告白
「いたーい。陽介君、加減してくださいよ。おでこジンジンしてますって」
「それがデコピンじゃね?」
「今、思いっきり弾きましたよね? すっごい音がしましたよね? 情けってものが無いんですか!? もうっ! ぐれてやるっ!」
「ぐれろぐれろ。思う存分ぐれろ。お父さんが何度だって更生させてやる」
「お父さんじゃないっ!」
「なんだ凌、反抗期か?」
「海李君、助けてください。陽介君、手加減してくれないんです。僕のおでこ真っ赤になってませんか? 見てください」
「凌? わかってる?」
「いっ、いたいーっ! おでこが割れる! 海李君まで何故!?」
「今、敬語だったじゃん」
「なんで? もうっ、もう嫌だっ!」
2人は私の痛がる姿を見て笑っていた。
寝不足で倒れたあの日、教室に戻ると謎なルールが取り決められた。
『海李君に対する敬語』『陽介さん』この2つが私の口から出た時に、罰としてデコピンの刑に処せられると。
私の同意なく勝手に話が進み、現時点で彼らに何度おでこを弾かれたかわからない。今はデコピンをすることが目的ではなくて、私の反応を見るのが楽しそうな2人だったりする。
私の様子をひとしきり笑った後、陽介君が海李君に声を掛けた。
「今日さぁ、凌に昼飯作ってやる約束してんだけど、おまえも一緒に来ない?」
テストの最終日となり、以前約束していた昼食をご馳走してくれることになっていた。このまま学校帰りに陽介君の家に向かうことになっているのだが、『どうせだったら海李も誘おう』と話をしていた。
しかし、海李君はとても残念そうな顔をして言った。
「久々に陽介の作るご飯を食べたいんだけど、これから兄貴の友達に会うんだ」
「何? 音楽、再開したの?」
「うん。その打ち合わせ」
「そっかそっか、行ってこい」
海李君の言葉を聞いて一瞬驚いた顔をした後、陽介君は嬉しそうな表情に変わって彼の肩をポンポンと叩く。
それは、以前、曲を提供したと言っていたバンドの人のことだろう。2人の話の意味は理解できていたけれど、海李君が音楽をやっていると私が知っていたら可笑しな話になってしまう。なので、そこは知らない素振りをしていた。
けれど、心の中では彼の夢が枯れていなかったことを喜んでいた。会話に混じることはできなくても、その前向きな変化を知れたことが嬉しかった。
「せっかく誘ってくれたのに悪いな。じゃあ行ってくる。凌は、また夜に」
「おう。またな」
「いってらっしゃい」
海李君は鞄を肩に掛けると、私達の見送りに手を振って応えながら教室を出て行った。残された私達は視線を合わせて無言で頷くと、陽介君の「行くか」の声で教室を後にした。
学校を出て、私達は他の生徒に混じって並んで歩いていた。テスト地獄から解放されたからか、周りを歩く人達からどこか浮足立ったような雰囲気が漂っている。
「家まで少し歩くよ」
「はい」
ふと考えると、私は陽介君の私生活のことを何も知らなかった。何のバイトをしているのか、何人家族なのか、彼の一切が謎だった。
ましてやこれまで家にお邪魔する機会などなく、どの辺りに住んでいるのか、交通機関を使って登校しているのかさえも聞いたことがなかった。
今日は、その不明な点が一部開放されるということになる。
「陽介君の家は学校から近いのですか?」
「そうだなぁ、歩いて5分。ほら、あそこ」
そう言って指した先に、グレーでお洒落な2階建てのアパートがあった。
「えっ!? 近っ!」
「兄貴と2人暮らししてんだ。今日は大学行ってるから居ないけどね」
「お兄さんと仲いいんですか?」
「うーん、普通じゃね? あの人も俺も実家から学校に通うのが不便でここ借りて一緒に住んでるだけ」
部屋の前に着き、ポケットから鍵を取り出して開錠した。
玄関を入って戸を開けると直ぐにリビングがあり、そこに足を踏み入れて一番最初に受けた印象は『モデルハウスかと思うほどお洒落』だった。室内に置かれている家具や観葉植物が、どう配置したらその存在を活かせるか計算されているようだった。
入り口に立ったままリビングの全貌をまじまじと眺める。陽介君はその私の横を抜けて、肩から下げていたバックをソファーへ置いて振り返った。
「素敵な部屋ですね」
「そうか? まあ、ありがとう」
この洗練された感じは普段の陽介君からは想像できない。きっとお兄さんの感性なのだろう。
「お兄さん、センスいいんですね」
「兄貴?」
「この部屋、お兄さんの趣味なのでは?」
「おい。あいつは美的センス皆無の人間だぞ。服だって俺がチェックしてやってるくらいだからな」
「えっ!? ってことは陽介君がこの空間を手掛けたんですか?」
「そうだけど?」
「ほえーっ。意外な才能ですね」
「意外って何だよ。凌に俺はどんなふうに映ってんだ?」
そう言ってキッチンに向かい、壁に掛けてある青いエプロンを着ける。
「適当に座ってて。今、支度するから」
冷蔵庫を開けて中から手際よく食材を出し始めた。
「リビングを見ててもいいですか?」
「ああ。好きにして」
了解を得て、私は室内をゆっくりと歩き始めた。
大きなテレビの横に設置されている波打つ形のフロアライト、観葉植物の置かれているフラワースタンド、それとは別に大きな観葉植物、リビングの中心にグレーのL字型のソファー。上げたらキリが無いけれど、どれもがこの空間と調和している。全体的にシックな色使いでまとめられていて、本当にセンスのいい部屋だと思った。
キッチンから陽介君の声がした。
「聞くの忘れてたけど、食べられない物あるか?」
