真相
学校の帰りに家に向かっていた進路を変え、ほんの少し遠回りをしてあの公園に立ち寄ってみた。
入り口に立ち、敷地内に据えられている遊具を1つずつ眺める。以前と同じ場所で佇んでいるそれらは、私が通っていた頃と同様の顔で出迎えてくれていた。
たった数か月では変わりようがないけれど、変容のないことに安らぎを覚える。
反対に、あの頃と比べて変化したのは私だけだった。
ここに存在している物と話すことができるのならば『姿が変わってしまったけれど戻って来たよ』と挨拶して回ったことだろう。
入って直ぐ横にあるベンチの背もたれを軽く撫で、誰もいない公園の中をかつての相棒に向かってゆっくり歩き始める。
時折、車の走行音が静かな領域の空気を揺らす。それ以外は、鳥のさえずりと私が砂利を踏みしめる音だけの長閑な時間が流れていた。
思い出の詰まった空間を懐かしみながら、7、8m程しかない距離を牛歩のごとく移動してブランコの前に立った。
鎖を右手でそっと掴み「ただいま」と声を掛けてから腰を下ろす。
何も変わっていない。
そこから見える木々も、足裏に伝わる感触も、手が触れる鉄の冷たさも、あの頃と何も変わっていない。
変わったのは私だけ。
……そして、隣に座る人がいなくなっただけ。
この場所の変化の無さが、無情にも変わったものの大きさを知らしめる。
隣で佇む独りぼっちのブランコが寂しそうだった。そちら側に体重を掛け、腕を伸ばして相方の鎖を握りしめ「ごめんね」と囁く。
その言葉が、一緒に乗る人がいないことへの謝罪なのか、かつて私と共にこのブランコを占拠していた人に対してなのか、それは私自身にもわからなかった。
事故の日、私は当たり前に次の朝を迎えると思っていた。そういう意識があった訳ではないけれど、明日も明後日も1年後も、生きているであろうことを当然としていた。
『永遠』が存在しないのと同じで『当たり前』という概念も存在しないのだと、悔しいけれど今更になって痛感している。
海李君に告白していたら、私の未来は変わっていたのだろうか……
まだ隣に居られたのだろうか……
あの時、何故、想いを伝えなかったのだろう……
どれだけ後悔しても、もう戻ることはできない過去が恋しい。
しばらくブランコに座っていた。
当時、帰宅の合図としていた街頭が灯り、私は相棒に「また来るね」と告げて腰を上げる。『キーキー』と音を立てて揺れている様子が、まるで別れを惜しんでいるかのようだった。
ここへ来た時に付いた自分の足跡を辿りながら、薄暗くなってきた公園を後にする。
歩いて数分の所だから、折角なら住んでいたアパートも見て帰ろうと何度も通った道を進んだ。
家々の屋根の上から懐かしい建築物の上部が見え始めた。
少しだけ速足になって先を急ぐ。
全貌が見える場所まで来ると、私が住んでいた部屋の窓を見た。
――そこに明かりが灯っていた。
次に入居した人がいても不思議ではないけれど、私の生きてきた痕跡が消されていくようで少し悲しい気分に包まれる。
「叔父さんに会いたいな」無意識に口から出た言葉を置き去りにして、私は今の自分の家に向かった。
土曜日、真結さんとの約束は2時だった。
少し早いけれど30分前に家を出て、のんびりと景色を眺めながら歩いていた。
幸いなことに、今の自宅から来る道では事故に遭った場所を通らなくて済む。それが何よりも有難かった。
ここまでの道のりを時間を掛けて来たつもりだった。けれど、約束より15分も早く着いてしまい、真結さんを外で待とうか中に入っていようか悩んだ。
気温はそこまで高くなくても、強い日差しがジリジリと皮膚を攻撃する。
少しだけ考えて、私は中で待つ選択をした。
お店のドアを開ける。聞きなれた音が出迎えてくれて、ドアを開けた状態のまま私は入り口から店内に目を向けた。宮志真さんの姿は見えなかった。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
厨房から彼女が顔を出し、私の姿を確認して話しかけてきた。
「あっ、この間、真結ちゃんと一緒に来た子でしょ? えっと、凌君だっけ? 今日、約束してるって言ってたね。まだ真結ちゃん来てないからカウンター席で座って待ってて」
そう促され、私はドアを閉めてお店の奥に向かう。今日は、入り口に近いテーブル席に、パソコン作業している男性のお客さんが一人いるだけだった。
