彼の親友
あの日以降、SNSで見たと言って来店してくれるお客さんが増えた。
そして、宮志真さんが店内に絵を貼ってくれた効果もあり、来店のお客さんからの依頼もある。
私の似顔絵描きは、毎週、活況を呈していた。
その影響で、お店も忙しくなり始めた。
宮志真さん一人では対応しきれなくなり、
「土日は暇だから旦那を休みにしてたんだけど、これから来させるよ」
と、日曜日の午後だけ出勤命令を出したと笑っていた。
はっきりと物を言うタイプの宮志真さんとは対照的に、旦那さんは、とても優しい口調で会話をする。穏やかな空気をまとっている人だった。
「お休みを返上させてすみません」
申し訳なくて、そう謝ったことがある。
旦那さんが言った。
「お客さんが少ないし、いつも一緒だと飽きるって理由で土日を休みにされたんだ。一人で家に居ても特にやることないし、時間を持て余してるから平気平気。むしろ、さくらちゃんのおかげで収益が上がって、こちらは有難い限りだよ」
と、周りを旦那さん色で染めてしまいそうなほど、柔らかい笑顔で微笑んだ。
増え始めたお客さんの中に、あのお婆さんの姿も見えるようになり、いつしか常連さんとなった。
「私ね、さくらちゃんが絵を描いている姿を見るのが好きなの。だから、私の事は気にせずにいてね」
彼女は、コーヒーを飲み、30分程度で帰宅する。
話せる余裕がある日は他愛もない会話をし、お客さんを対応している時は、ひっそりと店を後にする。押しつけのない心地よい空気を作ってくれる人だった。
私は、そんなお婆さんの居る空間が好きだった。
帰りは、海李君が迎えに来てくれる。
けれど、彼にも用事があるだろうし、私の生活に合わせてもらうのも気が引けた。
「毎週、迎えに来てもらうのは悪いし、一人で帰れるから大丈夫だよ」
私の言葉に、海李君は眉をひそめた。
「俺が、好きで迎えに来てるの。俺の楽しみを奪わないで」
それは、ちょっと照れてしまうような言葉だった。
私の日曜日は、今までの人生の中で一番賑やかになった。
月に2回、塾のない土曜日に、真結さんが家に来るようになった。
彼女のお父さんはとても厳しいらしくて、出掛けるときは、行先と帰宅時間を告げていかなければならないらしい。
「じゃあ、こちらに来るのも大変なのでは?」と聞くと
「それがさあ、編入試験でオール満点の人に勉強を教わるから、塾のない土曜は出掛けるって言ったの。そしたら快く送り出してくれる。ちょろいもんよ」と笑っていた。
名目は『勉強会』
勿論、勉強をすることもある。
けれど、大半の時間を、彼女の持ってきた雑誌を一緒に見たり、ゲームをするなどの娯楽に費やしていた。
今まで、こういう時間を過ごしたことがなかったから、それが本当に嬉しくて楽しかった。
ある日、いじめられいて友達がいなかったと告白すると、彼女が言った。
「それはさあ、さくら譲が可愛いから妬んでたんだよ。アイドルみたいで、まじで可愛いもん。でもね、お互いに辛いことあったけど、それがなければ私達が友達になることはなかったと思うんだ。だから、これは辛い事に耐えてきたご褒美の友情な気がする」
アイドル云々はわからないけれど、そういう捉え方もあるのだと考えさせられた。
確かに、違う生活をしていたら、私がここに来ることはなかったかもしれない。
悪い事だって、考え方を変えればいいことへ繋がる。私一人だったら、そんな発想の転換は不可能だろう。
辛い過去に意味を持たせてくれた気がして、少し心が軽くなった。
最近では、叔父さんの電話が急増した。ほぼ毎日に近い。
忙しい合間に掛けてきた時は、ほんの2~3分で終了することもある。
「無理して掛けてこなくていいですよ」
その一言に、甚くご立腹だった。
「僕がさくらと話したいんだ。楽しみを奪わないでくれ」
