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聖地

「そういえば、まだ自己紹介してなかったね。私は高橋 真結」

「下野伊 凌です」

「凌君も転入してきたの?」

「はい」

「陽介君と仲いいんだね。彼、いい奴でしょ? 私、同じ中学だったんだ」

「そうなんですね」

「中学の時は、あんまり話したことがなかったんだけどね。こっちの学校に来てから声を掛けてくれるようになったの」

 真結さんと学校を後にし、彼女が進む先を一緒に歩いていた。行き先は聞いていない。目的地がどこなのか気にはなったけれど、教室で質問した時には答えてくれなかったので、それ以上追求するのをやめた。

 私には、連れて行かれる先のことより、もっと気掛かりなことがあった。

 隣を歩く彼女の横顔を眺めながら、それを言葉にしてしまいそうな衝動を抑える。

 本当は、何故この学校に転入してきたのか尋ねたかった。1日中そのことに思考を巡らせていた。

 けれど、この姿となって朝に初めて顔を合わせたばかりだから、それを問えるほどの関係性が無いのが実情だ。他の人ならば初対面でも転入に触れることを躊躇わないかもしれない。しかし、活発に見える彼女が、実際は繊細な性格だと知っている私には口にできない質問であった。

 学校を変えるのだから余程の訳があってのことだろう。理由を追求できない今、それが悲しい事情でないことを願うばかりだった。

 真結さんが楽し気に言った。

「5月に体育祭があるでしょ? 私が前にいた学校って体育祭がつまらなかったんだよね。何だか建前で開催してます感が強かったの。だから凄い楽しみにしてるんだ」

「僕がいた高校もつまらなかったので、ここでの体育祭が楽しみです」

「仲間じゃん。凌君は何に出るの?」

「綱引きに……」

「私は借り物と障害物競走に出るんだ」

「2種目も出場するなんて凄いですね」

 話し方も笑い方も変わりのない姿に、私がいなくなったことを悲しむよりもこのまま笑顔でいてほしいと強く思った。


 

 かれこれ20分くらい歩いただろうか。

 話に夢中になっていて気付かなかったけれど、ふと辺りに目をやると見慣れた景色の中にいた。そこわは、懐かしくもあり、恋しくもあり、おぞましい記憶の欠片でもあった。

 次第に不安が押し寄せてきて、突然に無口になった真結さんに尋ねた。

「あの……、どちらへ向かっているのでしょうか?」

「もう少しで着く」

「えっと、それは……」

「付いてくればわかる」

彼女は私を見ることなく、少し棘のある言い方をした。

 鼓動が早くなる。

 この先は……。

 数十メートル先の路上に、いくつもの花束が手向けられているのが目に入った。

 ――あそこは、私が事故に遭った場所だ。

 それを認識した途端、異様に呼吸が荒くなった。

 あの時に襲ってきた恐怖が再び私の中で目覚めた。身体に走る激痛、生への執着、死に対しての戦慄、全ての記憶が呼び戻されていた。

 それは『怖い』などという単純な単語で言い表せるものではない。この恐ろしさを適切に表現できる言葉を私は知らない。

 手と足が震え、あの場所を通過するのを体が拒絶する。

 ――これ以上は進めない。進みたくない。

 歩が止まったその時、真結さんが言った。

「こっち」

不意に腕を引かれ、直進せずに進路を右へ変える。あの場所が視界に入らなくなったとはいえ、心が落ち着きを取り戻す気配はなかった。

 全身を伝う汗と震えは、止まることを知らないかのように継続されている。腕を引かれていなければ今にでもしゃがみこんでしまいそうだった。

 私の異変に気付かれていやしないかと真結さんに目をやると、先程までの笑顔は消え、彼女は彼女で険しい顔つきで前を向いている。周りのことには意識が回らない様子で、私の変化を感知する余裕すら見られなかった。

