舞踏会の夜2
森の中で見た黒い靄。倒れていたラズリ。
その前に立っていたクラトの背中。
……結局、あの後クラトは医務室には現れなかった。
人を呼んだのは確かに彼だった。先生たちは「通りがかった生徒が知らせてくれた」と言っていた。けれどその名前を聞いても、誰もはっきり答えなかった。気づけば彼はどこにもいなくなっていて、ラズリが目を覚ました時にも、そばにいたのは私と先生だけだった。
ゲーム通りだ。ラズリは医務室で目を覚まし、手首の小さな痣に気づいたものの、翌日の舞踏会には問題なく出られると診断された。
けれど、ゲームでは描かれなかったシーンがあった。
あの場にクラトがいた。彼の手首にも、ラズリと同じような痣があった。
そのことが、どうしても頭から離れない。
「ディア?」
ホメロスに呼ばれて、私ははっとした。
「何でもありませんわ。あなたはラズリのところへ行ってさしあげて。きっと緊張しているでしょうから」
「ああ。そうする」
ホメロスは短く答え、廊下の向こうへ歩いていった。その背中を見送りながら、私は呼吸を整える。
今は式典に集中しなければならない。
創立記念式典は、王立アストルム学園の始まりを祝う大切な行事だ。
この国の有力貴族や王族も列席し、学園のさらなる繁栄を願う。式典では、創立に関わった家の者たちが順に壇上へ上がり、短い挨拶を述べることになっている。
アルドラ家も、その一つだ。
だから私にも、名門の令嬢として果たすべき役割がある。
そして本来なら、もう一つ壇上に立つ資格を持っていた家があった。
イルドゥン家。
かつて学園創立に力を貸した高名な魔術師の家系。けれど今、その名は式次第のどこにもない。王家を欺いた一族として身分を失い、家名を剥奪されたからだ。
アルドラ家は当時の裁定にも関わった家の一つ。だからこそ、ディアがイルドゥン家に向ける言葉は厳しかった。
広間へ向かう廊下の壁には、創立家の紋章が並んでいる。
アルドラ家の薔薇。王家の星冠。その他の名門の紋章。けれど、イルドゥン家を示す鷲の紋章があったはずの場所だけは、古い額縁の跡を残してぽっかり空いていた。
私はその空白を見上げる。
ゲームをしていた時には、ただの背景だと気にも留めていなかった。
でも今は違う。
不在の象徴の向こうに、黒いローブの背中が見える気がした。




