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裏切り者はいない

第8話 裏切り者はいない


 帰りの馬車の中。私は、ガルム村長から取り上げた手紙を、もう一度読み返していた。


 『——なお、明後日の夜、麦の輸送を企てる動きあり。見逃すな』


 明後日の夜。直販計画の麦を運び出す夜だ。知っているのは、私とミリアとバルトの三人だけのはず——。


「お嬢様……やはり、調べますか。館の者を」


 ミリアが、硬い声で言った。裏切り者。すぐそばにいる、裏切り者。


 私は、しばらく黙って手紙を見つめていた。それから、ゆっくりと首を振った。


「……待って。順番に考えるわ。まず、敵が知っている情報を整理するの」


 前世の経理部では、不正を見つける時、まず「誰が知り得たか」じゃなく「何が見えていたか」を洗うのが鉄則だった。悪意を探す前に、経路を探す。


「一つ。私が質屋で真珠の首飾りを売ったこと。質屋の主人は商人よ。商人の口は、商会の耳に筒抜けだわ」


「……!」


「二つ。ミリアが下流の村を回って、麦の買い取り話をしたこと。村で『秘密』なんて、夕飯時には全員が知ってるわ」


 ミリアが、小さくうなずく。図星らしい。


「三つ。館では馬車の準備が始まっている。出入りする人足の目がある。——そして四つ。市の日は、誰でも知っている」


「市の日、ですか?」


「ええ。麦を売るのは市の日。その前夜に運ぶしかない。……ほら、全部つながったでしょ。明後日の夜なんて、推理すれば誰でも出せる答えよ」


 ミリアが、ぽかんと口を開けた。


「つまり……裏切り者は——」


「いないのよ。少なくとも、私たちのそばには」


 ダルトンは、スパイなんか使わなかった。ただ、見ていただけだ。堂々と動く私たちを、笑いながら見ていた。


 前世の会社にもいたわ。飲み会で新規事業の話をして、翌週には競合に筒抜けになっていた間抜けな企画部長。悪意はなかった。ただ、脇が甘かった。


 ……私も、同じだったってことね。少しだけ、頬が熱くなった。


「お嬢様……」


「でも、いいことを教えてもらったわ」


 私は、手紙をぱたんと畳んだ。


「敵は、私たちの『見える動き』を見ている。なら——見せたいものを見せてあげるのよ」


 ミリアの目が、きらりと光った。察しがいい子だ。


「囮、ですか」


「ええ。囮よ」


---


 館に戻ったのは、すっかり夜だった。書斎にバルトを呼ぶ。学園には使いをやって、今日は休むと伝えた。断罪回避のためなら、欠席届くらい安いものよ。


 机の上に、領地の略図を広げた。


「バルト。輸送計画を変更するわ。表と裏、二本立てよ」


「表と裏、でございますか」


「表の計画——明後日の夜、本街道を馬車で運ぶ。これは変えない。堂々と準備を進めて。敵の目に、たっぷり見せるの」


 バルトが、眉をひそめた。


「しかしお嬢様、それでは——」


「積むのは、藁よ。袋に藁を詰めて、麦俵に見せかける。護衛もつける。襲ってきたら、藁しか出てこない」


「……! なるほど。襲撃者は、領主の輸送隊を襲ったという証拠だけを残すわけですな」


「そういうこと。こっちは麦を一粒も失わない。向こうは犯罪者になる。損得勘定くらい、できるでしょ」


 前世の会社で、競合にダミーの企画書を掴ませたことがある。向こうは大喜びで真似をして、大失敗した。情報戦の基本は、「相手に見せたいものを見せる」ことよ。


「では、裏の計画は」


「川よ」


 私は、略図の川を指でなぞった。上流から下流へ、そして領都の市の方へ。


「トーマ村長の村は川沿いだわ。川船で、夜のうちに下る。街道を見張る連中は、川までは見ていない」


「川船が、ございますかな」


「あるわ。薪や材木を運ぶのに使っているって、ミリアが聞いてきた。ね、ミリア」


「はい! トーマ村長様が『下りなら夜明け前に着く』と仰っていました」


 バルトが、深くうなずいた。


「分かりました。表の馬車は派手に、裏の川船は密かに。……お嬢様、見事な二段構えでございますな」


「経理の基本よ。帳簿も二冊作る人は作るの。……悪い見本だけどね」


 ミリアを下流の村へ走らせる。今夜、麦を買い取って積み込む。値段は約束通り、相場の八掛け。種銭の三十枚は、ここで消える。


 見送りながら、ふと思う。下流の村の、あの孫娘のこと。「おねえちゃん、雨、降らせられる?」——雨は降らせられないけど、麦は守ってあげる。約束は、二つになった。


---


 翌日の昼。上流の村——ガルム村長の屋敷の前に、私は立っていた。


 村長は、青ざめた顔で出迎えた。昨夜の手紙の一件がある。立場がないのは、向こうだ。


