邂逅
金曜日の帰りに真結さんがふらっと教室に来た。
「最近、凌君に会いに来るのも大変だよ。話してる姿を見られるだけで周りから凄いブーイングを受けるんだよ。この前なんか、すれ違いざまに舌打ちされてさ。ほんと何なの!? って感じ」
私の机の横に仁王立ちして、彼女は日頃の鬱憤を晴らすようにまくしたてる。その様子が可笑しくて、つい声を上げて笑ってしまった。
「なんで笑ってんの!?」
「いや、高橋さんらしいなと思って。ところで何か御用ですか?」
「そうそう、明日、暇? 会わせたい人がいるの」
「明日は用事ありませんけど。会わせたい人とは?」
「うん。静乃さんていうんだけどね。凌君と気が合うと思うんだ」
前の席で話しを聞いていたようで、海李君が勢いよく振り向いて言った。
「女の子を紹介すんの?」
「凌、父を差し置いて彼女作んのか?」
真結さんの影から顔を出し、陽介さんまでもが会話に参戦する。
「2人共、何か勘違いしてるけど……。 まあ、いいや。明日11時にいつもの場所で。あっ、そうだ。もし凌君のほうが早かったら、明日は中に入らずに外で待ってて。じゃあね」
外野の声を無視して、真結さんはそれだけ言うと小走りで教室を出て行った。
残された私は嫌な予感がした。至近距離での圧を感じる。
彼女を追っていた視線を隣人の2人に移す。そこには包囲網が張られていた。
私の机に腕を乗せて身を寄せてくる海李君と、椅子を真横に移動して動きを封じる体制の陽介さん。2人共、無言で私を見つめていた。
「なっ、何ですか!?」
「おまえら、いつもって言うほど頻繁に会ってんの?」
「明日、どこ行くの? 俺も付いて行こうか?」
にじり寄る彼らに、私は貝のごとく口を閉ざした。
11時より少し早めに着いた私は、言われた通りに外で真結さんを待っていた。
中に入らないということは、これからどこかへ向かうのだろう。彼女の交友関係はわからないけれど、一体誰に会わせようというのか想像もつかなかった。
「お待たせ」
程なくして真結さんが現れた。
普段パンツ姿が多い彼女が、今日は真っ白なワンピースという出で立ちだった。清楚なお嬢様、そんな言葉がぴったりと当てはまる雰囲気に私は言葉を失った。
「如何でしょう? 今日は身なりを整えてきました」
「別人かと思いました。服装で人ってこんなにも変わるんですね」
「ちょっと凌君。けなしてんの? それとも褒めてんの?」
「褒めてます、勿論」
「宜しい。今から会いに行く人ね、とてもお上品な人なの。だから、その人と会う時は私もお上品な恰好をして行くの」
「僕、こんな服装だけど大丈夫ですか?」
自分の姿を見下ろす。
身なりに気を遣うような人に会いに行くなどと予想もしていなかったから、薄手の黒いパーカーとジーンズというラフな服装が急に心配になってきた。
「凌君は何だっていいのよ。私が、静乃さんの前で変な恰好をしたくないだけ。それよりも早く行こ」
そう言って、お店に向かってくる道とは反対の方向に向かって歩き出した。
最初の路地を左に曲がり、両側を民家の塀が覆う道を進む。喫茶店から裏道に入ってしまうと、どこを歩いているのか私には全くわからない。初めて2人でここへ来た時もそうだったけれど、迷いのない真結さんの後をただ付いて行くしかなかった。
「凌君さぁ、最近、人気だね。あっちこっちで3人の名前を聞くよ。聞かない日がないくらい。うちのクラスの女子も騒いでる。目の保養だってさ。次を右に曲がって」
「うーん。あまり有難い話ではありませんが」
「そうなの? モテてウハウハじゃないんだ。まぁ確かに君達3人は、女の子に囲まれて喜ぶような輩じゃないね」
「あの、ウハウハってどういう意味ですか?」
「よく、うちのお祖父ちゃんが使ってる。なんか嬉しいとかって意味らしい。あっ、あそこ左ね」
「初めて聞きました」
指示された道を左に折れ、今歩いて来たよりも少し幅の広い道に出た。まるで迷路を歩くように次から次へと右折左折の指示をされる。本当に目的地に向かっているのか心配になって聞いてみた。
「この道で合ってるんですか?」
「勿論だよ。すぐそこ」