「ごめんね。こっち遠回りになるんだけど、あの道を通りたくないんだ」

私の腕を掴んだまま、前方を見据えて歩き続ける。彼女の手も微かに震えているような気がした。


 細い路地を無言のまま歩き、途中を左折した。

 1本向こうの道には、宮志真さん夫妻の経営する喫茶店がある。私は、お店へ行くのにそちらの道路を使っていたから、この路地は歩いたことがなかった。まさか目的地は喫茶店ではないだろうけれど、この先に彼女がお目当てとする場所にも見当がつかない。

 徐々に私の心は落ち着きを取り戻しつつあり、真結さんを見ると、彼女もまた柔らかい表情に戻っていた。

 先程までは速足に近い歩き方をしていたが、今は穏やかな散歩くらいの速度に変わった。行き先が不明のまま、私は真結さんの横を歩き続ける。

「付き合ってくれてありがとね。凌君に見せたい物があって来てもらった」

そう言って、私の方を向いて微笑んだ。

 相変わらず掴まれたままでいる腕は意図的なのか気付いていないのかわからなかったけれど、そのまま声を掛けずにいることにした。

 もう一度左折すると、少し広い道路に向かって歩く。その正面の建物に覚えがあった。

「あそこだよ」

真結さんが指さした先は、宮志真さん夫妻の経営する喫茶店だった。それは想定外であり『まさか』が勝利した瞬間だった。

 私は、あの店へ真結さんを連れて行ったことがない。勿論、アルバイトの話をしたことはあるけれど、場所を教えてもいなかった。

 私が知っている限り彼女が足を運ぶような所でもないし、学校帰りに立ち寄るにしては距離がありすぎる。

 何故、ここに来たのか、その理由がわからなかった。

 道路を渡り、高校生が入店するには臆してしまいそうなお店のドアを、躊躇う素振りも見せずに開ける。

 その様子や裏道を通って迷わずにここへ辿り着いたことを踏まえると、来店しているのは1回や2回ではないのだろう。

 ドアベルが心地よい響きを奏でた。外側から扉の取っ手を握りしめたまま真結さんが挨拶をした。

「こんにちは」

「いらっしゃいませ」

宮志真さんの声がして、彼女がカウンター越しに顔を出した。その姿は、数か月前と変わらない。今のように厨房から入り口を覗く様子もあの頃のままだった。

「あれ、真結ちゃん。平日に来るなんて珍しいね」

「今日は、新規さんを連れてきました」

スタスタと店内に入って行き、厨房にいる宮志真さんと会話を始める。

 今まで面識のなかった2人が仲良さそうに話している姿は、私からすればとても不思議な光景だった。真結さんを名前で呼ぶくらいだから、彼女はここへは何度も通っているに違いない。どういう経緯で来店するようになったのかは不明だけど、私の大切な人達が知り合っているのを見て嬉しく思った。


 入り口で立ち尽くしているのもどうかと思い、話の邪魔にならない程度に中へ進む。

 店内をぐるりと見回すと、観葉植物の配置が移動していたくらいで、他は私が通っていた時と何ら変わりがない。

 右手側の壁を見ると、あの日に描いた宮志真さんの似顔絵がまだ残っていた。外されていてもおかしくないほどの月日が経っているのに、まだそこに存在しているのが意外だった。

 絵の下に目を向ける。これまで無かった折り畳みの足の高いテーブルが置かれていて、その上には50cm程のコルクボードが座っていた。ボードは、ピンで留められた沢山のメッセージカードで埋め尽くされていた。

