刹那の時を駆け巡れ①
ラストの一歩手前まできました。
ずいぶん長い話になりましたけど、あともう少しなのでお付き合いいただけたら幸いです。
彼の意思が固いというのは、初めから知っていた。
分かっていた事だった。
演劇部へ退部届けを出したというのもあるけど、それよりも、何よりも。
あの日、病室で見た彼の最後の笑顔が、それを如実に現していたんだから。
“……最初っから、先輩のそばにいる資格、俺にはなかったんだよな”
目を閉じれば、今でもその言葉が私の脳裏に甦る。
まどろんでいたため、最初、秋月が言った台詞を理解する事が出来なかった。
でも時間が経てば経つほど、彼の言った言葉が肌身に突き刺さるぐらいきつく、それが真実なのだと思い知らされる。
退学処分が取り消されても、秋月が学校に来なければ同じ事。そう、体育の先生が言っていた。
それは紛れもない事実です。
結局、私たちがどんなに秋月に戻って来て欲しくても、彼にその意思がないのであれば、結果的に学校を辞める形になるのだから。
“退学届けまで出さなかったのは、単純に学校で真山先輩と鉢合わせるのを避けたつもりなのかもね”
あの生徒指導室での一件後、哲平くんは私にそう洩らした。
彼自身、体育の先生が言わなくても、既に分かっていたようです。
秋月が学校に来なければ、自分たちのしている事は空回りとなる事を。
だけどそれでも止めようとしなかったのは、まだ微かに希望があると思いたかったからに他なりません。
“また俺は楓を探してみるよ。ちょっと待っててね、真山先輩。……もし見つかったら、あいつに、何か言ってやって欲しい”
私は哲平くんに、もし秋月が学校に来たら話すよう頼まれた。
それは哲平くんが、私こそが再び秋月を呼び戻すキーパーソンと考えているみたいだからです。
でも当の私は……秋月に、何て言えばいいのか分からない。
秋月の去り際を知っているからこそ。
あの自嘲を含んだ笑顔の裏に隠された、私への想いを知っているからこそ。
どんな顔をして、彼と接すればいいのか思い付けすらしない。
秋月は私のために身を引いてくれたわけだから、そんな私が、彼にどう声をかけてあげればいいというの。
そんな鬱々とした日々が続いた。
その間に私の左腕からギプスは外れ、医者から完治したと教えられたけど、嬉しい気持ちは全く湧き上がってこなかった。
私の心に、ぽっかりと空いた穴。
それは未だ秋月がいないという事実を示す穴。
ギプスを外せた嬉しい気持ちを相殺させる所か、更に深く、私の気持ちを沈ませたのは言うまでもありません。
他の誰でもない、秋月本人じゃなきゃあ、埋める事が出来ないもの。
「……私だって、秋月に会いたいよ」
自分の部屋でぽつんと、誰に話しかけてるわけでもなく、独りごちる私。
哲平くんに言われた事を思い出しながら、ベッドに持たれかかり、治った左腕をさする。
私だって、秋月にまた会いたい。凄く会いたい。会って、また他愛もない事を喋って過ごしたい。
でも、それは現時点では到底叶わない事。
秋月がいないのもあるけれど、仮にまた彼が私の前に現れてくれたとしてその時、自分は最初、どうすればいいのかまだ分からなかったから。
怪我は全部、直ったよって言えばいいの?
ギプスも無事、外せたよって言えばいいの?