言い終えて「ふん」と大きく鼻を鳴らした。
どちらが子供なのかわからないと思い、手で送話口を覆って笑ってしまった。
海李君からも、同じ言葉を聞いた気がする。
2人は似てるのかもしれない。
食事に誘われる回数も、増えることはあっても、減る様子は見られなかった。
時々「気分を変えよう」と違うお店に連れて行ってくれるけれど、あの料亭で食事をすることが多かった。
叔父さんにとって、気兼ねなく過ごせる空間のようだ。
料亭でのお料理は、いつの時も美術品のように美しい上に、何度味わっても飽きることなどなかった。
息子さんも、伺う度に違うデザートを用意して待っていてくれた。
「お手を煩わせるので、お気遣いいただかなくても……」
申し訳なくて、やんわりと断った。
「次は何をお出ししようかと考えている時間が、私の楽しみとなっておりますので。ご心配なさらずに」
と美しい笑顔で返された。
私の日常は、驚く程に様変わりした。
1年前とは真逆の生活だと言っても過言ではない。
これまで経験したことのない温かい言葉や気持ちで囲まれていて、私を大切に思ってくれる人達がいる。
毎日が『幸せ』で満ちていた。
けれど、これほどまでに幸せでいいのだろうかと、少し不安になったりもした。
あちこちの景色がクリスマスムードになり始めた頃。
私は、プレゼントを買う為に、バスに乗って隣町まで来た。
似顔絵を描いて得た収入が3万円を超えていて、予想した金額をはるかに上回っていた。これは、嬉しい誤算だった。
プレゼントのリストを作ってきたので、目的の物を売っているお店を探すために歩き出す。
ただ、土曜日で、尚且つクリスマス前だということもあってか、海李君と来た時よりも、街は多くの人で溢れかえっていた。
忙しなく歩く速度に慣れていない私は、その流れの中を、必死にもがいて前進する。
向かって来る人、私の肩にぶつかりながら追い抜いていく人、これまで経験した事がない状況に、次第に焦りを感じ始めていた。
程なくして人酔いが始まり、買い物以前に、めまいと戦わなければならなくなった。
まるで、頭だけが無重力になったかのようにフワフワとして、その不快さが吐き気を誘発する。
危険を感じて歩みを止める。
めまいが収まるはずもないけれど、こめかみを指で押さえて目を閉じた。
2度しか訪れたことのない街での孤立無援の心細さが、私の不安な気持ちを増幅させる。
その時、バックを持っている方の腕を不意に掴まれた。
「大丈夫?」
ゆっくりと目を開けて、声のしたほうを見た。
背が高くて黒縁眼鏡にマスク姿の男性が、私の腕を掴んだまま覗き込むように見ている。
「ん」
喉の奥で、息が詰まったような音が出た。
知らない人に腕を掴まれている恐怖で言葉が出せない。
全身に鳥肌が立ち、鼓動が早まる。
その人を見たまま動けなくなってしまった。
「あっ、俺、海李の友達。前に、この辺で会ったことあるよね。覚えてる?」
慌てて彼が言った。
知っている名前を耳にした安堵から、一気に体の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになる。それを支えるように、私を掴んでいた手に力が加わった。
「海李君の、親友の?」
「そう、橋乃宮陽介。覚えてる?」
ゆっくりと頷いた。
「気分悪い? とりあえず人通りのない所に行こう」
そう言って私の腕を掴んだまま、人の流れを横切るように、店舗の間にある狭い路地まで連れて来てくれた。
そこは、人が通る場所ではないらしく、私たち以外に誰もいない。
少し休むと、めまいが幾分か楽になった。
「大丈夫?」
「……はい、なんとか」
私の視線まで腰をかがめて、じーっと見つめてきた。
海李君の親友とはいえ、初対面同然の人の顔が近くにあるのは、ちょっとだけ怖かった。
