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市場の裏側

第4話 市場の裏側


 翌朝。私はミリアの用意した服を見て、固まった。


「……ミリア。これ、なに?」


「変装用の服です! お嬢様」


 目の前にあるのは、褐色の地味なワンピースと、大きな頭巾。メイド服とは違って、どこにでもいそうな町娘の格好だ。


「……まあ、確かにこれなら令嬢には見えないわね」


「でしょう! メイドの嗜みです。変装くらい」


 ミリアは得意げだ。昨日の夜、「明日は市場に行く」と言ったら、彼女は嬉々として準備を始めた。侍女の仕事より、スパイの仕事の方が性に合っているのかもしれない。


 着替えて、鏡を見る。金髪を頭巾の中に押し込んで、頬にうっすら煤をつけた。……鏡の中には、どこにでもいそうな町娘がいた。元のエリザベートの面影は、ない。


「……お嬢様。そのお姿、なんだか新鮮です」


「でしょ。悪役令嬢のオーラ、封印完了」


 前世の私——佐藤美咲は、経理部の地味なOLだった。ブランド物のバッグなんて持ったことがない。地味な服を着こなすのは、むしろ本職だ。


 出発前に、バルトに声をかけた。


「バルト。私たちは『午前中、部屋で読書』ってことにしておいて」


「承知いたしました。裏口の鍵は、開けておきます」


 老執事は、何も聞かずに頷いた。ダルトンが使用人を使って私の動向を探らせている以上、屋敷を出ること自体がバレたら面倒だ。バルトは「従順な執事」の演技を続けながら、こっそり私を援護してくれている。


 領都の市場までは、徒歩で三十分ほど。月に三度の市が立つ日で、今日はちょうど市の日だった。


 ——賑わっている。


 露店がずらりと並び、野菜や果物、布や道具が売られている。子供たちが駆け回り、商人の呼び声が飛び交う。一見すると、活気のある市場だ。


 でも、よく見ると違和感がある。


 売り手の農民たちの顔が、暗いのだ。笑顔がない。値段交渉の声も、小さい。まるで「売らされている」みたいな空気。


 前世の会社で、こういう空気を見たことがある。下請け業者が、元請けの言い値で仕事を受けさせられる時の空気だ。


「……ミリア。あの辺、見てみよう」


 穀物を扱う一角。老農夫が、麦の袋を積んだ荷車の前で、商人と話していた。


「おいおい、爺さん。今年の麦は出来が悪いな。これじゃあ、この値段が精一杯だ」


 商人が指で示した金額を見て、私は目を疑った。相場の、半分以下だ。


「そ、そんな……旦那様。これでは種籾代にもなりません。どうか、もう少し——」


「嫌なら持って帰れよ。腐らせればいい。どうせ他に売るところなんて、ないんだからな」


 老農夫の肩が、がっくりと落ちた。横では、小さな孫娘らしき女の子が、不安そうに祖父の服の裾を握っている。


 ——買い叩きだ。


 前世で何度も見た光景。力関係を利用して、相手の足元を見る。会社では「コストダウン」の美名のもとに、下請けを泣かせるのが常套手段だった。


 でも、ここで引っかかるのは「他に売るところがない」って部分だ。なんで、他に売れないの? 市場は自由なはずじゃないの?


 ミリアに小声で聞いた。


「……あの商人、誰?」


「ゴルド商会の手代です。領地の穀物の買い付けは、ほぼ商会が独占しています。農民は、商会以外に売ることを『禁じられている』んです」


「禁じられている? 誰が?」


「……領主様の、ご命令ということに、なっています」


 は? 領主の命令? 父親が、そんな命令を出すわけがない。あの人は、管家に丸投げで何も決めない人だ。


 つまり——誰かが、領主の名を騙って、商会に独占権を与えている。ダルトンだ。間違いない。


 その時、商人がとどめの一言を放った。


「文句があるなら、領主館に行ってみろよ。……ああ、そうだ。これはローゼンハイム侯爵家のお嬢様の、ご命令だからな。逆らうんじゃないぞ」


 ——は?


 一瞬、耳を疑った。お嬢様? 私?


