り、ほぼ初めて」

「ほぼ?」

「小さい時に一度だけ、母に連れて行ってもらった。でも、ほとんど記憶がないから。今、凄くわくわくしてる」

「じゃあ誘ってよかった」


 境内に足を踏み入れると、経験したことがない世界が広がっていた。

 長い参道の横を彩る紅白の提灯、

 数々の屋台、

 嗅覚を刺減する香ばしい匂い、

 飛び交う人々の声。

 どれもが心を惹き付ける魔法のようで、すぐにでもその風景の中に加わりたくなった。

 まだ6時前ということもあるのか、幸いなことに、そこまで混雑していない。行き交う人々の隙間から景色が見えるくらいの余裕がある。

 お祭りは暗くなってからのほうが賑わうらしい。

 物珍しくてキョロキョロしていたら、ベンチを差して「あそこで休憩する?」と聞かれた。

 本当は屋台がどんなものなのか今すぐにでも見てみたかったけど、休憩したい気持ちちが少しだけ勝った。

「うん」

 ベンチに辿り着くと「ちょっと飲み物買ってくるから、ここで待ってて」と私を座らせ、海李君は走って境内から外へ出て行った。


 一人きりで賑やかな場内を眺めていたけれど、爪先からのSOSを感じて下駄を脱いだ。

 少し高めのベンチだから、小柄な私では地面に足が着かない。疲れた足をぶらぶらさせるには好都合だった。解放感が気持ちいい。

 しばらく、その動作をしながら自分の足元を見ていると、目の先に知らない3足の靴が見えた。明らかに男性の大きさだった。

 視線を上げると、やはり知らない男性が3人で私を見下ろしていた。

「待ち合わせ?」

真ん中の人に聞かれた。私は、その問いに答えなかった。

「君、可愛いよね。俺らと一緒に回らない? 友達いるなら、その子も一緒に」

今度は左側の人。その問いにも答えない。

「何か言ってよ。もしかして喋れない? それか俺らみたいなイケメンに緊張してる?」

3人で同じような嫌らしい笑みを並べて私を見下ろしていた。その構図に何か屈辱を感じて、ちょっとだけ苛立った。

「あの。お三方はイケメンなんですか?」

対話するつもりはなかったのに思わず口に出る。

「俺らモテるんよ。こんなかっこいい男に声かけられてラッキーだね」

「いえ、もっとかっこいい人を知ってますから」

「嘘だあ。俺ら以上のイケメンなんて、この辺に居ないっしょ」

にやけ顔を崩さず、お互いに顔を見合わせた。


 厚顔無恥の四文字が頭に浮かぶ。

 正直、世の中のイケメンとやらの基準がわからないから、彼らが該当するのか判断ができない。でも、少なくとも中身はそうでないと断定できる。

 それに、海季君のほうが断然かっこいい。

 無言でいても、3人が凝りもせずに話しかけてくるのが苦痛だった。

 公園に居た時は、こういう誘いは無視していれば大抵は相手が引いたけど、この人達にその手は通用しないようだ。

 くだらないと言っては先礼だけど、あまりにも下品な言葉の攻撃に嫌気が差してきた。

 思わず「しつこい」と言いかけ、冷静になって言葉を飲み込む。


 どれだけ声を掛けても無反応な私の態度に連れを切らしたらしい。真ん中の人が、苛立ちを含んだ声で「おい」と言いながら腕を掴もうとした。

 攻撃的な雰囲気に恐怖を感じて、握っていた手と肩に力が入る。

 目の前まで男の人の手が迫った瞬間、海李君の声が響いた。

「彼女に何か用ですか?」

参道を走ってこちらに向かって来る海李君を見てギョッとし、伸ばした手を慌てて引っ込める。

 海李君は、息を切らせながらベンチの横まで駆け寄ってきて立ち止まった。そして、彼らを睨みながら、3人の視線から隠すようにゆっくりと私の前に移動する。

 その突然の登場と彼の気迫に気圧されたのか、気まずそうに「何だ、男いんじゃん」と舌打ちし、お互いに顔を見合わせて、それ以上は何も言わずに去って行った。


 見たことがない怖い顔で後ろ姿を睨み続けていたけど、その表情を崩して、ゆっくりと私に向き直る。

「遅くなってごめん。何かされなかった?」

「精神的な苦痛は受けましたけど、身体的には何もされていないです」

「精神的?」

