逃避
加藤さんとの約束を守り、私は真結さんに彼女のことを話した。
真結さんは明るい性格が『来るもの拒まず』なタイプと勘違いされやすい。けれど実際は何重にもバリアを張って、他人が自分の領域へ侵入するのを嫌う人だ。
極端に傷付くことを恐れていて、例えば静乃さんのように完全に敵意のない人だと判断するまで心を開こうとしない。
故に、その話題を持ち出した瞬間に「断って」と不機嫌な顔で即答されてしまった。素直に受け入れはしないだろうと思っていたけれど、ここまで露骨に表情を変えてしまうとは予想もしていなかった。
そこを無理に押し通せば加藤さんに対するガードは一層強まるだけだ。私は、それ以上の打診をしないことにした。
加藤さんへはオブラートに包んでやんわりと真結さんの『拒否』の意向を伝えた。しかし彼女はそれを納得しなかった。
「話してもいないのに私の何がわかるの? ちょっとムカつく!」
「悪い人ではないんです。許してください」
「もう、俄然やる気が出て来た。私は彼女の殻をぶち破る! 絶対に友達になってやるんだから」
私の言葉など耳に入らない様子で勇ましく拳を握りしめるとそれを机に叩きつける。
こういう人を『打たれ強い』と表現するのかわからないけれど、私だったらそれ以上は踏み込めずに距離を取るだろう。こんな風に力強く歩み寄ってくれる人でなければ、高橋さんの領域を打破することは不可能なのではないかと思った。
しかし……。
「高橋さんは強引に近付くと心を開かないタイプですよ。少しずつ距離を詰めていく方が……」
強硬手段を取りそうな彼女の態度を不安に思い、私は慌てて制止しようとした。しかし加藤さんは障害があると奮闘する性格なのかもしれない。
「それが何? そしたら私はこじ開けるタイプだよ」
鼻息荒く、彼女は自身のスタイルを誇示した。
「ねえ凌君。今週、静乃さんも来るんだって。行かない?」
放課後に真結さんが私の机の横に立った。
当初、彼女は私の所へ来るだけで周りから文句を言われていたらしいけれど、この光景は今では公認になっているとのことだ。
「どこに行くの? 私も一緒に行きたい」
真結さんの背後からひょっこりと加藤さんが顔を出して私達の会話に混ざってきた。宣言通り、標的の厚い殻をこじ開けに来たと見える。
「誰?」
真結さんは眉間に皺を寄せて、加藤さんから一歩離れて間合いを取る。
「私は、あなたと友達になりたい加藤です」
「ああ……。 凌君が言ってた子。断ったはずだけど?」
「納得いかないので直談判に来ました」
「お断りします」
「何故?」
「友達になりたくないから」
「私の事、知りもしないのに?」
何だか雲行きが怪しくなってきたので、私は慌てて2人の会話を止めに入った。
「落ち着いてください。加藤さんも今日のところは引いてください」
「……わかった。下野伊君の顔を立てて今日は諦める。でも今日がダメでもこれから毎日あなたの所に顔を出すから」
以前、似たような言葉を聞いた。それは私に友達になれと迫った真結さんと同じだった。この2人は似たもの同士なのかもしれない。
「迷惑」
真結さんの冷たい態度にも動じず、加藤さんは『ふん』と鼻を鳴らして去って行った。
それから3日後。
真結さんが私の席の横に立った。
「凌君、あの人を何とかして! 毎日、休み時間の度に教室に来るの! 凄い迷惑なんだけど!」
憤りをあらわにし両掌を机に突きつけて激しい音を立てながら自分の近況を語る。
「何故、そこまで彼女を遠ざけようとするのですか?」
「だって……」
「僕が知る限りでは、加藤さんは安易に人を傷つけるようなことはしないと思いますよ」
「でも……」
「1度、話してみたら如何です? 彼女のことを知った上で断るのなら、あちらも納得して手を引くはず。そうでなければ僕が制止したところで聞く耳持たないのでは?」
極力優しい口調を心がけて諭すように真結さんに伝えた。彼女が頭に血が上っている時は、こちらが冷静であればあるほど落ち着きを取り戻すと知っている。
「わかった。じゃあ話してみる。でも嫌な奴だったら断るからね」
「気が合わないようなら無理に友達になる必要はありません」
「うん」
人間関係はどこで局面を迎えるかなど当の本人でもうかがい知れない。初めこそ拒否の態度を貫いていたけれど、結局のところ真結さんは加藤さんと意気投合したらしく、時間の合間を見ては2人で出掛けるようになったと報告に来た。
心を寄せ合う相手ができたのなら私が居なくなっても大丈夫だろうと安堵した。
しかし、そんな彼女の変化を嬉しく思う反面、少し寂しい気持ちが生まれたのも確かだった。
かつて私がいた場所に別の人が存在している。
買い物へ行ったり、他愛もない会話をしたり、食事をしたり……。
