密話
既に着席している陽介さんは、腕と足を組み、まるで地獄の門番と見紛う顔で 私達の動きを目で追っていた。
黒板の前を通る時に、海李君が私を振り返って肩をすくめた。それは『厄介だね』と無言で伝えてきてる仕草にも見えた。
あんなに怖い表現を作るほど、陽介さんにとって『さん』と『君』の違いが重要なことなのだろうか……。あの顔を見ているだけで、審判でも受けに行くかのような謎の緊張感が体を走る。できることならこのまま回れ右して出口に向かいたい、そんな小さな反抗心が生まれた。
「何であんなに怖い顔してるの?」
いたたまれずに先を行く海李君に小声で尋ねる。
「さあ。……疎外感?」
「何に対して?」
「うーん。俺達が仲良くなった姿を見て、かも」
「そうなの?」
「わかんないけど」
「そこ! こそこそ話してないで早く座る!」
待たせるなと言わんばかりに、陽介さんは少し大きな声を張り上げて私達の会話を遮った。
急かされているにもかかわらず、通路を歩く海李君の歩調が変わることはなかった。その大きな背中に身を隠して、私は陽介さんの視線から逃れた。
海李君が自分の席の椅子を引いた後、彼の横を通り過ぎて陽介さんの方を見ないように席に着く。
右側から強い視線を感じる。その圧の主の様子を確認しようと、首を数センチだけ動かし眼球を目一杯右に寄せた。いつの間にか体をこちらに向けていた陽介さんと目が合った。慌てて視線を逸らし、握りしめた両手を見つめる。
無言の時間が流れた。
着席したのに何もいってこないことが逆に怖い。悪い事などしていないのに、罪悪感を感じるのは何故だろう。
3人の間を漂う不穏な空気を破るように、海李君が椅子を後ろに動かして体を陽介さんの方に向けて言った。
「何をそんなに怒ってる?」
「どうして俺だけ『さん』なんだ?」
「俺が君付けで呼んでって言ったんだよ」
「じゃあ凌、俺のことも君付けで呼んでよ」
「……なんで、そんなに呼び方にこだわるんですか?」
両手を見ていた視線を陽介さんに移した。
「凌のことをこんなにも愛しく思ってんのに、さん付けなんて余所余所しくて悲しいじゃないか」
「えっ!?」
「えっ!?」
海李君と私は同時に驚きの声を上げた。
「それは好きだという意味か?」
「ああ」
「ちょ、ちょっと待て! その好きの種類は何? 恋?」
「可愛くてたまらないということだが?」
「かわ、いい? 僕が?」
「小動物を愛でる感覚に似ているかもしれん。凌と一緒にいると、なんか父性本能をくすぐられるんだよ」
そう言って、いきなり立ち上がってこちらに歩み寄って来たかと思ったら、横から首に手を回して私の髪を撫で始めた。
「ひぃっ」
不意のスキンシップに、体が硬直して喉から変な音が出た。海李君が椅子の背もたれに手を掛けて立ち上がりかけたその時、廊下の方から異様な歓声が上がった。
それは、教室のみならず廊下一体にも響き渡るであろう大音量だった。コンサート会場かと勘違いしてしまいそうな「キャーキャー」という女の子達の黄色い声で溢れている。
何事かと思って音源に目をやると、見覚えのない数人の女子が廊下側にある窓や入り口から私達を見ていた。
「……あれは何ですか?」
抱き着かれたままだということも忘れ、隣にいる陽介さんを見上げて問う。彼は、一瞬だけ私に目を向けたけれど、再び廊下側に頭を向けて「知らん」と素っ気なく一言だけ答えた。海李君を見ると、彼もいぶかし気な顔でそちらの様子を見ている。
私達3人は、理解できない状況をただ傍観していた。
その間も奇声が止むことはなく、こちらに向かって手を振る人まで現れた。
「陽介君のその手、離したほうがいいよ。あやつらが興奮するから」
私の後ろの席の山本さんの声がした。
陽介さんが私の首から手を離し、私達は同時に振り返った。
彼女は手元の携帯に視線を落としたまま、顔を上けずに話を続ける。
「君達3人は体育祭で目立っていたからね。あれらは君達を見るために集まって来たのだよ」
「どういうことですか?」
「復活した王子様の有富君と、実はイケメンなのに前髪で素顔を見せない陽介君と、女装してもなお綺麗な顔立ちの下野伊君。体育祭の借り物競争で『姫を連れ去るナイト2人』的な構図が出来上がって、今や君らは時の人なのだよ。顔面偏差値の高い3人が揃っていたら、おなごが騒がない訳はなかろう」
「何だよ、それ。迷惑なんだけど」
「私に言われてもなぁ。それは本人達に直接伝えたまえ。そもそも私だって迷惑しているんだ。大して喋ったこともないかつての級友や後輩らから、3人の情報を送れとこぞって連絡がくる。スマホの通知音が鳴り止まん。ただ席が近いというだけでこの有様だ」
