思い煩う
昨日、叔父さんの体調が土曜日より回復傾向だったことに安堵したのも束の間、原因不明の息子さんの怒りに悩んで私は2日連続で睡眠不足となった。
少し朦朧とした意識のまま1週間の始まりを迎えた。
教室に入ると既に海李君と陽介さんは登校して席に着いていた。以前は3人の中で私が一番早く到着していたのに、最近では2人のほうが早く来ていることが多い。今朝はいつもより家を出るのが少し遅くなったので尚更のことだった。
「おはようございます」
彼らに挨拶をしながら自分の席に座ると、陽介さんが椅子を動かさずに体をこちらに向けて話しかけてきた。
「凌、土曜日、どうだった?」
その言葉を聞いて海李君も振り返って会話に参加して来た。
「そうそう。どうだった? 土曜に聞いたのに上の空で教えてくれなかったしさ」
「どうって何がですか?」
「女の子、紹介されたんだろ?」
「陽介さんの言う紹介とは違いますよ。高橋さんの友達の家に一緒に行ってきただけです」
「それだけ? 付き合うとかじゃねーの?」
「お会いした女性、きっと70歳を越えてると思いますが」
「あっ、ああ、あーっ、なるほど……。本当にただの紹介ね」
話の食い違いに納得した二人は、気まずそうに私から視線を逸らしてゆっくりと体の向きを戻した。
その様子を横目に、私は鞄から教科書を出して机に入れ始めた、のだが……。
教科書が奥まで入らない。押し込んでも入る気配がない。一旦教科書を机の上に置いて中を覗き込んでみた。
「ん?」
奥の方にピンク色の小箱が見えた。手を入れてそれを引っ張り出す。
丁度、手の平に収まるサイズの長方形の箱でリボンが掛けられていた。私の持ち物ではない。
「んー?」
上から下まで机を確認する。横のフックに掛かっている緑の巾着は私の物だし、天板の右端に付いている小さな傷も私の机の証拠だ。寝ぼけて誰かの席に座ってしまったのではなく、ここが自分の席であると確信する。
では、この箱は誰かが間違えて入れたのだろうか。
間違える? 間違えようがあるのだろうか……。
勝手に中を見ることもできないので小さく横に振ってみた。カタカタと箱に何かが当たる音がする。とりあえず空箱でないことは確認できた。
周辺を見回す。こちらを見ている人はいない。
手元に視線を戻し、誰の物だろうと疑問に思ったところで廊下から私を呼ぶ女の子の声がした。
「凌せんぱーい」
そちらを見ると、ツインテールをクルクルに巻いた可愛い女の子が入り口に立って両手を振っていた。
「凌先輩。それ、私が焼いたクッキーです。食べてください」
箱と彼女を交互に見る。
海李君と陽介さんが一緒のタイミングで私の方を向いた。
クラスの人達も一斉に私に注目したのを感じる。
「えーっと、困ります。頂けません」
手元の箱を彼女の方に差し出し、持って帰ってほしいと態度で示した。
けれど、聞こえていないのか聞こえていないふりなのか、彼女は再度大きく両手を振って笑顔で教室の前から姿を消した。室内を見回すと興味深々な顔で様子を伺っているクラスメイト達と目が合う。居心地の悪さを感じて視線から逃れるように慌てて前を向いた。
「凌よ、モテるのぉ」
その冷やかしの声で陽介さんに目をやると、少し意地悪にニヤリと笑って私を見ていた。彼の表情に対して1つ溜息をつき、手中の箱の扱いに困って海李君と陽介さんに助けを求めた。
「これ、どうしたらいいですか?」
「貰っておけば?」
海李君が簡単に言った。
「彼女が誰かも知らないのに頂けません」
「じゃあ返しに行けば?」
「誰かもわからないのに?」
陽介さんが振り向いて後ろの席の山本さんに声を掛けた。
「ねえ、さっきの子、誰か知ってる?」
彼女は携帯から陽介さんに視線を移して短い言葉で返答する。
「2年3組ということだけ」
それだけ言って再び手元に視線を戻した。
「だとさ。返しに行く?」
「そうですね。休み時間になったら行ってきます」
それが目に入らないようにひとまず鞄にしまい、教科書を机に入れる作業に戻った。
1限が終わり、私は2年生の階の廊下を歩いていた。
すれ違う女の子達から小さな悲鳴が上がり名前を呼ばれる。寝不足のせいもあってか、その黄色い声が神経を逆なでするような不快さを与えた。
