消えた背中を探し求めて⑧
「ど、どうして部長がここに?」
静かになった室内より、思わず私はそう部長へと問いかける。それを何の事なしに部長は答えてくれた。
「いやな、そこの女子に、秋月の退学処分取り消しの助力を請われてな」
「え!? 部長もですか!?」
ここへ来てようやく、私は秋月を救うために沙希や智花、柚子、哲平くんが赴いて行った場所を知る事が出来た。
哲平くんは自分たちの担任。
智花と柚子はクラスメイト。
そして沙希は、真っ先に学校側へ目を向けた私の代わりに、演劇部へ行って来てくれてたんです。
「一緒に部活やってたんだからさ、もしかしたらって思ったのよ」
落ち着きを取り戻した沙希が、ちょっとバツが悪そうにしながらも私にその事を教えてくれる。
でも私はいささか疑問でした。
だって秋月の退部届けを部長は受け取っていたから、この件に関して介入してこない。
と、漠然としながらも、そう思っていたんだもん。
だけどそれは、甚だ私の検討違いらしい。
「何も驚く事ではない。秋月は我が部にとって非常に貴重な人材だからな。みすみす校外へ逃すわけなかろう」
「え、でも部長! 秋月の退部届けを受け取ったはずじゃあ?」
飄々としている部長へ、私は汗だくになりながらも聞き返す。
秋月が姿を消した後、真っ先に私が赴いたのが演劇部だった。
そこで彼の退部を知り、必死に部長へ取り消してもらうよう懇願したわけですから、この流れが上手く飲み込めないのも致し方ありません。
どうしてその部長が? という考えが、私の脳でぐるぐるとひしめく。
ちんぷんかんぷんです。
そんな困惑状態の私に、部長は呆れた様子で口を開いた。
「やっぱりお前は人の話を聞いていなかったのか。俺は、『預かる』と言ったんだ。それは決して秋月の退部を了承したわけではない。やつが戻ってくるまで、文字通り、預かっていたに過ぎん」
そ、そうだったんだ……。
自分の勘違いにほとほと打ちひしがれてしまった私。
もっとよく考えてみるべきでした。
まぁそれだけ、私に余裕がなかったという事ですが。
そんな私を他所に、生徒指導室へ、新たな声が割って入ってくる。
「それは部長が言葉足らずだったんですよ」
ひょこっと同じ演劇部の部員が、部長みたいに顔を覗かす。
そしてやんわりと部長に突っ込みを入れていた。
「一言真山さんに『秋月を辞めさせないから安心しろ』、と言ってあげれば良かったんです」
同じく。
にょきっと部長の後ろから這い出た他の部員も、それとなく指摘。
それを部長は「そうか。すまん」と、いつも通りのマイペースさで答えていた。
どうやらここへは部長のみならず、演劇部のみんなも集まっているようです。
私のクラスメイトが雪崩れ込んで来た時とは打って代わり、「やっほー」と実に朗らかな雰囲気で生徒指導室に顔を出している演劇部のみんな。
それを見た私は、更に安堵感で身を包まれた。
そうか。
ここにも秋月を助けてくれようとしている人たちがいたんだ……。
一時騒然となりかけた生徒指導室は、演劇部のみんなのおかげで一気に払拭させれられる。
「秋月くんの王子衣装……せこせこせこせこ……夏休みの間に縫って……折角用意出来たのに……」
衣装担当である先輩女子が、この世の終わりとでも言いたげに暗い声音を出す。
その発言を耳にした私のクラスメイト。
目下。女子一同が、割れんばかりの歓声の声を上げ興奮し出した。
「お、王子!?」
「何それ!? 何それ何それー!?」
「あ、今度の文化祭で俺ら『白雪姫』やんの。秋月は王子役。良かったら観にきてね!」
ちゃっかり宣伝しているけど、そんなの誰も気にも留めてません。
秋月が王子役をやるという情報を聞いて、更に「きゃーきゃー」と黄色い声が辺りを埋め尽くしています。
「見なければ……。こ、これは見なければ……っ!」
「私……鼻血出るかも……」
「どうぞどうぞ。思う存分噴出しちゃって! それだけの出来だから、乞うご期待!」
「はぁはぁ……是非とも……秋月くんには流香へ絡んでもらって……はぁはぁ……写真、撮らなくっちゃ……はぁはぁ」
………………。
何とも場違いな宣伝で、かなり特殊な効果が起きそうだけども。
すっかり生徒指導室の雰囲気が変わったので、それはそれで別にいいです。
彼女という立場からして微妙な状況ですが、秋月の支持が更に上がったので、私は一向に構いません。
だけど柚子。友人であるあなたには言いたい!
