体育祭①
今日の体育祭は気持ちのいい晴天に恵まれた。日を追うごとに深みが増す青い空を眺めるだけで気分が高揚する。絶好の運動日和だった。
青空から歓声の響く運動場に目を移すと、グラウンドに引かれた白線の外で競技の応援に余念のない生徒達の姿があった。飛び跳ねたり大声を上げたりと、盛大に騒ぐことで勝敗が決まるとでもいうような大盛況ぶりだ。
装いも目を引くものが多く、長いハチマキを巻いている人や学ランを着ている人、チアガールの衣装を纏っている男子など様々な自己主張が繰り広げられている。私が経験した体育祭で、これほどまでのお祭り騒ぎの様相を目撃したことなどなかった。
この学校は、とても自由な校風なのだと実感する。
そんな賑やかな衣装を身に着けているのは半数ほどで、残りは規律正しくジャージや体操服だった。海李君と陽介さん、そして私は、勿論ジャージという校則に反しない物を着用している。
私達3人は横一列に並んで観戦していたが、自席で静かに着席している2人はともかく、服装が騒がしくなくとも私は十分にこの空気感を楽しんでいた。
「陽介さんは応援に参加しないんですか?」
腕を組んで頭を垂れ、目を閉じている彼に聞く。時折、リズムを刻むように指を動かしているので起きているのはわかっていた。
彼は頭を上げて眠そうな目で私を見て答えた。
「俺は大声出すと寿命が縮む病なんだよ」
「……何ですか、それ。子供でも騙されませんよ」
「お兄さんは体力温存しておかないと夜のお仕事が大変なの」
「夜のお仕事、ですか?」
「そう、個室でお客様をおもてなしする仕事。体力無いと頑張れないの」
「えっ!?」
「あれあれ? ……凌君、なんかいやらしいこと想像してない?」
意地悪そうにニヤリと笑う。
「そっ、そんなことないですっ!」
私の反応を見て陽介さんが声を出して笑った。
「そういう訳で俺は自分の出番以外は頑張らないの」
「……わかりました」
それだけ言うと彼は再び目を閉じた。
そのまま陽介さんの隣にいる海李君に目を向ける。彼も腕を組んで目を閉じていた。
あの日以降、挨拶は交わしてくれるようにはなったけれど、海李君とはそれ以外の会話は無かった。お昼に隣のベンチに座っていても、今まで通りの静かな時間が流れている。しかし、たったそれだけの進展でも、私の存在が彼にとって『無』ではなくなったみ証明であることに変わりない。
ここへ戻り、早くも1か月が経った。残りの時間を考えると焦る気持ちも湧き上がるけれど、焦って最初の状況に戻ることだけは避けたかった。
海李君の姿を目にするたびに『どうやって距離を縮めようか』という難問が、私の頭の中を駆け巡っていた。
応援の声が響く中で、次々と競技が行われていく。
4番目の種目は借り物競争だった。
陽介さんが言っていたように、目立つことを目的としているのが一目瞭然な人達がトラックの中央に集まっていた。それは、運動をするというより、仮装大会と呼ぶほうが正解とも思える光景だった。
カラフルな衣装が入り乱れる中、スタートの笛が吹かれ一走者目が走り出した。
半周走った先の地面に借りてくる物が書かれた紙が置いてあり、それを拾って裏を確認し、各々の指定された物を探しに走る。
初めてこの競技を見たので他の学校も同じルールなのかわからないけれど、ここの競技方法はユニークだと思った。
クイズ形式でお題が出される。
しかも出題方法が様々で、英語を翻訳するもの、絵から連想するもの、漢字から連想するもの、記号を解読するもの、と多種多様になっていた。
自分の引いた問題を解いて目的の物を持参しゴールに向かう。
そこで自分の答えが何か発表し、正解であればクラスに点数が入る。間違っていた場合と制限時間内にクイズが解けなければ減点となる。
クラスの男子が、着物を羽織った姿で私達に向かって走ってきた。そして隣で瞑想中の陽介さんに声を掛ける。
「おい陽介。一緒に来て」
その呼びかけに薄っすらと目を開けたけれど「嫌だ」と彼は一言で拒否した。
「頼む。おまえしかいないんだよ」
「凌、俺の代わりに行ってきて」
「えっ!? 僕ですか?」
「下野伊はダメだ。陽介じゃなきゃ」
「……お題は何?」
「イケメン」
「はーっ」
大きな溜息と共に陽介さんが席を立った。
先程まで体力を温存すると言っていた彼が動いたことに驚いたが、お題の内容を聞いて態度が変わったことにも唖然とした。
「陽介さん、イケメンだったんですね」
いつも前髪と眼鏡で顔を隠しているので、正直なところ彼の素顔は謎だ。
私が口にした言葉は決して嫌味ではなくて、クラスの人からそう思われているのだと素直な感想を口にしただけだった。
「凌、あとで泣かす」
その言葉を皮肉と受け取ったらしい彼が人差し指で私を指す。
「えっ!? 僕は陽介さんの顔をしっかり見たことがないから……」
私達のやりとりにしびれを切らしたクラスメイトが、陽介さんの腕を掴んで声を上げた。
「もう、そんなのどうだっていいから早く来て。頼む」