人の気配を感じて何気なく後ろを振り返ると、知らぬ間に大名行列のごとく列ができていた。全ての視線が私に注がれていて、その人達が私を追って来ているのだと気付く。
怖い……。それが正直な気持ちだった。
不快さに恐れもプラスされて、とりあえず箱を返して急いでこの場を離れなければ、その一心で3組の教室へ向かった。
入り口に立ち、彼女の姿を探す。
けれど、あの目立つ装いを見つけられない。
その間も教室から黄色い声が上がっていた。
とにかく一刻も早くこの場を去りたくて、仕方なく一番手前にいた男子に声を掛ける。
「ちょっといいですか?」
「はい。あっ、女装の先輩」
「女装って……。まあ、いいや。あの、ツインテールで髪がクルクルな子、知ってますか?」
「髪がクルクル?」
呟きながら彼は眉間に皺を寄せてしばらく考えていた。その人物に見当がついたのか、急に明るい表情に変わって言った。
「ああ、はいはい。わかります」
「これ、その子に返しておいて欲しいのですが」
そう言ってピンクの箱を彼の前に差し出した。
「俺が?」
手を伸ばしかけて一瞬躊躇う素振りを見せたので、少し強引だったけれど彼の手首を握って手の中に預けた。
「ちょっと待って」
そう言って押し返されそうになったので、私も手の平を突き付けて抵抗する。
「こんなこと頼んでごめんなさい。宜しくお願いします」
彼の抗議の声が聞こえてきたけれど、私は振り返らずに教室を後にした。背後から黄色い声も飛んできた。しかし、それらの一切を無視して階段へ急ぐ。私の歩調と重なるように、後を付いてくる数人の足音が聞こえてきた。
その人達を振り切るように先を急ぎ、3階から2階へ向かって階段を下りているところで踊り場に海李君の姿が見えた。
味方を見つけたような安堵感が広がり、彼に向かって声を掛けようとしたところで一緒にいる人に気付き足を止める。壁に背を向けて立っている海李君と、こちらに背を向けている髪の長い女の子が対面していた。
何やら揉め事のようで海李君の苛立った声が聞こえてきた。
「だから付き合えないって」
「でも、付き合っている人いないんですよね?」
「いなくても付き合う気はない」
「お試しでもいいので」
「俺、好きな人いるから」
「えっ!? 誰ですか!?」
「誰でもいいじゃん」
「教えてください」
「ちょっと迷惑」
そう言うと海李君は視線を上に向ける。階段の途中でその光景を見ていた私と目が合った。
盗み見ていた形になってしまい、その気まずさから逃げ出そうとして再び3階に上がろうと振り返る。
最上段で女の子数人が好奇な目で私を見ていた。先程、後を追って来た人達だろう。この状況で上に向かうことはできない。
天を仰ぎ、仕方なく階段を下りようと振り返った。
しかし、寝不足だったせいか頭を振った瞬間にめまいに襲われて、私は大きくバランスを崩してしまった。
『危ない』そう思う間もなく私の体は宙に浮いた。
その後がどうなったのかは自分でもわからなかったけれど、階段に叩きつけられるはずの衝撃はなく、代わりに海李君の顔が間近にあった。
「おい、凌!」
耳元で彼の声を聞き、私は意識を失った。
目を開けると白い天井が見えた。
そして周りを囲う白いカーテン。
白い布団が首まで掛けられている。どうやらベッドに寝かされているようだ。
全く見覚えのない空間だった。
私は身動きせずに目だけを動かして、ここがどこなのか把握しようとした。
けれど見える物だけでは情報量に乏しく、状況を理解するために起き上がる。
ベットがギシギシと音を立てた。
その音を聞きつけてか細くカーテンが開き、その隙間から女性が顔を覗かせた。
「起きた? 大丈夫?」
彼女の顔に見覚えがあった。体育祭の日に捻挫を診てくれた保健医だ。ここは学校の保健室ということか。
「あの、僕は何故ここに?」
「階段で突然意識を失ったって運び込まれたの。覚えてない?」
階段で……。
記憶が蘇ってきた。
海李君が告白されていた場面を見て、逃げようとして階段から、落ちた?
ふと思った。起き上がった時に痛みの異変は無かったと。
腕や足を軽く動かした後、背中や顔を手で触ってみる。痛い所はない。
落ちていない?
