舞踏会の夜3
創立記念式典はつつがなく始まった。
天井の高い講堂には、来賓と生徒たちが整然と並んでいる。王家の星冠を掲げた旗、創立家の紋章を刺繍した垂れ幕、磨き上げられた床に反射する光。いつもの学園とは違う、どこか格式ばった空気に包まれていた。
私はアルドラ家の令嬢として壇上へ上がった。
足を揃え、背筋を伸ばして微笑む。講堂内の全ての視線がこちらを見ていた。
正直、胃が痛い。
本来の私なら泡を吹いて倒れていたと思う。けれどディアの身体は、こういう時の振る舞いを知っていた。礼をする角度、声の響かせ方、視線の向け方。すべてが自然にできてしまう。
口元に優美な笑みを浮かべ、進行表通りに短い挨拶を述べる。学園への感謝。創立家の一員としての誇り。これから学ぶ者たちの未来を祝福する言葉。
なんて立派なご令嬢だろうと我ながら感心する。とてもじゃないけど、頭の中で「ラズリのドレス姿を絶対に見逃さない」と念じているようには見えない。
これで大きな仕事がひとつ終わった。式典の後に待っているのは舞踏会。つまり、ラズリのドレス姿。そしてホメロスとのダンスイベントだ。
そこからの私は早かった。
来賓に挨拶し、生徒の誘導を手伝い、式典後にはあちこちで雑談もこなす。途中で我が国の第二王子が華やかな笑みを浮かべて通り過ぎたけれど、今日のラズリにはホメロスという相手がいる。
ご愁傷さまです、殿下。あなたの登場イベントは、また別ルートで。そんな不敬極まりないことを内心で呟きつつ、淑女の見本のようにお辞儀をする。
そして。
「ディア様!」
大広間へ向かう途中、聞き慣れた声が私を呼んだ。振り返った瞬間、本気で心臓が止まりそうになる。
そこにはラズリが立っていた。いや、天使かもしれない。柔らかな黄色のドレス。ふわりと広がる裾に、白い小花の刺繍。栗色の髪はいつもより少し高い位置でまとめられ、細い金の髪飾りが明かりを受けてきらめいている。
可愛い。
知っていた。知っていたけれど、現実で見ると破壊力が違う。
「……よく似合っているわ、ラズリ」
声が震えなかった自分を褒めたい。
ラズリは頬を染めて、両手でスカートをつまんだ。
「本当ですか? 少し、派手ではありませんか?」
「いいえ、ぴったりよ。黄色は天真爛漫なあなたに合っているもの」
「そんな……あ、ありがとうございます」
恥ずかしそうに笑うラズリを見て、私は内心で両手を合わせた。
神様、今日もありがとうございます。
推しヒロインが生きて、笑って、ドレスを着ています。
しかも隣には、ホメロスが立っている。気まずそうな表情には、華やかな場所への苦手意識が滲んでいるけれど、背すじはきちんと伸びている。
「行儀良くできているようね、ホメロス」
「……ラズリに恥かかせないって言っただろ」
無愛想な声だった。でも、ラズリがその言葉に嬉しそうに目を細める。
私の心拍が跳ね上がったのは言うまでもない。
「ラズリ」
私は彼女の前に立ち、少しだけ腰をかがめた。
「練習したことを思い出せば大丈夫よ。背筋を伸ばして、相手の目を見ること。足元ばかり気にしないこと。少しくらい間違えても、笑ってごまかせばいいわ」
「笑って、ごまかす……」
「ええ。舞踏会で一番大切なのは、完璧に踊ることではなく、楽しい時間を過ごすことですもの」
これはゲーム内でもディアが言う台詞だ。
ラズリの背中を押す、短いけれど好きな場面。
けれど今、目の前のラズリは決められた台詞を交わすだけのキャラクターじゃなかった。少し緊張して、でもどこかワクワクしている、私の友達だった。
「はい。頑張ります」
「頑張りすぎないでね」
私が言うと、ラズリは朗らかに笑って頷く。
その後ろ姿を見届けてから、私は大広間へと向かった。




