友達?
夏休みが明けての登校初日。
教室内は、休み前と特に代わり映えのない日常が広がっていた。
教科書や参考書を読していたり、タブレットで勉強していたり、誰一人として話している姿がない。
ここは、いつも空気が張り詰めている。この特進クラス特有の時間の流れ方かもしれない。
他の教室と違って友達同士の慣れ合いなど無く、教室内はいつも静かだ。
ちょっとでも大きな声で話す人がいると、勉強の邪魔だと言わんばかりに咳払いで迷惑をアピールされる。
『周りは全て敵』みたいな異様な緊張感は、教室と言う名の戦場のようだ。
転入が決まった時には、まだ見ぬ新たなクラスメイトに懸念を抱いていた。
また、いじめの対象にされないだろうか、と……
けれど、勉強第一の人達ばかりで、驚くほどに転入生という存在に無関心だった。我関せずな雰囲気が、私には心地良いと思えるスタートになった。
ある意味、ここは、とても過ごしやすい空間だ。
今日は、午前中のみの早い下校で、先生の挨拶が終わると同時に帰宅する人が何人かいた。みんな塾に通っているようなので、これから勉強に向かうのかもしれない。
教室から、あっという間に人の影が消えた。
私も、帰る準備を始めた。机に出ているペンケースを鞄にしまって席を立つ。
その時「松多部さん」と鼻にかかった声で呼ばれたので右側を向くと、進路を塞ぐように私の横に立つ人の姿があった。
声の主は、一度も話したことがない高橋さんだった。
彼女に限らず、クラスの大半と話したことがない、と言う表現のほうが正しいかもしれないけど。
正直、至近距離に立たれるのが怖い。暴力を振るわれることはないだろうけど、防御反応で後ろに下がって彼女との距離を空けた。
「はい」
「ねえ、ちょっとだけ時間いい?」
「何か御用ですか?」
「御用って言うか、聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょうか?」
彼女は、腕を組んで天井に目を向けると、演技がかった不自然な仕草で、少し考えるフリをした後に質問してきた。
「この前、神社のお祭りに行ってたでしょ? 一緒にいたのって有富くん?」
誰かに見られているとは思わなかったから、その問いに体が強張った。
何か文句でも言われるのだろうか……
私よりも少し高い位置から、瞬きもせずに見つめてくる目に恐怖を感じる。それに耐えきれなくて、彼女の足に視線を逸らした。
「……そうですが、何か?」
私から一歩離れてクルリと背を向け、そして、また、こちらを振り返ってニヤリと笑った。
「やっぱり! 付き合ってるの?」
目の前まで近寄って来て、再び私の目を覗き込む。
彼女との距離が近すぎて、たまらずに頭を後ろに下げた。
付き合ってなどいないけれど、仮に付き合っていると言った場合、何かしらの攻撃を受けるのだろうか……
「……いいえ、お友達ですが」
「でも、仲良さそうだったじゃん」
ジリジリと間合いを詰めてきたので、詰められた分、後ろに下がる。彼女は、ずっと視線を逸らさずにいた。
その、しつこいと感じる圧が、私の中の恐怖心を苛立ちに変える。
「……仮に、お付き合いしているとして、何か不都合がおありですか?」
「別に不都合なんてないよ」
「では、何か?」
「そんな喧嘩腰でこないでよ。私は、松多部さんとの会話のきっかけが欲しかっただけなの! 怒らないでよ」
「……いえ、怒ってはいませんが」
「じゃあ、なんで、そんなに冷たい言い方するの?」
普段、誰とも会話をせずに一日を終えるのが普通なのに、クラスメイトが接近してくるという奇怪な現象に、無意識に境界線を張っていた。
「親しい間柄ではないですよね? それに、これは通常運転です」
「親しくないと冷たいの? そもそも、なんで敬語なのよ」
「初めて話す方には、大抵、敬語で応対します」
「もーっ! タメじゃん! タメなのに何で敬語? ウザイからやめて!」
腰に手を当て頬を膨らませている。これは怒っているということなのか?