壁に掛けられたままの似顔絵を横目に通り過ぎ、カウンターの前に立つ。
宮志真さんがタオルで手を拭きながらフロアに出て来て「ここに座ってて」と私の指定席だった椅子を引いて厨房に戻った。
「ありがとうございます」
これまでは下部に付属している足置きに上らなければ、椅子に座ることができなかった。けれど、今はそこに足を掛けなくても楽々と腰を下ろすことができる。見える景色も多少変わり、見えなかった調理場の様子も覗けるくらいだった。
「あなたも転入して来たんだって?」
厨房から出て来た宮志真さんが水の入ったコップを私の前に置き、横に立ちトレーを胸に抱えて聞いてきた。
「はい、4月からです」
「何か事情があって?」
「親が海外に行って僕だけが残ることになりました」
「そっか。じゃあ一人暮らししてんの?」
「そう、ですね」
「大変だね」
「まあ、そこそこに」
そんな会話をしているところへ、ドアベルが響くのと同時に真結さんの声がした。
「宮志真さん、こんにちは。あっ、凌君、早いね」
店内に入って来た彼女に、今日は2人の女性の連れがいた。
どちらの顔にも見覚えがあった。
1人はあのお婆さんのお孫さんで、もう1人は初日にワンちゃんの絵を描いた人だった。あの日、お孫さんのSNSを見て来店したと言っていたから友達なのだろう。
3人で仲良さそうに小さな声で談笑しながらこちらへ歩いてくる様子は、以前からの知り合いのようにも見えた。
私の後ろに立ち、真結さんが宮志真さんに声をかける。
「奥の席、いいですか?」
「いいよ。座って」
「じゃあ、凌君、あっちの席に行こう」
私の肩を軽く叩き、席の移動を促される。
何故、この人達が一緒にいるのか不明に思いつつも、椅子から降りて3人の後を付いて行く形で歩く。
真結さんが言っていた奥の席とは、お婆さんに絵を渡した日の4人掛けのテーブルだった。お孫さんと友達が2人で座り、私は既に着席している真結さんの横に腰掛ける。
直後にオーダーに来た宮志真さんに注文をし、私達は改めて向かいあった。
真結さんがお孫さんを指し「こちらが沙織さん。で、お隣が千波さん」と紹介をしてくれた。そして、2人に向けていた手を私に変えて「こちらが凌君」と続けた。
対面する彼女達から興味深そうな熱い視線を向けられ、いたたまれなくなって瞳を伏せる。その好奇心に溢れた瞳を見たら、2人からどんな言葉が発せられるのか想像がついた。
「もしかして真結ちゃんの彼氏?」
「違いますよ。今週、初めて会ったばかりです」
私が予想していた沙織さんの質問を、真結さんはさらっと否定した。
「彼、さくら譲の絵にいたく感動された様子だったので、仲間に引き入れてしまおうと呼び出した所存でございます」
「なんだ、彼氏じゃないのかぁ」
千波さんが残念そうに口を尖らせた。
いやに真面目腐った口調で話す真結さんに、この集まりの理由がわからなかった私は質問をする。
「あの、これはどういった集いなんですか?」
「えっとね、この前、あの絵を私の友達が描いたって言ったじゃん。さくらちゃんていうんだけどね。彼女の絵が好きな人達で土曜日に集まって話をするの。彼女が帰ってきた時に誰もいなかったら寂しい思いするだろうから。今日は3人だけど、多い日だと7・8人くらいいるかなぁ」
そう言って微笑んだ。
私の為の集まり……
その優しい心遣いは胸が熱くなるほど嬉しかった。ここには私の生きた証を保存してくれている人達がいた。
けれど、逆にもう戻れないのに待たせているのを辛くも感じてしまう。口を開くことができずにいる私に真結さんが言う。
「それにさ、みんなで集まっている時間は、彼女が私達の輪の中で存在してる訳じゃん。その為の集いなんよ。なんか、凌君も仲間に入れてあげたくなっちゃったから呼んだの」
真結さんから2人に視線を移すと、彼女たちは笑顔で頷いていた。
「この集まりを作ったのは真結ちゃんなんだよ」
沙織さんが、笑顔のまま話を続ける。
「私の祖母が描いてもらった絵をSNSに上げてるんだけど、突然『この喫茶店どこですか?』ってDM送ってきて、挙句に『絵を見せてください』って連絡してきて。真結ちゃんてばSNSに彼女の描いた似顔絵を上げてる人達にDMして、ここでお披露目会が始まって、そこからみんな徐々に集まるようになってきたの。今は土曜日に集会が開かれてる。って言っても、みんな自分の近況報告しに来るだけなんだけどね。それでも、知らない人と仲良くなれるって素敵じゃない? これはさくらちゃんが作ってくれた縁だからね」
