干上がった水路
第7話 干上がった水路
放課後。私は馬車を飛ばして、領地の南部へ向かった。
目的地は、トーマ村長の村——下流域の農村だ。領地の麦の二割は、この村の畑から生まれる。……はずだった。
「お嬢様、本当にご自分で行かれるのですか」
バルトが、心配そうに眉を寄せる。前世の会社で言えば、重役の現場視察だ。でも、現場主義は経理部の佐藤美咲の流儀でもある。帳簿の数字は、現場を見ないと嘘をつく。
「ええ。帳簿の数字と、現場の数字が合わないの。自分の目で確かめないと気が済まないわ」
村に着いたのは夕方だった。麦畑が広がるはずの土地は、ひび割れた土ばかり。用水路は、底が見えるほど干上がっている。
トーマ村長が、深々と頭を下げて出迎えた。
「お、お嬢様……わざわざお越しいただき、恐縮にございます」
「村長。用水路が、干上がっているわね」
「は、はい……。上流の村が、水をせき止めてしまいまして……」
上流の村。同じ川の上流にある村だ。聞けば、三年前から水を独占し始め、下流は連年不作だという。
「なぜ黙っていたの? 領主館に訴えれば——」
「訴えましたとも! 何度も! ですがダルトン様が『上流にも事情がある』と……」
ダルトン管家。またお前か。前世の経理部にもいたわ。両方から金を取って「調整役」を名乗る輩。顔は忘れたけど、あの嫌な笑みは覚えている。
その時、畑の向こうから、小さな声がした。
「……お嬢様、ですか?」
振り向くと、痩せた老農夫が立っていた。隣には、十歳くらいの孫娘らしい女の子。女の子が、ぽつりと言った。
「おねえちゃん、雨、降らせられる? おじいちゃんが、毎日空を見てるの」
胸が、ちくりと痛んだ。前世の私は、数字でしか人を見なかった。経理部の佐藤美咲にとって、赤字は「処理すべき項目」でしかなかった。でも今、目の前の子の瞳は、数字じゃ割り切れない。
「……雨は降らせられないけど、水は取り戻してあげる。約束よ」
「ほ、本当ですか、お嬢様……!」
トーマ村長が、目を潤ませる。悪役令嬢の約束なんて、誰も信じちゃいないと思っていた。……まあ、当然か。元のエリザベートなら、こんな約束、しなかっただろうしね。
「村長、聞きたいことがあるの。上流の堰ができたのは三年前と言ったわね。その頃、村の様子はどうだったの?」
「……三年前、ダルトン様が『上流の水利を整える』と仰って、普請が始まったのです。気づいた時には、堰ができていて……。それから、下流の田は年々痩せていきました」
「三年前。……ちょうど、領地の借金が膨らみ始めた頃ね」
前世の経理の勘が、ざわつく。タイミングが、良すぎる。
「年貢は、どうしているの? 不作が三年も続けば……」
「……借金です。領主館から借りて、年貢を納めております。利子が、かさむばかりで」
借金で年貢を納める。本末転倒もいいところだ。前世の会社にも、借金で借金を返す部署があった。……潰れたけどね。
「案内してちょうだい。上流の村まで」
傾き始めた日の下、用水路沿いを歩く。ミリアと護衛の者を引き連れて。用心は大事よ。悪役令嬢に恨みを持つ者がいないとは限らない。
歩きながら、ミリアが小声で報告してきた。
「お嬢様。村の者から聞きました。上流の村には最近、王都の商会の者が出入りしているそうです。『堰の補修』と称して、ですが」
「補修ね。……水を止め続けるための補修、か。ご苦労様なことだわ」
「それから……ガルム村長は、ダルトン管家様とは旧知の仲だそうです。若い頃、同じ商家に奉公していたとか」
旧知の仲。なるほど、ただの金の関係じゃない。情もある。……情がある相手ほど、裏切りは効くのよ。前世の会社で、派閥争いの末に潰れていった同期を何人も見た。
上流の村に着くと、用水路の様子が一変した。水が豊かに流れ、畑は青々としている。まるで別の領地のようだ。
川の分岐点には、粗末だが頑丈な堰が築かれていた。下流への水を、ほぼ完全にせき止めている。
「……これは、ひどいわね」
「お嬢様、見てください。堰の木材、新しいです。ここ一、二年のものかと」