どういうことだろうか。その答えを保健医がくれた。
「階段から落ちそうになった下野伊君を、有富君が抱えた直後に意識を失ったんだって。それで彼がここへ運んでくれたの。あなた爆睡してたけど、もしかして睡眠不足なんじゃない? しっかり寝てる?」
「あーっと、2日間ほど寝られなくて」
「若さを過信しちゃダメよ。睡眠は大切! 有富君、余程心配だったらしくて休み時間の度に覗きに来てたよ。お礼言っておきなね」
「……はい。すみませんでした」
「あと10分くらいで昼休みになるから、それまでここに居て」
「はい」
既に散々寝ていたので、私はベッドの縁に腰掛けて時間が経つのを待つことにした。
先程の海李君の言葉を思い返す。
好きな人がいるんだ……。
それは別に不思議なことでもないし非難することでもない。
最近、海李君が変わり始めたのは好きな子ができたからなのだろうか……。
そう考えたら、少しだけ……、いや、かなり胸の奥が苦しくなった。
手を繋いで歩いたあの冬の日、私以外の人に笑顔を向けて欲しくないと、私以外に優しくしてほしくないとそう願っていた。
けれど、海李君の心の中には別の誰かがいて、私が欲しかった彼の全てがその人に向けられるのだと思ったら胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。
勿論、幸せになってほしいと思っている。
幸せにできるのは私ではないこともわかっている。
隣を歩いていても、友達以上の関係にはなれないと理解している。
ここへ戻った本来の目的は、自分の恋を成就させることではないということも。
それでも……。
簡単に割り切れるほど心は単純じゃない。
ただ、このやり場のない気持ちを断ち切る手段があるとするなら、それは海李君の恋の手助けをするのが手っ取り早いのかもしれないと思った。
海李君が笑顔でいられるように、海李君のために、海李君の……。
そこまで考えて苦しすぎてどうにかなりそうになり、心を落ち着かせようと目を閉じて何度も深呼吸した。
4限を終えるチャイムが鳴った。
私はベッドから立ち上がって上履きに足を入れ、閉まっていたカーテンを全開にして元の位置に戻す。
机で仕事をしている保健医が座ったままで私を見た。
「もう大丈夫?」
「はい、ありがとうございました」
「しっかり寝るんだよ」
「はい」
保健室を出ようとドアに手を掛けた。すると、自動ドアかと思うタイミングで目の前の視界が開ける。
「うわっ、びっくりした。凌、もういいの?」
その先に海李君が立っていた。
「あっ、ああ、はい。助けてもらったみたいで……。ありがとうございました」
「うん。教室、戻れる?」
「はい」
再度、保健医にお礼を告げて私達は教室に向かう。
昼休みとはいえ、まだ授業が終わったばかりで、数人の教師が職員室に入って行く以外に人影はなかった。
海李君は無言だった。
あの女の子とのやり取りを目撃してしまった気まずさがあって、私も話し掛けられずにいた。
隣を歩く横顔を見ながら『海李君に寄り添えるのは私ではない』そう無理矢理に自分に言い聞かせて覚悟を決めた。これから口にする言葉への決心が揺らいでしまいそうで、その姿を視界に入れないように反対側を向く。
「あの」
「ん?」
「なんか覗き見したみたいになってすみませんでした」
「え? ああ、朝のあれ? 別に気にしなくていいよ」
「お詫びと言っては何ですが、何かお手伝いできることがあれば言ってください」
「何の手伝い?」
「好きな人がいるって……」
「あれね。あまりにもしつこかったから、ああでも言わなければ引いてもらえないと思って」
「でも……、いるんですよね?」
「何が?」
「好きな人。だから協力します」
「んー。今は誰かと付き合うとか興味ないから協力はいらないよ。それに俺は凌が好きだし」
「えっ!? 僕、男ですが……」
「男とか女とか関係なくて、凌みたいな人が好きってこと。もし凌と全く同じ性格の女の子がいたら告白するかもしれないな。その時は協力して」
海李君は「ふふっ」と悪戯っぽく笑って私を覗き込んだ。そして私の肩を軽く掴んで歩みを止めさせた後、向かい合う形になって言った。
「あのさぁ、さっきから敬語使ってたのって意識的? 敬語使ったら話さないって言わなかったっけ?」
「えっ!? あの、それは……」
「あと、陽介も怒ってたよ。いつになったら『陽介さん』を卒業するんだって」
「あの、えっと、あの……」
「敬語使った罰として、午後は話してあげないにしよっかなぁ」
そう言って笑いながら踵を返し、私を置いて歩き始めた。
その後ろ姿を見ながら、海李君の言葉の数々を思い返して私は少し嬉しくなってしまった。
けれど、矛盾している自分の感情にふと気付く。
彼に幸せになってほしいなどと偉そうに願っていながら、一番大切にしているのは自分の気持ちなのではないだろうかと。
――私は身勝手な人間だ。
その結論にたどり着き、先程までの嬉しい気分から一気にどん底まで落ちた。
「おい、凌。置いてくよ」
海李君が振り返って手招きしている。
罪悪感に苛まれながら、私は小走りで彼の元へ急いだ。




