体育祭②
海李君と陽介さんは仲良くじゃれ合った後、2人で同時に「はーっ」と溜息をついた。そして、これまた同時に背もたれに寄りかかり、何事も無かったかのように同じタイミングで目を閉じる。私は、そのシンクロ率の高さに驚嘆していた。お芝居などで稽古したとしても、これほどまでに息がピッタリ合うことはないだろう。
今、腕を組んで座っているのも同じ姿勢だ。2人共、動きをプログラミングされている機械なのかもしれない。どこかにチップでも埋め込まれているのではないかと疑ってしまうほどだった。
運動場から、途切れることなく賑やかな音が響き続けている。私は、動きの無くなった彼らの観察を辞めて競技を見ることにした。
前の人垣で運動場の様子が見えないので立ち上がると、丁度、借り物競争の二走者目が一斉に走り出すところだった。
一走者目と同様、全員が表現豊かな装いで観衆の目を喜ばせる。
この集団で街中を歩いたら、きっと道行く人の大半が注目せずにいられないだろう、というくらいカラフルだった。
その中に、西洋の舞踏会を想像させるようなドレスを着ている人がいた。人が隠れられそうなほど大きく広がったスカートを持ち上げて、とても走りにくそうに、けれど周りに負けず劣らず疾走している。その勇ましい走りは決して衣装負けなどしていなかった。
半周回って、全員がお題の紙を拾い終える。そのタイミングにあまり差がなかった。
けれど、瞬時に解読して走り出す人がいるのに対し、答えがわからなくて頭を抱えている人や、焦ってその場で足をバタつかせている人など、クイズを解く時間で開きが出る。
ドレスの走者が2番目に移動を開始したのが見えた。運動場を一周見回した後、トラックの真ん中を突っ切ってこちらに向かって猛進してくる。輪郭よりも大きく塗られた赤い唇と、スカートを持ち上げて前傾姿勢で走る姿に、本人には失礼だけど少し恐れすら感じた。
私達3人以外、全員が応援のために席を立っている。そこへ向かって来ているということは、このクラスの誰かを連れ出す目的か借りたい物でもあるのだろう。次第に近付き顔が認識できる距離まで来て、この異様に目立つ人物が誰なのか判明した。
「たっ、高橋さん!?」
思わず大きな声を出してしまった。
「凌、どうした?」
瞑想中だった陽介さんが、私を見上げて聞いてきた。海李君も声に反応してこちらを見ている。
「高橋さんが……」
「高橋が何?」
その質問に私が答えるよりも先に、彼女の声が響く。
「どいて、どいて」
真結さんの怒声の後、まるでモーセの海割りのように前の人垣が左右に別れる。その間を鬼気迫る勢いで、彼女が私達の前に立ち塞がった。
それまでの状況を知らない海李君と陽介さんは、目の前に突然現れた奇想天外な衣装の真結さんを見て驚きの声を上げる。
「うわっ!」
「誰!?」
そんな2人に目もくれず、彼女は私の腕を引っ張った。
「凌君、来て」
「ぼっ、僕ですか?」
「そう。早く来て」
「えっ? 僕ですか?」
「もーっ。凌君って言ってんのに何で聞き返すの? 行くよ」
「えっ? えっ?」
そう言って、私の了解も得ずに無理矢理に連れ出そうとした。腕を引く力が強すぎて、体勢を崩して倒れ込みそうになる。
「ちょっと待って」
一歩前に足を出して何とか転倒を免れたのに、真結さんは容赦なく私の腕を引き続けた。仮に私が寝転がっていたとしても、易々と引きずっていけそうなほどの力強さだった。彼女の怪力に抗うことができず、左右に割れたままの人垣の間を引っ張られながら駆け抜ける。
「行ってらぁ」
背後から陽介さんの見送りの声が聞こえたけれど、それに応えている余裕はなかった。彼女の力が強すぎて、振り返ったら転んでしまいそうだった。
そんな私達を見ていた集団から、爆笑と声援の騒がしい音が生まれる。注目の的になっているのが恥ずかしかったけれど、牽引力に従って走るしかなかった。
運営委員の元に辿り着いた。
腕を解放された私は膝に手を着いて、足りない酸素を補うように荒い呼吸を何度も繰り返す。トラックを半周ほど走らされただけなのに心臓が大暴れしていた。
ところが、私の何倍も走っていたにも拘らず、驚いたことに真結さんは少し呼吸が乱れた程度だった。マイクを向けられて平然とした顔で回答している。