……違うでしょ。それは言うべき言葉じゃあない。
彼に、怪我を負わせてしまったという自責の念があるからこそ、とんだ的外れで逆に秋月を傷つけてしまう結果になる。
いくら考えても思いつかない。私は否応なしに、途方に暮れてしまった。
考えても考えても、一向に答えは見つからないから。
そんな私の下へ、ある人物が訪ねてくる。
「流香、いるか?」
こんこんと丁寧に叩かれたドアのノック音。
その向こうから、昔から馴染みのある声が私を呼ぶ。
ゆっくりとした動作で立ち上がる私。
そして、のろのろと部屋を横切ってはドアの前に立ち、僅かな隙間から顔を覗かせた。
「……あっくん?」
「あぁ。ちょっといいか?」
私の下へ訪れたのは、幼馴染のあっくんだった。
足元から視線を徐々に上げ、あっくんの顔を確認した私。
それを認めたあっくんは、にかっと私に笑顔を向ける。
でも私はそんな彼を見ても、それ以上言葉を発する事がなかった。
何をしに彼はここに来たのだろうとは、別段思わない。そんな事を考える余裕は、今の私にはないから。
ずっと、秋月にどう接すればいいのかで頭がいっぱい。誰かと話す気力は、到底、持ち合わせていません。
それを察しているのか、あっくんはまたにかっと笑いながら、ドアを開けてもたった一言で済ませた私に、部屋の中へ入ってもいいかと尋ねてくる。
反応ない私の代わりに、自ら話を進めてくれるらしいです。
私は半ば無感情のままその流れに乗り、彼を部屋の中へと入れた。
だけど、すぐに話始めるというわけではありませんでした。
再び私はベッドに寄りかかり、沈黙する。
あっくんもそんな私に合わせてくれてるのか、自分も私の隣でベッドに寄りかかると、おもむろに私の頭に手を乗せてきた。
まるで妹を慰めるかのように、私の頭を撫で始めるあっくん。何度も何度も。頭へゆっくりと落とされた温かな感触。そして、髪の流れに沿う手の動き。
単調な動作だけど、それでもあっくんは黙ったままの状態である私に、頭を撫で続けた。
そんなあっくんの行動によって導かれたのか、私の目からいくつもの雫が零れ出す。ぽたぽたと流れ出てきた涙は、膝の上に置いていた手の甲へ次々と落ち、跡を残した。仕舞いには嗚咽も洩らす。
「……ひっく……ひっく……っ。…………うぅ」
とめどなく目から流れてくる涙と、自然と出てきた声。
そこで私はようやく、あっくんが何のためにここへ来たのか悟る事が出来た。
彼は自分が話すのではなく、『私の話』を聞きに来たんです。
「何か、言いたい事があるんだよな?」
静かに口を開くあっくん。
でもその声音はとても優しく、私を促しているのだと分かった。
ずっと葛藤していた、秋月の事。それを、あっくんは引き出そうとしてくれている。
私はこくこくと首を縦に振って答えた。
すかさずあっくんは、また促してくれる。
「言えよ。俺たち、幼馴染だろ? 男の話含めて、何でも相談しろって言ったろ?」
そういえばいつぞやか、私はあっくんにそう言われてたっけ。
あの頃はまだ私もあっくんが好きで、しかも大分前の事ですっかり忘れてたけど。
あっくんが……答えをくれるのかな?
