舞踏会の夜1
創立記念式典の当日、王立アストルム学園は朝から浮き立っていた。
正門には色とりどりの旗が掲げられ、廊下には季節の花が飾られている。いつもは制服姿で行き交う生徒たちも、今日はどこかそわそわしていた。式典の後には、学園の大広間で舞踏会が開かれるからだ。
もちろん私も、朝から忙しかった。
名門アルドラ家の令嬢であり、教師陣からの信頼も厚いディアは、こういう行事で当然のようにあちこちへ呼ばれる。来賓席の確認、式次第の最終チェック、下級生への案内や控室の花の位置までなぜか私に意見を求められる。
けれど、私は弱音を吐かなかった。
なぜなら今日の最重要任務は、ラズリのドレス姿を一秒たりとも見逃さないことだからだ。
(やることが多い。多すぎるけど、全部片付ければラズリのドレス姿が見られる。しかもダンスの相手はホメロス、推しと推しが踊る)
そう自分に言い聞かせて、私は微笑みを絶やさず立ち回った。
「ディア様、こちらの花飾りはどちらへ?」
「広間の入口へ。赤い花は右、白い花は左に寄せて。来賓の導線を塞がないように」
「はい!」
「アルドラ嬢、来賓の名簿を確認してもらえるかな」
「もちろんですわ。王家の方々は中央席、あら、こちらのお二方はもう少しお席を離した方が良いのでは?」
口を開けば指示が出る。
足を止めれば誰かに頼られる。
自分でも驚くほどディアの身体は自然に動いた。
その様子を見た生徒たちが、廊下の隅で小さく囁いている。
「さすがディア様……」
「本当に何でもおできになるのね」
「それにしても本当に美しい方、まさに黄金の薔薇だわ」
一介の乙女ゲームオタクに向けられるには過ぎた称賛だけど、悪い気はしなかった。
ディアはこうして、ずっと周囲の期待に応えてきたのだろう。そう思うと少しだけ背筋が伸びた。
そんなふうに廊下を歩いていた時だった。
「おい、ディア」
聞き慣れた、少し乱暴な声がした。
振り返ると、壁際にホメロスが立っていた。普段は着崩しがちな服装も、今日は式典用にきっちり整えられている。濃紺の上着には銀糸の刺繍が入っていて、黙って立っていればそれなりに見栄えがした。
黙って立っていれば、だけど。
「その首元、苦しそうね」
「苦しいんだよ。なんだよこの服。息止める訓練か?」
「正式な礼装ですわ。式典中に襟元を緩めたりしたら、パートナーのラズリまで笑われるわよ」
「わかってるって」
ホメロスは不満そうに顔をしかめながらも、襟に伸ばしかけていた手を下ろした。
口は悪い。態度も良いとは言えない。
けれど、ラズリの名前を出すとちゃんと踏みとどまる。そこがいい。本当にいい。
平民出身のホメロスは、古代文字を読む珍しい才を見込まれてこの王立アストルム学園に入学した。本人はその才能を大したものだと思っていないけれど、ゲームを知る私からすれば、後半の重要イベントで何度も光る能力だ。
もっとも、今の彼は古代文字どころではなく、慣れない正装と格闘しているけれど。
「……正装もダンスも面倒くせえけど、」
ホメロスは少し目を逸らした。
「俺はともかく、ラズリに恥かかせるわけにはいかないからな」
……最高。この不器用な言葉を聞くたびに何度ニヤニヤしてきたか。内心で天を仰ぎそうになるのをこらえて、私は優雅に微笑んだ。
「その心がけは立派ですわ」
「それと、その……」
ホメロスが気まずそうに後頭部をかく。
それから、慣れない礼をするように深く頭を下げた。
「色々教えてくれて、ありがとな。ディア……様」
取ってつけたような「様」に、思わず笑いそうになるのをなんとか堪えた。ラズリがこの場にいたら、きっと嬉しそうに笑っただろう。そんな光景が自然に思い浮かぶ。
「ディアでよろしくてよ。無理に様をつけられると、こちらまで落ち着きませんわ」
「じゃあ、ディア」
「ええ」
「……助かった」
短い言葉。でもそれで十分だった。
ホメロスは無愛想で、けれど、ラズリを大切に思っている。その気持ちは、飾らない分だけまっすぐ見える。
(神様、今日もホメラズをありがとうございます)
神様も困るであろう感謝を心の中で口にする。
今夜の舞踏会イベントの成功はほぼ間違いない。ラズリはミモザみたいな黄色のドレスを着て、ホメロスとぎこちなく踊る。ホメロスは口では文句を言いながら、彼女の足元を気にして、最後には珍しく柔らかく笑う。
あのスチル。あれを生で見られる。
そう思うだけで、朝からの疲れが軽くなる気がした。
けれど同時に、胸の奥に小さな棘のようなものが残っている。