1時間ほど滞在して2人と喫茶店で別れた後、私は、真結さんと帰りの道を歩いていた。
それまで普段の集いの様子や今まで一緒にいた2人のことを楽し気に話していたのに、彼女が急に無口になった。
後ろで手を組み、まるで石けりでもしているかのように前に出す足を高く上げて前進する。その姿は、一人の世界に入り込み考え事をしているようだった。
私はその雰囲気を察知して、彼女の歩調に合わせて無言で隣を歩く。
こういう時の真結さんは、怒っている訳ではなくて言葉を選んでいる時間だと知っている。だから話しかけるのをやめて、彼女が口を開くのを待っていた。
2人の間に静かな空気が流れていた。けれど、それは決して嫌な沈黙ではない。懐かしくて心地良いものだった。
「なんかさあ」
不意に彼女が話し始めた。
「凌君と初めて会った気がしないんだよね。ずっと昔から知ってる人みたい」
下を向いて、同じ歩き方を続けていた。
その後に何か言いたげに口を開くけれど、それを飲み込むように唇に力を入れて閉じる。しばらく何度か同じことを繰り返し、決心した様子で静寂を破った。
「ねえ、……友達になってくれる?」
普段の明るい様子からは想像もできない不器用な一面だった。それは、逆を返せば心の壁を取り払った相手にしか見せない姿だった。
2度目になる友達申請に、私は前回とは違う返答をする。
「もう、友達なのでは?」
真結さんは前を向いたまま立ち止まる。私も歩を止めて横の彼女に体を向けた。
「そうなの?」
「違うのですか?」
驚いたような顔でゆっくりと体をこちらに向ける。私は視線を逸らさずに彼女の瞳を受け止めた。瞬きもせずにお互いを見つめている時間は、まるで時が止まったようにも思える瞬間だった。
「友達って呼んでいいの?」
「僕は、そのつもりでしたけど」
「……ありがとう」
はにかんで照れたような顔をすると、真結さんは下を向いて顔を隠した。
そして息をのむような話を続ける。
「初めて会った時から思ってたけど、凌君って私の友達と似てるの。話し方とか雰囲気とか彼女なんじゃないかって錯覚するくらい。あっ、でも、彼女の代わりで友達になって欲しい訳じゃないんだよ。つまり、何が言いたいのかって言うと、彼女と同じで裏表がなさそうだから一緒にいて安心するの」
その言葉に少し動揺した。
私だと気付かれるはずはないだろうし、告げたところで信じることは無いだろう。けれど、もし真実が明らかになってしまった場合、私は強制送還されてしまうのだろうか。
そんな不安な気持ちを抱きつつも、しかし片隅に矛盾する心もあった。
姿を変えても私だと認識してくれている気がして、それが嬉しくもあった。
地面に顔を向けたまま、真結さんは私にとって衝撃的な転校の理由を明かし始める。
「彼女ね、私と同じクラスだったの。前にいた学校って勉強第一な人ばかりで、担任が彼女の訃報を伝えた時ですら、誰一人として教科書から目を離さなかった。クラスメイトの訃報なのにだよ。それがね、あまりにも腹立たしくて、クラスの奴らの教科書とかタブレットとかぶん投げて、学校辞めるって教室を飛び出したの。で、父親に怒られた挙句に転校させられた」
荒々しい話の内容とは対照的に、彼女は清々しいくらいの笑顔を私に向けた。
まさか、私のせいで転校しているなどと想像もできなかった。
『私如きのことで何故そんな馬鹿げたことを』と心の中で嘆いてはいても、それを伝えることはできない。この事柄に対して私は償いようがないし謝罪もできない。
真結さんの人生を狂わせてしまったのではないかと一抹の不安がよぎった。
そんな心配など無用とでも言うように、彼女は明るい表情をしていた。
「もし、さくら譲がこの事を知ったら怒ると思う。何で私の事で騒ぎ起こしてんのって。だけど私は、あんなつまんないクラスに1人でいるくらいなら辞めたほうがマシって思ってたし、そもそも彼女が友達じゃなかったら1年で辞めてただろうしね。今は、あの窮屈な学校から解放されて清々してんの。新しい友達もできたしね。これから宜しくね」
嬉しそうに言う真結さんは、かつて私に見せていた笑顔のままだった。




