偽りの証人
第11話 偽りの証人
払い出し記録の紙を、私はじっと見つめていた。
日付は、昨日。金額は、金貨百枚。名目は「領主私財よりの借り受け」。そして、受け取り人の欄には——私の名前。
ダルトンの、勝ち誇ったような目。
「——お嬢様こそ、領地の金を横領していた。証人がいますよ」
執務室の中が、しんと静まり返った。ミリアが息を呑む音が、やけにはっきり聞こえる。
……来たわね。開き直りの後の、逆襲。予想はしてた。前世の監査でも、横領がバレた課長ってのは、決まって「お前こそ」と言い返してくるものよ。追い詰められた人間の、最後の足掻き。
私は、ゆっくりと紙を手に取った。指先で、撫でるように触れる。
……うん。やっぱりね。
「ダルトン」
「何です」
「この紙。……墨が新しいわね」
「…………」
「帳簿を書き換えたのと、同じ墨じゃないかしら。匂いが、そっくりよ」
ダルトンの頬が、ぴくりと動いた。
「そ、それは……ただの偶然で——」
「偶然? じゃあ、こっちの『偶然』はどうかしら」
私は、受け取り人欄に指を当てた。
「受け取り人、私の名前。……でもこれ、あなたの字よね、ダルトン。私の署名でも、私の印でもない。払い出しの記録なのに、受け取った本人の署名がない——そんな杜撰な記録を、領地の管家が作るかしら」
「ぐっ……!」
「前世の経理部ではね、こういうのを『一人芝居の証憑』って呼ぶのよ。書いたのも、認めたのも、全部同じ人。……監査で最初に疑われるパターンね」
ダルトンが、唇を噛んだ。額に、また汗が滲んでいる。
「……言いがかりです。証人がいます。実際に金が動くのを見た者が——」
「あら、いいわね。その証人。……呼んでちょうだい。今、ここに」
「……呼べば、いいのですな」
ダルトンが、苦々しげに頷いた。扉の外に控えていた使用人に、何事か耳打ちする。
やがて連れてこられたのは、二十代半ばの青年だった。書記のケイラン。いつも帳簿室の隅で、黙々と数字を写している子。前世で言えば、新入社員の一年目って感じ。
その顔が、今は真っ青だった。
「ケイラン。……あなたが、証人?」
「は、はい……お嬢様」
「いいわ、落ち着いて。……あなたは、何を見たの? いつ、どこで」
「さ、昨日……夕方です。侯爵様の書斎の前を、書類を届けに通りかかって……扉の隙間から、金貨の箱が渡されるのを、見ました」
……扉の隙間から、ね。
「箱の中身が金貨だって、どうして分かったの? 蓋は開いてた?」
「い、いえ……でも、ダルトン様が——」
「ダルトン様が、何?」
ケイランが、口ごもった。視線が、ちらちらとダルトンの方に泳ぐ。
「……あなたは箱の中身を見ていない。『私財』だってことも、自分の目では確かめていない。——なのに、『横領』だって証言できるの?」
「それは……!」
「聞かせて、ケイラン。ダルトンに、何て言われたの? 『証言すれば、書記官に昇進させてやる』? それとも『断れば、クビだ』?」
「…………!」
ケイランが、がくりと肩を落とした。答えなくても、分かったわ。
「……昇進、ですか」
「は、はい……」
私は、ため息をついた。……この子、悪い子じゃないのよ。ただ、弱いだけ。父と同じで。
「ダルトン。……昇進と引き換えの証言なんて、信用できないわね」
「なっ……! こ、これは……!」
「じゃあ、はっきりさせましょう。この金が『横領』なのか『正当な交付』なのか、決められるのは一人だけよ。持ち主本人に、直接聞きましょう」
「父上は、お忙しい——」
「領主代理として命じるわ」
私は、懐の桐の箱から青銅の印を取り出した。高く掲げる。
「バルト。父を、ここに呼んで」
「はっ」
バルトが、深々と頭を下げて出ていった。
残された執務室に、重い沈黙が落ちた。ダルトンが、じっと私を睨んでいる。その目が、言っていた。——『父上は、私を怖がっている。何も言えない』って。
……ええ、分かってるわよ。父は、ダルトンを怖がっている。三年間、それで縛られてきたんだもの。
でもね、ダルトン。あなたは一つ、見誤っている。
父は確かに弱い。でも——弱い人間が、いつまでも弱いままとは限らないのよ。
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やがて、扉が開いた。父が入ってくる。その後ろに、バルト。
父の顔は、青ざめていた。視線が、ダルトンと私の間を彷徨う。
ダルトンが、先に口を開いた。
「父上。……どうか、脅しには屈せず、真実をお話しください。お嬢様が昨日、あなたの私財から金貨百枚を持ち出したことは——」
「——ダルトン」
父の声が、執務室に響いた。震えてはいた。でも、はっきりと。
「真実を語るのは、私ではなく、お前だ」
「……え?」
「百枚の金貨は、私が娘に渡したものだ。嫁入りのために、少しずつ貯めていた私の私財だ。それを娘が横領したと、誰が言う」
ダルトンの顔から、血の気が引いていく。
「し、しかし父上! あの金は——」
「領主として命じる」
父が、一歩前に出た。小さな、頼りない一歩。でも、その背中は、昨日までの父とは違って見えた。
「過去三年分の支出について、証憑を三日以内に提出せよ。……それと、娘を讒言した罪については、後で沙汰を下す」
……父さん。
胸が、熱くなった。前世の私は、父と呼べる人に庇われたことなんて、一度もなかった。両親は仕事人間で、顔を合わせれば金の話ばかり。
だから——この瞬間のことが、どうしても他人事に思えなくて。
「……分かり、ました」
ダルトンが、搾り出すように言った。深々と——あまりに深々と頭を下げて、執務室を出ていく。
