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激務

 10月の初め。

 文化祭が開催された。

 私達のクラスは無難に教室で喫茶店を出すことになった。特に調理などなく、市販の飲食物をコップに注いでお皿に盛って……という至ってシンプルな提供方法だ。

 その時は知らなかったけれど、他の学校でもそういう形態を取っている所があると後から聞いた。

 世間の文化祭事情に詳しくない私は、話し合いでその案が採用された時『そんな子供騙しのような出店でお客さんが来るのだろうか』という疑問を抱いた。

 しかし私の懸念などものともしない程の大盛況で廊下には長蛇の列が出来ている。現時点で30分待ちになっているらしい。満席で賑わう室内は活気に満ちていた。 

 海李君と私ともう一人の男子がウェイター役で、あと3人の女の子達がウェイトレス役となってフロアを担当している。陽介君は『バイト以外で接客をしたくない』と言ってプラカードを持っての呼び込み担当を選んだ。


 話し合いでウェイターに推薦された時、始めは海李君と私もそれを拒み裏方か呼び込みを希望した。断った理由は『接客の経験がない』だったけれど、実際は女の子達から騒がれて囲まれることに辟易した毎日から解放されたいというのが本音だ。フロアに立てばそういう女の子達を対応することになると容易に想像できる。それは海李君も同意見だったらしく、私達は断固として受け入れない態勢をとっていた。

 そんな頑なに拒否する海李君と私に委員長が言った。

「君達がウェイターをやってくれたら客足が伸びるだろうけど、嫌だと言うのを無理強いするのは良くないよね。目標金額を達成できなくても決して君達2人が悪い訳じゃない。クラス全体の力不足だったと諦めよう。高校最後の文化祭だから成功させたかったけれど、まぁ仕方ないよね」

存分に嫌味を連ねると、芝居がかった態度で額に人差し指を当てて目を閉じる。その芝居に便乗するようにクラスのあちこちで声が上がった。

「そうだよな。目標が達成できなくても……」

「みんなで頑張ればいいだけだし」

「嫌だって言ってるのに2人に求めるのも悪いよね」

一人一人が小さな囁きであっても、クラス全体が同時に発声すれば大きな空気の揺れとなる。教室が騒がしい空間に変わった。

 前に座る海李君が項垂れた。周りの喧噪で呼吸音は聞き取れなかったけれど、肩が微妙に上下したところを見ると深い呼吸でもしたのだろう。その背中から諦めの雰囲気を感じた。

 下げた頭を持ち上げて天井を見上げ、しばらく経ってから委員長の方を向くと少し大きめの声で言った。

「わかった。じゃあ皆の望み通り俺がやる。ただし2つ条件がある。凌は外すこと。あと写真は禁止」

海李君の譲歩の言葉に一瞬だけ教室が静まる。けれど、せきを切ったように再び囁き声が聞こえ始めた。

「下野伊君を外すの? 2人じゃなきゃ」

「じゃあ代わりに顔出しして陽介君がやればいいじゃん」

「下野伊君のウェイター姿が見たかった」

勝手とも取れる言い分が広がり始めると、それまで事の成り行きを静観していた陽介君が机を両手で叩いて大きな音を出した。突然の彼の行動に驚いて辺りが静寂に包まれる。

 その静かな空間に陽介君の大きな声が響く。

「おまえらさぁ、一方的過ぎない? 嫌だって言ってるのに海李は妥協案を出してんじゃん。それをグチグチと……。 じゃあ代わりに俺がやるから2人は外してやれよ。なら文句ねーだろ」

 陽介君が怒っている姿を初めて見た。普段、怒りの感情を表に出さない彼の立腹した様子は、常に怒っている人の姿よりも数段怖い。その恐怖をクラス中も感じたようで、誰も口を開かず静まり返り、まるでお通やのような重苦しい雰囲気となった。

