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水族館

 今日は期末テスト後の進路相談が行われている。

 一人10分目安で、自分の2人前の人が戻って来たら相談室に向かって部屋の前の椅子で待つ、という体制になっている。

 私は進学も就職もしないので、1番最初に呼ばれて『そのまま卒業』の確認だけで終了している。先程、海李君が前の人とバトンタッチして相談室へ向かって行った。

 このクラスの8割が進学希望らしい。

 その大学受験組の大半が、目前に控えた夏休みが勉強漬けの毎日になると言っていた。海李君と陽介君も地元の同じ大学を受験するらしいので、そうなると卒業後に計画が無い私だけが時間を持て余す長期休暇になる。

 ――1か月間どうしよう。どうやって過ごそう。

 そんなことを考えていたら陽介君に話し掛けられた。

「俺、店を継ぐから進学しないつもりだったんだよ。そしたら親父が急に『大学に行け』って言いだしてさ。行かないって伝えてあったのに、今更? って感じせん? これから本腰入れて勉強なんて無理だって」

陽介君は机に伏せて私に顔を向け愚痴をこぼしていた。

 彼は早い段階で終わっているのに、机の上にちらりと見えた面談中に行うはずの課題のプリントが一切手つかずのままになっている。今日中に提出なのに5枚全てが白紙だった。急遽決まった進学の問題が自分の中で消化できなくて、他のことに気を向ける余裕がないのかもしれない。

 けれど彼のテストの点数はどの教科も上から数えたほうが早い位置にいるのに、何故これほど受験に対して弱気なのだろうか。

「でも陽介君は勉強できますよね?」

私は不思議に思って聞いてみた。

「勉強じゃなくて気持ちの問題よ。俺の中で学業は高校までって区切ってたから、そこで勉学は終わりモードなんよ。例えばさぁ、体育でグランド10周走らされるとするじゃん? 10周目に突入して『あと少し』って喜んでたら、追加で5周走れって言われてる状況なんだよ今。……大学行きたくねぇんだよ」

脱力した状態で長い溜息をつき、お父さんから下された『あと5周走れ宣言』に抗えない不運を嘆いていた。

「頑張って15周を完走しなければいけないのですね」

「地獄……。もう、いっそ島流しの刑にでもしてほしいよ」

両手で頭をグシャグシャと掻き、その腕から力を抜いて机に投げ出した。

「そういえば海李君と大学まで同じなんて仲がいいですね」

「んっ? ああ。あいつも俺んとこと同じで親父に言われてんだって。進学しろって。行きたい大学がある訳じゃないから俺と一緒の所を受験するらしいよ」

「えっ? そんな選び方をして大丈夫なんですか?」

「何が? 海李の学力が、ってこと?」

 私は小さく頷く。

「あいつは偏差値70超えてるから、この辺の大学はどこでも大丈夫だよ」

「えっ!? 凄い……。秀才ですね」

「うん、頭いいんだよ。ところでさ、凌は夏休み何すんの?」

陽介君は机から起き上がって大きく伸びをし、そのまま体を左右に倒して脇腹を伸ばす。横に倒れる度に若者らしからぬ呻き声を漏らしながら、最後に大きく息を吐いて一通りの運動を終えると私を見た。


 私は、自分の夏休みのスケジュールを頭の中に思い描いてみたが、

 ――叔父さんと昼食に行く、

 ――土曜日に喫茶店に行く、

 悲しいかなそれ以外は埋まっていなかった。

「これと言って大きな予定はありませんね」

「じゃあ海李と3人でどっか遊びに行かん?」

「……勉強は大丈夫ですか?」

「今年の夏は今年しかねぇんだよ。高校最後の夏休みなのに勉強だけで終わってたまるか。と言うことで、凌は行ってみたい所とかある?」

「ないです」

「おーい、即答かよ」

「じゃあカラオケとか?」

「そんなのいつでも行けんじゃん」

そう言われたので私は少しだけ考え、行ったことのない行ってみたい場所を上げた。

「じゃあ遊園地かスライダーのあるプール」

「両方、……おそとだね」

陽介君は私の返答に引きつった笑みを浮かべ、腕を組んで背もたれに寄りかかる。

 そこへ面談から戻ってきた海李君が自分の席に座って後ろを振り返り、私達に向かって話し掛けてきた。

「何の話してんの?」

とても機嫌のいい笑顔で陽介君と私を交互に見る。陽介君は身を乗り出し、今の彼自身の提案を海李君に告げた。

「夏休み、3人でどこか遊びに行かん?」

「いいけど。どこかって?」

「今それを考えてたんだよ。凌は遊園地かプールがいいんだと。海李は行きたい所あるか?」

 陽介君の言葉を聞くと、海李君は天井に顔を向けて黒目だけをキョロキョロと動かし何かを考えているようだった。私達はその様子を黙って見ていた。途中、腕を組んで口を尖らせていたけれど、ゆっくりと視線を私達に戻して言った。