私が幸せを感じていた日常の小さな一コマを、今、真結さんは別の人と共にしている。
『取られてしまった』と妬んでいる訳ではないけれど、言い表せない苦い感情が胸が締め付けた。
街路樹がイルミネーションで装飾され、夜が賑やかになりだした頃。
真結さんだけでなく海李君の生活にも変化が訪れた。
時折、放課後になると別のクラスの女子が海李君の所へ来るようになった。
普段、女の子に冷たい態度を取っている彼が彼女にだけは優しかった。
数日前の放課後、人気のない教室で2人が話しているのを偶然目撃し、その会話を聞いてしまった。
「そんなに好き?」
「うん。きっとこの先もこんなに好きになれる人は現れないと思う」
「どこが好きなの?」
「全部。俺の隣に居てくれるだけでいい。それ以外、何もいらない」
生前の私とは真逆の女の子。
背が高くてすらりと伸びた足。ショートボブが似合う小さな顔。人を引き付ける魅力的な笑顔。
向かい合っている2人は、私の辛い気持ちに拍車をかけるくらいお似合いだった。
――あの日、海李君の好きな女の子を知った。
その彼女が教室に来て、帰り支度を始めた彼に言った。
「有富君、今日、一緒に帰ろ?」
「ああ、ちょっと待ってて。 ……そうだ、凌。今日、遅くなるから夕飯いらないっておふくろに伝えてくれる?」
「えっ? うん、わかった……」
2人並んで教室を出て行く姿を見送る。
彼女なのかと問いただす資格も勇気もなかった。状況を見れば付き合っていることは間違いないけれど、彼の口から正解を聞くのが怖かった。
海李君の隣も私以外の人の場所となった。
これまで女の人の影などなかった彼に、突如現れた彼女の存在。
それは、ここに残りたいと願ったことへの警告なのかもしれない。
――おまえの本来の目的を忘れてはいやしないか、と。
――現状に欲をかくな、と。
いずれ消える人間に『欲望』は必要のない感情なのだと知らしめるかのように、次から次へと新しい風が吹く。
「あっ、百合さん? 陽介です。今日、海李が夕飯いらないって言ってんだけど、もう夕飯の支度しちゃいました? ……そうなんですね。それじゃあ凌の分も作らなくて大丈夫です。 ……そう、たまには一緒に飯を食いたいなぁと思って。 ……はい。じゃあ、また」
彼は電話を切った後、携帯をズボンのポケットに入れて私に言った。
「と言うことで今日は俺が飯を作ってやる」
私の辛い気持ちなど知る筈もない彼が、まるで慰めるかのように優しく微笑んだ。
「簡単な物だけど」
目の前に並ぶ手料理は豪華で品数も多く、『簡単』などという謙遜な言葉とは程遠いものだった。
「お兄さんも一緒に食べるのですか?」
「兄貴は合宿で泊まり」
「……これ2人で食べきれます?」
「凌に食べさせてやりたい物を考えてたらこんなになった。責任持って食え」
「ええーっ……」
本音を言えば食欲が無かった。
心にポッカリと空いた穴は大きいのに、体は食べ物を入れる余裕がなかった。
手を付けなくても彼の料理が美味しいのは知っている。けれど食べたいという気持ちが生まれない。
「凌、心に元気がない時は、とりあえず体だけは元気を保て。どちらかが満たされていればいざという時に何とかなる。心身共に弱るのだけはダメだ。だから今は食え」
まるで私の心を見透かしているかのように穏やかな口調で陽介君が言った。
「いただきます」
美味しいはずなのに、口に運ぶ料理に味を感じなかった。
心が疲れているせいか、お腹が満たされて強い睡魔が襲って来た。ソファーでうとうとしている私に陽介君が言った。
「明日休みだし泊まっていけば?」
「いえ、帰ります」
「そんな眠気の強い時に帰ったりしたら危ないって。兄貴がいれば車で送ってやれるけど、俺が付き添うにしても歩いて帰るのは無理だろ」
「……大丈夫です」
立ち上がろうとしてふらついた私を彼の腕が支えた。
「こういう時は甘えろ」
その言葉を聞いた直後に足が宙に浮く。いわゆるお姫様抱っこというやつで、私は陽介君に抱きかかえられて彼の部屋へ連れて行かれベッドに寝かされた。
「眠るまで居てやるから」
ベッドの縁に座り、彼が私の頭を優しく撫でる。その温かな手が何とか持ち堪えていた涙腺の壁を崩壊した。
「しんどい時や苦しい時は俺を使え。凌が笑顔でいられるなら、どんなことだってしてやる」
子守歌を奏でるような柔らかな囁きは、私には勿体なくて辛過ぎた。
翌朝、ソファーで眠っている陽介君を起こさないように『ありがとう』の置手紙をテーブルに置いて家に戻った。
シャワーを浴びて気持ちを切り替え、叔父さんと食事の約束の為の準備を始める。
その時、家の電話が鳴った。
「下野伊君、申し訳ないんだが今日の約束をキャンセルしたいんだ」
「どうかされましたか?」
「入院している家族の体調が悪化してね」
――あなた、早く!