秋月とまた会った時、私はどうすればいいのかを。
「……分からないの」
未だ嗚咽混じりになりながらも、私は第一声を発した。
「……秋月にまた会った時、……どう接すればいいのか分からないの」
私は幼馴染に、自分が抱えている心の内を打ち明けた。
秋月の意志は固く、学校に来る意志がない事。
でもそんな状況の中、哲平くんに秋月と話すよう頼まれた事。
ぽつぽつとだけど、それでも私は何とかあっくんに向かって口を開こうとした。
それをあっくんは、ずっと黙って聞いてくれる。時々声を詰まらせてしまったけど、そんな私に対して口を挟む事なく、最後まで耳を傾けてくれるあっくん。
だから私は、自分で話せる限りの事を話した。
病室で最後に見た、秋月の姿も伝えました。
私たちが例えどんなに望もうとも、当の本人である彼は望んでいない。あの自嘲を含ませた笑顔。
それが意味するものを含めて。
「…………」
しばらく私の話を聞いていたあっくんは、何やら思う所がある様子。
天井を見上げた状態で、思案に暮れ始める。
でも、それを気に留める事すら出来ない程、話していく内に涙で顔がぐしゃぐしゃになった私。
今思えば秋月について、一気にここまで人に話した事がなかった。
それと言うのも、沙希たちとはこれまで共に行動していたり、少しずつ話す機会があったから、あっくんのように全部を話す必要性がなかったためです。
退学処分取消では一役買って貰ったけど、何だかかんだで私、あっくんへは何も話してなかったから。
感情がこれまでとは比べ物にならないぐらい溢れ出す。
秋月に対して、一つ一つ紡いでいった私の言葉。
それは全て、私の、秋月への気持ちを物語るもの。
全部を出し切った私は、もう嗚咽しか声を発せないでいた。
最終的には、必至に涙を拭う時間だけが私とあっくんの間に流れていく。
そこでようやく、あっくんが私に向かって口を開いた。
「なぁ流香、そんなに難しい事か?」
「……え?」
ふいに問いかけられる。あっくんは天井から私へと視線を移し、少し不思議そうな顔でこちらを見ていた。
それを認めた私は、どういう事なのかと涙を拭きながら小首を傾げる。
難しい事?
あっくんの言っている意味が、よく分かりません。
私が理解していないと踏んだあっくんは、尚も詳しく聞いてくる。
「だからな、要は秋月に何を伝えればいいのか分からないんだろう?」
「う、うん」
どもりながらもあっくんからの問いに答えた私は、こくこくと頷く。
そんな私に対して、あっくんは更にこう言ってきた。
「ずっと聞いてて、秋月がどれくらい流香を慕っていたのかよく分かった。そしてお前も、秋月を大切に思ってる」
「う、うん」
間違いではありません。
秋月は本当に私の事を好きでいてくれたし、私も、そんな秋月が自分にとって、かけがえのない存在だと思っているから。
私の回答を聞いたあっくんは、何やら得心いったらしく、今度は自分も頷きの動作をする。
そして、またにかっと笑顔をたたえると、私に思いがけない事を言ってきた。
「だったらそのまんま。秋月に、自分の気持ちを素直に言えばいい」
「……え?」
驚きを隠せない私。
確かにあっくんが言っている事は難しい事ではなく、至極単純なものだけど……。
でも逆に、そんな簡単でいいの? と、思ってしまった。
だって、それまで私と秋月を分け隔てるものを、一瞬でかき消してしまう行為だから。
秋月が決めた、確固たる意志。生じて、私が悩んでいたもの。
それらが全て、無条件で払拭させられてしまう。
あり得ないです。
そんな簡単な事で済んだら、そもそも私はこんなに悩んでいないし。秋月だって……私から身を引かないで済んだはずなんだから。
だけど、それこそあっくんに言わせれば、私たちは難しく考えすぎてると言われた。
根本的に大切な事は、その『単純』の中にあると。
そう、私の幼馴染は断言した。
「会いたいんだろう?」
あっくんの優しい声が上から降ってくる。
それを私は、一つ間を置いて返した。
「……うん」
会いたい。
秋月にとても会いたい。
「一緒にいたいんだろう?」
再び聞いてくるあっくん。
今度は即座に答えました。
「うん」
一緒にいたい。
