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学園の聖女

第6話 学園の聖女


 翌朝。私は、いつものように学園に向かう馬車に揺られていた。


 昨夜の脅迫状の一件で、領主館は大騒ぎだった。バルトは「お嬢様を王都へ避難させましょう」と真っ青な顔で言い、ミリアは「私が護衛します!」と拳を握っていた。


 避難? 冗談じゃない。私が逃げたら、「悪役令嬢は脅しに屈した」という噂が領地中に広がる。それこそ、商会の思う壺だ。


「——今夜の準備は、バルトとミリアに任せたわ。明後日の夜、麦を運び出す。私は、今日はいつも通り学園に行く」


 そう告げると、二人とも渋々頷いた。前世の会社でも、締め切り前の現場を部下に任せて、自分は別の会議に出る——そんなことは日常茶飯事だった。信じて任せるのも、上司の仕事よ。


 ……と、自分に言い聞かせてみる。内心は、少しだけ落ち着かない。領主館の馬車の車輪の音が、やけに大きく聞こえる。


 ミリアが、馬車の窓から顔を出して、小声で言った。


「お嬢様、今夜の見張りは私がやります。商会の手代が村をうろついているそうですから」


「……無理はするなよ。お前が倒れたら、誰が私の財務顧問をやるんだ」


「はい!」


 ミリアの笑顔が、少しだけ大人びて見えた。最初の頃の、怯えたメイドの顔はもうない。人は、任されると育つ。前世の部下たちも、そうだった。


 学園の門をくぐると、視線が集まった。いつものことだ。悪役令嬢の登校は、ちょっとした見世物である。


「あら、エリザベート様。領地で何か企んでらっしゃるんですって?」


 廊下で、取り巻きの令嬢に声をかけられた。情報の速さに、前世の社内チャットを思い出す。悪い噂の拡散速度は、どの世界も光速だ。


「企み? あら、失礼ね。領主の仕事を『企み』だなんて。……あなた方のお家も、領地をお持ちでしょう? まさか、帳簿も見たことがないなんてことはないわよね」


 にっこり笑って返すと、令嬢は顔を引きつらせて去っていった。悪役令嬢の笑顔は、営業スマイルの上位互換である。目が、笑っていない。


 それにしても、情報が早い。昨夜の脅迫状の件が、もう学園に届いている。商会の手先か、それともダルトンの差し金か。


 ……まあ、いい。噂は、実績で潰す。それが私の流儀だ。


 午前中の講義は、上の空だった。頭の中は、麦の輸送計画でいっぱいだ。馬車の台数、護衛の人数、商会の手代の巡回時間——。


「——エリザベート様。エリザベート様?」


「はっ!?」


 我に返ると、教室中が私を見ていた。講師が、ため息をついている。


「……よろしい。では、エリザベート様に答えていただきましょう。王国の三大穀倉地帯を」


 しまった。完全に聞いていなかった。


 でも、大丈夫。前世の佐藤美咲は、会議で寝ていても指名されれば答えられる女だった。領地の帳簿を三年分読んだ私に、穀倉地帯くらい——。


「東部のローゼンハイム領、中央のカーライル平原、南部のミード川流域、ですわ」


 講師が、不承不承頷いた。教室の後ろから、くすくす笑いが漏れる。助かった。経理OLの危機管理能力に感謝。


 隣の席の令嬢が、こっそり囁いてきた。


「エリザベート様って、最近変わられましたわね。……なんだか、怖くなくなったっていうか」


「あら、残念。悪役令嬢の威厳が足りないかしら」


「いえ! その、……いい意味ですわよ!」


 慌てる令嬢を横目に、私は小さく笑った。変わったのは、当然だ。中身が二十八歳のOLなのだから。


 昼休み。中庭のベンチで一人、パンを齧っていた。令嬢の昼食会には出ない。あの場のマウント合戦に付き合うほど、私は暇じゃない。


 ……と、その時。


 中庭の隅の植え込みの陰で、小さな光が見えた。金色の、温かそうな光。思わず立ち上がって、近づいてみる。


 そこにいたのは、同い年くらいの少女だった。質素な制服——特待生の徽章がついている。彼女の手のひらの上では、小鳥が一羽、羽を休めていた。折れたらしい翼が、光に包まれて、ゆっくりと癒えていく。