「いえ、何でも食べます」
「よし。じゃあ、俺の自慢の料理を披露してやる」
そう言った後、キッチンから音楽を奏でているような小気味いい包丁の音が聞こえてた。フライパンで食材を炒める音や、水を流す音、慣れた感じの無駄の無いリズムを耳にして、調理の様子を見なくて普段から料理をしている人なのだとわかる。
私は歩き回るのをやめてソファーに腰掛けた。そこから目に入る調度品の配置にも嫌味が無くてとても心地いい眺めだ。
ここに座って室内を眺めながら料理している音を聞く、それだけで空腹を忘れられそうだった。
「お待たせ。こっち来て」
カウンターキッチンにお皿を並べながら陽介君が私を呼んだ。
ソファーから立ち上がりそこまで行くと、テーブルの上にはお店かと思う程の豪華な料理が用意されていた。ローストビーフとサラダと卵料理とピラフ、30分足らずでこれだけ作れるなんて信じられなかった。
「これ、陽介君が?」
「今、俺が作ってたじゃん。まあ、大半は昨日のうちに仕込んでたけどね」
「凄い……」
「冷める前に食って」
「はい、頂きます」
椅子に座り、贅沢とも思えるそれらに箸をつける。どれもこれも驚くほどに絶品だった。
「……凄く美味しい。本当に陽介君が作ったんですよね?」
私の横に座って彼も一緒に食べ始めた。
「もう食うな」
「嫌です。ほんとにほんとに美味しいです。感動してます。お店、開けますね」
「ゆくゆくは料理人になるつもり」
「ですよね。この腕前を披露しなかったら犯罪です」
「何それ?」
「こんなに美味しい料理を世間の人に食べさせてあげなかったら罰当たりって意味です」
私がそう言うと、陽介君は声を上げて笑った。
「大袈裟な。まだまだ修行中だけどな」
少し照れたような顔をしていた。
「じゃあ片付けるわ」
食事を終えて陽介君が席を立った。
「手伝います」
「いい、座ってて。凌に手伝ってもらったら仕事が増えそう」
「酷い。料理はできないけど洗い物は得意ですよ」
「仕事が増えそうは冗談だけど、客人だから座ってて」
そう言って、陽介君は片付けも手際よく始めた。
お皿を重ねて流しに持っていく。何回か往復してるその時、彼のズボンのポケットから黒くて小さな物が落ちた。
「陽介君、何か落ちましたよ」
椅子から降りて落ちた物を拾おうと屈むと、彼が大きな声を出して私を制した。
「触るな!」
あまりの緊迫した様子に驚いて、伸ばしかけていた腕を慌てて引っ込める。
彼が初めて見せた攻撃的なものの言い方に戸惑い、硬直した体をゆっくりと元に戻した。
「いや、ごめん。わるい。大切な物だから人に触られたくないんだ」
陽介君は軽く膝を折って落ちた物を拾おうとした。その手元に目を向けると、それは少し小さめのヘアクリップだった。髪を留める物が大切だというのが意外だったけれど、きっと何か思い入れのあるも物なのだろう。
「ごめんなさい」
「ごめん、凌は悪くない。……これ、好きな子から貰ったんだ。だから……」
そう言って手の中に収めた小さな髪留めを少し悲し気な表情で見つめる。
「あっ、ああ、なるほど。それじゃあ触られたくないですよね」
「驚かせてごめん。なんか、俺、……女々しいわ」
「そんなことないですよ。そういう事情なら誰だって同じ反応すると思います」
「……これをくれた子、亡くなったんだ」
「えっ!?」
「すげー好きだったんだわ。一目ぼれってやつ。初めて会った時、挨拶してくれたのに笑顔を返すしかできないくらい緊張してさ。彼女を知れば知るほど好きになっていった」
普段、飄々としている陽介君からは想像もできない告白だった。
「付き合ってたんですか?」
「いや。気持ちを伝えることすらしてない。できなかった」
「理由を聞いても?」
「……前に海李を変えてくれた子がいたって話しただろ? その子なんだ。あいつが大切に思ってる子に告白なんて無理じゃん」
「えっ!?」
ちょっと待って……。
それは私のこと?
確かに、ヘアクリップは買い物に出かけて助けてもらった時に上げた覚えがある。それに、海李君と一緒にいる時に街中で会って、挨拶したのに笑顔を返されただけの記憶もある。
けれど陽介君に会ったのは、その2回きりだ。「知れば知るほど」などと言われるほど顔を合せていない。
では、私ではない?
いや、でも、海李君の近くにいたのは私だけだろうし……
そもそも、その認識自体が間違っていて、海李君のそばには別の誰かがいた?
何がどうなっているのかわからない。
私の思考は暴走を始めて、結論に辿り着くどころか火花のように四方八方に考えが飛び散り出した。
「おい、凌? 大丈夫か?」
心配そうに私を見ている陽介君と目が合った。考えることに必死になるあまり彼の存在を忘れていた。
「あっ、はい。すみません」
その時、リビングの入り口のドアが開いて長身の男性が中へと入って来た。
「おい、陽介。あっ、珍しいじゃん。連れ?」
「兄貴こそ、こんな時間に何?」
「今から大学の奴らとレポートやるんだけどリビング使っていいか?」
「ああ。じゃあ、凌、悪いんだけど俺の部屋に行ってて。そのドア出て左が俺の部屋。食器片付けたら行くから」
「わかりました」
陽介君のお兄さんに挨拶をして、私は言われた通りに彼の部屋に向かう。短い廊下を歩き、左側のドアの取っ手に手を掛けた。
「凌、ちょっと待った。入んな」
追いかけてきた陽介君の制止より早く、私は彼の部屋のドアを開けていた。
「えっ?」
「遅かったか」
――開かれたその先に信じられない物があった。




