悪役令嬢、聖女を助ける
第12話 悪役令嬢、聖女を助ける
——その光景を見た瞬間、私の足は、もう動いていた。
我ながら、反射神経だけはいいわね。前世では、経理部のプリンターの前で順番待ちするのが日課だったのに。
輪の中心に、割って入る。
「あら、楽しそうね。……私も混ぜてもらえるかしら」
令嬢たちが、ぎょっとして振り返った。中心にいたのは、伯爵令嬢のカトリーヌ・フォン・グランヴェル。十八歳。バーバラ男爵令嬢とジーナ子爵令嬢の二人を従えた、学園の派閥の顔役だ。
そして、その輪の真ん中で小さくなっているのは——セシリアだった。
「……エリザベート様」
カトリーヌが、にっこり笑った。目が笑っていないタイプの笑顔。前世の取引先の営業部長を思い出すわ。あの人も、こういう笑い方をしていた。
「婚約者の殿下が、平民の聖女様にうつつを抜かしていらっしゃるというのに、見て見ぬふりとは。……ご立派な心がけですこと」
……来たわね。「嫉妬に狂う婚約者」という筋書き。ゲームの悪役令嬢ルート、そのまんま。
でもね、カトリーヌ。あいにく私、そのゲームはクリア済みなのよ。攻略本付きでね。
「あら、嫉妬しているとでも?」
私は、わざとらしく首を傾げてみせた。
「……違うのかしら」
「残念ね。私は、嫉妬するほど暇じゃないのよ。領地の改革で、毎日が秒刻みなの」
カトリーヌの眉が、ぴくりと動いた。
「……それで? 何のご用ですの。私たちはただ、聖女『様』に学園のマナーを教えて差し上げていただけですわ」
「でもエリザベート様だって、婚約者の座が危ういのは事実じゃなくて? 聖女様が現れてから、殿下の心は——」
取り巻きのバーバラが、口を挟んだ。カトリーヌが、満足げに頷く。
「あら、ご心配ありがとう。……でも、婚約者の座にしがみつくほど、私は安くないのよ。座りたい人がいれば、どうぞご自由に——なんてね」
バーバラが、むっと黙り込んだ。
「マナー、ねえ」
私は、セシリアの抱える教科書の束に目をやった。細い腕が、少し震えている。
「……ねえ、カトリーヌ。あなた、聖女がどういう立場か、ご存知?」
「……どういう意味ですの」
「セシリアは、王家と教会が認めた『王国の宝』よ。平民出身だろうと、その治癒の力は戦場の兵を救い、国を救う力。——そんな方を、公の場で辱める。それが王家への侮辱にならないと、本気で思っているのかしら」
カトリーヌの顔から、さっと血の気が引いた。
「……そ、それは言いがかり——」
「言いがかりかしら。じゃあ聞くわね。……今のやり取りを、誰かに見られていたらどうする? たとえば——」
私は、わざと視線を中庭の奥に向けた。噴水の陰に、誰かの気配がする。……殿下ね。まだそこにいたのね。
「『グランヴェル伯爵令嬢が、聖女様をいじめていた』って噂が王都に流れたら。……ご実家の評判は、どうなるかしらね」
「っ……!」
「それに——」
私は、一歩前に出た。カトリーヌの耳元に、そっと囁く。
「『嫉妬に狂った婚約者』を期待していたんでしょうけど。残念ね、その役はもう降板したの。……悪役は、卒業パーティーの一日だけで十分よ」
カトリーヌが、息を呑んだ。取り巻きの二人が、顔を見合わせる。
その時、セシリアの腕から教科書が一冊、滑り落ちた。私が、さっと拾い上げる。
「……ほら。重いんでしょう、少し分けなさい」
「あ……ありがとう、ございます……!」
カトリーヌの顔が、引きつった。——「悪役令嬢」が、標的を庇う。筋書きにない光景に、取り巻きたちも動揺している。
「……覚えていなさい、エリザベート」
カトリーヌは、そう吐き捨てると踵を返した。去り際に一度だけ振り返る。その目が、冷たく笑っていた。
「……面白いことになったわ。——報告しなくちゃ」
(……報告? 誰に?)
