約束の代価
第14話 約束の代価
孤児院から帰ったその夜、私は執務室で頭を抱えていた。
「お嬢様……お茶が冷めます」
「ありがとう、ミリア。……でも今は、茶より数字が欲しいわ」
机の上に広げたのは、院長先生から預かった書状と、領地の帳簿。ゴルド商会の封蝋が、ろうそくの光で鈍く光っている。
立ち退き通知。月末まで。あと二週間。
「……バルト。抵当に入っている借金の額、わかる?」
老執事が、渋い顔で頷いた。
「調べました。ダルトン様がゴルド商会から借り入れた『孤児院運営費』の名目で、金貨二百枚。その担保に、孤児院の土地が」
「二百枚……!」
私は思わず天井を見上げた。金庫は空だ。嫁入り道具の金貨百枚は、日当と麦の買付けで消えた。支出凍結令は出したけれど、それは「出ていく金」を止めるだけで、「入ってくる金」は作らない。
(……前世の家計簿なら、とっくに赤字警告が点滅しているわ。いや、赤字どころか破綻寸前)
「お嬢様……あの、約束、しちゃいましたよね。『潰させない』って」
ミリアが、おずおずと言う。……そうよ、約束した。リナの目の前で、院長先生の前で。悪役令嬢の約束は重い——と、自分で言ったんだから。
「ええ、したわよ。……だから、払うの。約束の代価を」
「……どうやって?」
私は帳簿を閉じた。答えは、もう決まっている。
「直販よ。市場の天幕。相場で売って、相場の八掛けで買い取る——差額の二割が、私たちの堂々たる収入になる」
「でもお嬢様、集市は明後日でしょう? 二百枚なんて……」
「一回で二百枚は無理。でも、担保権の『買い戻し交渉』はできる。商会だって、土地を取ってどうするの? 孤児院の土地なんて、転売しても二束三文よ。本当に欲しいのは金でしょ。だったら——分割で払う、って交渉する」
ミリアが、ぱちぱちと瞬いた。
「……お嬢様って、ほんとに商人みたいですね」
「前世は経理よ。数字で殴るのが仕事だったの」
——その時、執務室の扉がノックされた。バルトだ。顔色が、いつになく青い。
「お嬢様……ゴルド商会から、書状が」
嫌な予感がした。封を開く。文面は、事務的で冷たい。
「——担保権の実行時期を、来週末に繰り上げさせていただきます」
「……なんだって!?」
私は思わず立ち上がった。月末まで、の約束だったはず。それを、来週末? あと一週間もない。
「……ダルトンね。孤児院に行ったことを、嗅ぎつけたのよ。私が動く前に、既成事実を作る気だわ」
机を叩く。……怒りで手が震えた。子どもの寝床を、人質に取る。どこまでも腐っている。
「お嬢様、どうします……?」
ミリアの声が震えている。私は深呼吸した。……落ち着け、佐藤美咲。いや、エリザベート。前世のOLスキルで、どうにかするのよ。
「……計画を前倒しにする。集市は明後日。その利益で、まず交渉のテーブルに着く。足りない分は——私の私物で埋める」
「お嬢様!?」
「真珠の首飾りはもう売った。次は……ドレスね。王都仕立ての、あの薔薇色の。あれなら、金貨三十枚にはなるわ」
ミリアが、泣きそうな顔をした。
「……お嬢様は、どうしてそこまで」
「……リナの笑顔を見たからよ」
私は、窓の外を見た。裏庭の方角。……昨日、リナが見せた笑顔。痩せた頬が、少しだけ緩んだ、あの笑顔。
「あの子たちの『明日』を、守りたいの。……それだけよ」
——翌朝。私は再び、孤児院にいた。
子どもたちが、裏庭に集まっている。私の指示で、ミリアが大きな木箱を運んできた。中身は、落ち葉と生ゴミ。
「……お姉ちゃん、これなあに?」
リナが、不思議そうに覗き込む。
「堆肥よ。……腐った葉っぱと野菜くずを混ぜて、放っておくと、いい土になるの。お金のかからない、魔法の土」
「魔法……!」
子どもたちの目が、輝いた。……前世の知識なんて、こんなふうに使うものじゃなかった。でも、悪くない。
「それから——手を洗うの。ご飯の前と、トイレの後。石鹸で、よーく」
ミリアが、安物の石鹸を配る。子どもたちが、井戸の水で手を洗う。冷たい水に、きゃっきゃと笑い声が上がった。
——笑い声。昨日まで、座り込んでいるだけだった子どもたちが、笑っている。
院長先生が、目頭を押さえた。
「……ローゼンハイム様」
「院長先生、泣かないで。……まだ、始まったばかりよ」
裏庭の区画割り。私が足で測り、子どもたちが小さな鍬で耕す。育ちの早い野菜から——蕪と、葉物。種は、領主館の掛けで買ってきた。