強引に引きずり出され、陽介さんは自分よりもだいぶ小柄な彼に引っ張られてゴールへ向かって行った。その様子を笑いながら見ていると、隣にいる海李君も微かに笑顔を作っている様子が目に入る。
それは衝撃的とも言える光景で、久しぶりに見た彼の穏やかな顔から目が離せなくなった。悲しい訳ではないのに何故か泣いてしまいそうになって、涙が溜まった瞳に彼の笑顔が少しぼやけて映る。
陽介さんを追っていた海李君の視線が、不意に私に向けられて目が合った。泣きそうだった顔を悟られまいと、私は慌てて反対に顔を向ける。
海李君の小さな声がした。
「あのさぁ、俺も凌って呼んでいい?」
予想外のその言葉を聞き間違いかと思って、ゆっくり振り返って海李君を見る。
海李君も私を見ていた。それが彼が発したものなのだと確信に変わる。
話しかけられたことは勿論だけど、私を受け入れてもらえたのだという嬉しい気持ちが沸き上がり、ゾワゾワとした感覚が体を伝った。
「……呼んでいただけるのですか?」
「どういうこと?」
海李君が再び口角を上げて微笑む。
それは私だけに向けられたものだということが信じられなかった。
彼の瞳に映しているのは私だけで、私の瞳に映しているのもまた彼だけで、これは夢なのではないかと頭の中が真っ白になった。
その笑顔を見られたことに感動してしまい、私の視界は涙で覆われる。
少し驚いた顔で海李君が聞いてきた。
「泣く要素があった?」
「いえ、すみません。情緒不安定で」
指摘されて急いで手で涙を拭っていると、運動場からマイクを通した大きな声が響いてきた。その音声の方へ目を向ける。
「それではどうぞ」
「ねずみ男と一つ目小僧と一反木綿の絵が描かれてるから、そこから連想するのは妖怪。つまり妖怪を連れて来いってことっしょ?」
話していたのは、先程、陽介さんを連れ出したクラスメイトだった。
運営委員にマイクを向けられて回答したはいいが、答えた直後に隣にいる陽介さんに肩を平手打ちされる。
「話が違うじゃねーか。そもそも俺のどこが妖怪だよ」
マイクを使わなくても、彼の声が私のいる所まで届いた。
「ちょっと待って。じゃあ、まず彼のどこが妖怪なのか答えてもらいましょうよ」
運営委員が2人の間に割って入り、自分に向けていたマイクを着物を羽織っている彼に差し出した。それを受け取ると、陽介さんから少し距離をとりつつ意気揚々と回答する。
「えっと、前髪で目を隠してるのは、目が合った人を石にしちゃうから…… 的な?」
「俺はメドゥーサか!?」
その問答に、運動場は爆笑の渦に包まれた。口笛を吹いたり歓声を上げる人がいるなど、一気に場の空気が盛り上がった。
海李君を見ると、声を上げている様子は無かったけれど、微かに笑みを浮かべているのがわかる。これまでの周りを拒絶していた彼とは別人のようだった。
突然の変化に多少の戸惑いはあったけれど、私の抱えていた難問は、意図していないところで解けていく気配が見え始めていた。その兆候が少しだけ私の心を軽くした。
運動場では、引き続きやりとりが行われている。
「メドゥーサは、残念ながらギリシャ神話の怪物ですね。妖怪ではありません」
「なんで!? そういう妖怪がいたっていいじゃんか」
「んーー。どうしようかな。……では、おまけで正解としましょう」
2人の会話を横で聞いていた陽介さんが、納得いかない様子で声を上げた。
「ちょっと待て。正解にしたら俺が妖怪だと言ってるようなもんじゃねーか」
「でも、不正解にしたら得点が入りませんよ」
運営委員の返答に言葉を詰まらせてしばらく沈黙でいたけれど、陽介さんは「じゃあ、正解でいいよ」と渋々と認めた。着物の彼がガッツポーズをして雄たけびを上げているところへ、陽介さんが悔しそうに二度目となる平手打ちをする。
周りは一層の盛り上がりを見せた。それは、とにかく騒ぐことができれば何でもいいというような雰囲気でもあった。
不貞腐れた顔で陽介さんが戻って来て海李君と私を交互に見やり、椅子が倒れそうなほどの勢いで腰掛けた。
「凌、何も言うな」
不名誉を口にされたくないらしく、腕を組んで前を向いたまま私を牽制する。
「ふん」と荒い鼻息を漏らし、お尻を椅子から滑らせて浅く座って足を組んだ。
そんな状態の彼をどうしていいかわからず、私は前を向いたり横に目を向けたりとオロオロすることしかできなかった。
その重い空気を笑い声が包んだ。
驚いた顔をして、陽介さんが隣に座る海李君を見る。彼は、何か吹っ切れたようにお腹を抱えて笑っていた。
「海李、おまえ……」
笑われたことへの恥ずかしさなのか、それとも笑っている彼を見たことへの嬉しさなのか、一瞬の間を置いて笑顔になった陽介さんは、海李君の首に腕を巻き頭をグシャグシャと撫でまわす。海李君は、多少の抵抗を見せつつもされるがままになっていた。
この短時間で何が海李君を変えたのかわからないけれど、今、そこはさして重要ではなかった。私にとって最も肝心なのは『昔の姿に戻り始めている』それこそが一番大切な事実だった。
彼が笑ってくれているだけでいい。ただ、それだけでいい。
私の叶わなかった恋は、海李君が幸せでいてくれることで報われる気がする。