「あの、僕、やります」

急いで手を上げて、ウェイターでの参加の意思を示した。

 そもそも私が「やる」と言ってさえいればここまで剣呑な空気にはならなかったし、棘のある発言のせいで陽介君がクラスから孤立するのも嫌だった。

「おい、凌」

「大丈夫です。ありがとう陽介君」

振り返った海李君と目が合い、彼にも感謝を伝えた。

「海李君もありがとう。一緒に頑張ろう」

 張り詰めたクラスの空気などもろともせず、委員長が吞気な口調で言った。

「じゃあ有富と下野伊で決まりね。良かった良かった」

彼の言葉を聞いて陽介君は呆れたように大きく溜息をついた。


 そんな一件があり、結局、海李君と私はフロアに立つことになった。


 16席用意した2人掛けのテーブルは常に満席で目が回るほどの忙しさだった。

 廊下側の曇りガラスの窓には順番待ちをしている沢山の人影も見える。

 一体どれだけ頑張ったら終わりを迎えられるのだろうと、目に映るその行列を 少しだけ恨めしく思いながら肩を落とした。

「ご注文をお伺いします」

私が配膳している後方でウェイトレス役の子の声が聞こえてきた。

「私、凌君に注文聞いてもらいたいんだけど」

このやり取りを既に何度も耳にしている。

「今、下野伊は手が塞がってるので」

「じゃあ空くまで待つからいい」

「順番待ちされてる方もいるので、できればスムーズな注文をお願いしたいのですが」

「凌君じゃなきゃ嫌」

その声を背中で聞きながら私は小さく息を漏らし、手にしていたお菓子の乗っている皿をテーブルに置いた。

「ご注文の品は以上で宜しいですか?」

席に座る2人の女の子を交互に見ながら笑顔で尋ねる。

「はい、大丈夫です」

「凌先輩、頑張ってください」

「ありがとうございます。では失礼いたします」

激励に再度の笑顔で答えて配膳を終えると、私は踵を返してウェイトレスを困らせている席に向かった。

「加藤さん、代わります」

机の横で困り果てた顔のクラスメイトに声を掛ける。彼女は私を見てホッとした顔をすると、片手を縦にして顔の前に持っていき無言で謝罪のポーズをした。

 私は小さく頷いた後、彼女と入れ替わって注文を聞いた。

「お待たせ致しました。ご注文をお伺いします」

「やったー、凌君だ。待ってたの」

嬉しそうに「これとこれを2つずつ」とメニュー表を指さしながら言った。

「あと、これ」

そう言って小さく折りたたんだ紙切れを私に差し出す。それに手を伸ばさずに、指先で摘ままれたピンクの紙から彼女の顔に視線を移して聞いた。

「これは?」

「私のDM」

今日、何度目になるかわからない連絡先の贈り物だった。当然、受け取る気はないので断わるつもりで口を開きかけると背後から海李君の声がした。

「凌はスマホ持ってないから渡しても意味ないよ」

振り向くと不機嫌そうな顔をした彼と目が合った。私の腕を後ろに引っ張って後退させ、冷たい口調で彼女に言った。

「悪いけど、今、忙しいから。凌はオーダー通してきて」

その場から私を救い出してくれ、彼女に「少々お待ちください」と伝えて自分もその場から離れた。

 背中を追って来る彼女の不平の言葉を無視して私は調理場へ足を向けた。 


 隣のクラスがお化け屋敷の催し物で音楽室を利用しているため、その空き教室を調理場として借りていた。廊下に暗幕を張って両クラスの入り口を繋げ、そこを通路として往来している。

 何度も行き来するため、意外に運動量が多くて足がパンパンになっていた。けれど私達以上に調理場は大忙しで、飲食物をただ食器に移し替えるだけの工程と言えど不慣れな作業に大わらわとなっている。

 欠品の買い出しを促す怒声や、忙しさに耐えかねた発狂、手順の指示を出す大音声。それらが入り混じる声だけを聞いていたら喧嘩でもしているのかと勘違いしそうなほどだった。

 けれど幸いな事に教室内には割と大きめのポップな音楽が流されていて、奮闘している彼らの様子は来客には届かない。

 私は先程のオーダー表を指定の場所に置き、苦戦している様子を見かねて近くに居るジュース担当の女子に声を掛けた。

「僕、こちらを手伝いましょうか?」

料理はできないけれど移し替えるくらいなら私でもできる。フロアは5人いれば何とかなるだろうし、微力であっても一人でも手が増えれば楽になるだろうと思った。

「ダメダメ! お客さんの大半が女の子でしょ? 下野伊君と有富君目当てで来てる子が大半なのに下野伊君が引っ込んだら客足が遠のく。こっちは何とか回すから心配しなくて大丈夫」

ちらりと私に目を向けただけで彼女は自分の仕事に専念していた。話しかけることで逆に邪魔をしているようなので「わかりました」そう答えて私はフロアに戻った。

「凌、5番テーブルオーダー取ってきて」

私と入れ替わるように調理場へ向かう海李君から指示を受ける。少し疲れたような顔をしていた。


 かれこれ2時間、私達は働きづめだった。

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