「ねえ、水族館は?」

陽介君は、その案に食いつくように言った。

「おっ、いいね。そうしよう。水族館にしよう」

「えーっ……。陽介君、即答ですね。僕の意見は却下ですか?」

「俺、暑いの苦手なんだって。お外は溶ける」

「じゃあ何で僕に聞いたんですか?」

「そうね、間違いだった」

陽介君の返答に納得がいかず、私は彼の肩を思い切り叩いた。



 夏休みに入り、早々に遊ぶ約束が実行された。

 近場に水族館がなかったので電車で出掛けることになっていたのだが、その話を聞いていた百合さんが「車を出すから私も連れてって」と言い出した。

 勿論、海李君は「おふくろと行くなんて嫌だ」と拒否していたけれど、百合さんが陽介君に直談判して行きだけ一緒に行くことになった。陽介君は汗をかかなくてすむと大喜びしていた。

 夏休みということで、館内は子連れの家族や学生さんが多い。この時期だから仕方がないけれど、混雑している中を魚の如く人の波に溺れて歩く。

 そんな状況ではあったけれど、私は初めての水族館をとても楽しんでいた。大きな水槽の中で入り乱れる何種類もの魚や、クラゲだけの世界、トンネルの水槽を内側から眺めて歩いたりして、初めて目にする物や体験することばかりで胸を躍らせていた。

 海李君と陽介君は2人で大きな水槽を食い入るように見ていたので、私は百合さんと一緒に先へ進んだ。腕を組んで通路を歩き回り、2人して見たことのない魚を目にしては共に興奮する。それが本当に幸せの一時で、私は自分自身の姿のことなど忘れてはしゃいでいた。

 以前、百合さんと水族館に来ると約束した。今日、私の姿で来ることはできなかったけれど、彼女と一緒に歩くことができたことは大満足だった。

「ねえ、凌君は水族館は初めて?」

「はい、初めてです」

「なんだかワクワクしちゃうわね」

 色とりどりの魚を前に目を輝かせている百合さんは、まるで無邪気な子供のようだった。その姿があまりにも意外で可愛らしいとさえ思ってしまう。

「楽しいですね」

「本当ね」

と飛び切りの笑顔で答えた。

 その百合さんの背後から、彼女と対照的な仏頂面の海李君と陽介君がこちらに向かって歩いてくるのが目に入る。近くまで来ると、彼らは不機嫌さが混じった声で不満を口にした。

「置いてくなんて酷いじゃん。おふくろも声掛けてけよ」

「振り返ったら2人が居なくなってたから捜し回ったよ」

 非難の言葉に対して短く笑い、百合さんは組んでいた私の腕を自分の方へ引き寄せて言った。

「凌君とデートしてたの。ごめんなさいね」

勝ち誇ったような笑顔に2人は顔を見合わせて溜息をつく。そして海李君は百合さんと反対側の私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。