ミリアの指摘は、村長の「三年前から」という話と合う。
上流の村の村長——ガルムという初老の男が、渋い顔で出てきた。
「ローゼンハイムのお嬢様が、何の御用でございましょう」
「挨拶は抜きにするわ。あの堰、誰の許可で築いたの?」
「……上流の村にも、生きる権利がございます。下流のことまで面倒は見きれませんので」
開き直り、ね。前世の取引先にもいたわ。契約違反を「経営判断」と言い換えるタイプ。嫌いじゃないけど、敵に回すと面倒なのよね。
「権利ね。……じゃあ聞くけど、その堰を築く木材と人夫は、誰が出したの? この村の規模で、あれだけの普請ができるかしら」
ガルム村長の顔が、ぴくりと動いた。図星だ。
「……それは、村の者どもで」
「村の者どもで、あれだけの堰が築ける? ……ねえ村長、私を誰だと思っているの? 帳簿を三年分読んだ女よ。普請の規模から、かかった人件費くらい弾けるわ」
ガルム村長の額に、汗がにじむ。
「ふうん。……ミリア」
「はい。お調べしてまいりました」
ミリアが、すっと前に出る。情報収集は彼女の得意技だ。
「堰の普請は二年前の秋。木材は王都の商会から、人夫の日当は——ダルトン管家様の私財から出ております。村の方々に伺いました」
ガルム村長の顔が、さっと青ざめた。
「管家が、上流の村に金を出して堰を築かせた。下流を干上がらせるために、ね」
「そ、そんな……! ダルトン様は、村を思って——」
「村を思って? 下流が不作になれば年貢が納められない。納められなければ領主館から借金をする。借金の利子は商会の言い値。……さて、誰が得をするのかしら」
沈黙。ガルム村長は、何も言えなくなっている。
前世の佐藤美咲は、こういう構図を何度も見た。子会社を赤字にして、本体に安く吸収する。手口は古典的だが、よく効くのよ。
「ガルム村長。あなたも利用されただけよ。……でも、水を独占した事実は消えない。下流の村の人たちは、三年間ずっと——」
「分かっております……! 分かってはいるのですが、ダルトン様には逆らえなくて……」
「逆らえない? ……脅されているの?」
ガルム村長は、しばらく黙っていた。それから、搾り出すように言った。
「……三年前、水を分けろと訴えた村がありました。その村の庄屋は、商会への借金を理由に、村ごと取り上げられたのです。ダルトン様に逆らえば、次は我が村だと……」
飴と鞭、ね。協力すれば金、逆らえば破滅。前世のブラック企業も、似たような手口で下請けを縛っていた。……懐かしくないわ、全然。
その時、ミリアが私の袖を引いた。
「お嬢様。あれを」
村長宅の窓から、机の上の文箱が見えた。開いたままの文箱から、封蝋のついた手紙が覗いている。封蝋の紋章——見覚えがある。ダルトン管家の私印だ。
「……村長。その手紙、見せてもらえるかしら」
「なっ……!? こ、これは私的な——」
「私的な手紙で、領地の用水を左右する相談をしていたの? それ、もう私的じゃないわね。領主として、見せていただくわ」
ガルム村長は、震える手で文箱を差し出した。手紙を開く。そこに書かれていたのは、堰の維持を命じる文面——そして、末尾の一文。
『——なお、明後日の夜、麦の輸送を企てる動きあり。見逃すな』
明後日の夜。麦の輸送。
——私の直売計画が、筒抜けだ。
血の気が引いた。計画を知るのは、バルトとミリアと、私だけのはず。どこから漏れたの? ……いや、今はそれどころじゃない。明後日の夜、運び出す麦を、商会が待ち構えている。
私は手紙を握りしめた。紙が、くしゃりと音を立てる。
——直売計画、最大の危機。そして、裏切り者はすぐそばにいる。
第7話をお読みいただき、ありがとうございます。用水路の視察で明らかになった、上流の堰と管家の影。そして村長の文箱から見つかった手紙には、明後日の麦の輸送計画が筒抜けだと書かれていて——!? 計画を知るのは三人だけのはず。裏切り者は誰なのか。次回、直売計画最大の危機です。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!