その疑問は、胸の奥にそっと仕舞った。今は、それどころじゃない。
残された中庭に、気まずい沈黙が落ちた。
セシリアが、俯いたまま立っている。教科書の束を、ぎゅっと抱きしめて。
「……大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……! あ、ありがとうございます、ローゼンハイム様……!」
セシリアが、ぱっと顔を上げた。その瞳が——やけに、キラキラしている。
(……ちょっと待って。この子、泣いていたんじゃなかったの? どうしてそんなキラキラした目で見るのよ)
「あの……どうして、助けてくださったんですか? ……私、平民ですし、殿下の婚約者であるローゼンハイム様にとっては、目の上のたんこぶのはずで……」
……「目の上のたんこぶ」って、自分で言う? この子、天然なの? それとも——
「……見て見ぬふりをする方が、面倒なことになるのよ」
私は、肩をすくめた。
「それに——あなたが泣くところを、見たくなかっただけ。……理由なんて、それで十分でしょ」
「ローゼンハイム様……!」
セシリアの目が、さらにキラキラした。……眩しい。聖女の瞳って、物理的に発光するのかしら。治癒魔法の副作用?
「あの……! ローゼンハイム様の領地のこと、噂で聞きました! 水路を直したり、市場で直接お米を売ったり……!」
「……耳が早いのね。学園の噂って、ほんと光速だわ」
「す、すごいです! 私、治癒魔法しか取り柄がなくて……でも、ローゼンハイム様みたいに、誰かの役に立つことがしたいんです!」
……この子。ゲームの主人公なのに、どうしてこんなに真っ直ぐなのよ。眩しすぎて、前世のOLの曇った目には刺激が強いわ。
ふと、噴水の陰に視線をやる。殿下が、こちらを見ていた。難しい顔で。何か言いたげで、何も言えなくて。
(……見られたわね。まあいいわ。見られて困ることは、何もしていないもの)
殿下の視線が、私とセシリアの間を彷徨う。その目の奥に、迷いが揺れていた。——婚約者としての義務と、惹かれていく心と。
ゲームの殿下は、この頃にはもうエリザベートを見限っていた。でも今の殿下の目は——困惑と、かすかな期待と、それから自分でも認めたくない動揺が、ぐちゃぐちゃに混ざっている。
(……いいわ。その目で、よく見ていなさい。あなたの知っている「エリザベート」は、もういないんだから)
(……恋のカウントダウンは、止まらない。でも——断罪のカウントダウンは、止めてみせるわ)
帰り道。学園の門で、ミリアが出迎えていた。珍しく、神妙な顔で。
「お嬢様。……孤児院の院長先生から、お手紙です。『ぜひ一度、おいでください』と」
……孤児院。ミリアが惨状を訴えた、あの孤児院ね。領地に戻ってから、後回しにしていた。
「……わかったわ。明日、行く。準備しておいて」
「はい!」
ミリアの顔が、ぱっと明るくなった。
翌朝。登校してすぐの廊下で、呼び止められた。
「ローゼンハイム様!」
振り返ると、セシリアが駆けてくる。息を切らして。
「……どうしたの、セシリア」
「あの……! 今度、もっとお話ししてくれませんか? ……あなたのこと、もっと知りたいんです!」
……はい?
「領地の改革のこととか……どうしてそんなことを思いついたのかとか……! 私、ローゼンハイム様って、不思議な方だなって……!」
その瞳が、キラキラと輝いていた。好奇心いっぱいの、真っ直ぐな光。
(……あれ? これ、ゲームにないイベントなんだけど。——聖女様が、私に興味津々なんですが!?)
ゲームのエリザベートは、セシリアをいじめる役。助ける役じゃない。まして、慕われる役でもない。
なのに——この展開は、何?
私は、思わず笑ってしまった。
「……いいわよ。気が向いたら、ね」
「ほ、本当ですか!? 約束ですよ!?」
セシリアが、嬉しそうに笑った。その笑顔が、中庭の夕日を受けて——眩しいほど、綺麗だった。
——聖女様の好奇心。それが、断罪ルートを壊す最初の一歩になるなんて、この時の私は、まだ知らなかった。
第12話をお読みいただき、ありがとうございます! 悪役令嬢が聖女を助ける——ゲームの筋書きを真っ向からぶち壊す回になりました。嫉妬に狂う婚約者を期待したカトリーヌ嬢を、「王家への侮辱」という論理で詰めるエリザベート、書いていて爽快でした。そしてセシリアのキラキラした好奇心……断罪ルート崩壊の第一歩が、始まっています。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!