「Women's clothing looks good on you」
「その意味は?」
「女装が似合いそう。だから彼を連れてきました」
「凄い! 今日1番の難題をあっさり解きましたね。さて答えは正解ですが、このお題はここからが本題です。彼に女装をしてもらって似合っているかどうか、みんなの審議を仰ぎたいと思います」
周りから、口笛や拍手、地鳴りのような歓声が沸く。
「ど、どういうことですか?」
息も切れ切れに、その意味を問いかけた。
「では彼には着替えて来てもらいましょう」
私の質問に答える気の無い運営委員は、こちらの意思を尋ねることなく進行していく。
目の前に体格のいい男子が2人現れた。
「えっ!? えっ!?」
状況を飲み込めずに戸惑っていると、その人達にいきなり両脇を抱えられた。そこから引きずられる格好で本部のテントに連行される。屋根のあるその中には、白い布で四方を囲われた簡易的な更衣室のような物が設置されていた。
入口と思われる布が開かれていて「入って」と右側にいる人に声を掛けられた。
「ちょっと待って。どういうこと?」
彼らは脇から手を抜き、私の背中を少し強引に押してその中に誘導する。説明も受けていないのに無理矢理に従わせようとする理不尽さに少しだけ怒りが湧いて、背中に触れている手に抗うように振り返った。すると2人の背後から女子が笑顔で登場した。
「身長は?」
私を頭から足先までを眺めて聞いてきた。
「……172cmくらいだと思いますが」
「じゃあ大丈夫そうかな。はい、これ着てくれる?」
「何ですか?」
畳んである布を手渡されてそれを広げると、元の私ですら着たことがない黒いタイトなワンピースが姿を現した。
「えっ!? なんですか、これ。こんなの着られないです」
「大丈夫、生地は伸縮性があるから」
「そういうことじゃなくて……」
「とりあえず着てみて」
彼女は有無を言わさず入り口のカーテンと思しき布を閉じ、私を一人置き去りにして姿を消した。状況を全く飲み込めずに、両手で握りしめたワンピースと彼女が封鎖した入り口を交互に見ながら立ち尽くす。
後ろを振り返ると丸椅子が一つだけ置かれていた。
あまりにも雑な扱われ方に惨めさを感じる。
狭いスペースに残され、私は外部との境界線となる白い布を平手で叩いて八つ当たりした。
「はーっ」
溜息の後、黒い服の肩の部分を摘まんで目の高さまで持ち上げてみる。
「これを着ろと?」
苛立ちが言葉に出た。
勿論、着用を拒否して出ていくこともできた。しかし、この場を去れば真結さんの顔に泥を塗るこになる。しばらく悩みながら黒い布と対峙していたけれど、諦めて渋々と着替えを始める。
体操服を脱いで長袖のワンピースに腕を通す。生地を下まで下ろして、その短さに愕然とした。これまで毎日履いていたのだからスカート自体に抵抗はない。
しかし、これは……
腿の半分程までしかない短いスカートだった。
いくら真結さんの為だと言っても、この姿で人前に出るのは嫌だった。
「着替え終わった?」
先程の彼女の声が声がした。
「……はい」
「開けるよ。おっ、いいじゃん。脚、綺麗だねぇ」
カーテン変わりの布を開けた彼女は、上半身を少し反らして着替え終わった私を上から下まで品評する。
「……これで出るんですか?」
「そう」
「嫌です」
「でも、君が出てくれないと彼女は失格よ」
「脅しですか?」
「そんな固く考えないで。お祭りじゃん」
露出度の高い服を見下ろす。
「……はあ」
私の心境を理解しようとしない様子に、何を言っても無理だと悟って半ば諦めの境地で返事をした。
これまでのお祭り騒ぎの体育祭風景を見ていたら、これも一つの余興ということで喜ばれるのだろう。学校の雰囲気的にも、私以外の人が選ばれていたら張り切って引き受けていると思う。これを企画した運営の人達も恐らくそういった部類の集まりだ。
この空気感に抗っても無意味だと感じた。
彼女は今まで持っていなかった小箱を手に更衣室の中に入って来た。
「簡単にメイクするからね。そこ座って箱持ってて」
抵抗しても無駄だろうと、彼女の言葉に従って丸椅子に腰かける。自身は立ったままで私の顔に手を入れ始めた。ファンデーションを塗られ、瞼に色を着けられ、ピンクのリップを施される。仕上げに長いウィッグを被せられた。