軽やかな足取りで嬉しそうに一回転してみせる。スカートの裾がフワリと広がり、彼女の心を表現しているようだった。喫茶店の前で私と顔を合せた時よりも生き生きとした表情をしていて、その人と会えることが楽しみで仕方ないのだろうと容易に想像できる。
『すぐそこ』と言ってから2~3分ほど歩いたところで、彼女は一軒の家の前で立ち止まった。
「ここ」
そう言って手の平を上に向け、木製の大きな扉を指した。
私は辺りを見回した。少し高めの塀から中を覗き見ることはできないけれど、大きなお屋敷だということは囲っている塀の長さからわかった。
真結さんが門柱に据え付けられているインターホンを押す。
「はい」
若い女性の声が応答した。
「こんにちは、真結です」
「ああ、真結ちゃん。待ってたよ。入って」
初めて聞く声ではなかった。
聞き覚えのあるその声に、私の頭の中で相手の特定作業が始まった。
誰の声だろう……。確実に聞いたことがある。
けれど、答えを導き出す前に「こっち」と真結さんに思考を停止され、彼女が小門を開けたので一緒に中へ入った。
目の前に大きな平屋の日本家屋が現れた。横に長い建物で、差し込む暖かな光が縁側を輝かせている。手入れの行き届いた庭には小さな池があり、そこに橋まで架かっていた。まるでおとぎ話の中に迷い込んでしまったような感覚で、こんなに素敵なお宅があるのだと感嘆の息が漏れた。
「こっちだよ」
何度もお邪魔したことがある様子で、真結さんは玄関ではなく家屋の左手側に向かって歩く。後を追う間も、私は素敵な庭に目を奪われていた。
建物の端に辿り着くと、障子の開け放たれた家の中に向かって声を掛けた。
「静乃さん、こんにちは」
その挨拶に応える声があった。
「こんにちは。いらっしゃい」
そう言いながら部屋の奥から姿を現したのは、私に優しい思い出をくれたあのお婆さんだった。
彼女に名前を尋ねたことが無かったから『静乃さん』と聞いただけでは誰のことかわからなかった。先程の聞き覚えのある声が沙織さんだったとわかり、スッキリした気分になる。沙織さんのお祖母さんなのだから、真結さんと顔なじみなのも不思議ではない。
「あら真結ちゃん、今日はボーイフレンドと一緒?」
「違いますよ。ただの友達です。以前、お話した彼です」
「ああ、彼が。初めまして。あなたとお会いしてみたかったの」
真結さんから私に視線を移し、小さく首を傾げる。
初めて見る着物姿の彼女は、普段の洋服の時よりも気品があって美しい。真結さんがお洒落して来たくなるのも納得だった。
「はじめまして。下野伊 凌です」
「山口 静乃です。宜しくね。どうぞ、お掛けになって」
縁側に並べられていた2枚の座布団を指して私達に座るように言った。それとは少し離れた所にもう1枚用意されていて、自身はそこへと優雅な動きで正座する。
彼女から庭に視線を移した。
そこから見える景色は、まるで絵から飛び出してきたと錯覚させるほど完成されたもので、私は感動した気持ちを口にしていた。
「上品で美しいお庭ですね」
「そう? ありがとう。こんなにお若い方に褒められて嬉しいわ」
そこへ、沙織さんがお盆を両手に持ってやって来た。私達の後ろに腰を下ろし「どうぞ」と湯呑の乗ったそれを縁側に置く。
「もしかして今日は絵を見に来たの?」
彼女が真結さんと私を交互に見て尋ねた。
「えっと、静乃さんと凌君を会わせたかったというのが一番の理由なんですけど、あわよくば凌君に絵を見せてもらえたらなぁなんて」
「そうなんだ。見ていったらいいじゃない。ねえ、お祖母ちゃん」
「勿論よ。きっと、新しいお客様に絵も喜ぶわ」
私も久しぶりにあの絵に会ってみたかった。昔の友達と再会する、そんな感覚かもしれない。
「私、用事があるから失礼するね」
そう言って沙織さんが縁側を戻っていくと、静乃さんが爪先を立てて音も無く立ち上がった。
「じゃあ、私達は絵を見に行きましょう。どうぞ上がって」
両手を重ね、背筋を伸ばした姿勢で私達が動き出すのを待っている。
「お邪魔しよ」
真結さんの声で私は靴を脱ぎ、一旦、座布団の上に正座をして立ち上がる。真結さんも同じような動作で縁側に上がった。