『早く帰って来ーい』 

『また似顔絵描いてね』

『帰って来たら私が1番に予約する』

『次は友達と一緒に来るね』

読み進めていくうちに、それが私宛の手紙の数々だと気付いた。このお店で知り合った人達が書いてくれた物らしい。

 しかし、何故か、その内容は私がまだ生存していると考えているものばかりなのが疑問だった。事故で他界したことを知らないはずはない。

 これは、どういうことなのだろう。

 何故、みんな、私が戻ってくると思っているのだろう。

 不可解な状況が私の思考をかき乱し、口に出すことのできない想いを心の中で叫んだ。

 私だって自分の姿に戻れるのなら戻りたい。戻って、またみんなと楽しい時間を過ごしたいよ。どうして私が死ななければいけなかったのか教えてほしいよ。

 愛情が込められた内容を純粋に嬉しく思う反面、投げかけられた言葉に対して応えられない現実が辛かった。胸が締め付けられて泣いてしまいそうだった。

 沢山のメッセージの中に、ひと際目を引くお手本のような綺麗な字があった。

『ずっと待ってるから。早く帰って来て約束の似顔絵描いて』

その美しい文字を何度も目にしてきた。紛れもなく真結さんのものだった。

 限界だった。涙の防御壁が一気に崩壊した。

 彼女からの手紙が涙腺を刺激し、流すべきではない涙が溢れ出る。それを隠そうと入り口の方向に体を向けて手の甲で必死に拭ったけれど、止めどなく流れる涙を私の両手だけでは拭いきれる訳もなかった。

 お弁当を作ってくれた日に交わした約束を、私は果たさないまま忘れていた。

 その小さな契約が実行される日を、彼女が待っていたことにも気付いていなかった……。


「はい」

目の前に白いハンカチが差し出された。その手の先に視線を向けると、寂しげな表情の真結さんが立っていた。

「朝、私の手帳を見た時に何でか知らないけど泣いてたでしょ? だからね、この絵も見せてあげたかったの」

そう言って力なく微笑む彼女からハンカチを受け取る。しかし私にはそれを使う資格がない気がして、ただそっと握りしめるだけだった。手の平で包んだ白い存在から真結さんのぬくもりがした。

 彼女は、優しい瞳で絵を見つめて話しを続ける。

「この絵を描いたの、私の唯一の友達なんだ。すぐそこで事故に遭って亡くなったって聞かされた。お店の前の道を直進して来れば早いんだけど、途中を右折したのはそこを通りたくなかったから。でもね、私も、彼女のことが好きな人達も、まだどこかで生きてるって思ってるの。だって誰もさよならを言ってないんだもん」

 その言葉で私は嗚咽した。どうにも止まらなくなってしまった。

 真結さんが私の手の中からハンカチを取り、流れる涙をそっと拭いてくれた。

「彼女ね、ここで似顔絵を描くバイトしてたんだ。だから、ここは彼女の絵が好きな人達の聖地なの」

 もう私は自分の姿で戻ることはできないのに、再会を信じてくれている言葉が苦しい。例え疑われようとも『真結さんの目の前にいるのが私なの』そう言ってしまえば、きっとこの辛い状況から解放されるに違いない。心の片隅に伝えてしまいたいという気持ちが芽生えた。

 けれど、自分の気持ちを優先してしまえば、あの人から出された条件を破ることになってしまう。

 もどかしくて苦しくて自制心を失いそうで怖かった。

 それでも、選択を間違えれば後がないと、泣き喚く心に鞭を打って自らを戒めた。

「あらあら。何でこんなに泣いちゃってるんですかぁ? 凌君は感受性が強いのですか? 私が泣かせたと思われちゃうから泣き止んで」

下から私の顔を覗き込んで、まるで子供をあやすように「よしよし」と言いながら涙を拭き続けてくれた。

 彼女より体が大きくなった私が世話を焼かれている姿は、きっと周りからは滑稽に映ることだろう。しかし、私はされるがままで身を委ねていた。この瞬間を、どこか愛おしく感じていた。



 泣き止むまで待っていてくれた真結さんが話し始めた。

「凌君さあ、土曜日って何か用事ある?」

「いいえ。特には」

「じゃあさぁ、ここにおいでよ。私、毎週来てるの。3時には居るから」

「……はい」

 今週の土曜日、私に約束ができた。

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