孤児院の扉
第13話 孤児院の扉
翌朝。馬車の中で、ミリアがそわそわしていた。
「お嬢様、あの……リナ、元気でしょうか。半年も、会ってないんです」
「そわそわしすぎ。給料、全部送ってたんでしょう? 元気じゃなかったら、あんたの財布が浮かばれないわよ」
「そ、そうですよね……!」
軽口を叩きながら、私も窓の外を見た。
孤児院は、領都の外れにある。石造りの建物——というには、あまりにみすぼらしい。壁は剥げ、屋根の瓦はところどころ欠けている。
門の前で、子どもたちが座り込んでいた。小さな影が、五つ、六つ。……遊んでいる、というより、座っているだけ。元気がない。
「……ミリア。あの子たち、痩せすぎじゃない?」
「……はい」
ミリアの声が、沈んだ。
院長先生が出迎えてくれた。四十代半ばの女性。優しそうな笑顔の奥に、深い疲労の影が見えた。
「ローゼンハイム様。わざわざお越しいただき、ありがとうございます。……子どもたち、喜びます」
中に入る。廊下は薄暗い。掃除は行き届いている——でも、限界が見えた。床の板はささくれ、割れた窓ガラスには紙が貼ってある。
「お姉ちゃん!」
小さな影が、ミリアに飛びついた。リナだった。十一歳。頬はこけているけれど、目はミリアそっくりで、よく笑う子だ。
「リナ! 元気だった!?」
ミリアが、妹を抱きしめる。その腕が、少し震えていた。……前世の私に、こんなふうに抱きしめる相手はいなかった。羨ましい、なんて思うのはやめよう。今は、仕事の時間だ。
食堂に通される。ちょうど昼食の時間だった。子どもたちの前に並んだのは——薄いお粥と、塩だけのスープ。
「……これが、昼食?」
院長先生が、うつむいた。
「援助金が……半年以上、届いていないんです。私の持ち物を売って、なんとか繋いできましたが……先月は、髪を売りました。それでも——」
髪を売る。ミリアの報告通りだ。
「……受領記録を、見せてもらえる?」
院長先生が、古い帳面を出してきた。ページを繰る。——最後の受領印は、半年前。ぴたりと、止まっている。
(……半年前。ダルトンが支出の締め付けを強めた時期と、一致する。経理の勘が、ざわつくわ)
「……この帳面、預からせて。証拠になる」
領主の援助金を、ダルトンが着服していた。子どもたちの食卓から、金を抜いていた。
——許さない。絶対に、許さない。
その時、奥の部屋から、小さな咳が聞こえた。
「……あの子は?」
「五歳の男の子です。先月、栄養失調で倒れて……今も、起き上がれません」
胸が、痛んだ。前世のOLの私には、想像もできなかった光景だ。飢えた子どもが、目の前にいるのに——。
「……見せてください」
小部屋。藁の布団に、小さな体が横たわっている。頬はこけ、呼吸は浅い。五歳のルカ。院長先生が、濡れ布巾でその額を拭いている。献身的で、優しい手つきだ。……でも、優しさだけじゃ、この子は助からない。
(……このままじゃ、死ぬ)
「医者は? 薬は?」
「医者を呼ぶ金が、ありません。……薬草を買う金も」
院長先生の声が、震えた。
私は、ミリアを振り返った。
「ミリア。領都の薬草商へ。栄養になる薬草と、温かいスープの材料——領主館の掛けで、と言いなさい。私の名で」
「……お嬢様!」
「いいの。領主代理の権限よ。……この子に必要なのは、『今日』の食料と薬なんだから」
——聖女様の治癒魔法があれば、この子は助かる。……でも、聖女様は学園にいる。ここには、いない。
私の頭の中で、前世の知識が回り始めた。栄養失調。まずは、食べられるものを。裏庭は、空いている。堆肥を作って、菜園を始められる。衛生状態も、改善できる。……でも、それは「明日」の話だ。この子に必要なのは、「今日」の食料と薬だ。
「……ねえ、院長先生。裏庭、使わせてもらえる?」
「……え?」
「それと、井戸の水。……あと、子どもたちに手を洗わせたいの。食事の前と、トイレの後。石鹸は……ミリア、領都で買ってきて。安いのでいいわ」
「は、はい!」
ミリアが、走り出した。