扉の前で、ダルトンが振り返った。その目は、もう笑っていなかった。
「……お嬢様は、館の中にいる私の目に、まだお気づきでないようで」
扉が、閉まった。
……館の中の、目。
私は、ぞっとした。百枚——ダルトンは、金額を正確に知っていた。父と私の、二人きりの会話の内容を。誰かが、館の中からダルトンに筒抜けにしている。
バルト? ミリア? ……いや、二人は違う。じゃあ、誰。
(——館の中に、まだ敵がいる)
ケイランは、まだ俯いたまま立っていた。私は、そっと声をかけた。
「ケイラン。顔を上げて」
「……お嬢様」
「あなたは悪くないわ。弱かっただけ。……でもね、次からは、強い方につきなさい。弱い方についたって、守ってはもらえないのよ」
「……はい」
ケイランが、小さく頷いて下がっていく。その背中が、少しだけ軽くなった気がした。
「……娘に、庇われる日が来るとはな」
父が、苦笑した。涙の跡の残る、情けない笑顔。でも、どこか晴れやかだった。
「父さん。……ありがとう」
「いや……私の方こそ。すまなかった、エリザベート」
「謝るのは、もう終わり。……ねえ父さん、泣くのはもうおしまいよ。領主代理がついてるんだから」
「……はは。頼もしい娘を持ったものだ」
ミリアが、袖で目元を拭っていた。バルトが、深々と頭を下げる。
「……さすが、侯爵様のご息女です」
——ひとまず、第一ラウンドは私の勝ち。でも、ダルトンの最後の言葉が、頭から離れない。
館の中に、目がいる。……敵は、まだ館の中にいるのよ。
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数日後。王立学園。
午前中の講義を終えて廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「エリザベート」
振り返ると、アルフレッド殿下が立っていた。第二王子。私の婚約者——のはずの人。
「……殿下。どうなさいました」
「放課後、少し話せるか。……二人きりで」
殿下の顔は、真剣だった。……あら。婚約者の呼び出し。ゲームの序盤イベントに、こんなのあったかしら。……いや、待って。ゲームのこの時期、殿下がエリザベートを呼び出すことなんて、なかったはず。
私は、にっこり笑った。
「ええ、構いませんわ。……中庭の噴水の前で、いかが」
「……分かった」
殿下が去っていく。その背中を見送りながら、私は思った。
(……何の話かしら。領地のこと? それとも——婚約のこと?)
ふと中庭の方に視線を向けると、そこにセシリアがいた。平民出身の聖女。光の治癒魔法の天才。
その隣に、殿下がいた。……さっきの殿下じゃない。今この瞬間、廊下の窓から見える中庭で、殿下がセシリアの荷物を持ってやっていた。重そうな薬草学の教科書の束を。
二人が、何か話して笑っている。殿下の笑顔が——私に向けられたことのない、柔らかい笑顔だった。
(……ああ。始まってるわね。恋のカウントダウン)
前世でゲームをやり込んだ私には、分かる。これは、ゲームの「第二王子ルート」の序盤イベント。聖女と王子の、運命の出会い。
……でも、少しだけ胸がちくりとしたのは、どうしてかしら。殿下のことなんて、攻略対象より帳簿の方が好きなくらいなのに。
まったく、我ながら現金なものね。
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放課後。中庭の噴水の前。
殿下が、先に来ていた。難しい顔をしている。
「エリザベート。……領地で、何かあったと聞いた」
……来たわね。ダルトン、もう王都に手を回したのね。早いわ。
「あら、耳が早いのね。……誰から聞いたのかしら」
「……それは、言えない」
殿下が、視線を逸らした。……ふうん。言えない相手——王都の商会筋か、ダルトンの息のかかった貴族か。
「大したことじゃありませんわ。領地の内政を、少し整理しているだけ。……ご心配には及びません」
「無理をするな」
殿下が、まっすぐ私を見た。
「……婚約者として、当然の心配だ」
その言葉に、嘘はなかった。でも——その目の奥に、一瞬だけ迷いが揺れた。
(……この人、今も私を見てる。でも、心の一部はもう——)
私は、噴水の水面を見つめた。揺れる水面に、歪んだ空が映っている。
「ありがとう、殿下。……お気持ちだけ、頂戴しますわ」
その時だった。
中庭の隅の方から、甲高い笑い声が聞こえた。振り返ると——
貴族の令嬢たちが、輪になっていた。その中心に、小さくなっている少女が一人。
——セシリアだった。
「平民のくせに、王子様に媚びるなんて、恥を知りなさい」
「聖女様ぶっちゃって。調子に乗らないでよね」
セシリアが、何も言い返せずに俯いている。その手が、教科書の束をぎゅっと抱きしめていた。
——その光景を見た瞬間、私の足は、もう動いていた。
第11話をお読みいただき、ありがとうございます。ダルトンの「横領」反撃を、偽造の払い出し記録の矛盾とケイラン書記の証言、そして父の決断で跳ね返しました! 弱かった父が、娘を庇って立ち上がる——書いていて、少し泣きそうになりました。でも油断は禁物。ダルトンの「館の中に目がいる」という捨て台詞が、新たな火種に……。そして学園では、殿下の呼び出しと、セシリアへのいじめの影。断罪まであと二年、嵐の予感です。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけると励みになります!