汗をかいた子どもたちの顔が、少しだけ赤い。……昨日より、血色がいい。気のせいじゃないはず。
小部屋を覗く。ルカが、目を開けていた。温かいスープと薬草のおかげで、呼吸が昨日より深い。
「……お姉ちゃん」
小さな声。私の指を、小さな手が握った。……弱い力。でも、確かに、握り返してきた。
「……大丈夫よ、ルカ。ご飯、増えるから。お粥じゃない、ちゃんとしたご飯」
——その時、門の方で騒がしい声がした。
ミリアが、青い顔で駆け込んできた。
「お嬢様! ゴルド商会の、手代が……! 土地を、測っています!」
「……なんだって?」
門の外。商会の手代が三人、巻尺を持って土地を測量している。子どもたちが、不安そうに見ている。リナが、ミリアの服をぎゅっと握りしめた。
私は、ゆっくりと門に向かった。手代の一人が、にやにやと笑う。
「ローゼンハイムのお嬢様。……来週末には、この土地は商会のものになりますんで。測量だけ、先にさせてもらいますよ」
——来週末。書状通り。でも、わざわざ目の前で測量するなんて。嫌がらせも、ここに極まれり。
「……測量は、ご自由に。でも——」
私は、手代の目をまっすぐ見た。
「この土地が誰のものになるかは、まだ決まっていないわ。……来週末までに、私が買い戻すんだから」
「……はっ。金庫が空っぽのくせに、何を」
手代が、鼻で笑った。……知っている。ダルトンから聞いたんだろう。金庫のことも、私のことも。
その時だった。門の向こうから、馬車の音。——見覚えのある紋章。ダルトン家の馬車だ。
馬車から降りてきたのは——ダルトン本人だった。にこやかに、まるで慈善家のように微笑んで。
「おや、お嬢様。こんなところで、お会いするとは」
「……ダルトン」
私の声が、低くなった。ミリアが、私の袖を掴む。その手が、震えている。
ダルトンは、子どもたちを見回して、それから私に向き直った。……その笑みが、ぞっとするほど優しい。
「お嬢様。……実は、よろしいお話がございましてね」
「……何」
「この孤児院の担保権——私が、買い戻して差し上げてもよろしいですよ」
——え?
一瞬、耳を疑った。ダルトンが? 担保権を、買い戻す? ……あのダルトンが?
「……条件は?」
私は、警戒を露わにした。タダでやる男じゃない。こいつは、必ず裏がある。
ダルトンの笑みが、深くなった。
「さすがはお嬢様、お聡い。……条件は、たった一つ。領主代理の権限を、私にお戻しいただきたいのです」
——来た。やっぱり、来た。
領主代理の権限。父から預かった、領地の印。それを返せ、という。……担保権と引き換えに、私の武器を捨てろ、と。
子どもたちが、私を見ている。リナが、ミリアの後ろから顔を出す。その目に、怯えと——かすかな期待。
(……断るべきよ。権限を渡したら、改革は全部止まる。ダルトンの思う壺。……でも、断ったら、来週末にはこの子たちの家がなくなる)
究極の選択。……悪役令嬢の約束と、領主代理の権限。どっちを取る?
私は、ダルトンの目を見据えた。
「……返事は、来週末までにさせてもらうわ」
「ええ、結構ですよ。……ただしお嬢様——来週末を過ぎたら、このお話はなかったことに」
ダルトンは、深々と頭を下げて、馬車に戻った。……勝ち誇った背中。手代たちが、にやにやと後に続く。
門の前で、私は立ち尽くした。ミリアが、小さな声で言った。
「……お嬢様、どうするんですか」
私は、空を見上げた。……答えは、まだない。でも、一つだけ決まっていることがある。
——約束は、守る。何があっても。
(……ダルトン。お前のその笑み、来週末には凍らせてやる。……集市で稼いで、担保権を買い戻して、お前の鼻を明かしてやるんだから)
——ただし。そのためには、明後日の集市で、絶対に成功しなきゃいけない。失敗は、許されない。
(……プレッシャーで胃が痛い。前世の決算期末か、ってくらい)
第14話をお読みいただき、ありがとうございます! 約束の代価は、金貨二百枚。空っぽの金庫、繰り上げられた期限、そしてダルトンの「取引」——領主代理の権限と引き換えに担保権を買い戻す、という悪魔の提案。エリザベートはどうするのか。……次回、ついに集市の天幕が開きます。領主直営、初陣です! 面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!