「あんまり顔色良くないけど。何か用事があって来たの?」
「はい、プレゼントを買いに」
「もう買い終わった?」
「まだ、ここに着いたばかりで……」
「うーん。調子悪いみたいだから、帰ったほうがいいと思うよ」
「でも、今日しか空いていないので」
「何を買うの? お店まで連れて行くけど?」
「幾つか買いたい物があって、お店を探しているんです。この辺、詳しくなくて」
「じゃあ、一か所で済むデパートのほうがいいかも。連れて行ってあげる。歩ける?」
「あの、あなたも用事があるのでは?」
「俺もデパートに行くから、ついで。大丈夫」
そう言って、道路の方に数歩進んで私に背中を向け、顔だけをこちらに向けた。
「体を触られるの嫌だろうから、俺の服の裾を持って着いてきて。もし、調子悪くなったら引っ張って教えてくれていいから」
「……ありがとうございます」
迷惑をかけてしまって申し訳ないと思いつつも、彼の優しさに甘えて、黒いジャケットの裾をゆっくりと掴んだ。それを確認して「行くよ」と言う。私が頷いたのを見てから、彼は前を向いてゆっくりと歩き出した。
大きな彼の背中を追うように、人混みの中を歩く。
周りから人の話し声や車の騒音が聞こえてきたけれど、前で防御してくれているおかげで、視界からは余計な情報が入らない。
一人きりで歩いていた時とは大違いで、気分が楽になった。
その大きな背中に謝罪した。
「あの、ご迷惑をおかけしてすみません」
「ん? ああ、迷惑なんかじゃないよ。ただ、このことは海李に内緒にしておいて」
「え? どうして、ですか?」
「まあ、色々とね。秘密にしておいて」
「……はい」
口をつぐんだ彼に、それ以上の理由を尋ねることができず、その言葉に従うほかないと思った。
私達は、そのままの隊列で歩き続けた。
長い距離を歩くのかと思っていたけれど、先程の場所から、そんなに遠くない所にデパートがあった。
入り口で立ち止まり「着いたよ」と、彼が首を後ろに向けて言う。
横目で確認した店内は、ドア越しでも賑やかさが伝わるほど活気があった。
私は、握っていた服から手を放す。彼が振り返ったので、お礼を言った。
「ありがとうございました。とても助かりました」
「どういたしまして。気分は?」
「おかげさまで、だいぶ楽になりました」
「そう、よかった。帰り、バスでしょ? 向こうまで行かなくても、あそこにバス停あるから」
そう言って、私の後方を指す。
その指の方向に体を向けると、人が歩く隙間から停留所が姿を見せ、意外に近くにあることに驚いた。
バス停から視線を彼に戻す。
前髪のかかった眼鏡の奥で、切れ長の瞳が、優しく私を見ていた。
私は、その優しい瞳なら助けてもらえるかもしれないと思い、甘えついでに相談を持ち掛けた。
「あの、ここまで親切にしてもらっておきながら、図々しいのを承知でお聞きしたいことがあるのですが」
「ん? どうした?」
「男の人は、何をプレゼントされたら嬉しいですか?」
「海李に?」
「いえ、違います」
「えー、何だろう。相手は、どんな人?」
「とても優しくて、存在が美術品のように美しい人です」
「ん? ん? えっ? えーっ…… 究極に難しい問題だね。どうだろう。俺の周りに、そんな人いないからなぁ。何歳くらい?」
「私と、そんなに離れていないと思います。年上だったとしても二十歳くらいまでかと」
「そっか。うーん…… 相手の趣味もわかんないし、下手な物を買って迷惑になるくらいだったら、実用性のあるタオルとかがいいんじゃない?」
いつも親切にしてもらっている息子さんへのプレゼントだけが、どうしても思い浮かばずに悩んでいた。確かに、タオルだったら使ってもらえるかもしれない。
「……そう、ですね。そうします。あの、色々と親切にしていただいてありがとうございます。それで、何かお礼をしたいのですが……」
