真相
正面の壁に絵が飾られていた。
額に入れられたそれは、ドアを開けたら嫌でも目に入る位置に居場所を与えられていた。そこに描かれている人物について、背後に立つ陽介君に問う。
「……この方と、……お知り合いですか?」
「俺」
「えっ、いや、この絵の方の話をしてるんですが」
「だから俺」
「あの、知り合いの方の絵を飾っているとかではなく?」
「この前、凌が店に来た時に話したろ?」
その言葉で、私は陽介君と絵を交互に見比べる。
以前、息子さんにお礼としてプレゼントした肖像画が目の前にあった。コピーでもしなければ、これは世界に1枚しかない物だ。
今の陽介君の話では、彼が息子さんということになる。それは、とても信じがたい内容だった。
「こうすれば信じる?」
そう言って彼は右手で眼鏡を外し、反対の手で前髪をかきあげた。その顔は紛れもなく息子さん本人だった。
「……何故?」
「何故って何?」
「……僕にもわからない」
「それじゃあ俺も答えようがない」
頭の中はショート寸前だった。今まで前髪と眼鏡で素顔を隠していたとはいえ、こんなに近くに居たのに気付かないなんてどうかしている。いや、自分を擁護する訳ではないけれど、容姿も口調も声色も同一人物だと思えないほど別の人間になっているのに気付けるほうがおかしい。
「あの……。どうして変装してるんですか?」
「変装なんて大それたもんじゃないけど。強いて言うなら面倒だから]
「面倒?」
「学校にいる時と仕事してる時、俺、180度真逆の人間だろ? うちの店に学校の奴らが来るって滅多にないけど、前にたまたま来た奴に冷やかされて厄介だったんだよ。だから顔を隠すようになった」
「僕も、その人と同類だと思って名乗ってくれなかったんですか?」
「おまえは違うってわかってるけど、いつも一緒にいる凌なら俺に気付くだろうと思ってたのに、初対面なんて言われてちょっとイラっとした」
「それで、あの冷たい態度だったんですか?」
「まあ、そんなとこ。……洗い物してくるからちょっと待ってて」
そう言って陽介さんはリビングへ戻って行った。
一人部屋に残された私は、混乱する頭を抱えて床にうずくまる。
陽介君が息子さん……。
現実を突きつけられても尚、それを簡単に受け入れられなかった。あまりにも衝撃的過ぎて、まだ心のどこかで2人は別人だと思っている私がいる。
床に向いている視線を上げて絵を見た。コピーした物ではない。そこにあるのは私が描いた物で間違いない。額の中で微笑みをたたえている陽介君と見つめ合いながら、私はゆっくりと立ち上がった。
呆然としつつも目線を下げると、絵から斜め下に3段の飾り棚があった。見覚えのある物が目に入り棚の前に進み出る。その1番上の段に、クリスマスに息子さんにプレゼントしたターコイズブルーのタオルとメッセージを直書きした袋が一緒に置かれていた。
それらが陽介君が息子さんであると証明していても、脳が現実を理解できないでいる。
「絵もタオルも彼女から貰った物なんだ」
その声で振り向くと、いつの間にか戻って来ていた陽介君の姿があった。先程までは下ろしたままだった髪を今は後ろでまとめている。叔父さんと食事に行った時と同じ髪型をしていた。
「髪……」
「ああ。うざいから縛った。本当はさ、まだ秘密を明かさないつもりだったんだよ。松多部様が来月の予約を入れていったから、また食事に来る約束してるだろ? その時にも気付かないようだったら正体をバラシて驚かす予定だったのにさ」
少し残念そうな表情をして言った。
「ねえ、座って話さん? デザート持ってきた」
彼はウェイターのように左手にトレーを乗せていた。上には透明のガラスの器が2つ。その中身にも見覚えがあった。
「そっち座って」
壁に掛けてあるテレビと対面する形でテーブルとソファーが置かれている。2人掛けのソファーの入り口側に座るように言われた。私は、そこへ腰掛けて陽介君の動向を目で追っていた。
「そんなジロジロ見んなって」
笑いながら言って、テーブルの向こうから私の前に器を1つ置く。
「これさぁ、彼女が初めて店に来た時に出した物なんだ。食ってみて」
彼は私の隣に移動して来て座ると、自分の物をテーブルの上に用意しトレーの上のスプーンを私に寄越した。
淡いピンクのゼリーの中に咲く2輪の桜。あの時と何も変わらず、それはただ美しく咲いていた。
「いただきます」