そう言って、画面一杯にメッセージの通知が表示されている携帯を見せた。
「……なんか、……すまん」
小さく頭を下げて、陽介さんは山本さんに謝った。その謝罪に対して、彼女は右手を小さく上げて返す。
話が終了したところで、丁度、ホームルームを知らせるチャイムが鳴った。
「お前ら、何してるんだ。早く教室に戻れ」
廊下で私達を観覧している生徒達に向けて、担任が注意している声が聞こえた。ブーイングと共に彼女達はこの場を離れがたい雰囲気で姿を消していく。入れ替わるように担任が姿を見せて、誰もいないか確認するように何度か廊下に視線を送っていた。
「あれは何だ」
教壇に立ち、独り言のように少し怒りを込めた口調で放った。
それ以降、休み時間の度に女の子達が姿を見せた。幸いなことに教室の中まで入ってくる人はいなかったので、外が賑やかだという点を除けば、普段と変わらない日常だった。
ただ一つだけ感じたことがある。
まるで動物園の檻の中にいるようだと。
動物園で飼育されている子達は、いつも人目に晒されてストレスではないのだろうか。私は短時間ですら苦痛だった。
ずっとこの状況が続く訳ではないだろうけれど、一日も早く檻から卒業できる日がくることを願いたい。
昼休みになり、海李君は補習テストがあると言って教室を出て行った。陽介さんは授業の終わりのチャイムと共に姿を消してしまったので、私は一人寂しく昼食の時間を迎えた。
教室に残っていたのは、いつもの女子グループのメンバーだけだった。「一緒に食べる?」と聞かれたけれど、毎度のことながら、その誘いを丁重にお断りした。
外の景色をのんびりと眺め、昼食にしようかと袋に手をかける。入り口に人の気配がして何気なくそちらに目をやると、陽介さんが私に向かって歩いて来ていた。
「凌、今日一緒に食わねえ?」
珍しく陽介さんから誘われた。
「学食ですか?」
「いや、今、売店で飯買ってきた。あそこのベンチに行こう」
そう言って、いつも私が座っている相棒を指す。
「わかりました」
私達は2人して手に袋を下げて教室を後にした。
校舎を出る間、すれ違う女の子達から小さな悲鳴が上がる。何かをされる訳ではないけれど、正直なところ見世物のような扱いをされている気分で心地悪かった。
「なんか、どこにいても何してても誰かに見られてるみたいで気分悪いよな」
ベンチに座るなり、唐突に陽介さんが話し出した。
「すみません、僕のせいで」
「だから、捻挫の時もそうだけど、おまえが悪いんじゃないんだって」
袋を自分の横に置き、足を組んで膝を抱えた。その体勢のまま、まるでリズムを取るように前後に小さく体を揺らし、空を見上げて話し出した。
「俺さぁ、凌に感謝してんだわ」
「何故ですか? 僕は何もしてませんけど」
「おまえは海李を救ってくれた」
「そんな覚えはありませんよ」
「いや、実際にそうなんだって。おまえに自覚は無いだろうけど。……本当は俺が話していいことじゃないけど、海李のことで凌に伝えておきたいことがあるんだ」
「僕が聞いてもいいことなんですか?」
「おまえだから話す。だから、これから口にすることは他言無用な」
「はい」
組んでいた足を下ろし、腿に肘を付いて前傾姿勢になって話し出した。
「海李って3人兄弟の末っ子なんだけど、あいつの2番目の兄貴が亡くなってんだわ。悠真君ていうんだけどさ。その悠真君と海李が仲良くて、俺も仲間に入れてもらってよく3人で遊んだ。中2の時、あいつ学校でトラブルがあって落ち込んでて、気晴らしにって悠真君が海李を誘って2人で出掛けたんだよ。それでさ、信号待ちしてるところに車が突っ込んできたらしいんだわ。その状況に一早く気付いた悠真君が海李を突き飛ばして自分は跳ねられちゃって……」
そこまでを一気に話すと、袋からペットボトルを取り出して一口飲んだ。それに蓋をせず「飲む?」と私に差し出したけれど、私はベンチに置いてあった牛乳パックを手にして見せ飲み物があることを示した。
それを見て陽介さんは首を縦に振ると、話の続きを始めた。
「あいつ、自分のせいで悠真君が死んだって、自分が殺したも同然だって、ずっと責め続けて部屋から出なくなっちゃってね。なんとか学校に行けるくらいになったけど、周りとの関りを避けるようになった。接触してくる奴らに攻撃的になった。そんな時、海李を変えてくれた子が現れたんだ。その子と知り合ってから、徐々に以前の海李に戻り始めた。そしたら今度はその子が去年亡くなった。自分と出会わなければ死なずに済んだかもしれないって、あいつ自己攻撃してさ。また悠真君が亡くなった時の海李に戻って、もう今回はダメだと思った」