なんだか面倒な状況に巻き込まれてしまった。
一体、何が目的なんだろう。
「私に何を求めていらっしゃるのですか?」
「だからあ、簡単に言えば友達になりたいの」
「何故ですか?」
「興味があるから」
「私は、今まで学校で友達と呼べる人がいなかったので、高橋さんが思い描くような友情関係の構築はできないと思いますが」
「えっ? マジで? 友達がいないんなら私が1号になる!」
「いえ、学校の外に友達はいます。1号は百合さんです」
「百合さんて誰よ」
「海李君のお母様です」
「じゃあ2号!」
「2番目は海李君です」
「あーっ、もうっ! じゃあ3番目は? 3番目でいいから友達になろ?」
いきなり私の両手を握りしめてきた。
突然の事に驚いて硬直しつつも、その手をやんわりとほどく。それなのに、私の両手は、再び彼女の手の中に収められた。
何故、こんなに必死に友達になりたがるのかわからない。何か、それ以外に思惑があるのか勘ぐってしまう。
「……どうして私なのですか?」
「うーん、どうしてって、私的に顔がめっちゃ好みだし、他の人みたいにピリピリししてないとこも好きだし、気付くと目で追ってるの。オーラって言うの? よくわかんないけど、居るだけで存在感があって、ピーンて立ってる感じが好き」
「……ピーン? ごめんなさい、よくわからないですが、要するに女性が恋愛対象ということですか? 私は恋愛に興味がないので、他の方を当たってください」
さっきから握られ続けている手を見て、口をあんぐり開けている彼女に視線を戻す。
「なんで、そうなるの!?」
「なんでとは何に対してですか?」
「恋愛対象のくだりよ」
「お話を伺う限りでは、女性が好きなのかと」
「勘違いしないで! 私は男の子が好きよ。男が好きなの! 松多部さんと友達になりたい、ただ、それだけよ」
手を振りほどいて床を踏み鳴らしながら、真っ赤な顔で私を睨みつける。
多分、自分をストレートに表現するタイプなのだろうけど、こういう人を初めて間近で見た。
「……右足は大丈夫ですか?」
「足?」
「必死に床を踏んでいらしたので」
「痛いわよ! ジンジンしてる。って、そんなことは、どうだっていいのよ! 友達になってくれるの?」
両手を腰に当てて仁王立ちをしながら私の答えを待っていた。
ずっとテンションが上がったきりで賑やかな人だ。
まあ、見た限りでは悪い人ではないのかもしれない。けれど、信用していい人なのかはわからない。
信じて裏切られるのは、もう嫌だ。
「他の方を探されたほうがいいかと……」
「なんでよ! 私は、あなたと友達になりたいの」
「私は、友達には向いていないと思います」
「ダメなの?」
「そうですね」
「どうしても?」
「どうしても」
「じゃあ、今日がダメでも、友達になってくれるまで、これから毎日、口説きに来るから」
「それは困ります」
「なら、ここで友達になったほうが、後々面倒じゃないじゃん」
「どういう理屈ですか?」
「だから、友達になって」
「お断りします」
「じゃあ、明日も口説きに来るから。覚悟してよね。そもそも、なんで友達になれないのか教えてよ」
『なんで』という問いに対しての言葉を見つけられず、私は、口を開くことができなかった。
天井を見上げて溜息をつく。
彼女の様子からして、きっと自分の思い通りの回答を得られるまで、このやりとりを毎日続けるつもりなのだろう。
もしかしたら、帰りに待ち伏せされたりするかもしれない。想像するだけで頭が痛かった。
これに終止符を打つには、こちらが折れる以外の選択肢はないのかもしれない。
視線を戻して、もう一度小さく溜息をついた。
仁王立ちの体勢を崩さずに、私が話し出すのを待ち続けている彼女に言った。
「……先程も申しましたが、私は今まで友達がいなかったので、ご期待に添える交友関係を構築できるかはわかりませんが、それでも宜しいですか?」
「ってことは友達になってくれるの!? マジで? じゃあ商談成立ね」
私の両手を握りしめてブンゴンと振る。それを見ながら、彼女の言葉を疑問に思った。
……商談?
「私は何か売買の場に立たされているのでしょうか?」
「あはは。えっと、違くて…… 最近、覚えたから使ってみたかっただけ」
自分の言葉を訂正するように、真っ赤な顔の前で両手を横に振った。
「ところで、海李君とはお知り合いなんですか?」
その彼女の様子を見ながら、ふと、先程のお祭りの話を思い出して聞いてみた。
「あー、中学一緒だった。2年と3年。彼、すっごいモテたの。いつも周りに女の子が群がってて、でも本人は迷惑そうにしてた。私の好みじゃないから情報収集してなくて理由わかんないけど、2年の途中から、急に元気無くなっちゃったんだ。卒業するまでそんな感じだったなぁ」
それは、お兄さんが亡くなった後のことかもしれない。
彼女は、その頃の記憶を辿るように、腕を組んで視線を天井に向けた。
「親友以外とは喋んなくなっちゃって、ほんとびっくりするぐらい別人だった。でも、この前、さくら嬢と一緒にいたの見た時、昔の有富君に戻ってる気がした。笑ってたし」
「……さくら譲?」
「うん。松多部さんは固いし、さくらさんだと距離があるし、さくらちゃんは平凡だし、さくら譲がぴったりかなって」
「はぁ……」
「それとも『殿』がいい? さくら殿。こっちもいいかも。さくら殿」
「いえっ! 苗字で呼んでいただければ」
「嫌だ。名前呼びがいい」
「はあ…… なんとも強引ですね」
「ねえ、その敬語やめて。やめなかったら、さくら殿って呼ぶ!」
「はあ…… わかりました」
「さくら殿?」
「……うん、わかった」
「じゃあ、私のことは真結って呼んで。真っすぐに結ぶって書いて、まゆ」
「はぁ、まゆさんですね」
「全然ダメじゃん。敬話もブーだし『さん』いらない」
「では、私にも『譲』を付けないでください」
「さくら嬢は『嬢』いるよ」
言いながら、彼女が腕時計に視線を向ける。一瞬、目を見開いて、慌てたように「やばい」と発した。
「ごめん、これから塾がある。行かなきゃ」
窓際の最後尾の席に戻って鞄を手にすると「じゃあ、友よ、また明日ね」と走って教室を出て行く。
あっという間に姿を消した。
残された私は、唖然と姿を目で追うことしかできず『嵐が去った』そんな感覚を味わった。
学校と言う場での初めての友達。
押し切られてそういう方向に進んだけれど、彼女のペースから解き放たれて冷静さを取り戻し始めた今、段々と後悔が広がり出した。
初めて話す人を安易に受け入れて良かったのか……
小学生の時のように、辛い経験をしたくはない。
そもそも学校での友達とは何をするのだろう。
私にとっては未知の領域だから、自分自身で回答など見つけられない。
どうしたらいいのか……
そんな、何とも言えない感情を抱きながら、誰もいなくなった教室を後にした。