「別に大したことしてないから大丈夫」
「でも……」
「平気、平気。気にしないで」
「そういう訳にはいかないです」
「えーっ。そう言われてもなあ。本当に大したことしてないから。……あっ、何でも聞いてくれるの?」
顔を少し横に向け、視線だけをこちらに向けて意地悪そうな目をした。
とんでもないことを言われそうな雰囲気にたじろいでしまう。
「えっと、内容によりますけど、私で出来ることなら。ただ、お金は沢山持ってません」
彼は「ふふっ」と小さく笑って言った。
「じゃあ ……握手して」
「えっ?」
「それでいい。ダメ?」
さっきの目を見たら、もっと凄いことを要求されるのかと思っていた。
「そんな事でいいんですか?」
「うん」
私は、自分の右手を差し出した。
彼は、ゆっくりとその手を握り、両手でそっと包み込んで、しばらく握り合った手を見ている。
ただの握手にしては長い時間だった。
しかし、振り払うわけにもいかず、そのままの姿勢で解き放たれるのを待った。
行き交う人々が、私達の姿をちらちらと見ながら通り過ぎていく。
どんなふうに見られているのかと考えるだけで恥ずかしくて、好奇の目から逃れるように下を向いて顔を隠した。
そして、ふと我に返った彼が、慌てて離し、自分の腰に両手を当てた。
「あっ! ごめん。別にいやらしいこと考えてた訳じゃないから」
私と視線を合わせようとせず、横を向いたり、下を向いたり、忙しく首を動かしていた。マスクで顔が見えなかったけれど、雰囲気からして、とても狼狽しているのがわかる。
それが何だか可愛く見えて、知らずの内に微笑んでいた。
「大丈夫です」
そう言って、私は、小さめの黒いヘアクリップをバックから出して、彼に差し出した。
絵を描く時に使用するつもりで買っておいた物だけど、さっきから目に入る前髪を指で払っているのが気になっていて、彼に使ってもらおうと思った。
「あの、お礼って訳ではないですが、お家にいる時にでも使ってください。未使用なので」
腰から右手だけを離し、それを私の手から受け取って目を細める。眼鏡越しでも、それが微笑んでいるのだとわかった。
「ありがとう。使わせてもらう」
クリップをギュッと握りしめて顔を上げる。
そして、唐突に「じゃあね」と反対の手を上げ、もと来た道を走り出した。
「ありがとうございました」その背中に、少し大きな声でお礼を言うと、手を上げて振り向かずに去って行く。
彼の後ろ姿を見ながら、先程の言葉を思い出した。
ついでだからと送ってくれたはずなのに、店内には入らなかった。
私に気を遣わせずに、送ってくれるためだったのだろうか……
申し訳ない気持ちでその背中が見えなくなるまで見送り、私は、賑やかな店内に足を踏み入れた。
デパートの中も凄い人混みだったけれど、屋内という事もあってか、人が動く速度は緩やかだった。それが、せめてもの救いだった。
店内の案内板を頼りに、目的の店舗を求めてさまよい歩く。
プレゼントをしたことがないので、真結さんに相談に乗ってもらってリストを作った。
叔父さんには、奥さんとペアのタンブラー。
百合さんは、エプロンとハンドクリーム。
歩いている時「寒い」とポケットに手を突っ込んで歩いている海李君には手袋。
真結さんと私は、お揃いの巾着袋。
お婆さんに眼鏡ケース。
宮志真ご夫妻はペアのエプロン。
そして、息子さんには、さっき彼が提案してくれたタオル。
予定していた金額よりも低めに抑えられたので、百合さんと海李君と私の分の、色付きのグラスを買った。
百合さんが水色。
海李君は赤。
私はピンク。
それぞれの好きな色。
私を大切にしてくれる人達へ、感謝の気持ちを込めて初めてのプレゼントを。
全ての物を買い終えて、弾むようにバス停に向かった。