これからもずっと、秋月と一緒に過ごしていきたい。
「秋月の事、好きなんだろう?」
「うん……うん!」
気持ちを尋ねてきたあっくん。
それを私は、返事を繰り返す形で答えた。心を込めて、力強く。
秋月の事が好き。大好き。
最初は本当に、生意気セクハラ俺様大型犬って思ってた。
弟感覚の時もありました。
だけど、少しずつ彼と一緒にいる事で育った私の本当の気持ち。
何者にも変えがたい、大切な気持ち。
秋月を大好きという気持ち。
それは決して、嘘偽りのないものです。
そんな私を認めたあっくんは、穏やかな表情でこちらの顔を覗き込んでくると、良く出来ましたとばかりにまた頭を撫でてきた。
「それでいいんだよ。どんなに事情があろうと、自分が本当に思っている事が真実なんだ。それをちゃんと伝えてやればいい」
そうか。
あっくんの言葉を聞いて、今更ながら私はある一つの事実に気付いた。
私、これまで秋月に『好き』って言ってない。
付き合うきっかけとなった二度目の告白の時も、それ以降も。
秋月は私に何度も好きって言ってくれたけど、私は彼に、自分の気持ちをちゃんと伝えていなかった。
ははっ。
本当に私、馬鹿です。こんな大切な事に気付かないでいたなんて。
「うん、ちゃんと伝えるよ」
秋月に会ったら、しっかりと伝えなきゃ。
私の心からの気持ちを。
好きって。
ううん。それよりももっと、大好きって。
私はあっくんに、自分の気持ちを秋月に伝えると告げた。
それを聞いたあっくんは、ちょっと苦笑いしながらも認めてくれる。
「はははっ、何か秋月に妬けるけどな。でも、自分の気持ちを伝えるのは大事な事だぞ? ……頑張れよ。流香の気持ちはきっと、秋月に伝わるからな」
「うんっ!」
私の頬はもう、涙で濡れてなどいなかった。
大切な事をあっくんに気付かせてもらったから、胸には温かい気持ちが流れ込んでくる。
秋月に自分の気持ちを伝えるというその一心。
たったそれだけの事なんだけど、それまで悩んでいたものが吹っ切れ、希望が湧く。
私たちが離れ離れになってから、既に一ヶ月以上経過。
その間、一度たりともこんな気持ちになる事などありませんでした。
暗い暗い海の底に沈んでいくかのように、焦燥に見舞われ、絶望を感じ、途方に暮れた日々。
でも今は、前を向いて進むだけの意気込みがある。
「あっくん、ありがとう」
私は奮起させてくれた幼馴染に向かってお礼を言った。
あっくんのおかげで、自分が秋月にどう接すればいいのか分かったから。
そんな私に対し、あっくんはにかっと爽やかな笑顔で返してくれる。
「俺と流香の仲だろ? 何でも相談に乗ってやる。だから一人で抱え込まず、ちゃんと言わなきゃ駄目だぞ?」
再び頭を撫でてきて、まるで妹のような扱い。
だけど、私はそれがとても嬉しかった。
そこまで言ってくれる幼馴染がいると思うと、幸せにも感じる。
以前、私が望んでいた幼馴染の形。
それは違う姿となって、今、ようやくここに現れたんだと、そんな風にも思われました。
「たで~ま~~~~」
そのままあっくんと部屋で話をしていると、玄関で颯太の声が聞こえてきた。
随分と疲れた様子で、やけに語尾が伸びている。
って、もう十時!?
時間に気付いてなかった私は、携帯で時刻を確認して驚愕する。
だって、かなり遅い時間に颯太が帰ってきたんだもん。
いくら部活があるといっても、こんな遅い時間までやってるわけありません。
現に、同じ運動部所属のあっくんも、こうして私の所に来ていますしね。
どうしてこんな時間に帰ってきたんだろうと思った私は、あっくんと一緒に急いで弟の下へと向かった。
タンタンと階段を降り、玄関へと視線を向けた私とあっくん。
そこには、大の字になって玄関にひれ伏している弟の姿があった。
「颯太……もしかして、寝てるのか?」
あっくんから冷や汗が流れ落ちたのを私は見た。
でも、私も同じように冷や汗がだらだらと流れています。
それもそのはず。帰りの挨拶はしたものの、弟はそこで力尽きたらしい。
まだ靴すら脱いでいないのにも関わらず、そのままぐーぐーと玄関で寝に入っている光景が、私たちの目に飛び込んできたわけですから。