私達は先を行く静乃さんに付いて行く。
部屋の中には井草のいい香りが漂っていた。右手側にある襖を開ける。その先の正面の壁に、立派な額縁に入れられたあの日の絵があった。
懐かしい。
2人が絵の中から私を見つめていた。これを描いていた時間の胸の高鳴りや、静乃さんと久しぶりに再会した時の喜びが蘇る。
あの頃に戻れたなら……。そんな叶わぬ願いが頭をよぎった。
隣の部屋に静かに足を踏み入れ、絵の前まで進み出て静乃さんが言った。
「この絵は私の宝物なのよ。毎日、この絵を見ながら亡くなった主人に話しかけてるの。彼が笑っているから、私も自然と笑顔になるわ」
「何度見ても素敵な絵ですね」
静乃さんの横まで歩いて行き、まじまじと眺めながら真結さんが言った。
「そうでしょう? 毎日見ているのに見飽きることがないの」
「見てるだけで幸せな気分になれる絵なんて、そんなに簡単に巡り合える訳じゃないですよね」
「私は幸せ者ってことね?」
2人は、見つめ合って幸せそうな顔で微笑んでいた。
絵が大切にされている様子を見て、描いてよかったと心の底から思った。静乃さんが笑顔で過ごすことに貢献できているのなら、こんなにも嬉しい事はない。
「ねえ、下野伊君。この絵に描かれている花、何か知っていらっしゃる?」
2人の後ろで立っていた私を振り返って静乃さんが聞いた。
「タイサンボク、ですね」
「あら凄い。よくおわかりになったわね。じゃあ、この花言葉はご存じ?」
「前途洋々、もしくは威厳」
「あらあら。物知りさんね」
「僕も、この花が好きなので」
「そうなの? 主人もこの花が好きだったのよ。花言葉を知って、この花を好きになったんですって。とても前向きな人でね。困難とは明るい未来を迎えるための準備期間だ、ってよく言っていたわ」
「ねえ凌君。その花言葉ってどういう意味?」
「未来が大きく開けていて希望に満ちている、そんな感じです」
「ふーん。凌君、凄いね」
「たまたま知っていただけですよ」
「あなた方の未来も、きっと希望に満ちているのね」
静乃さんは、私達に向かって優しく微笑んだ。
真結さんは、もうしばらく静乃さんと話をするからとあの家に残った。
私は一人で歩きながら、先程の静乃さんの言葉を思い返していた。
私の未来は、あと数か月しかない。『前途洋々』この熟語は今の私から一番遠い気がした。
けれど、悲観している訳ではない。先細る未来だけど、終わりがわかっているからこそ頑張れることもある。
今はとにかくやれることをやる、そう自分を鼓舞した。
考え事をしながら歩いていたせいで、気付けば私は無意識に公園の付近を歩いていた。
少しの時間ブランコに乗って行こうかな、そう思い立ち、私は入り口に足を向ける。
敷地に足を踏み入れて奥に目をやると、残念ながら小さな子供の先客がいた。下りてもらう訳にもいかないので諦めて引き返そうとした時、うなり声のような低い声が聞こえた。
辺りをキョロキョロと見回す。
入って来た時には背もたれに隠れて目に入らなかったけれど、入り口のベンチに体を半分に折るようにして座っている男性の姿があった。
具合でも悪いのだろうか、時折、うなり声に混じって荒い息も聞こえる。
声を掛けようか、気付かぬ振りをしようか迷った。
その様子を見ている限り、もしかしたら泣いている可能性もある。
もしそうであれば声を掛けて迷惑に思われるのも嫌なので、私は気付かぬ振りをして出て行こうと1歩踏み出した。
……けれど。
もし具合が悪いのであれば、放置した場合、命に関わることになるかもしれない。
声を掛けるべきか、気付かぬ振りをしようか、そんなジレンマに襲われながら、私は念のために声を掛けようとベンチに近寄った。
「あの、大丈夫ですか?」
小さな声は届かなかったようで、何の反応も示さない。
「大丈夫ですか?」
少し音量を上げてみた。今度はピクリとスーツの肩が動いた。
「具合が悪いんですか?」
「少し、胸が、苦しくてね」
切れ切れに答え、男性がゆっくりと上半身を起こした。ボサボサの髪の下から顔が見える。
「叔父さん!」
その人を見て、私は思わず叫んでしまった。