どうしていつの間にその輪へ混じってるの!?
しかもよだれまで垂らして、何やらはぁはぁ言ってるし!
私は、自分からとめどなく冷や汗が流れてきたのを感じた。
久しぶりにだらだらと、絶句までしている。
そんな環境下で、マイペースを地で行く部長は、先生たちに向かいこう進言した。
「と、このように秋月を失えば、演劇部の損害は甚大であるのがもうお分かりですね。事前に宣伝した手前、クレームにまで発展するのは必至。その責任を、どなたが被っていただけるのか? 秋月を退学させるのであれば、今ここで名乗り出ていただこう」
分厚い眼鏡を押し上げ、きらりとレンズが光る。
でもその奥には、険しい視線で生徒指導室を見渡しているのが雰囲気で分かった。
これにはさしもの先生方も「うっ」と呻きの声を上げる。
秋月の王子衣装と聞いて、私のクラスメイトたちが反応した様子を見ているから、想像するのが容易かったらしい。
一斉に体育教師へと注目が集まる。
「むっ。わ、私ですか!?」
今更何を。
はっきり言って、あなたしかいないです。
秋月の退学処分を、一番推奨しているのがご自身なのですから。
そんな声が、あちらこちらから聞こえた気がした。
私もじっとりと体育の先生を睨み付ける。
そんな視線が痛かったのか、体育の先生は助けを求めるかのように、あっくんへと声を掛けた。
「お、岡田!」
智花の逆上と、沙希の憤慨によって不甲斐なくも尻込みしてしまい。
部長によって脅され。
仕舞いには他の先生たちからも痛い視線を向けられてしまった体育の先生は、今ここで、自分の味方に成り得るのがあっくんだけだと感じたみたいです。
まぁ、あっくん自身私たちとは違い、先生と事を構えるつもりじゃあないみたいなので、そう思うのも不思議ではありません。
それは彼が発した一番最初の言葉で、伺い知る事が出来ます。
またどうやら、体育の先生は生徒指導とは別に、野球部の顧問もしているらしかった。
名実と共に、よく見知った生徒という事ですね。
その生徒が現れたので、体育の先生はあっくんへこちらへ来るように促す。
だけど、彼がここへ来た目的は、先生の思惑とは違っていた。
軽い会釈で返したあっくんは、そのまま室内に入り、私の隣に立つ。
「どうした岡田。もうちょっとこっちに来なさい」
「いえ、ここで十分です」
そういえば私、あっくんも来てくれるとは思わなかった……。
傍らにいる幼馴染を、きょとんとした顔で見てしまった私。
それに気付いたらしいあっくんは、にかっと爽やかな笑顔で応えてくれた。
「流香。俺はな、秋月ばかり処分じゃあ不公平だと思ってる」
「な!? お、岡田!?」
あっくんの発言に驚愕する体育教師。
彼は自分側の人間だと思っていたらしいから、その言葉には意表をついたみたいです。
私も驚きました。
だけどそれは、あっくんが先生の味方をしなかったという事じゃあなく、私と同じ考えという事について。
まさかあっくんも、そう思ってくれてたとは知らなかったから。
「あっくんも?」
「ああ」
聞き返してみちゃったけど、もう一度あっくんは私に首を縦に振って答えてくれる。
そして、私から体育の先生へと視線を移した彼は、思いがけない事を口にし出した。
「俺は今回、秋月だけ処分が下されるのに納得がいきません。それはあの場に、俺もいたからです。……俺にも、同じ罰を受ける資格があります」
それは自己申告だった。
普段、温和な彼からではとても想定出来ないような厳しい顔つき、鋭い視線。
声も心なしか、怒気を含ませているように見える。
あっくんにとって、フェアプレイが望むべきもの。
自分も秋月と同じ場所にいた。
同じ事をした。
そう、あっくんは言いたいらしい。
だから相応の処罰を己に課すよう、先生に促している。
折角厳重注意だけで済んだのに、またその件をほじくり返すような態度を見せたあっくん。
下手すれば野球部どころか、秋月と同様、学校にいる事さえ疑わしくなるような行動です。
それに慌てた私は、あっくんのユニフォームにしがみついて止めようとする。
「だ、駄目だよあっくん! そんな事言ったら、あっくんだって……」
「いいんだ。そっちの方が俺的に、気が楽になる」
そう言ってあっくんは優しく私の頭を撫で、またにかっと笑ってみせてくれた。