けれど、そう言ったものの私はその思い出にスプーンを入れられずにいた。
「綺麗で食べてしまうのが勿体ない」
当時と同じ心境を無意識に口にしていた。私の言葉を聞いて、テーブルの上の器に伸ばしかけていた陽介君の手が止まる。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けると言った。
「時々思うんだけど、凌って彼女に似てんだわ。これを出した時に彼女も凌と同じことを言ってた。それにアクセントが一緒なんだよ」
「アクセント?」
「うーん、何て言えばいいんだろ。簡単に言えば方言的なもの? うちの店って地方から色んな人が来るから、他県の人のアクセントが気になるんだよ。彼女、隣の県に住んでたらしいんだけど、凌もその子と同じ音で話す」
それだけ言うと、器を手に取ってデザートを食べ始めた。
「……僕が、その彼女と一緒だと?」
「うん、そっくり。会話の間の取り方とかもね。もしかして中身が彼女なんじゃないかって勘違いしそうになるくらい」
食べる手を止めず、何も映っていないテレビを見ながら答える。その横顔からは何を考えているのか伺い知れなかった。
陽介君は私だと勘付いているのだろうか……。
しかし、こんな非現実的な話を誰が信じる? 『中身は私です』そう言ったところで笑い飛ばされて終わりだろう。もしくは怒りを買うか……。
陽介君は似ていると思っているだけ、大丈夫。
大丈夫……。
私は、自分を落ち着かせるように彼に聞こえない程度で小さく息を吐き出した。
「そうなんですね。僕も、その方に会ってみたかったです」
陽介君の言葉に動揺していることを悟られないように平静を装って言葉を返す。彼は空になっている器をテーブルに置いて、口をへの字にして私の方を向いた。
「……なあ、凌。おまえ、この後、用事ある?」
「いえ、何もないですが」
「じゃあ、さあ。俺の話、聞いてくれん?」
「話ですか?」
「うん。話せる相手がいなくてさ」
「……僕でよければ」
「ありがと。でも、その前にそれ食べて。片してくるから」
「あっ、ああ、そうですね。いただきます」
勿体ないと思いつつも、私はその美しいデザートにスプーンを入れた。
「今の姿から想像つかんだろうけど、俺、小学校でいじめられてたんよ」
デザートの器を片付けて戻って来た陽介君は、先程と同じ場所に座ってぽつりぽつりと話し出した。
「祖母さんが日本舞踊の家元でさ。小さい頃から通わされてて、仕草とか無意識に柔らかくなるんだよ。それが女みたいだって理由でいじめられてた。小柄だったし」
「今は、こんなに大きいのに?」
「ああ。背の順で並ぶといつも一番前だった。見た目が弱いから、尚更、標的になる訳よ。思い出したくもない壮絶ないじめでさ。で、そんな時にクラスが違うのに海李が助けに入ってくれたんだ。休み時間の度に教室に来てくれたり、登下校の時は海李の兄貴の悠真君も一緒に歩いてくれたり。それ以降いじめがなくなったんだよ。あの2人がいなかったら俺の生き方は違ってたと思う。だから海李に何かあった時は俺が助けになりたいし、あいつだけは裏切らないって決めてたんだ」
そう言って前傾姿勢だった体をソファーに預けて足を組み、腿の上で指を組んだ。
「この前、海李を変えてくれた子の話しただろ? 変わり始めたあいつから彼女の話を聞いてたんだ。その時は会ったことなかったけど、海李の苦しみを癒してくれる存在がすげぇ有難かった。でも運命ってやつは意地悪でさ」
陽介君は私をちらりと見ると、泣き出しそうな笑顔を作って話を続ける。
「うちの店にその子が叔父さんと来たんだ。俺、人を好きになったことがなかったんだけど、一目ぼれってやつ? 心臓が口から飛び出そうなくらい緊張して挨拶すらできんかった。その日、俺が初めて考案した料理をお客さんに提供した日で、彼女がその料理が1番好きだって言ってくれたんだ。それで完全に心を射抜かれた」
料理について聞かれたあの時、陽介君が目を見開いた様子を思い出す。
「でも、その後、たまたま海李と街中で会った時に彼女が隣にいたんだ。その時まで海李の大切にしてる子だって知らなくてさ。彼女も俺が誰か気付いてなくて。2人から逃げるように立ち去ったけど、あの日はショックで何も手につかなかった。海李からその子を奪うなんてできないから告げる前に失恋した」