「じゃあデートはここまでね。これからは団体行動。いい? 勝手にどこかへ行かないこと」

「はーい」

百合さんは不承不承といった感じで低い声で返事をしたけれど、拘束した私の腕を離す気配はなかった。

「凌さん、モテますなぁ」

2人に挟まれたままの私を見て陽介君が笑いながら言う。


 そんなやりとりをしている最中、陽介君の背後から2人組の高校生くらいの女の子が声を掛けてきた。

「あの、すみません」

私達の視線が彼女達に向いた。見られていることが恥ずかしいようで、もじもじとした態度で互いの腕を肘で突き合い、どちらが言葉を発するか決めているようだった。

「何か?」

なかなか話し出そうとしないことにしびれを切らした海李君が尋ねる。

 2人は真っ赤になり、1人が意を決したように口を開いた。

「あの、モデルさんですよね? 一緒に写真を撮ってもらえませんか?」

その言葉を聞いて私達は顔を見合わせた。

 陽介君は髪を縛って端正な顔を出しているし、海李君も彼の魅力を活かすお洒落な恰好をしていた。彼らが並んで歩いていたら人目を引くのも分かる。

「撮ってあげたら?」

恥ずかしそうに俯いている2人が気の毒になって私は彼らに声を掛けた。

「あの、できれば……」

言い終えるまえに陽介君は彼女の言葉を遮った。

「悪いんだけど、俺ら今プライベートだし、事務所から写真はNGって言われてんだ。ごめんね」

どこからそんな発想が浮かぶのか、スラスラと嘘を並び立てて彼女達のお願いを巧みに断った。

 その言葉に2人は慌てて「じゃあ握手だけでも」と食い下がる。

「じゃあ、握手だけね」

そう言って陽介君は2人と握手を交わした。その手を離した後「お願いします」と海李君にも求め、終えると私の前に立った。

「えっ? 僕も?」

「はいっ! お名前を教えてください!」

「……下野伊です」

「シモノイさんですね。応援します!」

「……ありがとうございます」

よくわからない応援に、私はお礼を言っていた。

「あの、マネージャーさんも」

呆然としている百合さんとも握手をし、彼女達は深々と頭を下げて「ありがとうございました」と去って行った。

言葉なく4人でその後ろ姿が消えるまで立ち尽くし、見えなくなった途端、百合さんが力なくぼやいた。

「……私、マネージャーですって」

海李君と陽介君は、顔を隠すように横を向いて笑っていた。



 イルカショーを見るために、私達は開催時刻よりもだいぶ早くプールに移動した。にも拘らず席の大半が埋まっていた。

 なんとか4人で座れる場所を確保し、始まるまでの時間を雑談で過ごす。

 席順は左から陽介君、海李君、私、百合さんだった。

「次、どこに行く?」

体を少し前かがみにして陽介君が私達の顔を覗き込むように聞いて来た。

「そんなに遊んでばかりいて大丈夫なんですか?」

「俺には海李がついてるから大丈夫。いざとなったら教えてもらうし」

「時給制にするよ?」

「ちょっと百合さん。息子さんがこんなこと言ってますけど」

より前かがみになって陽介君は百合さんを味方につけようと話を振る。百合さんは笑って言った。

「海李。陽介君に奉仕しなさい」

「なんでだよ」

「嫌なら別にいいのよ。私も海李のご飯だけ作らないから」

「どうしてそうなる?」

海李君は理不尽な状況を払拭するかのように何度か首を横に振る。

 その時、私達の会話を中断させる女の子の声が聞こえた。

「シモノイさーん」

 私は自分の名前が呼ばれたので、どこから聞こえてきたのだろうと辺りを見回して呼んだ相手を探す。

 それが誰か目星がつく前に、不意に海李君が私の肩に腕を回して自分に引き寄せ、頬に左手を置いて横を向かせた。

 気付けば彼の息がかかる距離にいて、その突然の接近に体が硬直し、瞬間、何も考えられなくなる。

 上を向くと真っ先に海李君の綺麗な形の唇があった。少し体を伸ばせばキスしてしまいそうなほど近くに。

 その有り得ない状況を視界に捉えて我に返り、慌てふためいて彼から離れようと体をのけ反らせる。けれど私の力よりも海李君の腕力のほうが勝っていて、彼に密着した体勢が変わることはなかった。

「そのままでいて」

言葉と共に息が降って来る。パニックになりそうだった。

「あのさぁ、さっき写真ダメだって言わなかった?」

突如、少し大きめの声を海李君が放った。

 視界が塞がれているので状況を把握できないけれど、言葉の意味合いからして先程の女の子達が近くにいるということだろう。

「でも1枚くらいいいじゃないですか」

「本人に許可取った?」

「じゃあ、今、許可してください」

「ダメって言ったんだから許可なんてする訳ないよね?」

海李君の声に苛立ちが籠っているのがわかる。

 公然でやりとりされている騒ぎに周りがざわつき始めた。事情を知らない人が聞いても彼女達がモラルに欠けているというのは明らかだろう。

 周囲の喧噪に自分たちへの非難が混じっていると気付いたのかもしれない。「行こう」という声がし、雰囲気で彼女たちが席を立ったとわかった。

 

「ねえ陽介君、うちの息子がかっこいいんだけど」

少し興奮気味に百合さんが言った。

「俺、海李に惚れてもいい?」

陽介君がからかうように言った。

 私は、未だ解放されずにいる彼の腕の中で身動きでずに緊張に耐えていた。

このような駄作にお付き合いくださりありがとうございます。

貯金が底をついたので就職しました。

仕事に慣れるまで、これまで以上に更新ペースが遅くなるかと思います。

もし続きを気にしてくださっている方がいらっしゃるのであれば大変申し訳ないです。

いらっしゃるのかは不明ですが……。

駄作を作り出している分際で偉そうなことを言っておりますが、自身の為にも完結はします。

必ず。

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