ついでのように、沙希たちへも視線を傾ける。
「小林たちには悪いけどな。付き合ってもらうぞ」
それを認めた沙希たち。
彼が言いたい事を、おのずと理解したようです。
やれやれといった面持ちで、沙希の口が開いた。
「こんな時だけ……まぁいいわ。勝手にやんな」
呆れたような顔をしたけど、それでも了承の意を示す沙希。
それに順じ、智花や柚子も同意のようで、首を縦に振った。
「まぁ、それが一番正当だよね。どうぞお構いなく」
哲平くんも異論はないみたい。
行く末を温かく見守る事にしたか、くつろぎまでし出した。
それを確認したあっくんは、再び体育教師に向かって、言葉を投げ掛ける。
「どうぞ処分を」
短く。
でもその意思ははっきりと、あっくんのしっかりとした声音が生徒指導室に重く落ちる。
私はもうどうしたらいいのか分からなくなり、情けなくもわたわたとその場で身じろぐしかなかった。
だけど、そんな状況は全く意外な方向へ。
「だ、駄目だ駄目だ駄目だ! 岡田! お前はうちのエースなんだぞ!?」
あっくんの申し出は、絶対認められないといった風情で反対する体育教師。
どうやらあっくんは野球部にとって、必要不可欠な選手らしいです。
顔面を蒼白にさせながら、先生は尚も彼を説得しようとする。
「代えの選手はまだ育ってないし、これからお前を軸に動こうと、そうミーティングで決めたばかりじゃないか!」
それを私の幼馴染は、あっさりと返した。
「逆に問題を起こした選手を軸にするのは間違っています。他の奴ら……特に後輩たちへ示しがつきません。それは先生ご自身が常に、俺たちへ言っているものです。だから俺はそれに従います。秋月に問題があると言うなら、同じ行動を起こした俺を、どうぞ処罰して下さい」
まさしく正論中の正論。
誰もあっくんの言葉へ、口を出す事が出来ないでいる。
それは、体育の先生にも同じ事が言えた。
いえ。今まさに自分が取った言動が矛盾しているので、言いたくても言えないようです。
秋月とあっくん。
私を助けるために神澤くんと対立した彼ら。
だけどその罰は、たかが過去に問題行動を起こしてたという理由だけで、秋月のみ重い処分が下される結果となった。
これは生徒……というより、個人個人への差別、贔屓に偏った処分で、決して許されないもの。
あっくんにとって、スポーツマンシップに欠ける今回の処罰。
それが滅多に見せない彼の怒りを、湧き上がらせてしまったらしい。
公平でないものは認められない。
それでも推し進めようとするならば、同じ立場である自分にも同等の条件を。
例え今後の自分の人生に作用するとしても、釣り合わない尺で計られるよりかはマシ。
そう、あっくんは心から思っているようだった。
毅然とした態度で体育の先生を見据えるあっくん。
でもそれこそが、今まで頑なに自分の考えを変えようとしなかった先生を、結果的に動かす要素となった。
違いますね。
決定打です。
「…………分かった。秋月の退学処分は……見直す」
苦々しそうに顔を歪めながら、体育教師の口が開く。
途端、生徒指導室内は歓声で沸きあがった。
「やった! 秋月の退学処分、取り消し! 良かったね、流香ぁ~~っ!」
まるで自分の事かのように喜んでくれる沙希。
嬉しそうにはしゃぎ、そのまま私に飛びつく。
そこへ追従するかのように、智花も満面の笑顔で私に労いの言葉をかけてくれた。
「これぞ民主主義の勝利! 頑張ったね、流香」
ううん、それは違うよ智花。
私は心の中で彼女に訂正した。
みんながいてくれたから。それにつきます。
何よりも、秋月のこれまでの行いが、みんなを動かしたと言っても過言ではありません。
私だけが頑張ったんじゃあないよ。
私は沙希にしがみつかれながらも、智花にちょっと控えめの笑顔を向けた。
でも、そんな風に私が思っているのに気付いたのか、柚子が背の低い私に目線を合わせるよう屈むとにっこりと微笑みながらこう言ってくる。
「流香の存在が~、秋月くん自身を変えたの! ちゃんと分かってる~?」
「高木先輩、それ正解。真山先輩、確か前にも俺が言ったと思うけど?」
哲平くんも私に近付きながら、意地悪そうな顔で告げてきた。
何だか無性に恥ずかしいです。
やんややんやと私を持てはやすみんな。