「ミリア……今の、聞いた?」


「……はい」


 ミリアの顔が、強張っている。


 私の名前が、使われている。農民を買い叩くための、免罪符として。


 そうか。そういうことか。領民が「悪役令嬢」を恐れ、憎む理由。ダルトンたちは、私の名を騙って苛政を敷き、その恨みを全部、私に被せていたんだ。断罪の罪状の一つ「領地苛政」——その「証拠」は、こうして日々、積み上げられている。


 拳が、震えた。怒りで。


 前世、経理部で架空発注を暴いた時も、似たような怒りを感じた。数字の裏で泣いている人がいる。今回は、その「泣かせている犯人」が、私の名前になっている。


 ——許さない。絶対に、許さない。


 思わず一歩、踏み出しそうになった私の腕を、ミリアが掴んだ。


「お嬢様! 今は、見るだけです。ここで騒いだら、変装の意味がありません」


「……分かってる。分かってるけど」


 深呼吸する。そうだ。今は証拠集めの段階だ。感情で動くのは、前世の私が一番嫌っていた「仕事のできない人」のやり方だ。


 老農夫は、結局、言い値で麦を売った。孫娘の手を引いて、とぼとぼと帰っていく。その後ろ姿を、私はただ見送ることしかできなかった。


 悔しい。悔しいけど、今は我慢だ。


 市場の奥へ進もうとした、その時だった。


「……あれ? お嬢様——!?」


 振り返ると、市場警備の衛兵が、私を指さして目を丸くしていた。しまった。頭巾から、髪が少しはみ出していたらしい。金髪は、この領地では目立つ。


 衛兵が駆け寄ってくる。あと数秒で、正体がバレる——


「まあ! お嬢様だなんて、人違いですわ!」


 ミリアが、パッと私の前に出た。満面の笑みで、衛兵に向き直る。


「この方は、王都からいらした薬草商、リリア様のご令嬢、エリーゼ様ですの。薬草の仕入れで、わたくしがご案内を——ね、エリーゼ様?」


「え、ええ、そうよ。私はエリーゼ。……よろしくね、お兄さん」


 我ながら、白々しい。でも、衛兵はきょとんとして、私とミリアを交互に見た。


「……そ、そうか。すまん、人違いだったようだ。……しかし、よく似ていたな。ローゼンハイムのお嬢様に」


「まあ、光栄ですわ。……ほらエリーゼ様、行きましょう。旦那様がお待ちですわ」


 ミリアは私の腕を引いて、そそくさとその場を離れた。角を曲がったところで、二人でへたり込んだ。


「……ミリア。あんた、役者になれるよ」


「メイドの嗜みです。……でも、心臓が止まるかと思いました」


 危なかった。でも、収穫は大きかった。


 屋敷に戻って、情報を整理する。


 一つ。ゴルド商会が、領地の穀物流通を独占し、農民を買い叩いている。

 二つ。その独占は「領主の命令」「お嬢様の命令」という名目で行われ、私の悪名の材料になっている。

 三つ。ダルトンは、商会と組んで、領地の金を抜くだけじゃなく、領民の恨みまで私に被せている。


 ——これはもう、ただの横領じゃない。私を「断罪」するための、仕込みだ。


 断罪まで、あと二年。罪状の「領地苛政」は、今この瞬間も、せっせと製造されている。


 なら、私のやることは決まっている。


 商会を迂回する、農民の直販ルートを作る。買い叩きの構造を壊して、農民の手取りを増やす。そして「お嬢様の命令」という嘘を、実績でひっくり返す。


 前世の知識が、頭の中で組み上がっていく。中間マージンの排除、直販、物流——経理部のOLだった私には、商売の仕組みは分かる。やれる。


 夕方。ミリアが、市場での聞き込み結果を持ってきた。


「お嬢様。ご報告です。今日の商人、腕にゴルド商会の腕章をつけていました。やっぱり、商会の息がかかっています」


「でしょうね。……で、もう一つは?」


「……市場で、変な噂を聞きました。『来週、商会が下流の村の麦を、全部持っていく』って。借金のカタに、だそうです」


 ——全部? 下流の村の麦を、全部?


 それは、買い叩きどころの話じゃない。村一つを、飢えさせる気だ。


 来週までに、直販の仕組みを作らなきゃ。時間がない。


 机に向かって、羽ペンを取った。まずは、計画書だ——

第4話をお読みいただき、ありがとうございます。領都の市場で目の当たりにしたのは、ゴルド商会による買い叩きと、「お嬢様の命令」という名目で進む苛政の実態でした。悪名の正体を知ったエリザベートは、ついに直販計画に動き出します。来週、商会が下流の村の麦を全部持っていくらしい——時間との勝負が始まります。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると嬉しいです。次回もお楽しみに!

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