受話器の向こうで叔母さんが叫ぶ声がした。
――今、行く!
叔父さんはそう叫んだ後、早口でまくし立てるように言った。
「僕から誘っておきながら申し訳ないんだが、君がこちらにいる間にもう会う時間を作れないかもしれない。本当に申し訳ない。それじゃあ」
通話が切れた。
叔父さんとの繋がりは電話1本で簡単に切れた。
受話器を置いた後、私は自分の愚かさに気付いてしまった。
私が居なくなったことを悲しんでいる人達に笑顔を取り戻して欲しいとここへ戻って来た。
これをヒロイン気取りとでもいうのだろうか……。
悲しい境遇に酔いしれていただけなのでは? そう言われたら否定できる要素はどこにもない。
みんな毎日に忙しくて、それぞれに未来があって、そんな無用な懸念を抱かなくても時間が経てば私のことなど簡単に忘れていただろう。
所詮、みんなの間を通り過ぎたそよ風程度の存在なのに『私のことで……』などと考えたのは思い上がりだった。
戻って来たところで何かできた訳でもないし、これまでを振り返れば自分の欲求を満たすことに躍起になっていただけだった。
何故、戻って来てしまったんだろう。
私がみんなにとって大切な存在だと思いたかっただけなのかもしれない。
自分の存在に執着していたのは自分自身だけだった。
胸が苦しい。
痛い。
もう全てがどうでも良くなってしまった。
私は漆黒の中に居た。
一筋の光もないそこでは、周りの景色はおろか自分の姿すら確認できない。
静寂の音が聞こえてきそうな暗闇。
あの白一色とは別の世界。
そこで私は水面に浮かぶ落ち葉のようにただふわふわと浮いていた。
否、周りを確認できない以上、浮いているのかさえ判断がつかない状況だった。
不意にあの人の声が頭に届いた。
「さくらちゃん」
「……はい」
「戻っておいで」
「ここは何処?」
「君の意識の中」
「意識?」
「心の重圧に耐えきれなくなって体が魂を外へ跳ね飛ばした。今、君がいる所は生でも死でもない世界」
「じゃあ、ここに居ます」
「そのままだと君の魂は永遠に消滅するよ」
「構わない」
「本当に消えるつもり?」
「どうでもいいです」
「真実を知らずに消えていいの?」
「真実? 何の真実? そんなの知ったところで、どうせ私はみんなの前からいなくなる」
「……戻っておいで」
「嫌」
「どうしても?」
「嫌って言ったら嫌なの! もう戻らない」
「自分が必要とされていないと思ったから?」
「……違う」
「誰かにそう言われたの?」
「……違う」
「勝手な思い込みじゃない?」
「違うっ!」
「嫌なことから逃げるのは悪い癖だね」
「消えるんだからどうでもいいでしょ!?」
「君がここに居る間も時間は流れていて、向こうに留まれるのは残り1か月になってしまった。 ……正直なところ、今、君に消えてもらっては困るんだ。本当はね、体に負担が掛かるからこの手段だけは使いたくなかったけれど……。 仕方ないから強制的に体に戻すよ」
「戻らない! やめてっ!」
「きっと戻って良かったと思うはずだよ」