確かに私の顔を見て驚いた顔をしていた。慌てた様子で走り去ったのも覚えている。
「あの絵」そう言って壁に向かって指をさす。
「告白はできないけどせめて喜ぶ顔が見たいと思って、叔父さんに連れられて店に来る度にデザート作って出してたんだ。そのお礼って言って描いてくれた。嬉しすぎて不覚にも泣き出しそうになっちゃってさ」
あの日、いつもと違った表情をしていた訳がわかった。
「で、高1のクリスマス前に街を一人で歩いてる彼女に会ったんだ。調子悪そうでさ。放っておけなくて声掛けたんだけど、助けてくれたお礼をするって言われて、俺、握手してってお願いしたんだ。好きでいるのが切なすぎて、海李に秘密で片思いしてるのが辛くて、その握手を最後に想いを断ち切ろうって考えた」
それが握った手を長い時間離さずに見つめていた理由……。
「その時、彼女に男性へのプレゼントは何がいいか聞かれたんだ。相手が海李じゃないって言うから、どんな人に贈るのか聞いたら『存在が美術品のように美しい人』って答えてね。世の中にそんな人間いるか? って思いながら、無難なところでタオルってアドバイスしたんだよ。そしたら驚いたことに俺の手元にそのタオルが届いた。そんなふうに俺を見ていてくれたんだって心が揺れた。例えそれがお礼として贈られた物でも彼女が俺を気に掛けてくれてたことが嬉しくて……」
私は、贈る相手に贈る物の相談をしていたんだ。
「断ち切ろうと思っていたのに、そのタオルを見たら諦めることができなくなった。彼女がうちの店に来てたのを海李は知らなくてさ。あいつを裏切ってることになるかもしれないけど、告白できない代わりに彼女と俺だけの秘密が欲しかった。だから海李に内緒にしてた。黙ってるのが心苦しかった半面、あいつの知らない彼女を独占できるのが嬉しかった。……俺、ズルいんだよ」
彼の頬に涙が流れた。その姿を見て私は何も言葉を返せなかった。
そこまで私を想ってくれていたなんて知りもしなかった。
「そしたら彼女が亡くなった。彼女がいなくなって、悠真君の時のように壊れてく海李を見てるのが辛かった。あいつが辛い時に何もしてやれないのが辛かった。秘密を作っていた罪悪感も辛かった。もう彼女に会えないのも辛かった。誰にも自分の気持ちを話せないのも辛かった。毎日毎日辛かった」
そう言って両手で顔を隠し、陽介君は声を殺して泣いていた。
何と声をかけていいのかわからず、言葉の代わりに彼の近くに移動して肩を抱いた。それ以外、私が彼にできることはなかった。陽介君は私の肩に頭を乗せて、手で顔を覆ったまま泣き続けた。
苦しませてごめんなさい、そう言ってしまいそうになる。
私も彼と一緒に泣いた。
「無様な姿見せて、なんか、……ごめん」
ひとしきり泣いた後、陽介君は私の肩から頭を上げて下を向いたまま言った。
「大丈夫です」
「凌に聞いてもらって少し楽になった。おまえがいてくれてよかったよ、ありがとう」
そう言ってテーブルの上のティッシュに手を伸ばして濡れた顔を拭くと私を見た。
「……なんで凌が泣いてんの?」
「いや、別に泣いてません。これは涙じゃありません。それより僕にもティッシュを頂けませんか?」
「1枚千円ね」
「何箱買える金額ですか!?」
「ほら」
陽介君は真っ赤な目で笑いながら箱ごと私に手渡した。そこから2枚抜いて涙を拭く。
「鼻かんでもいいですか?」
「おまえ、雰囲気ぶち壊しだな」
「鼻水垂らしたままでもいいですか?」
「存分に、かみたまえ」
私は彼と反対側を向きティッシュで鼻を覆う。その目線の先の棚に写真立てがあるのに気付いた。
「これ、誰ですか?」
後ろから陽介君の声がした。
「それ中学の時の写真。右が海李で真ん中が悠真君で俺」
3人で肩を組み、溢れんばかりの笑顔で映っている。
「若いですね」
「そりゃ中学の時だから」
私は、目の前の微笑ましい写真に見入っていた。
今の彼らがこの写真の時間まで戻ることができるとしたら、どんな将来の道を選択するだろう。それは『たられば』な話で現実的な疑問ではないけれど、もしそれが可能だったなら、そこに今のような悲しみがあって欲しくないと思った。
そのままの姿で大人になった、そんな3人の姿をしばらく眺めていた。
私は色々な感情を抱えたまま陽介君の家を後にした。
今夜は、それらを消化しきれずに眠りにつくことになるだろう、そんなやりきれない気持ちで一人の道を歩いた。