「ガルム村長。話があるの。二人きりで」


 通された奥の部屋。私は、懐から例の手紙を取り出して、机の上に置いた。


「……っ!」


「この手紙、覚えているわね。『麦の輸送を見逃すな』——私の麦よ。領主の麦を、横取りしろという命令」


 村長の額に、汗がにじむ。


「お、お嬢様……私は、まだ何も——」


「知ってるわ。だから、取引を持ってきたの」


 私は、椅子にどっかりと座った。前世の会社で、取引先を落とす時の姿勢だ。相手より先に座る。主導権は、座った者のもの。


「上流の村に、仕事を発注するわ。堰の解体と、水路の修繕。働いた者には、日当を払う。その日のうちに、現金で」


「ひ、日当……!?」


「ええ。日払いよ。ダルトンの施しじゃなく、正当な賃金。……どう? 悪い話じゃないでしょ」


 村長は、信じられないという顔をした。無理もない。悪役令嬢が、金を払うなんて。


「しかし……ダルトン様が、お許しになら——」


「ダルトン?」


 私は、手紙をとんとんと指で叩いた。


「この手紙が何か、分かる? 領主の財産を狙った、横領の証拠よ。これが王都に届いたら、ダルトンは終わり。……あなたも、共犯としてね」


 村長の顔から、血の気が引いた。


「そ、そんな……!」


「でも、取引なの。村が堰の解体と水路の修繕に協力してくれたら——この手紙は、なかったことにする。過去のことも、不問よ」


 飴と鞭。前世のブラック企業が下請けを縛った手口を、そのままお返しするの。……我ながら、悪役令嬢が板についてきたわね。


「ダルトン様に逆らえば、村は……三年前の庄屋のように……」


「三年前の庄屋ね。借金を理由に村ごと取り上げられた——その話、聞いたわ」


 私は、身を乗り出した。


「でも村長、よく考えて。ダルトンがあなたを守ってくれた? 三年間、怯えながら水を独占して——幸せだった? ……ダルトンの金は、恐怖の代金よ。私の賃金は、労働の対価。どっちがいいか、村の者たちに聞いてみなさいな」


 村長は、震えていた。恐怖か、怒りか、それとも——希望か。


「……村の者たちを、集めてくださいな。今ここで、話をするわ」


---


 広場に集まった村人たちは、最初、私を睨んでいた。悪役令嬢への不信は、上流も下流も同じだ。


 私は、一段高い石の上に立った。


「上流の村のみんなに、仕事のお願いよ。堰を壊して、水路を直すの。働いてくれた人には、その日のうちに日当を払うわ。現金で、日払い」


 ざわめきが起きた。


「……本当ですか、お嬢様」


「本当よ。領主の約束だもの。……下流の村には、麦を作る畑がある。水が戻れば、収穫が戻る。収穫が戻れば、年貢も借金も、まっとうに払える。——この村だって、ダルトンの金に怯えなくて済むのよ」


 一人の老婆が、進み出た。


「……ダルトン様が、黙っちゃいませんよ」


「ダルトンは、もうすぐいなくなるわ」


 私は、きっぱりと言った。根拠は、三年分の帳簿。まだ切っていない、最後のカード。


「私が領主よ。私が、あなたたちを守る。……信じてくれる?」


 沈黙。そして——一人の若者が、手を挙げた。


「……俺、やります。日払いなら、やります」


 続いて、二人、三人。手が、次々と挙がっていく。


 ガルム村長が、深々と頭を下げた。


「……お嬢様に、お仕えします」


 上流を、おさえた。水は、戻る。あの子の約束も、守れる。


 広場の歓声を背に、私はミリアと目を合わせた。ミリアが、嬉しそうに笑う。


 ——その時だった。ミリアが、そっと私の袖を引いた。


「お嬢様……一つ、よろしいですか」


「なに?」


「日当の、お金は……どちらから、お出しになりますか?」


 ——時が、止まった。


 金庫は、空っぽ。真珠の首飾りの三十枚は、今夜の麦の仕入れ代に消える。日当の金なんて、どこにもない。


 日当は、日払い。約束した。その金を、どこから出すの——?

第8話をお読みいただき、ありがとうございます。裏切り者の正体は、なんと「いない」でした。スパイがいなくても、堂々と動けば情報は漏れる——逆に「見せたいものを見せる」囮作戦の決行です! 上流の村との交渉では、日払いの約束で堰の解体と水路の修繕を取り付けました。……でも、その日当のお金、どこにもないんですよね。金庫は空っぽ、首飾りのお金は麦の仕入れ代。どうするエリザベート!? 次回もお楽しみに。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!

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