違った意味で顔向け出来ません。
本当に特別、私は秋月に何かしてあげたとは思っていないから。
ちょっと顔が熱くなってきた私は、そんなみんなから顔を外すようにわたわたと挙動不審な動きをする。そこでたまたま、私たちを微笑ましそうに見ているあっくんと目が合った。そうだ。お礼を言わなきゃ。
最終的に体育の先生を動かしてくれたのはあっくんなんだから、ちゃんと伝えなくちゃ。
別に恥ずかしさを紛らわすためじゃあないけど、私は絶好のタイミングだと思い、あっくんに向かって感謝の言葉を述べた。
「あっくん、来てくれてありがとう」
今回急いでいたから、あっくんには何も言わずじまいだった私。
にも関わらず、どこから聞きつけたのか、わざわざ来てくれた幼馴染。
しかも、自分の事を持ち出してまでしてくれたので、私は自分が出来る限り、精一杯の気持ちを込めてあっくんにお礼を言った。
そんな私に対し、あっくんはまたにかっと笑いながら答えてくれる。
「いいって事よ。偶然演劇部の連中を引き連れてる小林を見かけたから、そのまま着いてきただけだしな」
「はははっ!」と声まで出して笑ったあっくんは、本当にどうって事がない様子。
何だか、頼りになるお兄ちゃんって感じに見えます。
まぁ、身長差のある私たちが並ぶと、例え同学年でもあながちな部分があるのは否めませんが。
でもそれを聞いて、私はようやくあっくんがここに来た経緯を、知る事が出来ました。
どうやら彼は、生徒指導室に向かっている沙希たちが気になり、声を掛けたみたいです。
そして沙希から事情を聞き、自らも赴く事にしたらしい。
その理由としては、先ほど体育の先生に向かって言った不公平な処罰に対してなのですが、根本的には他にもあるようでした。
「あいつは、いいやつだもんな」
そう言ったあっくんは、また私の頭を撫でる。
たった一言だけど、その言葉にはとても温かいものが込められているのを感じ取る事が出来た。
そっか。あっくんはずっと、秋月に対して友好的な態度をとってくれてんだと、今更ながら思い出す。
帰りに鉢合わせた時や、体育祭の朝に繰り広げられた出来事。
哲平くんについて颯太と共に事情を説明した時や、期末試験の時など。
何度秋月に噛み付かれていたとしても、その都度、あっくんは親しげに接したり、フォローをしてくれてたっけ。
それはあっくん自身が既に、秋月の本質を見抜いてくれてたに他なりません。
普段は鈍感キングな私の幼馴染だけど、そういった所はとても聡いから、頷けるというものです。
「幼馴染の大切な後輩を、俺が見過ごすわけないだろう?」
最後そう言ってくれたあっくんに対し、私は自分がそれまでにないような満点の笑顔をたたえ、彼に向かって放ったのを自覚した。
とても嬉しかったから。
あっくんも、そんな風に秋月を見てくれてたのがすっごく嬉しかったから、自然と出てきた。
もうこれで、何も憂うものはありません。
沙希や智花、柚子、哲平くん。
私のクラスメイトたち。
担任の先生。
部長や、他の演劇部部員。
そして、あっくん。
みんながみんな、秋月のために集まってくれたから、無事、退学処分とならずに済んだんだもん。
生徒指導室内では、未だに退学処分取り消しへの歓声が沸きあがっていた。
ハイタッチをする人や抱き合う人。
天井へ高らかにガッツポーズを決める人など、実に様々です。
それを見ながら、安堵と共に私の胸は達成感で満たされる。
ようやく、秋月を助ける事が出来たと思ったから。
でも、それはいささか早とちりだったようです。
誤解していました。
『それ』だけで秋月を救う事にはならないんだと、私は気付きもしていませんでした。
くしくも『それ』は、体育の先生の口から零れ出たもので知る。
見直す事にしたものの、ついぽろっと本音を出てしまったらしい体育の先生。
だけどそれを聞いてしまった私は、再び奈落の底へ突き落とされたような感覚を味わった。
まだ終わりじゃあないんだ。
肝心な事を忘れていた。
「…………どっちみち、秋月が学校に来る気がなければ同じ事だ」
上げまくってからの奈落への突き落とし。
ごめんね流香。
いじわるな作者で←
これでこの章は終わりです。
次回からはラスト手前の新章に入りますので、どうぞお楽しみいただけたら幸いです。