「ああいう軽薄な人達は、相手の迷惑など考えていないのです。聞くに堪えない言葉の羅列が、人を不愉快にさせていると気付かないのでしょうか?」

「何もされてないなら良かった。ところで、何故、敬語?」

「ちょっと怒っているからです」

「ぶふっ」と口から洩れる音を誤魔化すように横を向く。肩を小刻みに震わせながら、私を見ずに左横に座った。

「何故、笑っているのですか?」

笑いを隠しきれていない彼に聞く。

「ごめん、怒り方が可愛くて」

相変わらず、こちらを見ないまま答えた。

 ひとしきり音もなく笑った後に、大きく息を吐き出して私に顔を向けた。

「一人にしてごめん。薬局まで行ってきて時間かかった」

彼は、ベンチからお尻を下してしゃがみ「ちょっと脚を触るよ?」と自分の右腿の上に私の両脚を乗せる。

 さっきまでは持っていなかったビニール袋から箱を取り出し、両方の1趾と2趾の間に絆創育を貼ってくれた。鼻緒が当たって痛かった箇所だ。

「赤みがあるけど大丈夫? これで少しは良くなると思うけど」

「……わざわざ、ありがとう」

「敬語じゃないから、もう怒ってない?」

しゃがみこんだまま、顔を上げて私を見ている。

「……うん」

海李君の優しさのおかげで、さっきまでの苛立ちが嘘のように吹き飛んだ。

「あっ、飲み物買ってくるの忘れた…… まあ、屋台で何か買えばいいか」

ゴミを袋に入れ、地面に脱いであった下駄を履かせてくれて「じゃあ行こう」と立ち上がる。

 私もベンチからお尻を上げた。クッションができたおかげで、足の痛みは随分と楽になった。

「ありがとう、痛くない」

「良かった。辛過ぎたら言って」

「うん」

「どこから見て回る? 食べたい物ある?」

 私達は、吸いこまれるように賑やかな人混みの中に紛れ込んだ。



 お祭りは本当に楽しかった。

 かき氷やチョコバナナ、あとじゃがバターも買ってくれた。ヨーヨー釣りもした。

 初めて目にする口にする全てが嬉しくて、ずっと頬の肉が緩みっぱなしなくらい笑っていた。テンションが上がり過ぎて息切れしてしまったほどに。

 ただ、辺りが暗くなり始めたら人が雪崩のように押し寄せてきて、私を心配した海李君が「帰ろう」と言った。

 貼ってくれた絆創の効力も薄れ始めていたので、素直に海李君の声に従った。



 鳥居を出ると、背後から絶え間ない賑やかな音が聞こえた。この楽しい時間の終わりを告げられているようで、それが寂しくもあった。

 帰り道を楽しく会話しながら歩いていると、突然、無言になった海李君が前に出てしゃがみこみ「はい」と後ろに両手を伸ばした。

 その手の意味が分からなくて、一瞬、躊躇った後、出された両手をそっと握る。

 やはり冷たい手だった。

「それは面白いけど…… そうじゃなくて、おんぶしてあげる」

頭だけを後ろに向けて私に言った。

「え? あっ、だっ、大丈夫。歩ける」

「足、痛いでしょ? 大丈夫じゃない時は無理しちゃダメだよ」

「で、でも」

「じゃあ、お姫様抱っこにする?」

「あっ、あの、百合さんのお料理が美味しすぎて、食べ過ぎで太っちゃったの。だから重いの。それに海季君も疲れてるだろうから自分で歩く」

「じゃあ、俺、走って帰っちゃうよ。さくらちゃん一人で帰れる?」

「……帰れない」

「こういう時は遠慮しなくていいよ」

「……うん」

同じ体勢のままで待ち続けてくれている海李君に甘えることにした。

 本当は、足の痛みが増していて、歩いて帰れる自信が無かった。

 少し裾を開いて、その背中に体重を預ける。

 心臓が大騒ぎして、辺りの音が聞こえなくなった。

 このドキドキは何だろう……

 とても不思議な感覚だった。

 私を背負って立ち上がり「全然、重くないけど」と言った彼の耳が、外灯に照らされて真っ赤になっていると気付いた。

「ありがとう」

私は、海李君に小さな声でお礼を言う。

 

 彼と同じ視線の高さで見る景色は、いつもと少しだけ違った世界に見えた。

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