裏庭に出る。思ったより、広い。日当たりも悪くない。……ここなら、菜園ができる。生ゴミと落ち葉で堆肥を作って、育ちの早い野菜から。——前世の知識が、勝手に設計図を描き始める。区画割り、水の動線、輪作の順番。経理の次は、農業か。前世のOLスキル、意外と潰しが利くわね。
足で区画を測っていると、小さな影が近づいてきた。リナだ。
「……お姉ちゃん、何してるの?」
「畑の設計図。……ここに、野菜を植えるの。リナも、手伝ってくれる?」
「……うん!」
リナの顔に、初めて笑顔が戻った。痩せた頬が、少しだけ緩む。……この笑顔を、守りたい。
リナが、私の袖を引いた。
「お姉ちゃん……あの人、誰?」
「……領主様だよ、リナ」
「えっ……! こわい人じゃ、ないの?」
……「こわい人」。悪役令嬢の悪名は、こんな小さな子の耳にも届いている。——変えなきゃ。全部、変えなきゃ。
私は、リナの目の高さに膝をついた。
「こわくないよ。……約束する。明日から、ご飯が増える。お粥じゃない、ちゃんとしたご飯が」
「ほんと……?」
「ほんと。……お姉ちゃんの名前で、約束する」
——その時だった。
院長先生が、がくりと膝をついた。床に、額をつけんばかりに頭を下げる。
「……お願いです、ローゼンハイム様」
「院長先生!? 頭を上げて——」
「聞いてください。この建物の土地が……ダルトン様によって、ゴルド商会への借金の担保に入れられていたんです」
院長先生が、懐から一通の書状を取り出した。封蝋には——ゴルド商会の紋章。
「……立ち退きの通知です。月末までに、と」
——なんだって?
書状を受け取る。日付は、三日前。文面は、事務的で冷たい。「担保権の実行」。……子どもの寝床を、担保に取る。ダルトン、お前はどこまでも腐っているな。
「……お姉ちゃん、『たちどき』って、なあに?」
リナの小さな声。ミリアが、答えられずに唇を噛む。……子どもに、説明できるわけがない。「お前たちの家が、取り上げられるんだよ」なんて。
「子どもたちを、どこへやれば……。どうか、どうかこの子たちを——」
院長先生の肩が、震えていた。子どもたちが、不安そうにこちらを見ている。リナが、ミリアの服をぎゅっと握りしめている。
——ダルトン。お前は、どこまでも腐っているな。子どもの寝床まで、金に換えるか。
私は、院長先生の肩に手を置いた。
「……顔を上げて、院長先生」
ゆっくりと、顔を上げる。その目に、涙が光っていた。
「この孤児院は、潰させない。……私が、領主として約束する」
「……ローゼンハイム様」
院長先生が、顔を上げた。涙を拭って、小さく頷く。その後ろで、子どもたちが顔を見合わせている。——まだ、信じきれない目。無理もない。領主の約束なんて、今まで一度だって守られたことがないんだから。
(……見てなさい。悪役令嬢の約束が、どれだけ重いか)
——でも、内心では冷や汗が流れていた。金庫は空だ。嫁入り道具の金貨百枚は、日当と麦の買付けで消える。支出凍結令は出したけれど、ダルトンの三年分の証憑は、まだ出てきていない。薬草代は領主館の掛けにしたが、それもいずれ払わなきゃならない。
商会の担保権を、どうやって外す? 金で買い戻す? その金は、どこから? ……直販の利益は、まだ先。——前世の家計簿なら、とっくに赤字警告が点滅しているわ。
——答えは、まだない。でも、約束はした。
(……悪役令嬢の約束は、重いのよ。……なんたって、断罪を回避するための、最初で最後の切り札なんだから)
第13話をお読みいただき、ありがとうございます! ついに孤児院へ。痩せた子どもたち、髪を売って支える院長先生、起き上がれない五歳の男の子……書いていて、胸が痛くなりました。でもエリザベートは約束しました。「この孤児院は、潰させない」。担保に入れられた土地、空っぽの金庫——どうやって守るのか。次回、エリザベートの反撃が始まります。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!