再び飲み物を口にした後、今度は蓋をしたペットボトルを両手の指先で揉み始めた。ボコボコとした音がまるで音楽のように聞こえる。
「でも、凌が海李を救ってくれた。他の奴らは海李と距離を取っていたけど、おまえだけは自分から海李に近付いてくれた。昼、ここで隣に居てくれたり、話しかけてくれたり、あいつのことで本気で悩んでくれたり。凌が来てから海李が変わり始めた。体育祭の日に笑ってるのが信じられなかった。あいつに笑顔を取り戻させたのは凌だ。また海李と普通に会話できるなんて思ってもみなかったよ。だからありがとう。これからも海李のこと宜しくな」
私を見て微笑む陽介さんは、少しスッキリしたような顔だった。
きっと、陽介さん自身も、親友の海李君の痛ましい姿を見ながら色んな事と戦ってきたのだと思う。誰にも話せずに抱え込んでいた苦しみから解き放たれた、そんな表情にも見えた。
こんなにも大切に思ってもらえる海李君が、少し羨ましくも感じた。
先程、売店で買ってきたというおにぎりを袋から取り出し、彼が私の前に差し出す。
「僕、自分のがありますけど」
「どうせパンだろ? 米を食え」
そう言って私の手に無理矢理に握らせると、自分のおにぎりを取り出して封を解き大きな口でかぶりつく。2口で完食してしまいそうな程の豪快な食べっぷりだった。それを水分で喉に流し込み、少し低めの声で話し出した。
「でもさぁ、あいつの側にいても俺が力に慣れてないってのが少し寂しいよな」
残りのおにぎりを口に入れ、ベンチに両手を突いて空を仰ぐ。その横顔が今にも泣き出してしまいそうに見えた。
私は、渡されたおにぎりを手の中で転がしながら、これまで見てきて感じた2人の関係を率直に話した。
「そんなことないですよ。海李君にとって、陽介さんは心の支えなんだと思います。彼が彼であり続けるための砦の存在。僕が海李君を怒らせた時、僕を拒絶していたのに陽介さんの助言に素直に従って行動を起こした。彼のお母さんが言ってました。陽介さん以外は近付けないと。つまり何が言いたいかというと、海李君にとって陽介さんが唯一信頼できる人ということになるのでは? 僕のおかげだと言うけれど、僕だけでは海李君は変わらなかったはずです。海李君が弱い部分を見せられる相手は陽介さんだけなんだと思います。僕は、そんな2人の関係が羨ましいです」
上を見ながら、頭を少しだけ傾けて話を聞いていた陽介さんは、いきなり私の首に腕を回して髪をグシャグシャと撫で始めた。
体が陽介さんの方に傾いたせいで手の中のおにぎりが転がりそうになり、慌てて食品の救助をする。
「またこれですか。免疫は付きましたけど」
「だって凌が可愛すぎるから。なんか俺もおまえに救われた。息子が父を超えたな」
「息子になんてなってません」
「もう、いっそ息子になれ」
「僕、陽介さんと同い年ですよ」
「まだ陽介さんと呼ぶのか?」
そう言うと、まるで罰を与えるかのように、抜け毛が心配になるほど頭を撫でる手に力を入れる。拒否すれば、ずっとこのまま撫で続けられてしまいそうな気配だった。
「髪が抜けます。わかった、わかりました、陽介君って呼びます」
「よし」
満面の笑みを浮かべて腕を離すと、陽介さんは袋から2つ目のおにぎりを取り出して食べ始めた。私も、やっとお昼ご飯に手を付け始めることができた。
「凌よぉ、中間テストが再来週の火曜に終わるじゃん。その後、うち来るか? 俺、バイトないから、パンしか食わないおまえに手料理を振舞ってやる」
「料理ができるんですか?」
「まあな」
「行きます、絶対に行きます!」
「じゃあ約束な」
嬉しそうに言って、彼は再びおにぎりを食べ始めた。
知らなかった海李君の過去を、本人以外から聞くことになるとは思わなかった。けれど、仮にこの先何年も一緒に居たとしても、思い出したくない過去を海李君が自分の口で語ることはない気がする。それを知ってしまった今、少しだけ罪悪感が生まれた。
ふと私がここへ戻って来た目的を思い出していた。
その目的の達成に向けて、私は着実に歩めているのだろうか。
私は、私が負わせた傷を癒して去ることができるのだろうか。
答えのない毎日が不安になる。
けれど、悩んだところで何が正解かなんてわからない。最後の日に心残りがないと言えたら、きっとそれが正解なのだろう。
そう割り切って、私は残りのおにぎりを口に頬張った。