武装した私を見て彼女が言った。
「やーっ、可愛い。マジで可愛い。私んとこに嫁に来るか?」
「……行きません」
「養ってやるぞ」
「……行きません」
「愛でてやるぞ」
「……結構です」
不機嫌な私とは反対に、彼女は機嫌良さそうに大きな声で笑った。
「じゃあ行こう」
更衣室の入り口に用意してあったヒールを私の前に置き「履いて」と指示する。少しきつかったけれど、短時間なら我慢が出来そうだった。
意気消沈して項垂れていると、突然、目の前が白い物で覆われる。
「うわっ」
「テントを出るまで布を被っててね」
彼女の声が聞こえ、ここへ連れて来られた時と同様に再び両脇を抱えられた。きっと先程の彼らだろう。歩くことも嫌になり、歩行を拒否して脇に差し込まれている腕に全体重を預ける。この不愉快な状況への私なりの小さな抵抗だった。
あちこちで大きな歓声が聞こえる。視界が塞がれていると、まるで声の海の中に沈んでいるようだった。四方八方から迫ってくる声の波が、落ち込んでいる気持ちをより一層強めた。
2人が立ち止まり、私は脇を持ち上げられて自分の足で立たされる。
「さあ、着替えが完了したようですね。では、布を取ってください」
運営委員の声がして、前方の生地の端を彼らの指が掴むのが見えた。
「3・2・1、オープン」その掛け声で、白い世界が一気に色を帯びる。
「おーっ」という雄たけびにも似た歓声が沸きあがった。私の耳が聞き取れた言葉の中には罵声や中傷などは無かった。むしろ容姿を褒めてくれる声で溢れている。それは意外な反応だったし、体育祭を盛り上げることに一役買ったと思えば女装したことも有意義と言えるのかもしれない。
けれど。
性別が男性となっている現在は、この姿を人目に晒すのが異様に恥ずかしかった。露出度の高い防御力マイナスの鎧を一刻も早く脱ぎたかった。
『もう、いいですか?』そう聞こうと口を開きかけたところで、運営委員が私よりも先に話し出した。
「それでは、少し運動場を歩いてもらえますか?」
「はっ!?」
「みなさんに見てもらわなくては」
とびきりの笑顔を私に向ける。
流石に断ろうと思ったけれど、これまでを考えれば拒否したところでこちらの声など無視されるだろう。うんざりしつつも、言われたことに素直に従うほうが早く釈放されると思った。
歓声が止まない中を、トラックの内側を小さく円を描くように歩き出した。恥ずかしさで顔が赤くなっているのがわかる。
マイクを通した声が何かを話していたけれど、それを聞き取ろうとする余裕などなかった。
早く終わらせたくて少し速足になった私に、履いたことのないヒールが試練を与える。体が不安定になり時々足を取られた。そこで脱いで歩いてしまえば良かったのだけど、その時間すら惜しく思えて先を急ぐことを優先してしまった。
「あっ!」
左足が外側に折れ、『危ない』そう思った直後には地面に倒れ込んだ状態だった。周りで悲鳴が上がる。
体側を強打した痛みと恥ずかしさで、私はうつ伏せになって地面に寝転がったままでいた。羞恥心で周りの音など聞こえなくなっていた。
「もう、やだ」
小さな声で呟く。ここから逃げ出したかった。しかし動くことができない状態でどうすることもできない。
「おい、凌」
泣き出しそうになっていたところへ、席に居るはずの陽介さんの声が届く。
もしかしたら助けに来てくれたのかもしれない。
けれど、こんな無様な恰好で顔を上げるのが恥ずかしくて、私は身動きできずにいた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです」
私が情けない返事をすると、両脇に腕が差し込まれ、自分の意志ではない力で体が浮き上がる。
「おーい、この可愛い姫をさらってくから」
陽介さんの大きな声がして、私は今日だけで何度目になるのかわからない連行をされることになった。
彼一人でここに来てくれたのだと思っていた。しかし、よく見ると足元には3足の靴が並んでいる。
その両側で私を支えている人の顔を交互に見た。
右側に陽介さん、
左側には予想外の人がいた。
「大丈夫?」
海李君が心配そうな顔で私を見ていた。