 治癒魔法。しかも、光属性の。


 ——セシリアだ。


 前世でゲームをプレイした私には、すぐ分かった。平民出身の聖女。物語の主人公。そしていずれ——私を断罪へ追い込む、恋愛ゲームのヒロイン。


 小鳥が、ぱたぱたと羽ばたいて、空へ飛び立った。少女が振り向く。大きな、澄んだ瞳が、私を捉えた。


「あの……見て、いたんですか?」


「ええ。見事な治癒魔法だったわ。小鳥も、喜んでいたみたい」


 セシリアは、少し照れたように笑った。警戒する様子は、ない。ゲームでは、悪役令嬢に怯えるはずの少女なのに。


「ありがとうございます。……あの、あなたは——」


「エリザベート・フォン・ローゼンハイムよ。二年生」


 名乗った瞬間、彼女の目がぱっと輝いた。怯えじゃない。好奇心だ。キラキラしている。まずい、この子、噂と全然違う反応をする。


「ねえ、セシリア。その治癒魔法、学園で習ったの?」


「ううん。独学です。村にいた頃、怪我をした動物を治しているうちに、できるようになって」


 独学で光属性の治癒魔法。やはり、天才だ。ゲームの設定通り——いや、設定以上かもしれない。


「すごいわね。……その力、いずれ多くの人を救うわよ」


「そんな……。私は、目の前の人を助けられれば、それで」


 聖女の素質十分、謙虚さ十分。悪役令嬢の私が言うのも何だけど、この子は本当に「いい子」だ。だからこそ、二年後の断罪イベントが、どうしても他人事に思えない。


「……ねえ、セシリア。さっきから気になってたんだけど——私のこと、怖くないの? 噂では、私って『悪役令嬢』なんでしょう?」


「え? あ、……先輩方が『分け隔てなく接してくださる方だ』って。……あれ?」


 彼女は、そこで言葉を切って、首を傾げた。何か、噂と違うことに気づいたらしい。当たり前だ。私はまだ、何もしていない。断罪イベントは、二年後なのだから。


 それにしても、近くで見ると、本当に普通の女の子だ。ゲームの立ち絵より、ずっと幼い。こんな子が、二年後には私を断罪する側に回るなんて——。


 ——いや、待て。断罪するかどうかは、私の行動次第だ。原作通りにいかなければ、彼女は私の敵じゃない。むしろ——。


「セシリア、だったわね。……小鳥を助けるなんて、優しいのね」


「えへへ。放っておけなくて。……エリザベート様は、領地ではどんなことをなさっているんですか? 私、平民出身だから、領主様のお仕事に興味があって」


 領地の話。来たわね。悪役令嬢の領地経営に興味津々の聖女——原作にはない展開だ。


「そうね……今は、麦の直売計画を進めているところよ。農民から直接買い取って、中間業者を通さずに売るの」


「わあ……! 農民の方から直接、ですか。すごいです!」


 目を輝かせるセシリア。純粋な尊敬の眼差しに、少しだけ居心地が悪くなる。前世の私は、こんな目で見られたことがない。経理部の佐藤美咲は、「コストカッターの鬼」と呼ばれていた。


「……まだ計画段階よ。成功するかどうかは、これから」


「応援しています! ……あ、でも、商会の方が黙っていないかもしれませんね。お気をつけて」


 ——この子、鋭い。平民出身だから、商会の怖さを知っているのだ。


 と、その時だった。


「セシリアさん」


 中庭の入口から、声がかかった。振り向くと——アルフレッド殿下が立っていた。第二王子。私の、婚約者。


 殿下は、私には目もくれず、まっすぐにセシリアを見ていた。その瞳に浮かんでいたのは——今まで私に向けられたことのない、まっすぐな興味と、かすかな戸惑い。


 セシリアが、ぺこりと頭を下げる。殿下が、少し照れたように笑う。


 ——ああ。これは。


 前世で何十回も見た光景だ。乙女ゲームの、イベントスチル。その一枚目が、今まさに私の目の前で始まろうとしている。


 婚約者である私の目の前で。堂々と。


 殿下とセシリアが、何か言葉を交わしている。距離は、初対面のそれだ。でも、殿下の視線は、彼女から離れない。


 ゲームの知識が、頭の中で警鐘を鳴らす。——第二王子ルート、開始フラグ。


 私は、婚約者として怒るべきなのかしら。……いや、今はまだ「興味」だ。でも、この「興味」が二年後には「恋」になって、私の断罪の舞台装置になる。


 知っているからこそ、怖い。未来の設計図を、目の前で組み立てられている気分だ。


 私は、パンの最後の一口を、ゆっくりと噛み締めた。


 ——断罪まで、あと二年。……いや、恋のカウントダウンは、もう始まっているのかもしれない。

 第6話をお読みいただき、ありがとうございます。ついに聖女セシリアが登場! 小鳥を治す優しい少女は、噂とは裏腹にエリザベートに興味津々で——。でもその出会いを、婚約者のアルフレッド殿下が見ていて……? ゲームのイベントが、目の前で始まろうとしています。恋のカウントダウンと麦の直売計画、どちらが先に動くのか。次回もお楽しみに。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!

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